リネンの酒場
俺はとりあえず今まで着せられた服の中でも動きやすそうなものを5、6着選んで購入した。
まだ試着していない服の山をニーナが名残惜しそうに崩していく様子を眺めながら、俺はカウンターで会計をしている、エミーリア嬢の試着の手伝いをしていた娘に銀貨を8枚手渡した。
「ぎ、銀貨ですか!?」
娘は銅貨の間違いじゃないかと俺に確認を取ってきた。
「多いのか?」
剣聖やってときはむしろこれくらいないと一着も買えなかったぞ?
「多すぎますよ!ここにある服の半分くらいは買えるくらい大金ですよ!?」
「そ、そうなのか?」
俺は娘の剣幕に圧されてやや一歩後ろに下がってしまった。
「じゃあいくらなんだ?」
俺は娘に尋ねた。
「ええっと、そうですね。」
算盤をパチパチと弾きながら言った。
「ラーミレア銀貨ですと…1枚で10着買えますので…。」
娘は銀貨に刻印された焔の翼を眺めたり、天秤にかけたりして、銀貨であることを確認していた。
「じゃあ、4枚あれば全員分買えるか?」
「はい。十分かと。ただ、値段は服によって変わるので何を買うかにもよりますね。」
お釣りの関係もありますし、と娘は付け加えた。
「釣りはとっておけ」、と言ってみたいが、恩を売るメリットが微塵もないし、路銀も無限にあるわけじゃないからな。
俺は「わかった、あとでまとめて払う。」と言って、エミーリアとチョコの様子を見にいくことにした。
ガウリーも俺と一緒に2人の様子を見にいくことにしたらしい。
「安いのでいいんですが…。」
エミーリアは3着程、安っぽい生地で出来たワイシャツや短パンを抱えていた。
なんか、村の少年みたいな服だな。
俺はエミーリアの腕からそれを掻っ攫って、元々並んでいた棚に戻した。
「エ…ティディ?」
エミーリアが不可解そうに尋ねた。
俺は動きやすい、かつ可愛らしい服を片っ端から持ってきて、近くのテーブルの上に置いた。
まずは焦茶色のブリーチズという膝下ズボンと水色のレースアップシャツを渡した。
太腿の辺りが少し膨らみ、膝から下はエミーリアのほっそりした脚にフィットしているブリーチズは乗馬用につくられたズボンなので、シェリハに乗る時にも脚が擦れることはないだろう。
水色の生地によく似合う紺色の紐を胸元で結んでいるレースアップシャツだが、ややエミーリアの身体よりも大きいサイズなので、インナーとして着ているチュニックが紐の間から少し見えている。
チュニックはブリーチズやレースアップシャツよりも彩度を高くした。
差し色として真っ青な真空色の生地のものだ。
遠目から見たらどこかの貴族のようにも見える。
レースアップシャツは繊細なレースを袖に使っていて、高貴な印象を与える。
髪を短くすれば、どこかの貴族の坊ちゃんにも見えるだろう。
「ど…どうかな…。」
エミーリアはレースアップシャツの裾を弄びながら俺に聞いてきた。
俺はサムズアップして言った。
「よく似合っているぞ。」
エミーリアは冒険者のような装いも似合うが、貴族のような服装も似合うらしい。
俺は次の組み合わせを選ぶために積み上げていた服の山を崩し始めた。
あっという間に時間は過ぎ、格子窓から見える空はすでに茜色に染まっていた。
俺はエミーリアとチョコの服をマジックバッグに丁寧に入れて店を後にした。
エミーリアは疲れたようにトボトボとやや遅れて俺の後ろを着いてきた。
俺はエミーリアに歩調を合わせるために少しスピードを落とした。
「疲れたのか?」
まあ、無理もない、ここんところずっと気が休まらなかったしな。
エミーリアは小さく溜息を吐いて呟くように言った。
「ティデイが私を着せ替え人形にするから…。」
なんのことだ?
決して俺は自分が着せ替え人形にされたことの仕返しをした訳ではないぞ?
