剣聖とドラゴン
「それはダメだ。」
俺はエマの言葉を遮った。
俺は初めてエマと出会って時の事を思い出した。
エマは孤児で城下のスラム街で暮らしていた。
スラム街にある孤児院である程度守られてはいたものの、スラム街にある為物資が少なく、不健康に痩せ細っていた。
まあ今もウィンディや他の同年代と比べても小柄ではあるが。
孤児院では他の孤児からの虐めが横行していた。
何しろ人数が多いから、孤児院はいつも一杯一杯で孤児院の管理人は虐めを止めることが出来ていなかった。
一日中一回の飯も他の孤児に盗られてしまい、余計に痩せていたのだろう。
俺とウィンディが孤児院にやって来た時、初めはエマが勇者だとはわからなかった。
剣を握ることもできなそうな小さな手、盾を構えることもできなそうな枝の様な細い腕。
ウィンディの聖女の御告げが無ければ素通りしていただろう。
俺とウィンディはカブラ家や王家に貧困層への支援を要請した。
スラム街はあちこちに糞尿が撒き散らされていて、酷く悪臭が立ち込めていた。
家は廃材を積み上げて壁を築き、ボロ布を繋ぎ合わせて屋根を張っていた。
どう考えても雨風を凌げる代物ではなかったのだが、彼らはそこで寝泊まりをしているようだった。
城下は王家の管理する地域なのだが、エカテリーナ王はスラム街を長年放置していたようだった。
しばらくの間俺達はスラム街の環境改善と勇者勧誘のためにスラムで生活することにした。
昼に騎士団の詰め所から鍋を持って来て炊き出しを行えば、あっという間に鍋は空になってしまった。
特にウィンディが作ったシチューは大人気でウィンディの聖女としての慈善活動の第一歩としてあちこちに新聞が売り出された。
俺は料理が苦手で騎士見習いの時の食事当番ではいつも皿洗いを任されていた。
食事当番は基本4人で行い、俺以外の3人が料理をしていた。
なりたての頃に一度料理をした後、先輩方に「もうお前は料理をするな」と言われた。
なので俺は炊き出しはやれないため、家の建設を手伝っていた。
とは言ってもほとんど煉瓦を運んだり丸太を運んだりと言った運び屋の様な仕事をしていた。
ある日、ある程度街の設備が整ってきたところで、事件は起こった。
街にクリムゾンドラゴンが現れたのだ。
クリムゾンドラゴンはこの世界に数十匹しかおらず、ドラゴン族の中では間違いなく最強クラスに強いドラゴンだ。
炎系の魔法やブレス攻撃を得意とし、体には紅い炎を纏っていて木製の弓矢ではダメージを与えることが出来ず、上空に逃げられたら倒すことがほとんど困難だ。
どうやら街の地下にクリムゾンドラゴンの休眠期の寝床があったらしい。
道や下水道を整備するために掘り返したところ、クリムゾンドラゴンがちょうど目を覚ましてしまったらしい。
俺とウィンディはすぐさまドラゴンを追い返すために現場に駆け付けた。
俺は戦える騎士団員を引き連れ、ウィンディは教会の治癒魔法や教化魔法を使える僧侶と城の護衛や近衛騎士の一部を引き連れて。
ドラゴンは目覚めたばかりで調子が悪いのか、出てきた穴のすぐそばの建物の屋根に座っていた。
大きさはスラムの新たに立て直した家の三倍程はあり、まだ改修できていない家というかテントの十倍は優に超えていた。
「四方に分かれて追い込むぞ。」
俺は騎士達に指示を出し、ドラゴンを包囲した。
この国には冒険者ギルドというものがあり、冒険者は6つの階級に分けられている。
4級、3級、準2級、2級、準1級、1級の順に上がっていくシステムだ。
準2級までは比較的簡単に上がることができるが、2級から各段に試験難易度が上がる。
