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11. 記憶の中のラシェル

 嘘だな。

 彼女に好きな人なんて居ない。

 自分を遠ざけるための口実だ。


 エスティリオはラシェルが居なくなったベッドを前に、ひとりため息をついた。

 ラシェルは嘘をつく時、あえて相手から目を離さない癖がある。不自然なほどに。

 エルと言う()()()()の居たベッドに触れると、まだ少しだけその温もりがある。

 

 エルと名乗る女性が、かつてアカデミーで一年を共にすごしたラシェル・デルヴァンクールであることは、最初から気が付いていた。


 エスティリオが初めてその存在に気が付いたのは、魔塔主に就任する数ヶ月前。実務的な仕事のほとんどを任されるようになり、上がってくる資料に目を通している時のことだった。全身が粟立ち息をすることすら忘れるほどの衝撃。


 この文字の書き方、見覚えがある。

 忘れもしない、あの人の書く字だ。


 アカデミーに入学して一年近く、ラシェルに勉強を教えて貰っていた。その字をエスティリオが忘れる訳も、見間違えるわけもない。

 はやる気持ちを抑えて署名欄を見ると、そこには農場長のサインの他にも『エル』と書かれたサインが。


 エル?

 何故偽名を使っているのだろう。


 一呼吸おいて冷静に考えてみると、この資料を作成した女性は薬草栽培士だ。

 在学中ラシェルは、自分は父親から魔力が無い為に酷く嫌われているのだと言っていた。だから父親や兄弟とはほとんど会話を交わしたことがないし、社交場に出ることも禁じられ、家に籠ってたのだと。

 唯一の話し相手は母親だけだったが、全てのことは母から教わったし愛情も沢山貰ったからと、気丈に話していた彼女の顔が思い出される。

 もしかしたら皇宮を追い出されたか、或いは自分から出てきたか。皇女であることを隠して暮らしているに違いない。

 資料を握りしめたまま、エスティリオは農場へと向かった。

 驚かせよう。そう思い、こっそりとラシェルの姿を探すも見つからない。

 今日は休みか、それとも使いにでも出ているのかもしれない。ここで働いているのなら焦る必要もないし、また出直そう。

 エスティリオが一先ず魔塔へ戻ろうとしたところで、「エルー!」と呼びかける声が聞こえてきた。

 振り向いて見た先には、見知らぬ女性の姿が。

 ラシェルと変わっていたのは髪の毛の色だけでは無い。顔の作りも、背格好も声も、全くの別人だった。

 なによりもエスティリオを驚かせたのは、エルと名乗るラシェルの中に、極わずかな魔力を感じられた事だ。

 エスティリオ程敏感に他人の魔力を感じられなければ気が付かない程度だが、それでも在学中のラシェルには、魔力は少しも感じられなかった。

 

 見た目を変える魔法は存在するので納得がいくが、あの魔力はなんだ?

 途中で魔力が宿る例など聞いた事がない。

 ラシェルが書いたと思ったこの文字は、エスティリオの完全な勘違いなのか。

 握りしめていた資料にもう一度目をやるが、どう見てもラシェルの書いた文字としか思えない。


 声を掛けるべきかどうか迷い、結局何もしないまま魔塔へと戻った。

 何が事情があるなら、自分が魔塔主という確固とした存在になってからの方が良い。その方が確実にラシェルの力になれる。

 ラシェルの存在が気になりつつも淡々と仕事をこなし、就任の日を迎えた。


 就任式に来ている群衆の中に、エスティリオはラシェルを見つけ目が合うと、彼女は明らかに動揺したような表情を見せた。

 

 絶対にラシェルだ。


 農場へ行きいよいよ対面すると、ラシェルは素知らぬ顔をしている。

 自分が誰なのか気が付かないわけが無い。それとも記憶を消されたのか?

 それならば、ラシェルが動揺する理由がない。

 エスティリオに微笑みかけられれば、大抵の女性は頬を赤らめて恥じらうが、ラシェルの反応はそれとは全く違う。どちらかと言うと青ざめるのだ。


 皇女であることが周りにバレると不味いというのは理解出来る。父親から存在をひた隠しにされて育てられてきたのだから、今更魔力無しの子がいたと知られては、色々と厄介な事になるだろう。

 だがそれを、エスティリオにまで隠す理由は何なのか。


 近づけば近づくほどに、エルがラシェルだと確信していく。

 声音は違っても話し方や考え方は変わっていない。姿は変わっても仕草や所作はラシェルのまま。


 貝殻肥料作りを手伝いに顔を出した時、ラシェルは一瞬だけエスティリオの名を呼びかけた。

 ただの使用人ならば、ファーストネームで呼ぼうとすることなどまず無い。『魔塔主様』か『ベクレル様』以外の名で呼んでくれるのは、魔塔主候補となる前から親交のある人だけだ。それも魔塔主となった今では、殆どの人が名を気安く呼ぶことを憚り、ファーストネームで呼びかけられることは無くなった。


