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 第三京浜を三ツ沢で降りた俺は、目的地である一戸建て住宅の建築現場へトラックを走らせた。

目的地へは容易に到着できた。片側二車線の広い通りから、住宅地へ入る狭い道を五十メートルほど進んだ左側に、有名デザイナーが設計したと推測できる地下一階、地上二階建てのハイセンスな家が見えた。俺はハイセンスな家の前でトラックを止めて、サイドブレーキを掛けた。

「配達先は………横浜(よこはま)邸。横浜の横浜邸か」

 俺は伝票で個人名を確認して、玄関隣のフェンスの前に建てられた看板で建築依頼主を確認した。

「横浜琢郎。よし、この依頼主で間違いはない」

 俺は伝票を左胸のポケットに折りたたんでしまった。トラックのエンジンは掛けたままで、運転席から降りて、荷台に掛けられたシートをはずした。

昨日の夜に、にわか雨でも降ったのだろう。シートをはずすときに凹みに貯まっていた水が俺の手に掛かった。生温かい水は俺の手でクッションすると、アスファルトへ落とされた。俺は「よくあること」と気にもとめないで、シートの隙間から百科事典サイズほどの段ボール箱を一つ取り出した。

「品番Aの二十五。水道蛇口が一つ。以上」

 俺は段ボールに書かれた品番と伝票に書かれた品番を確認して、シートの隅に取り付けられたタイヤチューブのようなゴムを思いっきり引っぱり、荷台下の突起物に引っかけた。

「こんなもの一つのために埼玉から横浜までか」

 俺は段ボールと伝票を手にインターホンを押した。


 伝票にサインをもらい商品は依頼者の工事業者へ渡した。俺は「ありがとうございました」と頭を下げて、トラックへ戻った。

 トラックへ戻った俺は日報を記入した。出発地と時間を記入した後に、到着地と時間を記入するため、左腕に巻かれた時計へ目をおとした。

「九時十五分か。ちょっと早いな。海でも見ていくか」

 俺は書き終えた日報を助手席のシート上へ投げて、サイドブレーキを下げた。

埼玉県民ならほとんどの人がそうだと思うが海は特別な場所だ。海水浴場だろうと、港だろうが潮の臭いと独特の湿気は気持ちを和らげてくれる。例え泳げない人であろうと、その感情は同じはずだ。


 渋滞した道を三十分走ると、山下公園へ到着した。俺はパーキングメーター式の有料駐車スペースへトラックを駐めると、山下公園の入口に埋められた鉄柱をまたいだ。鉄柱と植え込みの先には空を飛ぶカモメが見える。

 運送会社のいいところは、仕事場に上司の目がないところだ。したがって、勝手に休憩時間もつくれるし、休憩時間をどこで過ごそうが自由だ。二十歳を迎えたばかりの俺にしてみれば、天国のような職場だ。

「中距離もこれがあるから、やりがいがわく」

 俺は氷川丸を右手に見ながら、汐の香りを思い切り吸い込んだ。八月の生温かい空気が鼻腔から肺の奥に入り込んできた。俺は両手に作った拳を天高く突き上げて伸びをした。

「んっ~ん~ん」

 俺の声がおかしかったのか、後ろから人の視線を感じた。俺は首だけひねって、視線の主を確認した。俺の視線の先には大学生くらいのアベックが、セーラーズのポロシャツをペアルックで着こなしながら、手をつないで歩いている。胸には有名漫才師の息子が描いたキャラクターがにこやかに笑っている。

「女は、明菜に似ていてかわいいな」

 俺は、小さな声でつぶやいた。

 八月ということもあり、周囲には若い男女が多かった。その多くがおしゃれな()で立ちで自分を着飾っている。

「やっぱ、横浜はおしゃれな人が多いな」

 俺は、埼玉県の自分が住む大宮市の駅前や大宮公園を想像してみた。この山下公園を歩く人達がフランス人モデルならば、大宮駅前を歩く人達は、おニャン子クラブかな?と勝手に比較してみた。

「やっぱ、埼玉は田舎だな」

 俺は横浜が好きだ。ハマトラファッションや、やんちゃな雰囲気が漂うこの街が好きだ。佐野元春のバックトーザストリートのジャケット写真として使用された、煉瓦(れんが)の建物があるこの横浜が好きだ。住んだことはないけれど。(笑)

俺はもう一度大きく背伸びをして、空を見上げた。カモメが一羽、俺の視界を東から西へ通り過ぎていった。俺は空に突き立てた腕をおろして、左側の腕だけ自分の顔の前に折り曲げた。

「聖子のセイコーが出発時間をお知らせいたします」

 時間を確認した俺は、少しだけ高い声を出した。かかとをつぶしたコンバースシューズがペタペタと音をたてながら、山下公園を後にした。


 俺のトラックは第三京浜を東京インターチェンジでおりて、環状八号線を蒲田方面へ進んだ。そして、最初の大きな交差点である目黒通りを左に曲がり、次の配達予定地代官山を目指した。