俺達は宿ではなく、近くにあるらしい酒場に向かっている。
宿で食事を摂ってもいいのだが、宿の食堂は入る人数が限られていて、少人数でしかも旅人が多いため、俺達の顔を知られてしまう可能性がある。
その点、酒場なら地元の大人達が集まっているだけなので、俺たちの情報が各地に拡散される可能性もないし、人混みに紛れれば、バレにくいだろう、という寸法だ。
シュルクに教えてもらったリネンの酒場に到着した。
もうすぐ日が完全に落ちるというところなので、酒場には仕事終わりの大人達が集まってジャラジャラと良い音がする皮袋の中身とメニュー表を見比べていた。
俺達も空いている4人座れそうなテーブルに座った。
「いらっしゃいませ。」
全員がテーブル席に座ったところで、水の入ったコップが4つ載ったお盆を持って赤い三角巾を身につけた娘がやって来た。
「注文が決まったら呼んでね〜。」
「わかった。」
俺は頷いて、エミーリアが見ているメニュー表を覗き込んだ。
ガウリーとチョコも一緒になってメニューを見ていた。
「字、読めなイ。」
チョコはエカテリーナ文字が並ぶ革で装丁がされたメニュー一覧を見て唸った。
「どういうのが食べたい?」
ガウリーが聞いた。
ガウリーもエカテリーナ王国とは違う国から来たのだが、どうやらエカテリーナ語だけでなく、文字も覚えたらしい。
メニュー表には挿絵は一切なく、ただ料理の名前と値段が書かれている簡素なものだった。
地元の人たちにはわかるんだろうが、初めてここにきた人たちはどんな料理かイメージできないだろう。
俺たちはとりあえず無難にハムサンドやらサマーサラダやらエマリアスープやらを頼んだ。
出てきた料理は普通のハムサンドとサラダだった。
ハムサンドはカリカリにトーストされた白い平たいパンに、しょっぱい味付けがされた薄ピンクのハムが挟まっていて、パンの苦味とハムの肉の旨みが絡み合って美味い。
サマーサラダはトマトやキャベツのような葉野菜が切り刻まれて木製のボウルに突っ込まれていた。
キャベツは食べると夏の昼間に吹き抜ける風ような心地のいい清涼感が口の中に広がった。
エマリアスープはどうやらエミーリアが勇者エマとして立ち寄った記念としてつくられた料理らしい。
勇者エマのシンボルカラーの緑色のスープで、やや甘い青汁のような味がした。
このスープはちょっとハズレかもしれない。
「おいしい!」
エミーリアはハムサンドをハムハムしながら言った。
チョコも目をキラキラさせながらモキュモキュと口を動かしていた。
ガウリーも口元をほころばせながら咀嚼していた。
「旅人さん、いい食べっぷりだねぇ!」
注文を受け付けていた赤い三角巾の娘がなみなみと注がれたビールの入った木製のジョッキを持ってやってきた。
「うちの店特製のリネンビールもどう?ハムサンドに合うよ〜?」
ビールと聞いて、エミーリアはそわそわと落ち着きなく、俺とビールを交互に見つめた。
「ちょっとだけならいいぞ?」
俺は苦笑いしながら言った。
「ガウリーもどうだ?」
「いえ、私は…。」
「ほらほら、お兄さんも遠慮しないで!」
娘はエミーリアとガウリーに黄金色のビールが入ったジョッキを手渡した。
「あ、ありがとうございます…。」
ガウリーは娘の勢いに呑まれたのか、ジョッキを受け取った。
「ほら、そっちのお兄さんも。」
「いや、俺は仕事の途中なんでな。代わりと言ってはなんだが、このあたりで依頼が受けられる場所を知らないか?」
俺が、娘に断ってから聞いた。
すると、ズダァン!と物凄い音がした。
音のした方を見ると、ガウリーが顔を真っ赤にしながらテーブルに突っ伏していた。
ジョッキの中のビールは減っていないように見えるが…。
もしかして、アルコールにちょっと触れるだけでも酔ってしまう体質なのか?