城に仕える兵士になるには2級以上の実力が必要で、選りすぐりのエリートだとされている。
クリムゾンドラゴンはその城に仕える二級冒険者クラスの実力を持つ兵士達が束になっても敵わないとされている。
1級の冒険者は4人程度のパーティーを組んでいればクリムゾンドラゴンをなんとか倒すことができるらしい。
1級は最も試験難易度が難しく、この冒険者制度が制定されてから1級に昇級できた者は10人もいないという話だ。
しかもその1級の冒険者達は呪われた魔王が表舞台に現れる前に、魔族に虐殺されてしまった。
どうやらその魔族は魔王の刺客だったらしく、エカテリーナ王国への宣戦布告として王の玉座の前に彼らの首が並べられていたことが記録として残っている。
つまりクリムゾンドラゴンを倒せる程の実力のある1級の冒険者でも魔王には敵わなかったということだ。
ここでクリムゾンドラゴンを倒すことが出来なければ魔王討伐もできないだろう。
俺はこの時自分の剣聖としての力を確かめたくて若干興奮していた。
史上最年少(17歳)で副騎士団長に登り詰め、さらには剣聖にまで選ばれた俺ならばクリムゾンドラゴンをも倒すことができるだろうと思っていた。
最初は魔王討伐に勇者の力が必要だということを聞いて最初はやや不満を感じていた。
剣聖という強力な攻撃手段があり、聖女という聖なる魔法があるのだから勇者など要らないと思っていたのだ。
俺は助走をつけてドラゴンの座っている建物の屋根に飛び乗った。
それを見た騎士団の騎士や教会の僧侶達から驚きの声が広がった。
この非常識な身体能力の高さも剣聖としての加護の影響だった。
俺は腰に下げた剣を抜いた。
王から賜ったオリハルコンの剣だ。
オリハルコンの剣は白い光を放ち、明らかに他の金属とは違った雰囲気を纏っていた。
俺は剣を構え、クリムゾンドラゴンに切りかかった。
俺の防具には温度変化に耐えられるよう、状態魔法をかけており、クリムゾンドラゴンの体を纏う炎の熱さを感じずにドラゴンに接近することができた。
剣はドラゴンの鱗の一枚を剝ぎ取った。
しかしそれだけだった。
俺は怒ったドラゴンの羽ばたきで吹き飛ばされ、屋根から落下してしまった。
上空からドラゴンが勢いよく俺に突っ込んできた。
俺は全身の痛みを無視するように努めながら避けると、ドラゴンの落下の衝撃で周囲に地震のような地響きが巻き起こった。
さらに周囲には熱気が立ち込めて、俺の様な耐熱効果のある防具を着ていなければ近づけないほどだった。
辺りの未改築のテントがボロボロと崩れてしまった。
俺はクリムゾンドラゴンにはまだ到底及ばないことを悟った。
ドラゴンの一睨みで俺の頭の中は真っ白になってしまった。
神の金属とも言われるオリハルコンの刃がたった一枚の鱗を削ぐことしかできなかったのだ。
オークの胴体を真っ二つにするほどの切れ味のはずなのにも関わらず、だ。
だが、一人少女の泣き声ですぐに我を取り戻した。
泣き声は崩れたテントから聞こえてくる。
俺はドラゴンのヘイトが俺に向いているうちにドラゴンを遠くに追いやる作戦に切り替えた。
土煙が舞う中、俺は態勢を低くして高く垂直に跳ぶ準備をした。
鱗のせいで体にダメージを与えることはできないが、体の最も柔らかい部分にならダメージを与えることができるだろう。
ドラゴンは俺の気配を察したのか、はたまた体内に流れる魔力を感知したのか、俺に炎を纏った灼熱の爪を伸ばしてきた。
俺はそれを跳び上がって躱し、ドラゴンの腕を駆け上がった。
「あああぁ!!」
俺は全身に走る激痛に耐えながらドラゴンの眼球目掛けて剣を突き刺した。
GYAOOOO!!
