月夜のようなもの・七 或いはたいせつなこと
その後リツたちはあやかし達の根城に戻り、なんやかんやありながらも逃げた一体を塵に帰したことを長たちに報告した。
「……状況は把握した。こちらも奇妙な衣を着た娘が急に現れてお前たちの居場所を聞いてまた忽然と姿を消したり、神野金枝が急に現れてお前たちが転職したがってると告げて姿を消したりで色々と混乱してはいるが、今はひとまず体を休めなさい」
苦々しい表情で告げられた言葉に従い二人は本部に設けられた控室へと戻っていた。
「さてと、しらべクシャミは治ったかな?」
火桶を挟んだ向かい側でセツが軽く首をかしげる。
「はい。湯浴みができたおかげで身体も温まりましたし、先ほど薬もいただきましたから」
「それならなによりだよ。じゃあ本題に入ってもいいかな?」
「ええ。退治人を辞めることになっても後悔はしないか、ということですよね?」
「うん。その辺も含めて色々と話しておこうかと」
温められ揺らぐ空気のなかに複雑な表情が浮かんだ。
「……正直に話すとね、兄様にした助言、半分くらいは本心だったんだよ」
「……薄々そんな気は」
「そっか。バレてたか。言い訳をさせてもらうとしらべを危険から遠ざけたかったからなんだけど」
「その辺も薄々は」
「あはは、よくある話だもんね。でもさ、あの兄様に強くあたられてもずっと退治人でありつづけて凄まじい成果を残してきたわけだから、やっぱりこの仕事にそれなりの矜持を持ってるんだなっておもったんだ」
「それは、まあ」
答えながら第七支部に異動したばかりの頃に思いを馳せる。
「たしかに、あの時分は自分のしてきたことが報われない憤りを強く覚えてましたね」
「それはそうだよね。だからしらべの実力と矜持を尊重して、退治人は続けてもらいながらも私の指揮下で適度な難易度の任務をお願いしようとしてたんだ……、私の助言で君を傷つけてしまっていたことへの贖罪もかねて」
「……」
思い返してみれば本部にいた頃は、成功した任務にも難癖をつけられたり、自分よりも明らかに実力の劣る者をこれ見よがしに褒められたり、憤りを越して怒りを覚えることばかりだった。過剰に褒められはせずとも少なくとも正当な評価を得たいと思ったいた。
はずだ。
「……たしかに退治人という生業に対してそれなりに矜持だとか未練だとかがあったのは事実です」
「やっぱり、そうだよね」
「でもそれも、ずっと昔のことですから」
「……え?」
熱された空気越しに戸惑いの表情が浮かぶ。
「だいたい、花埜律が本部にいた頃なんて何年前の話だと思ってるんですか?」
「何年前って、今から数えたらまだ一年も経ってな……あ、そうか」
「そうですよ。私たちは気の遠くなるような時間を経てその今に帰ってきたわけなんですよ」
「それはそうだね」
「ええ。ですから」
「!?」
リツは手を伸ばし火桶で暖を取っていたセツの手を軽く握った。その甲は多少の傷跡はあるものの白く滑らかなままだ。
「その間に仕事を評価されることより大事なことが見つかったとしても、なんらおかしくはないですよね」
「あはは! まったくそのとおりだよ!」
「!?」
握った手がそのまま顔まで移動し右目の下を軽く撫でる。
「……少し濁ってしまったけれど、瞳の色は綺麗な黒のままだ。今度はずっとこの目を見ていられる」
「……やっぱり気にしていたんですか? 私があやかしに転生していたこと」
「それはまあ、あのころは色々ありすぎて病む病まないの次元じゃなかったから、ね。ワンチャン退治できたら今度はしらべのまま戻ってきてくれるんじゃないか、なんて思って体に常時毒を仕込んでたくらいだし」
「なにそれ、初耳なんですけど?」
「……あ」
揺らぐ空気の向こうに色白の顔から更に血の気が引いていくのが見えた。
「あー、えーと、言ってなかった……かな?」
「ええ、まったく」
「えーと、ほら、じゃあ、実は薄々気づいてたりとか……しなかった?」
「それもまったく」
「えーと、なんというか、えーと、その……ごめん」
いつになくしどろもどろになる姿に言いようのない脱力感が襲ってくる。それと同時に。
「……もう、笑わなくたっていいじゃないか」
「あはは、ごめんなさい。でも、いっそのこともう笑い話にでもしたほうがいいかと思って」
「それもそうか」
「そうですよ。私だって意識不明の重傷を負って帰ってきた雪也様を見て食欲が抑えられずに、ちょっとだけ齧っちゃったこともありますし」
「え? それ初耳なんだけど?」
「でしょうね。墓場まで持っていった秘密でしたから」
「もう! そういうのはやめてよね!! 任務だとものすごく厄介な毒とか仕込んでたこともあったんだから!!」
「私的な理由で本部長暗殺未遂してた人にそんな注意されたくありませんー」
なんとも言えない言い争いが始まり、部屋のなかには一気にワチャワチャとした空気が押し寄せた。
それでも。
「……今回はこんな感じの空気でずっと過ごしていくのも悪なくないですよね?」
「……ああ、本当にそうだね」
至極穏やかな声が部屋のなかに響く。
空には欠けたところがまったくない月がずっとずっと輝いていた。




