第6話 狸の魔法
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「シュシュー! 2人分の入門許可証もらってきたよー! 早く行こー!」
桜菜が駆け戻ってきた。手に何か握っている。水晶の飾りがついたネックレスのようだ。
「フリューリング、今日はどこに行く予定なの?」
「テルシアさんのところだよ。ケーキ屋〈テリーの宝石箱〉! 今夜はシュシュの異世界デビューパーティーを開くんだぁ」
「シュシュ? ああ、この子のことね」
嬉しそうな桜菜につられたのか、リンフェイムさんの声も楽しそうだ。
「だったら私もお店にご一緒させてもらっていいかしら? 今日うちの子の誕生日なのよ」
「リグエラ君の? もちろんいいよ」
ね? と桜菜が同意を求めてくる。断る理由もないので頷くと、リンフェイムさんの頭が少し明るくなった。
フクを外に待たせて門をくぐると、そこはまさしく異世界だった。
陽が昇ったばかりだというのに、通りには大勢の亜人が行き交っている。足早に歩いていく者や意見を交換し合っている者、談笑している者、ベンチで休憩している者と様々だが、そのほとんどの頭部が宝石だった。
「エメラルドにオパール……、あれはトパーズ? ダイヤモンドみたいなのもいる……。凄いなこの町」
「ね? キラキラしてて綺麗でしょ?」
「私からしたら日常風景なんだけどね」
これが常とは……。恐れ入る。
「そうだ、はいこれ」
そう言って、桜菜が先ほどのネックレスを首にかけてきた。一点の曇りのない美しい水晶が胸元で光る。桜菜の首にも同じ物がかかっているが、革に似た質感の首紐がなければ目視しづらいほどの透明さに思わず息を飲んだ。
「これが入門許可証だよ。シュシュはあたしの同行者ってことで入門票に書いといたからね」
「そう、ありがとね」
礼を言えば、どういたしまして、と返される。ちょんちょんと、リンフェイムさんが私の耳をつついてきた。
「あなたの装身具、タヌキ属なのね。ずいぶん珍しい種を選んだわね」
「ええ、いろいろありまして……」
どう返事をすればいいのかわからず、茶を濁す。一度装身具として使用したものはしばらく外すことができないらしく、こちらの世界にいる間は狸のままでいるしかないと知って遠い目をしたのはほんの数十分前のことだ。
「あたしはイヌ科がいいってツクモちゃんに言ったんだけど、まさかイヌ科タヌキ属を選ぶとは思わなかった……。ああー、狼がよかったなぁ」
「かっこいいから?」
「そうそう」
はぁぁぁ、とため息を吐かれる。私に非はないはずのに、あんまりにも残念そうな顔に申し訳なさを覚えてしまった。
そういえば、と、桜菜を見る。桜菜の形代には、私のような変化が見られないのだ。
耳は人間のもので、尻尾もない。球体の関節さえ見なければ生身の人間そのものだ。
こいつはどんな装身具をつけているのだろうと気になったが、今聞くことではないと自分に言い聞かせ、会話の対象をリンフェイムさんに移した。
「ところで、リンフェイムさんはよくこの耳が狸だってわかりましたね。色が全然違うのに」
通常の狸なら焦げ茶色や黒などの暗い色味をしているが、現在私に生えている耳尾は純白。なぜ一目で狸だとわかったのだろうか。
「修復士様が用意なさる装身具は全て白で統一されているから、形で判断させてもらったわ」
「耳だけじゃ難しくても、その尻尾を見たら狸だってわかるもんね」
ねー、と桜菜とリンフェイムさんが声を揃えた。
それからの道中、桜菜はリンフェイムさんとの雑談の途中で、いろいろなものを指差しながら教えてくれた。
