持つべきものは爵位
異世界に持ち込むなら、やっぱ爵位っしょ。
何やら、困ったことになったらしい。
いつもと同じ時間、同じバス、同じ電車、同じ車両。
平凡な日常を繰り返していたはずが、なぜかいつもと同じように電車を降りることができなかった。
本来ホームに着くべき足が、柔らかなカーペットの感触を捉え、思わず足首を捻りかける。
ふらつく体を立て直した視界に飛び込んできたのは、どこぞの宮殿のように豪華な広間と、洋ゲーの世界から飛び出してきたかのような、いかにも魔導士、神官、騎士然とした装いの人、人、人。
俺、思わずフリーズ。
そこに、割れんばかりの歓声があがったことでより頭が真っ白になる。
なにが。どうして。
いつもと違うところなど何一つ無かったはず。強いて言えば、今日は大事な取引先との打ち合わせがあって、一張羅のスーツを着ているが、ええい、そんなことが今の状況に何の関係があるというんだ。
意味のない思考が脳内を滑っていく目の前で、受け入れ難い現実はまだそこに残留している。右を見ても左を見ても、現代日本ではコスプレでしかお目にかかれないような絢爛豪華なローブ、鎧。人だかりのなんという威圧感。
呆然としていると、2mはあろうかという煌びやかな錫杖をもった神官風の初老の男性が近づいてきて、目の前で優雅なお辞儀を披露してくる。
「私、神官長のアルロと申します。伯爵殿、聖人として異世界から急にお呼びたてしてしまい、誠に申し訳ございません。」
……はい?
聞き慣れない呼称に思わず首を傾げそうになる。
伯爵、聖人、そして異世界。
無言のまま微動だにしない俺に対して、初老の神官が申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「状況が状況ですので大変な無礼を働きましたこと、平にご容赦いただけますとありがたく。ステータスを鑑定させていただきました。シーランド公国の伯爵殿。」
わお。
なるほど、なるほど。
あー、そういうこと?
いや、何も納得はいってないが、流石は異世界?
俺の常識を音速で置き去りにして世界の果てまで行ってこいしてくる。指摘されるまで忘れていた、先週酔っ払った勢いで買ったシーランド公国の伯爵位のことまで分かるとは。誰か個人情報を保護してくれ、頼む早急に。
ああ、ジーザス。
いや、この世界にキリスト教の概念は無いだろうが。
つまるところ、俺は拉致されたようなもので、もしかせずともこの世界で暮らしていかねばならないということだろうか。
これは、もしやマズイ展開なのでは?
惚けていた俺の頭が、危機を察知してようやく回り出す。
元のサラリーマン生活には未練はないものの、この見知らぬ世界で小市民の俺が平穏に生きていけるのだろうか?
いや、生きていけなかった場合、そもそも穏便に死ねるのだろうか?
少なくとも今の所、敵意は感じられず、上にも下にも置かない扱いをされている。これは、爵位のおかげなのか?それとも俺がその聖人とやらだからなのか?
異世界召喚ものでは、貴種でなければ人でないという世界もしばしば見かける。地球だって昔はそうだったのだから、いわゆる中世に類似した文明であれば平民の立場は推して知るべし。
爵位を理由に敬う姿勢を見せているのであれば、即席ラーメンも真っ青な即席伯爵位(何せ、ワンクリックで買える)であるとはバレていないのだろう。
しかし、それがバレたらどうなる?