ドラゴンは激痛に耐えかねて叫び声を上げた。
至近距離でその声を聞いてしまった俺は鼓膜が破れたかと思うほどの音の衝撃波をくらった。
衝撃波によって体勢を崩してしまったところでドラゴンから振り落とされた。
オリハルコンの剣はドラゴンの左目に刺さったまま抜けず、俺は剣を手から離してしまった。
宙に投げ出されたところをドラゴンの尻尾の薙ぎ払い攻撃が襲いかかった。
片目しか潰せなかったので、もう片方の目で俺を認識したのだろう。
俺は咄嗟にもう一本の剣を抜いた。
魔法が込められた魔法剣を使う剣士ならば剣を何種類か常備しているのは当たり前だ。
今抜いた剣はウィンディとレギュが俺に内緒で作ってくれたミスリルの剣だ。
俺は剣を盾の様に構えてドラゴンの尻尾の攻撃を耐えた。
剣聖の加護と俺のこれまでの鍛錬の成果で、まさに神速の動きをすることが出来た。
だが剣を盾の様に構えて攻撃を凌いでも結局俺は吹っ飛ばされてしまい、崩れたテントの残骸に突っ込んだ。
俺はなんとか立ち上がった。
ちょうどここは少女の泣き声が聞こえていた場所だ。
俺は少女の気配を探りながら、ドラゴンの怒りに燃える紅い瞳を見つめた。
俺は一歩前に足を出した。
「大丈夫だ。俺は君を絶対に助ける。」
俺は右後ろで泣いている少女に声をかけた。
俺は久しく使っていなかったある特技を披露することにした。
「ウオオオォォ!!!」
戦士の雄叫び
自身の戦意を向上させ、相手の戦意を損なわせる俺の数少ない特技だ。
だが案の定クリムゾンドラゴンは怯む素振りすら見せなかった。
だが、これは自分の戦意を上げて、戦いに集中するための雄叫びだ。
俺は今度は斬撃に魔力を乗せてドラゴンの足元に放った。
GYAOO!?
するとドラゴンの足元には巨大な一本の地割れが生じていた。
リーチが足りずドラゴンの脚に届かなかったのだ。
俺は今度は剣に魔力を乗せて横に薙いだ。
すると剣のビームの様なものが発生してドラゴンの脚に浅くはあるが鱗を切り裂き、その下の肉に傷をつけることが出来た。
ドラゴンは目を見開いて俺の方を見ていた。
その紅い瞳からは驚きと興奮を感じた。
俺はそのドラゴンの眼差しを見てもう一度剣を構え直した。
しかしドラゴンは翼を広げて大空へと羽ばたき、何処かへ消えてしまった。
ドラゴンを殺すことは出来なかったが、どうにか追い返すことが出来てホッとしていると、物陰に待機していた騎士達が出て来て俺の方へやって来た。
「副団長!」
騎士団の後輩達が倒れ込みそうになる俺を支えた。
「あの子は…?さっきそこにいた女の子は無事か…?」
俺が訊ねると、後輩は少女が座り込んでいる場所を指さして言った。
「はい。大丈夫ですよ。」
「そうか、よかった…。」
俺がそう呟くと不意に視界が真っ暗に染まり、力が入らなくなってしまった。
後輩達が俺の呼ぶ声が聞こえるが、それも段々と小さくなってくる。
目を開けると視界にはすっかり見慣れた天井が飛び込んできた。
そこはスラム街開発隊の拠点の俺の部屋だった。
右を向くと、ベッドの横に小さな丸い椅子が置かれていて、小柄な少女がうつらうつらと船を漕いでいた。
が、俺が少女の顔を見た途端、少女はパチっと目を開けた。
「おはよう。」
俺が声をかけると少女は安堵したように息を吐いて、目の端に涙を溜めながら言った。
「おはようございます。」
どうやら少女は俺がドラゴンとの戦闘中に助けた少女だそうで、あの勇者の少女だった。
だが、騎士団や教会からの炊き出しなどの支援のお陰か、肉付きも良くなりガリガリに痩せこけていた出会った当初の面影はどこにもなかった。
薄茶色のサラサラとした髪に碧眼の可愛らしい少女となっていた。
これまではウィンディ達の手伝いをしていらしく、ドラゴンが現れた時には工事をしていた作業員達に軽食を運んでいたそうだ。
勇者の少女ーエマは俺が倒れてから今までウィンディ達と俺の看病をしてくれたらしい。
俺がエマに礼を述べると、エマは言った。
「君はあの時こう言った。」
俺はあの時のエマの言葉を思い出しながら言った。
あなたの様に自分の手で人々を守れるようになりたい。
この手で救える限り、この命の灯火が尽きぬ限り、人々を救えるように、守れる様になりたい。
「君はそう言ったじゃないか!」
俺はエマの腕を掴んだ。
「一緒に逃げるぞ。君に灯火はまだ消えちゃいないだろ!?」




