25. エスティリオのレッスン
帝国に到着してからというもの、エスティリオは綿密に組まれた分単位のスケジュールをこなしていく。
約束通り皇太子の皇宮案内に始まり、歓迎式典や皇族や要人との会食、帝国内のアカデミーの視察、魔道士達との交流等など。
ラシェルと話す暇もなく、もう4日も経ってしまった。
ついてくるように言っておいて、放ったらかし状態にしていることが気がかりではあるが、今朝ラシェルからのメモをアルノートから受け取ったことで少し安堵している。
エスティリオへ
私の事は心配しなくても大丈夫よ。
アルノート様にも良くしてもらっているし、退屈しないよう本もたくさん貸して頂いたの。
魔塔主としての仕事が成功するよう、祈っています。
エルより
ラシェルには来客用に用意された離宮から、なるべく出ないようにしてもらっている。
使用人としてとはいえ、魔塔から連れて来た者の中に魔力無しの人がいると、目立つ恐れがある為だ。
魔毒蟲がラシェルの身体にいる内は、第5皇女がここにいることは、絶対に悟られてはならない。
午後に入り昼食を食べ終えたタイミングで、第6皇女のリリアンヌが「お迎えに参りました」と言ってやって来た。
「庭園をご案内しますわ」
帝国の庭園とだけあって抜かりはない。綺麗に刈り込まれた木々と、四季折々の草花。噴水やガゼボが所々に置かれ、庭園に華を添えている。
別に2人きりになどしてくれなくても良いのに、従者達は気を使って相当な距離を取ってついてくるものいい迷惑だ。
ラシェルの妹だから。我慢だ我慢。
例え殆ど会ったことのない兄弟だとしても、大切にしてしまうのがラシェルという人。
妹が邪険に扱われたりしたら悲しむだろう。
くっ付いて歩かれるのも、馴れ馴れしくファーストネームで呼んでくるのも不快だが仕方がない。
ひたすら『我慢』を自分の肝に銘じ、庭園を散策している。
庭園の案内と言っても、リリアンヌはあまり用を成していない。草花にも枝葉にとまる野鳥にも興味のない様子の彼女は先程からずっと、ベラベラと自分の話しをしている。
「エスティリオ様は今年で22歳になるって聞きました。私とは5つ違いで調度良いですね」
一体何が調度良いんだ?
素っ気なくならないよう気を配りながら、会話を返した。
「5つ違いということは、今5年生?」
「そうですぅ! あと2年もすれば成人するのに私、まだ婚約もしていなくって」
「大国の皇女となると、相手探しも大変そうだね」
「ええ本当に。アカデミーで良い方と巡り会えたら……なーんて入学したんですけど、なかなか上手くはいかないものですね。でもお父様が良い機会を作ってくださいましたわ」
うふふっ、と肩を竦めて上目遣いに見てくるが、鳥肌が立つからやめて欲しい。
整った顔立ちをした皇帝の娘とだけあって確かに愛らしい見た目なのだが、エスティリオとしてはキャピキャピとしたテンションについていけない。
もしかしたら自分は異性に甘えたい派で、甘えられるのとか無理なのか? という考えが一瞬過ったが、それは無いなとすぐに打ち消した。
ラシェルに甘えられたら、それだけできっと悶絶してしまう。むしろもっと甘えてきて欲しくなるだろう。普段がしっかりしている人なだけに尚更。
「魔塔主夫人って大変そうですよね。王族や貴族に嫁ぐと言うのともまた違うし。魔法はやっぱり上手くないとダメなのかしら?」
「それは全く関係ない」
ラシェルの事を頭に思い浮かべながらキッパリと断言したエスティリオだったが、リリアンヌは別の意味で捉えた。「良かったぁ」と言ってわざとらしく胸をなで下ろしている。
「あー……他の皇女達はみんなもう、ご結婚されているんだっけ?」
「そうなのよ。一番上のお姉様はアイラル王国の王太子と、二番目のお姉様はサージョレン公爵でしょ、それから……」
それぞれ誰と結婚したか説明をしてくれるリリアンヌ。四番目までくると、終えてしまった。
「君は第6皇女でしょ? 5番目の皇女は?」
試しに聞いてみると、今思い出したかのように「ああ」と声を漏らした。
「5番目のお姉様は何年か前にお亡くなりになったのよ。と言っても会ったことなんてないからよく知らないのだけど。お体が弱かったらしいわ」
