14. 魔晶石を君に
研究の成果は一朝一夕に出せるものではない。
多くのトライとエラーと。
魔法薬の研究なら失敗すれば材料を集め、またすぐに別の方法を試せるが、薬草栽培はそうもいかない。
良い成果が得られなければ、また次、その季節が巡ってくるのを待つ必要がある。
もどかしいが、時間を操作する魔法などないのだから、こればかりは仕方がない。
焦る気持ちを必死に押えながらも、動かずにはいられないラシェルは、ランタンに手を伸ばした。
「この魔晶石、もうすぐ魔力が無くなりそうね」
魔晶石の中の魔力残量は、発光具合である程度わかる。魔力の込められた石は青白く光る為だ。この石はもうほとんど分からないくらいにしか発光していない。
親指の先程の大きさの魔晶石を、手に取ったランタンに入れると明かりが灯もる。
どうか今夜だけは持ちますように。
山賊に襲われた際に持っていた、買ったばかりの魔晶石は無くしてしまった。
魔塔騎士から返された荷物には入っていなかったので、魔晶石もなかったかと聞くと、現場にあった荷物にはもちろん、山賊も持っていなかったと返された。
きっとあの事件の最中に、川にでも落ちてしまったのだろう。
魔晶石が無ければ魔道具を使えないので、間に合わせであまり質の良くない魔晶石を購入したのだが、やはり安物だけあってもう魔力が尽きそうだ。
この魔晶石にもう一度魔力を込めてもらうか、それとも新しく、もう少し質の良い品を買うか悩むところだ。
魔力注入だけならば、新しいものを買うよりも安く済むが、質の悪い石を買ってしまったが為に、貯められる魔力量はぐっと落ちてしまっているだろう。
ふぅっ、と小さく息を吐いてからランタンを手にして向かったのは、魔塔近くを流れる小川。貝殻洗いをした場所だ。
外出する時は魔塔騎士を連れて行くように言われたが、ここは魔塔の敷地内。夜遅い時間ではあるが、危険はないだろうと一人でやって来た。
「良かった。ちゃんといたわ」
ラシェルが探しに来たのは星屑エビ。
夜になると川の中で、淡い光を放つ様子が星に見えることからその名が付いたとされる。
昼間は岩陰などに隠れている上に小さいので見つけにくく、夜に探した方が効率が良さそうだと考えて、この時間に訪れた。
靴を脱いでスカートをたくし上げて縛り、そっと小川の中へと足を入れると、エビが驚いてふわぁっと散っていく。
「ふふっ、これは捕まえるの大変そうね」
苦笑しながら木でできた筒を、光る目標目掛けて潜らせてみる。何度も挑戦して四苦八苦していると、ようやく一匹の星屑エビが筒の中に入った。それを川岸に置いておいた瓶の中へと移し、更にもう一匹捕まえるべく筒を潜らせる。
そんな作業を小一時間ほど繰り返していると、持ってきた瓶の中は星屑エビで埋まってきた。
「1、2、3……10匹くらいは取れてそうね」
このくらいの収穫があれば十分だろうと川から上がり、足を拭いて靴を履く。
捕まえたエビを、薬草栽培研究所として与えられた農地の一角まで持っていかなければならない。
魔晶石の残量が気になりつつもランタンを灯すと、ラシェルの不安は的中し、明かりは直ぐに消えてしまった。
「困ったわね……」
こんな時に限って今夜は新月。
魔塔の周りならば防犯の為、多少の街灯があり明るいのだが、流石に森の脇を流れる小川や農場付近に明かりは無い。数メートル先までしか見えない中、進むしかない。
せっかく捕まえたエビの入ったビンを落としたりしたら大変だからと胸に抱き、役に立たなくなったランタンを手にして歩く。
もう少しで研究所だわ。
転ばないよう慎重に歩いていたせいで、かなりの時間を要してしまった。
疲労を押しながら研究所の小屋のドアを開けたラシェルは小さく悲鳴を上げて、文字通り固まった。
「きゃぁっ!!!」
どういう訳か、ドアを開けた瞬間に身体が動かなくなった。
何が起こっているのか。
恐怖に襲われながらもまだ自由の効く瞳を動かすと、小屋の中に人影があることに気が付いた。
「エル……?」
「魔塔主……様?」
近付いてきてラシェルの姿を確認したエスティリオが「ごめん!」と慌てた様子で呪文を唱えた。すると、先程まで氷漬けされたかのように全く動かなかった身体の拘束が解けていく。
「明かりもつけずに小屋に近付いて来るから、怪しいヤツかと思って動けないようにしたんだ――っとと!!」
急に身体が動くようになったのとエスティリオがいた驚きで、胸に抱えていた瓶のことを忘れていた。するりとラシェルの手から滑り落ちた瓶はそのまま割れて、中のエビごと散ってしまうかと思ったが、エスティリオが浮遊術を使ってくれたおかげで助かった。
ふわふわと浮きながらラシェルの手に戻ってきた瓶を見て、安堵の息が漏れる。
「良かった……」
中を見ると、星屑エビはビンの中で元気そうに動いている。
「それは?」
「研究に使おうとしている星屑エビです。先程森の側にある小川で捕まえてきたので、ここにある水槽に移そうと思いまして……魔塔主様はこんな夜更けにどうなさったのですか?」
住居のある魔塔内でならともかく、ここは館からは離れている。何をしていたのかと首を傾げるラシェルに、エスティリオはニコッと笑い返してきた。
「眠れなかったから散歩ついでに寄っただけ」
「そう……ですか……」
散歩のついでに寄るところだろうか?