 あともう少し。


 自分だけが事情も分からず想いを募らせているのが腹立たしくて、意地悪過ぎるかとも思ったが、ラシェルを試すような事もした。


 そもそもエスティリオが柄にもなく魔塔主の座を引き受けたのは、全てラシェルの為。

 卒業の日にラシェルから出自を教えてもらった時から、エスティリオの目標は決まった。

 

 ラシェルの父、カレバメリア帝国の皇帝と同等かそれ以上の力を得る。

 

 その為に己の魔力の強さを恨む日々をやめ、最大限に利用して、ラシェルを皇帝の手から引き離そうと決意したのだった。

 

 魔力が無いと言うだけで冷遇され、存在を否定してしまうには、ラシェルは余りにも惜しい人だ。なによりエスティリオは、出会った時からラシェルをただの同窓生としては見ていない。


 たおやかで美しい人。それでいて芯があり、しっかりと自分の足で立とうとする人。

 薬草畑で出会ったあの日から、無意味なエスティリオの人生に意味を持たせてくれた人。

 それがエスティリオから見たラシェルという人。


 魔力があるのが当たり前のこの世界においてでも、エスティリオの魔力は尋常ではなかった。

 制御しきれない程の魔力を持って生まれたエスティリオは、家族にとって厄介者。

 家の中の物を壊すのは日常茶飯事で、外出先でも魔力を暴走させてしまうものだから、部屋から出して貰えず軟禁状態にあった。

 父や姉はもちろんの事、母親でさえもエスティリオに接する時は腫れ物を扱うかのようにビクビクとされ、顔色を伺われる毎日。そんな日々にフラストレーションが溜まったエスティリオは、ある日家を吹き飛ばしてしまった。


 今でも忘れない。 

 瓦礫と化した家と、恐ろしい化け物でも見るかのような家族の顔。


 致命傷は負わなかったものの、怪我をした家族はエスティリオを怖がり、とうとう追い出された。

 追い出されたと言っても家から放り出された訳ではなく、ツテを頼り、魔法の腕にある程度覚えのある人の元へと預けられた格好だ。

 その人の元で魔力の使い方を学び、魔法を上手く操れるよう努力してみたが、成果はなかなか現れず。一番初めに師と仰いだ人から呆気なく見捨てられた。

 その後も同じように魔法に長けた人の元を点々とし、最後に紹介されたのが前魔塔主のバスティエンヌ・アルマン・ライエだった。


『魔塔のアカデミーに通いなさい。その魔力をものにして上手く操れるようになれば、私は後釜の心配をしなくても良さそうだわね』


 人の気も知らず、ライエは目尻にシワを寄せてカラカラと笑っていた。

 

 アカデミーに入学してもエスティリオは変わらずで、校舎の一部を破壊したり、教師を吹き飛ばしたり、時には生徒に怪我を負わせてしまうこともあった。


 自分の周りにある全てを壊して傷つけるこんな力、無くなってしまえばいいのに。

 無くせないのなら、自分なんて居なくなってしまえばいい。

  

 問題を起こしてばかりの自分に嫌気がさし、強い虚無感に襲われていたエスティリオの前に現れたのがラシェルだった。


『ほら私、魔力無いでしょ?』


 本人の言う通り、他人の魔力に敏感なエスティリオでさえ、ラシェルの中に全く魔力を感じられなかったので驚いた。強い弱い、多い少ないの違いはあれど、ここまで無い人がいるだなんて。それも、魔塔のアカデミーに。


 欠陥品(レモン)って本当にいるんだ。


 失礼ながらにラシェルを見ると、穏やかな笑みを浮かべて話しかけてくる。

 柔らかい口調と気さくな人柄に心がほぐれたエスティリオはいい所を見せようと、これまでの失敗を忘れて魔法を使ってしまった。

 ミルクを上から降らせてかけるのはダメだと知り、挽回しようとして力を暴走させ、結果はいつもの通り。

 道具は散らかり、集めてあった雑草もバラバラに。ラシェルが手塩にかけて育ててきたであろうカモミールに至っては、なぎ倒されている。


 ああ、この人からもまた、あの目で見られてしまう。

 怯えて、迷惑そうにする目で。


 謝るエスティリオにラシェルは気を悪くして怒る風でも、ましてや怖がる様子もなく話しかけてきた。


『私は沢山持って生まれたなら沢山あるなりに、無いなら無いなりに生きていけばいいだけだと思うけど?』


 魔力無しの人間は馬鹿にされ見下される。時には人間扱いされない事だってある。

 だからこの人も当然、自分と同じように孤独で、自分自身を恨んで生きている。魔力を持て余しているエスティリオのような存在は、さぞ疎ましいだろうと思ったのに。

 