通りがかった公園のど真ん中にある四角い建造物はポータルで、町内の東西南北に1つずつ設置されており、枠に嵌め込まれている魔石に触って行き先を言うだけで別のポータルに繋がるらしい。移動距離の短縮や重い荷物の運搬に使われるのが主で、料金は取られず、誰でも使っていいというのだから驚きだ。
早朝なのになぜこれほどまでに人が多いのか尋ねれば、宝石頭科は睡眠を取らないからだよ、と返ってきた。人間とは体のつくりが根本的に違い、24時間どころか一生涯休みなく活動できるのだが、代わりに浄化という習慣がある、とリンフェイムさんが補足をくれる。
「人間や獣人は眠ることで体力とか魔力を回復させる種が多いけど、私たちみたいなのは瞑想したり、魔素が多く含まれる流水に当たったりすることで回復するの。面倒だけど定期的にやらないと頭が濁って汚くなっちゃうからやるしかないのよね」
アメジストの頬に手を添えて、本当に面倒なのよねぇ……、とリンフェイムさんが繰り返したところで、小洒落た看板が目に入った。
「〈テリーの宝石箱〉ってここ?」
形代に宿ってからこちらの文字が読めるようになった私は、看板を指差しながら書かれた文字を読み上げ、桜菜を振り返った。
「そうだよ。今の時間帯ならお客さんが少ないはすだから、どんなのがいいか伝えておけば昼頃には用意してもらえると思う。それまでに他の買い物を済ませようね」
3段ある階段を登った桜菜がドアノブに手を伸ばす。触れようとした瞬間、バンッ! と勢いよくドアが開いた。
「ぅわっ!」
驚いて後ずさった桜菜が、階段から足を踏み外す。視界の隅で足もとを確認し、しっかりと踏みしめてから、ぐらついた体を抱きとめた。
「っ痛!!」
右腕で桜菜を支えた直後、左肩に衝撃が走る。振り返れば、走り去る細長い影が見えた。
「待ちなさい!」
お店の中から紫から黄色にグラデーションのかかった頭部を持つ宝石頭科が飛び出してきた。店主か? さっきのは泥棒? とパニックになりかけたが、腕の中の小さな体が身動いだのを感じて、血が沸騰するほどの怒りが沸き起こった。
駆け寄ってきたリンフェイムさんに桜菜を預け、地面を蹴るように立ち上がり、追う。2つにわかれた人波の向こうに見える奴目がけて、飛んだ。
そう、飛んだのだ。
両手を左右に大きく広げ、風を掴む。宝石たちの鮮やかな色が煌めく線に変わり、後方へと消えていく。
無法者まであとわずか。トカゲのようなつるりとした後頭部に、細長い尻尾。リザードマンとやらだろうか、その厳つい肩に狙いを定め、鉤爪を開いた。
「ぅおっ!?」
背後から迫る私の気配に気づいたのだろう、振り返ったそいつの野太い悲鳴を羽音で掻き消す。次いで土煙が巻き起こり、もんどり打って、転倒。乱杭歯が覗く無法者の上下の顎を鷲掴み、もう片方の鉤爪を喉の柔からな部分に喰い込ませ、ずいっと顔を近づける。
「殺すつもりは毛頭ないが、暴れるなら容赦はしない」
思いの外低く出た声に、縦長の瞳孔が恐怖に歪んだ。反撃する意思はないと判断し、上体を起こす。
ここで初めて、私は自身の体が大きな鳥に変化していることに気がついた。
「シュシュ!」
不安げな表情で駆け寄ってきた桜菜が、私を見てぽかんと口を開けた。無事を伝えようと右手を上げれば、バサリと右の翼が広がる。つけ根から羽先まで、影すらできない明るい白だ。
「こいつは押さえとくから、誰か適した人を呼んでくれる? 警察とか?」
「け、警察はこっちにはないけど、警備隊が来てくれるよ。たぶんすぐに」
驚いたままの顔で言う桜菜の後ろで、口もとらしい場所を両手で隠したリンフェイムさんが私に釘づけになっている。そればかりか、この場にいる全ての宝石頭科の平たい部分がこちらを向いていて、いたたまれない気分になり、羽繕いをすると見せかけて、顔を伏せた。