納得はいかないが、深く追求できる立場にない。そもそもここだって魔塔主の物なのだから。
モヤモヤとしながらも、小屋の中にある水槽に捕まえてきたエビを移し替える。
明日になったら、マルガロンの栽培研究の為に作ってもらった大きな池に放すつもりだ。
用件を終えて小屋から出ると、エスティリオが部屋まで送っていくと申し出てくれた。
暗い中宿舎まで戻らなければならないと覚悟していたので、お言葉に甘えることにした。
「それにしてもエル、ランタンを持っているのになんでまた明かりをつけないで来たの。おかげで妙なやつが来たって勘違いしたよ」
ラシェルこそ聞きたい。
何故エスティリオが、明かりもつけずに小屋の中にいたのか。明かりがあれば、ラシェルだって中に誰かいることくらいは分かったのに。
エスティリオが小屋にあったランタンの明かりをつけたのは、ラシェルだと確認した後だ。
ここでもやはり追求出来ないラシェルは、聞かれた通り理由を答えた。
「持っていた魔晶石の魔力がなくなってしまったんです。予備を持っていれば良かったのですが……。ロウソクも高いのでなかなか手が出せなくて」
予備の魔晶石を持つ金銭的余裕などない。
ならば魔力が動力源のランタンではなくロウソクを使えば。となるのだが、誰もが持っている魔力を使って明かりを付ければ良いという中で、ロウソクにはあまり需要がない。ロウソクの方が返って高くつくくらいだ。
「あの……お給金が低いとか足らないとか、そういうことを言いたいのではありません。今の職に就いてからの給金はもうすぐで頂けますし、だからその……」
お金が無いなどと告白するのはやはり、恥ずかしい。
黙って聞いているエスティリオ。
どんな顔をして、どんな気持ちでエルの話しを聞いているだろう?
確かめるために顔を見る勇気は出ない。
「……ランタンに明かりを灯せる程でいいから、少しでも魔力があれば良かったのにって。こんな時には思ってしまいますね」
無いものは無い。
手に入れられないのなら、別の努力をするべきだ。
その方がずっと有益だから。
そう自分に言い聞かせても、こうして魔力がないが為に強いられる不便に直面すると、思わずにはいられない。
私にも魔力があったならと。
「エルに魔力がなくても問題ないよ」
ラシェルの告白に、エスティリオはあっけらかんとして言い放った。
「だって俺がずっと傍にいれば、魔力がなくても困らないでしょ?」
「――?!」
ぎょっとするエルに、エスティリオはいたずらっ子のように笑いながら付け加えた。
「って、流石に24時間365日ベッタリとはいかないか」
エスティリオは突然腰をかがめると、道に落ちていた石を拾い上げた。
ラシェルが今使っている魔晶石より二回り大きいくらいの石を握ると、また何かの呪文を詠唱している。
何をする気かしら?
ラシェルが見守る中、石は青白い光に包まれてしまった。
眩しくて目をぱちぱちと瞬かせていると、エスティリオがラシェルの手に、持っていた石を握らせた。
「これは……魔晶石、ですか?」
「そう」とエスティリオが頷く。
信じられない。
道端に転がっていた石を魔晶石に変えてしまうだなんて。
唖然としたまま手にしている魔晶石を見つめるラシェルに、エスティリオは種明かしをしてくれる。
「まず石をダイヤモンドに変えたんだよ。ダイヤモンドが一番、魔力を多く貯められるし長持ちだからね。その後は売ってるやつと一緒。普通に魔力を込めただけ」
「だっ、ダイヤモンド?!」
事も無げに説明してくれたが、やっていることはかなり高度な魔法に違いない。そうでなければダイヤモンドも魔晶石も、もっと安く売られているはずなのだから。
「ダイヤモンドから出来た魔晶石なんて……。私にはこれに見合うだけの対価はお支払いできません」
「俺が対価なんて求めてないって、分かってるでしょ? エルが喜んでくれたらそれで満足。エルの為ならいつでも、いくらでも作るよ」
魔晶石を握る手に添えられたエスティリオの手は温かい。
エスティリオは好きな人――エルの為になら何でもする気なのだろう。
私、ラシェルよ。
あなたが好きなエルは、本当はラシェル・デルヴァンクールなの。
口から出かかって、飲み込んだ。
エスティリオを騙しているのは気持ちが悪いし、なにより彼からの好意を真正面から受け止められないもどかしさに、ラシェル自身がどうにかなりそうだ。
「ありがとうございます」
ただ優しく笑むばかりのエスティリオに、ラシェルはひと言御礼を述べるのが精一杯だった。