第1話 奇妙な誘い
こんにちは。
久しぶりに投稿します。
ゆっくりと進めて行きたいと思っていますので、空いた時間の暇潰しにでも読んでいただけると嬉しいです。
「ねえねえ雪葉、今夜から2泊3日で異世界に行ってみない?」
そう尋ねてきた従妹の声色は、新しくできたカフェにでも誘うかのような軽さだった。
「……異世界?」
「そ! 美人なエルフとか可愛いドワーフとか、格好いいドラゴンもいるよ! あ、あともっふもふなモスマンも! でも一番のおすすめはクー・シーとケット・シーだね!」
「なんかUМA混ざってなかった?」
ケーキバイキングで目移りする子どもかとツッコミたく思いながらも、私は夕食を作る為に手に持っていた玉ねぎをまな板に置いた。
「それ、異世界転生ってやつだっけ?」
「違う違う、そっちは死ななきゃいけない方だよ。あたしが言ってるのは異世界転移で、死なないまま異世界に行ける方!」
これで行くんだよ! と、テンション高めに琥珀色の飴玉が入ったガラス瓶を目の前に突きつけられる。
「それ、桜菜が昔っから持ってる瓶だよね。10才ぐらいだったかな?」
「9才だよ」
言いながら、桜菜はガラス瓶の蓋を開けた。
「これを舐めて寝るとね、異世界で目が覚めるんだ。そっちにも同じ飴があるから、こっちの世界に戻りたい時はまた飴を舐めて眠ればいいだけなの。ね? 簡単でしょ?」
「そうだね」
異世界って行き来できるものなのか? と思いはしたが、口には出さなかった。話を広げられると面倒だからだ。
「今日はミートボールパスタにするから、サラダは豆腐入りにしよっか。木綿まだあったっけ?」
「買い置きあるから大丈夫。そのパスタね、異世界でも食べたことあるんだ。クレーテーっていう牛型の魔獣で作ったミートボール、すっごく美味しかったんだからぁ〜」
話題を逸らそうと思ったのに、メニューのせいで失敗してしまった。
「だからさ、雪葉も行こうよ! やることやったら余った時間遊べるし、美味しいご飯とかケーキのお店連れてくからさ?」
上目遣いで見上げてくる姿は、身内という贔屓目を抜きにしても特別可愛い。
桜菜の可愛さが誇張ではない話がいくつかある。
中学生の頃、桜菜のクラスメイトから休み時間にトイレに行けなくて困っていると苦情が出たことがあった。チャイムが鳴るのとほぼ同時に、他のクラスや他学年の男子が桜菜を一目見ようと廊下に群がり、教室の出入りが難しい日が続いたからだ。
中学の卒業式と高校の入学式は特に酷かった。在校生複数人が桜菜を取り囲んでしまったのだ。我先にと告白の雄叫びを上げる彼らに、体育教師と学年主任の怒号が飛んだのは強烈な記憶の1つだ。
他にもいろいろあるのだが、そういった騒ぎを鎮める為に、私は1学年下の桜菜のもとに度々駆けつけたものだ。
男子の平均身長よりも背が高く、後ろ髪はうなじが出る短さを維持し、長めの前髪の隙間から切れ長のつり目を覗かせる私は、下級生は疎か上級生からも怖い女と陰口を叩かれていたので、従妹関連では現在でも教師から頼られている。
彼女を守る日々を過ごしていることが原因なのかは自分でもわからないが、例え異世界などという荒唐無稽な話でも、桜菜の口から出た単語というだけで、はぁ? と無下にすることができなかった。
「……やることって何さ?」
小型犬のように瞳を潤ませる従妹に確認すると、ぱぁっと表情を明るくさせて、するりと腕に絡みついてきた。
「ちょっとしたお手伝いだよ。難しいことはないから心配いらないって。ご飯も用意してもらえるし、お給料もちゃんともらえるから安心してね」
いひひーっと、閉じたままの上下の歯を見せるような笑い方は、私にしか向けない笑顔だ。それに気づいてからは、これをされるとどうにも弱い。
「あんた、異世界で仕事見つけたの?」
「見つけたってゆうか、仕事をしてほしいって頼まれて飛ばされたんだよね。週休5日で衣食住と安全を約束されてるから怖いことなんてないんだぁ。まあ仕事をしない週とか、異世界に行かない週もあるけど」
「その休んでる5日間で高校に通ってるの?」
「そうそう!」
それは実質休みなしということではなかろうか。
「土日はトイレにもご飯にも起きてこないレベルで寝穢いあんたが仕事なんてできるの?」
ちょっとだけ、意地悪っぽく言ってみた。
桜菜は小学生高学年の頃から土曜日と日曜日の2日間をずっと寝て過ごしている。それを他人に話すと、信じてもらえないか嘘つき呼ばわりされるかの二択にわかれるのだが、事実だ。
食事を摂らず、トイレにも行かずに昏昏と眠り続ける娘を心配した伯母が、嫌がる桜菜を病院に連れて行くのを見送ったのは一度や二度ではない。
しかし下された診断結果は、健康そのもので異常なし。医者も首を傾げるばかりだったと母伝いに教えてもらい、当時の私も首を傾げたのを覚えている。
その後、伯母は隣県の大きな病院でも桜菜を診てもらったが、結果は全て同じだった。加えて、子ども会のお泊りの日やお祭り、我が家と動物園に行く日などは必ず目覚める為、もともと楽観的な性格の伯母は寝たけりゃ好きなだけ寝てなさいと開き直り、現在に至っているのだ。
「寝てる間に異世界に行ってるんだよ。で、向こうで飴を舐めて、こっちで起きるの」
「じゃあ、起きてる土日は飴を舐めなかったってこと?」
「そうそう、そういうこと」
なるほど、と納得してしまった。桜菜が眠り始めた時期と、飴入りのガラス瓶を見かけるようになった時期が、私の記憶の中で見事に重なったのだ。
しかし、詰めが甘すぎる。伯母が出勤しなければならなかった土日は我が家に預けられていたことを忘れているのだろうか?