だめだ、分からないことが多すぎて、対処法が皆目検討もつかない。
……仕方がない。
分からんもんは分からん。とりあえず情報収集するしかない。あと嘘はつかないでおこう。ファンタジーにありがちなように、この世界の神官に嘘を見抜けるような力があると話がややこしくなる。
伯爵、ええ、伯爵ではあります。金で買った爵位ではありますが。
そう言えば、階級社会の馬脚を現すかもしれないと思い、出方を伺う。無論、成り上がり者として多少の無作法は見逃して貰えるのではないかという予防線でもある。
目線の先の神官が息を呑んだのが見てとれた。
「それはそれは、ご謙遜を」
冗談だとでも思ったのだろうか。なんにせよ、爵位を大変リーズナブルに叩き売る埒外の国が異世界にあることは露呈していないようだ。鑑定で森羅万象が分かるわけではないらしい。
これは朗報。
とはいえ、身分だけが厚遇の拠り所である可能性がある以上、今後のやり取りでインスタント伯爵であることが見抜かれるとまずいかもしれない。しかるに、俺のことを分析しようとする人の目の多いところからはさっさと退散せねばならん。
普通に緊張で変なこと口走りそうだし。
私のことよりも、召喚の理由と、この世界のことを腰を据えて教えていただけないだろうか。どのようなことが無礼に当たるのか、互いにわからないままではやりづらいだろう。
もっともらしくそんなことを嘯けば、
「はい、互いの国の作法については追って擦り合わせをさせていただきたく。ですが、事情も分からず召喚されたとなれば、さぞご不安でしょう。まずは、手短に召喚の理由をお伝えいたします」
そう言うなり観衆の前で滔々と語り始めるものだから、止める隙がなかった。神官長と名乗るアルロ老の話をしぶしぶ聞いてみると、大変迷惑な事情が飲み込めてくる。
曰く、この国は地脈の溜まり場の真上にあり、定期的に魔力の噴出が起きる。
曰く、かつては魔力の噴出のたびに大きな災害に見舞われたものだが、1000年前の伝説的魔導士がこれを解消した。
曰く、その解消方法が、魔力を大規模召喚陣に流し込む回路を作ることだった。
曰く、それ以来、定期的に異世界人を召喚することで、魔力の噴出による災害を防いでいる。
曰く、召喚されてしまう異世界人を帰還させることができないので、聖人と呼称し、王宮で丁重にもてなしている。
なるほど、原理は違うが、地球におけるプレート境界型地震のようなものなんだろう。少しずつ溜まる歪みが魔力の形で一度に噴出されないよう、先回ってガス抜きをしていると思えば当たらずとも遠からずか。
また、聖人から異世界の技術を取り入れることで、他国の追随を許さない発展を遂げ、現在に至るのだとか。
無論、召喚される者の事情を一顧だにしないようでは不和の元になるため、召喚する際に条件はつけているそうな。
独り身で家族のない者。
こちらの世界で健康に暮らせる者。
意思疎通に難がない者。
現在の生活に苦痛を感じている者。
異文化との接触に耐性のある者。
過激な思想を持たない者。
これまでに殺人を犯していない者。
奴隷でない者。
(異世界基準で)国力の高い国の出身である者。
エトセトラ、エトセトラ。
挙げればきりがないらしく、かなりガチガチに定義されている。
つらつらと羅列されるとりとめのない条件の多さに、背筋が寒くなる。これらのプロンプトのような条件設定がどのように成されたのか。思い過ごしなら良いが、この形になるまでに、少なくない人数が不幸になっているのではなかろうか。
元々が、災害対策のおまけとしての召喚陣なのだ。多少、人命を粗雑に扱うトライアンドエラーが行われたところで、痛くも痒くもない。むしろ、呼ばれる者のことを考慮しようという発想があるだけ良心的というものだろう。
恐らく、過去の異世界人がもたらした利益の大きさが物を言っているのだろうが。
全く異なる世界の文明に突然放り込まれ、人間の権利を尊重しようという発想があるのかすら見通せない状態で対話を強いられる。
若さも蛮勇も無い俺にとってはなんとストレスフルなことか。おかげで胃がキリキリと痛くなってきた。
聖人の待遇がそもそも良いのか、爵位バリアが仕事をしているおかげなのか分からないが、今は極めて好意的な待遇を受けてはいる。だが、この短時間の情報で期待してしまうのはあまりに危険だ。この態度が見せかけのものか、はたまた本心からの厚遇なのか何も手がかりが掴めない。そして、何が決裂を生むのかも。
とりあえずは話を聞くしかなかろうと思い、まだ状況が掴めないので、座って話がしたいと伝えると、ようやく大勢の眼前から退散することを許された。
まったくもって、こんな大役を一介のサラリーマンに任せるものではない。俺は地雷原でのタップダンスを楽しめるタチではないし、こういう無謀は気骨のある肉食系の若人にやらせれば良いのだ。
内心では文句を垂れ流しながら、しかし表情筋は1ミリも動かさず神官長の後ろを歩く。
営業周りで鍛えすぎて死んだように動かない俺の表情筋は、異世界でも大活躍だ。
通された部屋では、召喚魔法を行使した神官たちからやれ「聖人は準公爵待遇」だの、やれ「生活の一切が保証される」などのいかに召喚された者が彼ら基準で厚遇されるのかを説明しつつ、俺のことや元の世界について微に入り細に入り聞き出そうとしてくる。
