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 トラックの荷台をおおっていたシートは、その役目を終わらせていた。

 荷台に残されているのは、段ボールが一箱。中身は水回りで必要とされる部品だ。

俺は、テント扡で作られたシートをきれいにたたんで、荷台のスミに置いた。段ボール一箱のためにシートでカバーする必要はない。

 俺はトラックをそのままに、昼食を食べる場所を探した。

工事現場から、緩やかな坂を十メートルほど下ると、駒沢通りへ出た。俺は周囲を見回した。

「東京だよな」

 声にならない声でつぶやいた。街を歩く人は江口(えぐち)寿(ひさし)の漫画に出てくるように美人だ。俺の目の前を通り過ぎる車のうち、何台かには芸能人が乗っているのかも知れない。

 夏の暑さにまかせて、ポツリとそんなことを考えていると、俺の目の前を大きなサングラスで目元をおおった長身の女性が通り過ぎた。身長は一七〇センチはありそうだ。俺は後ろ姿を追った。ほどよい肉付きのヒップが左右に揺れている。

「まてよ、あれは女か?もしかして、ひばり君」

 俺は女性にしては広すぎる肩幅を確認しながら、つぶやいた。ひばり君というのはもちろん、【ストップひばり君】のことである。

「東京は、何でもありだな!」

 

 俺はちいさな中華料理屋で昼食を済ませて、自分のトラックへ戻った。トラックは自分が止めた場所から大きく動かされていた。

「きみ!仕事が終わったらサッサとトラックを動かしてくれよ」

 あの男が俺に大声を浴びせかけた。「チッ」俺は返事もせずにトラックを動かした。

 

 次の恵比寿の配達先はマンションだった。伝票に書かれた住所には、既に築三年ほどの十階建てのマンションが建てられている。俺は伝票に書かれたマンション七階の部屋へ、エレベーターで向かった。届け先は浅野邸と書かれている。表札にも浅野邸と書かれている。

 俺は伝票と表札を照らし合わせて、呼び鈴を押した。

「ピンポン」

 十秒もしないうちに鍵が開く音が聞こえた。ドアスコープには誰かがのぞいている気配がする。

「ご苦労様。水道の部品よね」

 部屋の主は二十歳代中盤の女性で、化粧はしていないがかなりの美人であると思われる。

「はい。そうです。サインをお願いします」

 俺は小脇に抱えていた段ボールを女性へ渡した後に、胸ポケットにしまっていた伝票とボールペンを差し出した。女性は段ボールを小脇に抱えて、窮屈そうに伝票にサインをした。

「ご苦労さん。これ、どうぞ」

 女性はドアの隙間から何かを差し込んできた。青い缶に入ったポカリスエットだ。俺は「いいんですか?いただきます」と言って、青い缶を手にした。

 結露で濡れた缶の表面が滑って缶をおとしそうになる。「あっ」女性は、俺の手から滑り落ちそうになる缶へ手を伸ばした。俺の手の甲に女性の手がかぶせられた。

 手のひらには零度に近い冷たさが、手の甲には三十七度に近いぬくもりが、緩やかにのしかかってきた。

 俺の視線の先にはうつむいた女性の胸元がいやおうなしに飛び込んできた。女性は、俺の手の中から青い缶を抜き取って、俺の顔の前につきだしてきた。

「はい。落とさないようにね」

 その声のトーンと、台詞(せりふ)。そして青い缶と顔の距離。どこかで見たことがあると俺の記憶の海馬がつぶやいた。

「ありがとうございます」

 俺は礼を言って、エレベーターホールへ向けて廊下を歩き出した。後方でドアを閉める音と、鍵が掛けられる音が響いた。

「思い出した。缶コーヒーのCMに出ていた。新人女優だ」

 俺は右手の拳で、左手の手のひらを軽く叩いた。《あの胸元、缶の差し出しかた。あの台詞。全て去年の夏に流行ったCMと同じだ》女性に確認しようかと俺は振り返ったが、そこには閉じられた鉄製の扉が、鈍く冷たく光っているだけだった。


