第8話 桜菜の失敗
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「それとですね、わたくしが町へ出てきたのはフィフィに呼ばれたから、という理由だけではないんですよ」
ハーブジュースに挿さったストローの口を紫陽花の隙間に突っ込み、二、三口飲んだツクモさんが言った。
「どうしたの? メモし忘れがあった?」
「いえいえ、そうではないんです。実は2人が出かけた直後、クリステスラ国の王都から電話がありまして」
2人の会話に耳を傾けながら、2粒目のシトリンを丸呑みにして、ジュースにもくちばしをつける。一口含むと、ミントのような爽やかな匂いが鼻腔をくすぐった。
「迷子が見つかったから対応してほしい、という内容でした」
ツクモさんのセリフに、それなりに騒がしかった店内が水を打ったように静まり返った。レジに並んでいた客も、カウンター席で雑談していた客たちも、身動ぎ1つせずにこちらに聞き耳を立てている。
「迷子って……、どんなコなの? どこにいたの?」
凪いだ水面に桜菜が小石を投じた。
「種属はアルミラージ。同種の群れの中に混じって生きていたようです。場所はこの国の北東で、隣国から帰還中だった魔法士が見かけたんだとか」
ツクモさんが答える。なんの話だろうと首を傾げていたら、これまで無口だったリンフェイムさんが、怖ず怖ずといった様子で控えめに手を挙げた。
「あの……、その魔法士、は、捕獲はできなかったんでしょうか……?」
変な区切りを入れながら聞くリンフェイムさんに、紫陽花の頭が縦に揺れる。
「捕縛魔法を使う間もなく姿を消してしまったそうですよ。まあ、それほどに早い逃げ足を持っていたからこそ現代まで逃げ切れていたんでしょうし」
「そ、そうですよね……。申し訳ございません……、少し考えればわかることを尋ねてしまって……」
「いえいえ、お気になさらず」
しゅん、とリンフェイムさんの声がしぼむ。なぜだろう、授業参観で意気揚々と挙手をして答えた解答が間違っていた男子の背中を思い出した。
「じゃあ急いで行った方がいいよね。テルシアさん、夕方には受け取りに来れると思うから、星屑のオペラと流れ星のモンブランを1つずつホールでお願いできる?」
「え? ええ、もちろんよ」
客同様トレーを抱き締めて硬直していたテルシアさんが返事をすれば、桜菜は二口分ほど残っていたオペラを一口で呑み込み、立ち上がった。
「そうと決まればちゃっちゃと準備をしなくちゃね! えっと、1回家に戻った方がいいかな? アルミラージなら罠も必要かもしれないし、何か使える物ってあったかな……。ちょっとシュシュ! のんびりしてないで早く食べて! 急用ができたんだから!」
「無茶言うな」
くちばしという不慣れなもので頑張って食べているのに、そんなに急かさないでほしい。
「というか、出発する前に教えてほしいんだけどさ」
「おや、どうされました?」
桜菜より先にツクモさんが聞いてきた。こちらのジュースも既に空になっている。
「いえ、なぜ修復士をしているツクモさんのところに迷子の保護依頼が来たのかな、と思いまして」
修復士というのは名の通り壊れた物を直す職。迷子の保護は管轄外だ。遭難した人を捜す為にボランティアが集まったニュースを何度か見たことはあるが、ツクモさんが名指しされる理由がわからない。
わからないからこその疑問だった。問だった。なのになぜ、ツクモさんから、リンフェイムさんから、テルシアさんから、店内のあらゆる宝石頭科から、信じられないものを見るような目で見られている気配を感じるのだろうか。
「……シュシュ、その質問に答える前に教えていただきたいのですが」
しばらくの間を空けて、ツクモさんが言った。
「こちらの世界に来る前に、フィフィからどのような説明を受けましたか?」
「説明、ですか?」
ちらりと目をやった桜菜の表情は青ざめ、引き攣り、強張っていた。そこから読み取れる心の声は、ヤバい、だ。
「魔法が使える世界に2泊3日で行ってみないか、と誘われました」
「……それだけ?」
「えっと、仕事をしに行くけど空いた時間にご飯に連れてってあげるとか、いろんな景色を見に行こうとか言われましたね」
「……他には?」
「他……。……あ、週休5日でお給料が出るって聞きました」
事前に聞いていた情報はこの程度だったはずだ。本当に異世界に行くと知っていたならもっと詳しく聞いていただろうが、いつもの遊びの延長だと思って軽く流してしまったので、それ以上のことは知らない。
「はぁぁぁぁ……」
深く長いため息が、波紋となって店内の隅々まで行き渡る。
「目覚めてからのあなたの反応を見て、おや? とは思ったんですよ。こちらの世界について少し、いえだいぶ知らないなと……。フィフィから詳しく聞いていないのかとか、やはり初めての異世界だから動揺しているのだろうかとか……。ですがまさか、異世界旅行のつもりだったとは……。はぁぁぁぁ……」
二度目のため息を吐きながら、テーブルに両肘をついたツクモさんが項垂れる。そして項垂れたままの体勢で、シュシュ、とか細く私を呼んだ。
「わたくしは付喪神です。そしてあなたとフィフィは付喪神のお手伝いをする方です。わかりますか?」
「はい、わかります、けど……」
それが何か? と続けるはずだったセリフは、指先を弄りながら冷や汗を搔いている桜菜に遮られた。
「つまり、つまりね? あたしたちは神様の使いっていうかなんていうか……、まあ、神使っていう立場になるわけなんだわ」
あはは、と笑って、桜菜が頬を掻く。
紳士? 真摯? 唇歯? と、同じ音の熟語が頭の中をぐるぐると回る。視界の端に、アメジストに手を当てて俯くリンフェイムさんと、トレーを握り締めたまま微動だにしないテルシアさんと、諦めたように天を仰ぐツクモさんが映る。
これはあれだ。私が何か言わなければ進まない場面だ。そう思い、居住まいを正して、未だ視線を合わせてこない従妹をまっすぐと見据えた。
「フィフィ」
「は、はい」
ようやっと、見慣れた瞳がこちらを向く。
「聞かなかった私も悪いけど、言わなかったフィフィも悪いと思う」
「うん、ごめん……」
「だから」
今度は私が遮る。
「迷子の捜し方と、捜した後にどうしたらいいのかしっかり教えて。あとこの世界の成り立ちとか、あんたが知ってること全部」
そう言えば、桜菜がきょとんとした顔で目をぱちくりさせた。
「できないの? せ、ん、ぱ、い?」
煽るように、わざとらしく、カチリとくちばしを鳴らす。場違いな仕草が面白かったのか、桜菜は声を上げて笑い、リンフェイムさんにペシンと叩かれ悲鳴を上げた。