その全てにのらりくらりと答えながら、俺は静かに仮想敵を見据える。些細な言葉がこれからの俺の扱いに関わる可能性がある以上、サラリーマンのスキルを駆使して逆に相手を接待するくらいでいなければならない。提示された待遇もまだ実態が見えず、求人票のようにいくらでも誤魔化しが効くように思える。
また、神官たちの言葉の端々から感じるのは、長年の積み重ねで育まれた条件設定の瑕疵のなさへの誇りと、それを俺に肯定してほしいという思いだ。
実際、条件設定は中々の完成度で、俺でなければ喜び勇んで国の発展に手を貸す人間を呼び出せていたような気もする。
俺は相手の求めに応じて、口ではそれを叡智と先進的な文明の産物と讃え、ありがた迷惑であることはひた隠す。もしかすると、変にやる気のある人間を召喚対象に指定してクーデターなど起こされては迷惑ということで、俺のような事なかれ主義者が召喚に引っかかるようにされているのかもしれないな。
神官たちの接待を続けながら、自分の置かれた状況を整理してみる。
ちょっと想像して欲しいのだが、1人寂しく山も谷もない人生に飽きて厭世家を気取っているだけのサラリーマンを捕まえて、さあさあ金も時間もある自由な(ただし現代日本よりはよっぽど不穏な気配のする)世界でございますと連れてきたところで、どうなると言うのだろうか。何せ俺は常日頃から昼行灯でのんべんだらりとしているくらいが丁度良いと思っている男だ。もしここが激しい政争のあるような国なら、生き延びられる自信などない。
ティーンエージャーであれば、勢いに身を任せて英雄譚を量産し、あれのあれよという間に権勢を誇るのかもしれないが、生憎俺にはその勢いはない。
日本にいた頃も、せいぜい脱サラしたいだの不労所得が欲しいだの宝くじを買わずに当てたいだのという、異世界召喚からすると非常にみみっちい規模の現実的なご利益を望んでいるに過ぎなかった。
ここで一念発起すれば、なにか大事業を成し遂げられるのかもしれないと言われればそうかもしれないが、そういう超人的で才能のある人間はすでに現実で一発逆転をかましていることだろう。俺にはそんな気力は枯れ果てている。となれば、俺は俺を庇護してくれる勢力を見つけねばなるまい。
そのためには、まずこの国の統治機構が知りたいところである。俺はまだこの国の統治者と会っていない。召喚が魔力の噴出という災害への対処療法である以上、危険と思われる召喚現場に実務者しかいないのが自然である。
また、神官長も現状ではどのような身分なのか分からない。
神官たちの話をまとめると、俺は王宮の中に部屋を与えられ、生活を保証され、この世界の常識を学ばされ、あげくには知識を吐き出させるために、元の世界でいうところの大学預かりとなるらしい。
つまり、文字通りとらえればベーシックインカム付きの学生生活。文字面だけ見れば大変結構。
ただし、文字通りでなければ、良くて飼い殺し、悪くて病死という名の死亡というところだろうか。
待遇面でも爵位バリアが効いてくれると信じたいが、油断せずに継続的な情報収集が必要だろう。
ちなみに、話が服の仕立てに及んだ時には、たまたま一張羅のオーダーメイドスーツを着込んでいた己の幸運に感謝した。彼らからしても充分質が高く、見慣れない仕立てであることが興味を引いたらしい。
伯爵という鑑定結果に服の質から疑問符がつかなくて何よりである。俺もこれで混乱しているのだ、そこまでは気が回らん。
元の世界でも現代のスーツのような仕立てが生まれるのは、比較的新しい時代だったと記憶している。
服飾については他の人間からあまり情報がもたらされていないのか、現代のスーツやワイシャツのようなスマートなシルエットかつ動かしやすい袖というものがまだ開発されていないようで、ぜひ作りを確認させてほしいとのことだった。
俺の最初の業績は、意外にもファッションということになるかもしれない。
閑話休題。
神官たちにとっては召喚が成功した時点で、用が済んでいるのだ。日本のサービスに慣れた俺には到底満足のいく対応は期待できまい。そう思っていた方がいくぶんか気が楽だろう。
また、話の端々から感じる命の軽さと身分の重さに、日本との温度差を感じて眩暈がする。
「やはり正直申し上げまして、今回お越しいただけたのが爵位のある方でようございました。平民では貴方のように落ち着いて話をすることもままならない。そんな記録が残っておりますよ。まだお若いでしょうにご立派で。」
いや俺は即席伯爵で、サラリーマン生活で表情筋が死んでるだけだ。
あと、童顔で悪かったな。
「ええ、我が国での身分としては、元老院を構成する貴族のみなさま108家と異世界人は同格とされておりますが、それは建前。大した学や技能もない者にはそのような地位は過ぎたものでしょう。」
そして、どうやらこの国が本当に俺を歓待する気があると気がつくまでの間、俺の一挙一動が周りをびくつかせていたとは知る由もなかったのである。
神官長side
大変なことになった。
鑑定結果には間違いなく、伯爵の文字が見える。
平民を指定したはずだが、召喚魔法には時間軸のずれがあるとの指摘もある。もしや召喚をかけたのちに陞爵された?