「そう……」
兄弟が亡くなったというのに特に悲しむ様子もなく平然と言われて、何だかこちらが悲しくなってくる。
君にはあんなに素敵なお姉さんがいるのに! と力説してしまいたい。
「そんな事よりも……エスティリオ様、せっかくだから魔法教えて下さい!」
「え」
何言ってるんだ、この子は。
言葉を失うエスティリオに、リリアンヌは猫なで声で甘えてくる。
「私、実技の授業があまり芳しくないんですぅ。魔塔主様直々に教えて下さればなぁ、なんて」
バスティエンヌおばあちゃんなら一喝してるな、これは。
決死の覚悟で弟子入りの申し込みでもするならまだしも、魔塔主にちょっと魔法の使い方を教えてなんて、図々しいにも程がある。
自分がその辺のメイドに、お茶の入れ方を教えて下さいなんて言われたら、さぞ怒るだろうに。
前魔塔主を見習って叱るべきかと悩んだが、アカデミーにいたあの頃を思い出すと突っぱねられない。
ラシェルは丁寧に根気よく、何も知らないエスティリオに教えてくれた。素性を知らなかったとはいえ、皇女より身分の高い人などそうそういないのだし、きっと礼の一つもろくに出来ないエスティリオの身分が如何程かなんて分かっていただろうに。
それに、もしかしたら本当に妹になるかもしれなし……。
「いいよ。どの程度ならできる? 例えばあそこのベンチを浮かせるくらいは出来るでしょ?」
リリアンヌの魔力量はそこまで少ないわけではない。流石に多くの魔力を必要とする転移魔法や治癒魔法は無理そうだが、基本の浮遊魔法くらいなら出来るだろうと尋ねてみた。
「ええ、そのくらいなら!」
自信満々に答えただけあって、リリアンヌは呪文を詠唱し、近くにあったベンチを浮かせてみせた。
「いいね。なら次は、そこの水を先ずはこうして宙に浮かせる」
エスティリオは目の前にある噴水の水の一部を、宙に浮かせてみせた。
「そうしたら今度は、水を細かく分けて雨のように優しく降らせる」
霧雨のようになった水がバラの上に降り注ぐと、リリアンヌが「わぁ」と歓声を上げた。
液体は個体を浮かせるよりも難しい。更に、自分の望む量だけを取り分けて浮かせ、その上雨粒ほどの大きさにとなると、難易度は格段に上がる。相手の力量を推し量るのに、調度良い方法なのだ。
「もし出来るのなら、霧状にまで細かくしてもいいよ」
「分かりました。やってみます!」
再び得意げに呪文を詠唱すると、噴水の水がそっくりそのまま宙に浮いた。
「いや……ちょっと待っ……!!」
嫌な予感は的中した。自分が浮かせた水の量に驚いたリリアンヌが、噴水に水を一気に降ろしたのだ。
バッシャーーーンッ!
説明するまでもなく、リリアンヌとエスティリオは跳ね返ってきた水でびしょ濡れに。
「ゴメンなさぁい」
「あぁ……まぁいいよ。温風くらいは吹かせられる? いや……」
濡れたので乾かせるか聞いてみたのだが、やっぱり止めておいたいいかもしれない。
変に風を吹かせられると、リリアンヌのスカートが捲れ上がりそうだ。面倒なことになりかねない。
「やっぱり俺がやるからいいや」
服を乾かしてあげると、大袈裟にきゃあきゃあ言っている。
この位の魔法、自分で出来なかったとしても授業で習うだろうが。と白けた気分でリリアンヌを見た。
そういえばラシェルと初めて出会った時、エスティリオも同じようなことをした事がある。
あの時ラシェルは畑をめちゃくちゃにしたエスティリオに怒ることも、呆れることも、荒れた畑に悲しむ様子もなく、ただ髪の毛がボサボサになったと言って笑っていたっけ。
あの時と似たような状況になってみて改めて思う。
やはりラシェルには一生敵わない。
そして、一生一緒にいたい。
エスティリオが喉を鳴らして思い出し笑いをしていると、更にリリアンヌの勘違いは深まってしまった。
えへへへ、と笑ってお茶目っぷりをアピールしてくる。
ここはラシェルに習って広い心で。
「先ずは思った量の水をすくい上げて、浮かせるところからやろうか。頭の中でバケツ一杯くらいの水の量を思い浮かべて……」
手とり足とり教えてやって、やっと大量の水から少量の水を取り分けて浮かせられるようになる頃には、日が傾きかけていた。