『私はあなたが沢山持って生まれたのなら、沢山持って生まれたなりに生きていけばいいと思う。私はその代わり、あなたが出来ないことをやるから』


 聞く人が聞けば、魔力無しのくせに何を偉そうなことを言っているんだと思うかもしれない。

 けれどエスティリオは、ラシェルのその姿勢に心打たれた。

 どうせ自分はと腐ることなく、自分の出来る範囲でやれることを手の届く範囲で努力する。

 事実ラシェルは、魔力を持っていないこと以外においては完璧だった。

 勉強だけでは無い。上流階級におけるマナーや嗜み、所作や容姿も非の打ち所がない人なのに、父親から疎まれているのだと話していた。

 魔塔アカデミーは素質さえあれば、身分に関係なく誰にでも門戸を開くと言っているが、実際のところは生徒はほぼ間違いなく貴族や王族で締められている。入学試験をパス出来る程に教養を身に付けるのは、平民では難しいからだ。

 ラシェルもどこかの国の貴族か王族の令嬢だと予想はしていたが、この大陸一の強国と言われるカレバメリア帝国の皇女だったとは。


 別れ際、ラシェルは連絡しないで欲しいとは言ってこなかったが、父親との関係を聞いていたエスティリオは手紙を送ることはしなかった。

 一刻も早く魔塔主になって、堂々とラシェルを迎えに行く。

 魔塔主からの縁談の申し込みを、皇帝も無下には出来ないだろうから。

 厄介払いにラシェルが結婚させられる前に早く、と残りの在学期間は寝る間も惜しんで研鑽を積んだ甲斐あって、ライエはエスティリオを次期魔塔主候補に選んだ。他にもいた魔塔主候補を押し退け、見事その座を手にしようとしていたエスティリオは、魔塔で働くラシェルの存在を知る事となった。


 エルがラシェルである事を、エスティリオに隠し続けるのは何故なのか。

 聡明な彼女のことだから、相応の理由があるはず。

 理由も分からないまま、エルの正体がラシェルだと分かっていると明かしてしまえば、何か取り返しのつかないことになりそうな気がする。

 魔塔から逃げ出すくらいならまだいい。これがある限りどこまでも追って行けるから。とロケットペンダントに入ったラシェルの髪の毛を見る。貝殻肥料を作っている時に、ラシェルの肩に付いていた髪を拝借したものだ。

 爪の先や髪の毛など何でもいい。対象の体の一部を持っていれば、その人の所へ魔法で転移できる。

 転移できる距離は術者の能力次第なので、あまりに遠く離れた場所だと無理な事もあるが、その点においてエスティリオは心配ない。

 試したことは無いが、大陸の外へ出たとしても追って行けるだろう。

 だからラシェルが山賊に襲われた時も、タイミングは偶然だったが居合わせることが出来た。


『ラシェルなら今日は休みですよ』

 

 いつものように農場へ来たエスティリオに、仕事仲間のアルベラが言った。

 ラシェルの事だから、休みの日でも書庫へ行って調べ物でもしているに違いない。休日に街へ出て、ショッピングやお茶を楽しむ人ではなかったから。

 ラシェルを探しに行こうとすると、女性は更に続けて言った。


『今日は魔塔の外へ出掛けていると思います。彼女、いつもまとまった休みが取れると、野草の調査に山や川へ行くので』

『それって1人で?』

『ええ、そうですよ』

『護衛も連れずに?』

『ははっ、当然ですよ。どこかの要人や貴族でもあるまいし。使用人の私たちに魔塔騎士が護衛に付くはずがありませんから。それに、ラシェルに市井の護衛を雇う金なんて、ありはしませんよ』


 聞くまでもなく当然のこと。

 エスティリオにとってエルは特別な存在だが、エルは世間一般でいうとただの雇われ農民だ。魔塔の騎士を連れて行けるはずもない。

 しまったと思った。

 これまでの5年間に何も無かったとしても、今日、何も起こらないとは限らない。

 不安を覚えたエスティリオがラシェルの髪の毛を頼りに転移すると、嫌な予感は的中し、山賊に襲われているところだった。

 あと一歩遅かったら、と思うとゾッとする。

 ラシェルの身の安全も考えなければ。まずこれが第一だ。 

 ラシェルが頑なに正体を隠し続ける理由については、どうにかして探っていくしかない。あの微量な魔力のことも含めて。


 エスティリオは既に温もりの無くなったベッドをもう一度見やると、出来る手は早めに打つべく寝室を後にした。

 

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