しかもいきなり伯爵を与えるということはよほど国外に出したくない人材だろう。
これまでどうとでも転がせるような平民しか召喚してこなかったから至急、対応を検討するしかない。
ここは神殿にしばらく引き留め、相手の出方を見つつ王宮に知らせを送ろう。
しかも、悪いことに爵位以外の称号に、昼行灯とある。魔導証明は近年普及してきたばかりで、よほどの大貴族でなければ、日中に灯りをつけたりなどしない。
それが称号になるほど使えているということは、どう少なく見積もっても富豪。
しかも、一代で伯爵になれるほどの成り上がりを見せる者。であれば異世界の政治、文化、商業に関する知識がかなり豊富な可能性が高く、決して他国に流出させられない人材。
相手世界の方が文明が進んでいるところを神の御技に頼って呼び寄せているところ、これを世界間侵略の糸口にされぬ様に慎重に進めていたのに。
念の為、わざわざ召喚の痕跡を辿られることのないよう平民を召喚してきたのに、国に囲い込まれた貴族では、その万が一があるかもしれぬ。
???side
この世界に転生したと気がついた時は、すごく嬉しかった。
やっと社畜を辞められる、もう会社行かなくていいんだって。
夢と希望の魔法使いライフよ、こんにちは。
だから、災害を解決するついでに、同じ苦しみを味わっていて善良な小市民たる日本人がこの世界でちょっといい思いができるようにしてみようと思ったんだ。
この世界の住人にとっても、どんどこ人が死にまくる災害が起きるよりも1人の人間を歓待するよう義務付けられる方がよっぽどいいでしょ?
その方が絶対コスパいいもん。
でね、召喚された人が始末されちゃうと困るから、召喚陣に紐付けっぱなしにするようにしたのね。だ
簡単に言うと、召喚された人間とこの世界を召喚陣が仲立ちし続けることで膨大な魔力を消費しっぱなしにできるようにしたってこと。
だから召喚された人が死んじゃうとまた魔力災害が起きちゃうってわけ。
賢いでしょ。大魔法使いって呼ばれるくらいだからね。
でもそれだけだと、飼い殺しにされちゃうかもしれないから、召喚された人がもう嫌だ帰りたいとか死にたいって思ったら帰れるようにしといたのね。
元いた場所の元いた時間に元の状態で。
強いストレスや危害が加わったら、選択肢がウインドウ表示されるようにしておいた。
超偉くない?もっと褒め称えてくれてもいいよ?
あと、召喚陣がずっと発動しっぱなしで地球との縁がそのまんまだから、この世界での姿は仮のもの。
仮の姿だから、痛みとかは軽減されてる。これは副作用なんだけど、ちょうど良いよね。ほら、無双ゲーみたいなことしたい人がいるかもしれないから。
まあ、そんな好条件でも、この世界が合わない人だっているだろうしね。飽きちゃったりとかさ。
とにかくこれで、この世界の人たちは、社会人生活につかれてもうぐったりグロッキーな日本人たちをなるべく長期間もてなそうと頑張ってくれるでしょ?
その辺もちゃんと言い残しておいたんだけど、こういうのって宗教の教義にでもしておかないと、そのうち失伝しちゃうよね。
そう思って神殿に後を託したんだけど、どうなるかな?
じゃあ、僕は一生分くらいはこの世界で遊び尽くしちゃったから地球に帰りまーす。
やっぱりさあ、マックでポテト食べてコーラ飲みたいんだよね。この世界で作ってもらっても宮廷料理の味になっちゃって。
こっちでしっかり休んで、美味しいもの食べて、お土産に宝石なんかを持って帰ったりすれば、なんとか不労所得ゲットできるでしょ。
至れり尽くせりで超優しくない?
じゃあこれでおしまい。
とっぴんぱらりのぷう。
えー、異世界召喚には爵位、異世界召喚には爵位。
本日はこちらをキーワードとしてぜひ覚えて帰りましょう。
それではみなさま、ごきげんよう。