買い物に行く母に頼まれて眠る桜菜のお守りをした回数など最早覚えていない。先週だって、抱き枕用の犬のぬいぐるみに2日間顔を埋めてくうくう眠る姿を数時間おきに確認しているのだから、騙されやしない。
「ねえねえ行こうよー! こっちじゃ見かけない動物とか魔獣とか、びっくりするぐらい綺麗な景色が見られる場所に連れてってあげるからさー!」
「ちょ、引っ張んな!」
手に持ってこそいないものの、まな板の上には包丁が置いたままだ。刃物がある場所でのおふざけはいただけない。
「ああもう……。わかったわかった、私も着いてくからもう引っ張らないで」
「ほんと?!」
騙されはしないが、これだけ言うのならお遊びの1つや2つつき合ってやろうとしぶしぶ頷けば、桜菜の今日一番の破顔が見れた。
「やったー! 雪葉も一緒だー! じゃ、早速これ舐めて!」
カラカラと音を立てて、斜めにしたガラス瓶から取り出した飴を1粒手渡される。落とさないよう抓みながら室内灯に照らしてみると、琥珀色の飴の中にいくつかの気泡が透けて見えた。
「この飴、前にほしがった時はくれなかったよね」
ぼやける明かりを眺めていたら、ママには内緒にしてね、と前置きをしてガラス瓶を見せてきた幼い桜菜の、得意げな笑顔を思い出した。
「そりゃあ異世界に飛ばされちゃうからね。あげたくてもあげられなかったんだよ。ごめんね?」
「いいよ」
飴をわけてもらえないだけで臍を曲げるような歳ではなかった。幼いなりに桜菜の大切なものなんだと理解できたから、指切りすらしていない口約束でも私は守り続け、伯母と母には終ぞ言わなかった。
「いただきます」
「召し上がれ」
いざ食べようと手を下ろしたら、桜菜も1粒抓んでいたものだから、乾杯するみたいに飴同士をコツンとぶつけ合って、口に放り込んだ。
親指の爪ほどの大きさの飴をコロコロと転がせば、昔ながらの素朴な味が舌に広がっていく。柔らかな味に無意識に口もとが緩んでいたようで、満足そうに桜菜が微笑んできた。
「なるべく噛まないように舐めてね。じゃ、あたしは宿題してきまーす」
「あいよー」
自室に向かっていく背中に手を振って応え、放置していた玉ねぎに向き直る。
今日の夕食当番は私。先週末に作り置きしていた冷凍のミートソースがあるから、これから作る肉団子と茹でたスパゲッティを絡めれば1品できあがり。豆腐サラダと、フルーツを入れたヨーグルトでも出せば充分だろう。
よし、と意気込んでから、テレビがかけてある壁の棚に視線を移した。
白い壁を彩るのは、私と桜菜が回したガチャガチャやクレーンゲームの景品の群れだ。ミニチュアの家電や、リアルな作りの山やら海やらの動物たちが、ブック型のフォトフレームの周りを彩っている。
フォトフレームの右側には、はにかむ父の顔写真に頬を寄せた母と乳児の私が写る写真が、左側には、車椅子に乗った伯父の両側に立つ伯母と幼児の桜菜が写る写真が飾られていて、眠っている私以外みんな笑顔だ。
(伯父さんも伯母さんも、心配しなくて大丈夫だからね。これも桜菜のお遊びだからさ。父さん、母さん。危ない時はちゃんと叱るけど、そっちからも見張っててくれたら嬉しいな)
心の中で語りかける。いつもなら口に出すのだが、飴があるから不可能だった。
当然のことながら、返事はない。もとから期待などしていないから、平気だ。
フフッと鼻で笑い、切り始めてもいない玉ねぎを前に目頭を軽く擦ってから、包丁を使って薄皮を剥き始めた。