17. 動物とおしゃべり①
エスティリオに悪気は無かったことくらいはわかる。
ラシェルがあからさまに、エスティリオの気持ちを無視したのがいけなかったのだ。
だから、自分が傷付くというのは間違っている。
数日前の出来事を思い出しては溜息をつき、全く仕事にならない。エスティリオの為にも、しっかりと成果を出さなければならないのに。
研究所の中にいると鬱々としてしまい、このままでは良くない。思い切って気分転換に外へと出ると、猫が日向ぼっこをしてくつろいでいた。
「いいお天気ね」
近づいても逃げない。更に背中を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めている。
「あの時あのまま、許可を貰ってしまえば良かったのかしらね?」
エスティリオはラシェルが頼むまでもなく、禁書のある書庫への立ち入り許可を出そうかと提案してきた。
お願いします、と言いたかった。
あの書庫へ入れば、ラシェルの知りたい答えが見つかるかもしれない。
エスティリオの言う通り、ラシェルは魔法を使えないどころか魔力すらないが、方法さえ分かれば何とかして誰かに解呪してもらう希望くらいは見いだせる。
けれど冷静になって少し考えれば、エスティリオは私情でエルに許可を出すべきでは無いことは明らかだ。
そんなことで揚げ足を取られてはならない。
皇宮もそうだったが、足の引っ張り合いやけ落とし合いが日常茶飯事の場所では、慎重に判断し行動するべきなのだ。
「エルの目的も聞かずに許可を出そうとするなんて、何かあったらどうするのよねぇ?」
喉元を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしてお腹をみせてきた。
「魔塔主様もあなたも、ちょっと無防備過ぎよ」
頬を緩めながら猫と戯れていると、ナタリーが「やだなぁ」と言って呆れている。
「動物相手にお喋りなんて暗いよぉ?」
「ただ話を聞いて欲しい時の相手にはピッタリだから、ついね」
返事を求めているわけではない時、黙って話を聞き続けてくれるので話し相手に調度良い。それにどんな内容を喋っても理解されないという安心感がある。皇宮では、母以外にお喋り相手がいなかったというのもあるかもしれない。よく鳥を相手にお喋りしていた。
「エルって猫派なんだ?」
「ネコハ?」
「うん、猫派と犬派。猫の方が好きなの?」
「そえねぇ、そういう選択肢でいったら犬派かしら。いつでも全力で甘えて、頼ってきてくれるのが嬉しいもの」
気まぐれに甘えられるよりも、いつでも自分を受け入れてくれる方がいい。無条件に好きと言われて求められたい。
そんな願望を持つのも、皇宮での生い立ちがあったからかもしれない。
「さてと、猫ちゃんに癒されたから、しっかり働かなきゃね」
パンパンとスカートに付いた土ぼこりを払うと、ラシェルは研究所へと戻って行った。
夕方、気分を何とか切りかえたラシェルが黙々と資料の作成に勤しんでいると、慌てた様子でナタリーとアルベラが小屋に入ってきた。
「うひゃー、すっごい雨が降ってきた」
「雨?」
窓から外を伺うと、大粒の雨が降り注いでいる。小屋の屋根に雨がバチバチと当たる音もかなりうるさいというのに、集中しすぎて気が付かなかった。
「二人とも、今日はもうお終いにしていいわ」
「え、いいの? やったぁ!」
雨に少し濡れてしまっているし、どうせもう日は傾いてきている。無理して小屋の中で仕事をしてもらうよりも、今日は早く帰って休んだ方がいいだろう。
「それではお先に失礼します」
「お疲れ様でーす!」
「風邪をひかないようにね」
窓から2人が帰っていくのを見送っていると、木の下に何か生き物がいるのが見えた。
昼間にいた猫かしら?
その割に大きいし、あの猫は黒ではなく薄茶色だったはず。
外へ出てよく見ると犬だった。
「あなた、どこの犬? 飼い主さんは?」
聞いたところで答えられるわけがないのだが、つい口にして聞いてしまう。
犬は鼻ズラを持ち上げてこちらを見ると、「くぅん」と小さく鳴いた。
「こんな所にいたら風邪をひいてしまうわよね……」
迷った末、嫌がらずに付いてきてくれるならと呼ぶと、犬は大人しくラシェルの後を追って小屋へと入ってくる。
「いい子ね。今、体を拭いてあげるから」
全体的に黒くて長めの毛並み。胸元と目の上の一部は赤茶色の毛になってきて、垂れた耳が愛らしい。
大きめの犬なので急に噛み付いたりはしないかと少しドキドキしたが、犬はラシェルにされるがまま、気持ちよさそうに体を拭かれている。
「どこから来たの? これだけ人に慣れているのだから、野良ってことはなさそうよね」
鼻をスンスンとさせて擦り寄ってくる。
かわいい……。
「まあいいわ。雨が止むまでここにいて。私ももう少しここにいるから」
とりあえず適当なお皿にお水を汲んで、犬の前に置いてあげると、ラシェルは仕事の続きに取り掛かった。