俺はそこそこ飲めるが、そう言えば、アルも一杯飲んだだけでもベロベロに酔っていたっけな。
俺はガウリーの介抱をチョコに任せて娘に話を促した。
「依頼を受けるところねぇ〜。前まで冒険者ギルドがあったんだけど…。経営難で潰れちゃって…。」
娘の表情が少し暗くなった。
「今はキファー商会が依頼の仲介をしてるわ。」
「キファー商会か…。」
たしか最近見かけるようになった魔石を主に扱っていた商会だったな。
依頼仲介の事業にも手を出し始めたのか。
「紹介所は町の出入り口にあるわ。ただ、報酬は安いし、依頼は大変だしで正直おすすめしないわ。」
「そうか、わかったありがとな。」
俺は娘に先に代金を支払って、他の3人の様子を眺めた。
ガウリーは目を覚ましたらしく、ぼーっとしながらチョコの頭を撫でていた。
チョコは若干照れくさそうにしていたが、ちょこんとガウリーの膝に収まっていた。
一杯目を飲み干したエミーリアは顔を少しあからめてガウリーと同様、ぼーっとしながら俺を見つめていた。
「2杯目は流石にだめだぞ。」
俺はガウリーのジョッキを引き取って、エミーリアから遠ざけても、エミーリアはぼーっとただただ俺を見つめていた。
俺はビールを隣のテーブルに座っていた1人の青年に手渡した。
「いいのか?」
青年は黒パンにバターを塗ったくりながら言った。
「ああ。連れがこんななんでね。代金は払ってある。」
青年はぼーっと完全に酔っ払って見える2人とその間にいる猫耳の小柄な少女をみて、笑いながらジョッキを受け取った。
「そのようだな。じゃあ、ありがたくもらうよ。」
青年はビールを一口口に含んでゆっくりと飲み干した。
「そうだ、君たち依頼を受けるんだって?」
「ああ。路銀に余裕があるうちに簡単な依頼をしようと思ってな。」
「なるほどね。職業は何をしてるんだ?俺は錬金術師と、一応黒魔導士の資格も持ってる。」
「俺と茶髪の彼女は剣士、あっちの男は盗賊、この子は治癒師だ。」
「いいバランスのパーティーだな。」
青年は頷いて俺たちの顔をぐるりと見回した。
「ちょうど俺、前のパーティーを解雇されたところでな。よかったら君達のパーティーに入れてくれないか?」
怪しすぎる。
だが、剣聖の勘は彼が優秀な魔導士であると告げている。
仮に王国の刺客だったとしても、魔導士ならば手の打ちようはある。
俺は青年の顔に真っ直ぐ目を向けながら聞いた。
「パーティーを解雇されたのはなぜだ?」
「最近、依頼の仲介者が変わったってあのお嬢さんが言ってただろ?それでパーティーの方針も変わってな。錬金術師の出番が無くなっちまったんだよ。」
「なるほどな。ちなみに錬金術はどんなことができるんだ?」
「一番俺が得意なのは武器錬成とポーション作成だな。武器はウルクくらいなら両断できる。ポーションは遅効系のものならレベル3まで作れるぞ。即効系のポーションならレベル5までだな。」
「レベル5!?」
俺は思わず立ち上がった。
レベル5はポーションの階級の中で最も効果が強いポーションだ。
例えば腕がちぎれたとしても、ちぎれた腕さえあれば再びくっつけることもできる。
そんなすごいやつを解雇したのかそのパーティーは。
とんだアホだな。
「それは事実なのか?」
「ああ。」
青年はイスにかけてあった黒い肩掛けバッグから一本の透明な液体の入った瓶を取り出した。
そして白いチョークをポケットから取り出して床に小さな錬成陣を描き起こした。
すると、待機中の魔素が揺れ、錬成陣の中央に一本の剣が生えてきた。
青年はそれを徐に抜いた。
そしてそのまま青年の左腕を切り落とした。
床に青年の血飛沫が上がる。
「うわあぁ!!」
近くにいた客から悲鳴があがる。
それにつられて他の客からも悲鳴があがる。
だが、当の本人は非常に落ち着いた様子で、透明な液体を腕の切断部分に振りかけた。
すると、腕はゆっくりと元通りに治ってゆく。
そして数分もしないうちに腕は元通りにくっついた。
そしてその証拠にと、青年は元通りになった腕をひらひらと振ってみせた。
そしてそのまま周りで様子を伺っていた客たちに向かって深々と、芸人のようにお辞儀をした。
すると客からはパチパチと拍手と歓声が巻き起こった。
「本当にレベル5のポーションを作れたとはな。」
俺は素直に感心しながら青年に声をかけた。
「このくらい錬金術師なら普通でしょう。師匠は取れた手足がなくても再生するポーションを作ってたし。」
俺も錬金術を少し齧っているのだが、そんな最強のポーションを作れるだなんて聞いたことがない。
俺は青年に右手を差し出した。
「俺たちはあと二日この町に滞在する予定だ。とりあえずその間だけよろしくな。俺の名前はティディ。そこで酔っているエミーリア嬢の護衛兼従者だ。」
「よろしくな、ティディ。俺はニコラ。正義の錬金術師だ。」
ニコラは俺の差し出した手を力強く握った。