 目黒通りは渋滞していた。環状七号線まであと数キロというところまで来ているのだが、なかなか前に進まない。俺は、カーラジオのスイッチを切った。渋滞をしていたし、電波状況がよくなかったのか、雑音がひどかったからだ。全開に開かれた運転席側の窓から蒸し暑い風が入ってくる。時間は十一時三十分。もう少しで、一日のうちで一番暑い時間帯に突入する。

「自由ヶ丘か」

 俺は渋滞する乗用車の屋根越しに、青地の道路案内看板に書かれた文字を読んだ。次の信号を右へ曲がると自由ヶ丘と書かれている。

「自由ヶ丘と大宮プラザ、どっちがおしゃれなんだろうか?」

 俺は自分の頭の中に唯一あるおしゃれな街並み、大宮プラザを思い出した。ミスDJの女子大生が住んでいた街だ。自由ヶ丘は最近、テレビでおしゃれな街と紹介されていた。

「やっぱ、東京だから自由ヶ丘のほうがおしゃれなんだろうな」

 俺はハンドルに肘をついて、自分の顎を手のひらで支えた。俺が吐く小さな溜め息は、渋滞した乗用車の屋根から浮かび上がる陽炎(かげろう)に消されていった。


 代官山に到着したとき、聖子のセイコーは十二時五分をさしていた。工事現場で作業をする職人の姿は見あたらない。

「みんな、メシか?」

 俺は独り言をつぶやいて、現場事務所と書かれた看板が掛けられた二階建てプレハブの階段を登っていった。

 階段に片足ずつ体重をおとすと、ミシミシとプレハブ全体がきしむ。俺は最上階の踊り場まであがると、左手でサッシ制のドアを横にスライドさせた。二階の室内からクーラーの冷気が、汗でぬかるんだ俺の作業着に(おお)(かぶ)さってきた。夏の風呂上がりに冷蔵庫を開けた時の感覚に似ている。

「あのー、マツシマ建材ですけれど、注文の便器と水洗タンク持ってきたんですけれど」

 俺は、室内で弁当を食べていた現場監督らしき男へ声を掛けた。男は俺の便器という言葉にむせた後にお茶をすすった。

「ごめん。この時間、職人は昼飯なんだ。このプレハブの一階に入れておいてもらえないか」

 現場監督らしき男は、自分の席から立とうとはせずに、下の階を指さした。俺は「チッ」と小さく舌打ちをして、階段を下りていった。

 七階建てのワンルームマンション。総戸数三十五戸。つまり三十五の便器とタンクをトラックからプレハブ一階の部屋へ一人でおろさなければならなかった。

職人が昼食から帰ってくることを待っていては、時間がもったいない。二十歳の経験値しか持ち合わせていない俺は「自分で運んだほうが早いな」と考えて、八月の炎天下の中、黙々と便器と水洗タンクをプレハブ一階へ移動させた。

 片道三十メートル。往復六十メートルを七十往復。

 

 三十五セットの便器と水洗タンクが無くなったトラックの荷台は広かった。俺は聖子のセイコーで時間を確認した。十二時五十五分。工事現場に職人達の姿が少し戻りだした時間だ。

 俺は、プレハブ二階への階段をふらつく足で登った。

「済みません。終わりました。サインお願いします」

 俺はサッシのドアを開けながら、口を開いた。喉が渇き、昼食も済ませてはいない訳なので、声は微かに声帯を震わせている程度だ。

「サインじゃなくて、検品が先だろう」

 弁当を食べていた現場監督らしき男が、俺の右手から伝票をむしり取って、階段を下りていく。「チッ」俺は舌打ちをして、男の後に続いた。

 便器と水洗タンク三十五セット。間違いなくプレハブ一階に積まれていることを男は確認した。伝票にサインをして、二枚目を俺の顔の前につきだして、不機嫌そうに口を開いた。

「あのな、こういうものは入口から遠いところから積んでいくものだ。こんなに入り口に近くちゃ、奥のものが取り出せないじゃないか」

 プレハブ一階の部屋には、浴室で使用する鏡やシャワーのホースがくるまれた段ボール箱が三十五戸分積まれている。俺は三十五戸分の段ボールたちとの間に空間を残して、出入り口に近いところに便器と水洗タンクを三十五セット積み上げていたのだ。

 俺の行動を説明するのならば、すぐに室内へ運ぶのだろうから、出しやすいところがいいだろうという親切心からである。

「いや、あの」

 理由を説明するため口を開こうとしたが、汗で水分と体力が奪われたこの状況では、うまく口が回らない。

 男は吐き捨てるように言った。

「はい、お疲れさん」

 男は軽く手を挙げて、昼食休憩から戻ってきた職人に声を掛けた。

「おい、この荷物、移動させるの手伝ってくれ。このにーちゃんのヘマで、入口がふさがって大変なんだ」

 男の声に反応した職人が、プレハブ一階奥の方へ、便器と水洗タンクの移動を始めた。「チッ」俺は舌打ちをして、自分のトラックの方向へ歩き出した。

「君ね、チッて舌打ちするのやめな」

 男の声が俺の背中に響いたが、俺は無視をした。



つづく

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