 戸田の車庫から、一キロほど離れたマツシマ建材の戸田倉庫へ戻ってきたのは、十五時位だった。

配車係の薬丸所長が到着したばかりの俺に「電話しろっていってるだろうが」と怒鳴った後に、「おい、もう一件行ってもらえないか。大宮の裏口だ」と、俺の目をジッとにらみつけた。

 配達一軒終わったら、電話をするルールになっているのだが、近くに公衆電話がないことが多く、その約束を実行できる率は三割ほどだ。俺は汗で、湿った頭をかきながら答えた。

「大宮の裏口?どこですか、それは?」

「おお、そうか。ごめんごめん。西口だ。昔は東口を表口。西口を裏口と言っていたんだけど、いまは逆か。すまんすまん」

「いいっすよ。どこに、なにを?」

「これが、伝票だ。荷物を出してくるから、住所で場所を調べておいてくれ」

 俺は所長から伝票を預かって、運転席で地図帳を開き場所を確認した。所長はその間に倉庫内へ消えていった。

「大宮の西口桜木町か。俺の家の近くだ」

 俺は地図を閉じて運転席から降りた。倉庫の中から小さなモーター音が近づいてきた。モーター音の正体は、所長が運転するフォークリフトだった。

「これ、ワンパレットだけだ」

 所長は木製でできたパレットをトラックの荷台に横付けすると、フォークリフトの運転席から降りた。俺は木製パレットに積まれた段ボール箱三つを荷台に一列にならべた。

「一時間で戻ってこれるな。配達が終わったら電話をくれ」

 所長の言葉に「がんばります」と苦笑いを浮かべながら、俺は運転席のドアを閉めた。

 午後三時の新大宮バイパスは、下り線の渋滞が始まるまでには余裕があった。俺が運転するトラックは、所長の予想通りに二十分後には与野市円阿弥の交差点を通り過ぎた。再開発が進む大宮駅西口、桜木町まではもうすぐだ。

 俺の運転するトラックは、青信号の三橋三丁目交差点を右に曲がった。

 対向車線で信号待ちをしている日産シルビアの運転席の顔に見覚えがあった。小学校、中学校と同級生だった斉藤だ。斉藤も俺に気づいたのか、ハンドルを握っていた片方の手を軽く上に挙げた。俺も斉藤の行動に合わせるようにハンドルを握っていた片方の手を窓の外に出して親指を立てた。俺の行動に斉藤は笑顔で答えた。

 斉藤の隣には髪の長い生命体が、小さな体をバケットシートにめり込ませていた。

「斉藤の彼女、かわいいな。ロスインディオス&シルビアのシルビアに似ているな」

 俺はサイドミラーに写った日産シルビアの四角いブレーキランプを確認しながら、桜木町へいそいだ。

 大宮駅の西口に広がる桜木町はその姿を変えていた。駅舎は俺が子供のころは山間(やまあい)の無人駅を想像させる小さな駅舎だったが、今は新幹線の停車駅にふさわしい、高層階の駅舎に姿を変えていた。

 どぶ川の上に汚い飲食店が何十軒も連ねていた場所には、ダイエーと丸井が入居する大きな施設が新幹線のホームよりも高くそびえ立っている。

 西口と東口を結んでいた地下道は閉鎖されて、駅のコンコースを東西に(つらぬ)かせることでその役目を引き継がせた。

 西口に貫かれたコンコースの出口にはデッキが南北に延びて、北へ延びた橋の先にはDOMと書かれた巨大な商業施設がある。

 DOMの名前の由来がダイエー、大宮、丸井の頭文字を取ったことはよく知られているが、この名前は公募で決まり、応募者の飼い犬がDOMと言う名前だったことはあまり知られていない。

 桜木小学校と商工会館の跡地には高層ビルが建ち、最上階が一時間で一周するレストランは密かなデートスポットになっていた。

 明るい未来へ向けて、都心のベッドタウンが進化しはじめている。

 俺は目的地である桜木町の新築ビルの工事現場詰め所に段ボールを三箱納品してトラックへ戻った。

「あっ、電話」

 俺はトラックの運転席から公衆電話を探したが、残念ながら発見することはできなかった。

「まっ、いいか」

 俺はたいして気にすることではないと、トラックのエンジンを掛けて、戸田の倉庫へ向けて走り出した。



つづく

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