月夜のようなもの・六 或いはあざとい顔とか可愛いクシャミとか
「それじゃオレはねーちゃん達の転職について話を進める方向で動いとくけど、他の二人にもそれでいいのかは一応確認しとけよ」
「かしこまりました。色々とありがとうございました」
「ワハハハ! いいってことよ! じゃあまたなー!」
楽しげな声とともに金枝は月明かりに溶けるように姿を消した。完全に気配が消えたところでリツは深々と下げていた頭を上げる。その隣ではセツがやはり複雑な表情を浮かべていた。
「行ってしまったね」
「ええ、そうですね」
「それでさ、さっきのお願いごとなんだけど──」
「いやはや! 転職の話が上手くまとまってよかったですな!!」
複雑な表情の原因となる話は深雪の声に遮られる。
「これでお姉ちゃんたちも心置きなく帰れますぞ!! ね、ダーリン!」
「う、うん。そうだね」
一方のジクはそこそこ深刻な会話を遮ってしまった申し訳なさからか、苦笑しながら軽く手を合わせて会釈した。
「姉様たちもありがとうございました」
「なんのなんの!! 可愛い弟と義妹のためならどうってことないですぞ!!」
「義妹の変な読みかたについてはツッコミませんからね」
「えー、これが最初で最後の姉弟の顔合わせだというのに雪也ってば冷たいですなー。まあ何にせよ……リッちゃんと幸せにね」
「……はい」
「うむ! 良い返事ですぞ!! では、お姉ちゃん達はこれにて!!」
高らかな声とともにステッキが掲げられ、すぐさま骸骨の浮き彫りが施された白い扉が現れる。
「リッちゃんも達者で暮らすのですぞ!!」
「ありがとうございます。お義姉さまもどうかお元気で」
「ありがとうですぞ!! それでは!」
真鍮のノブが回され扉が軋みながら少しずつ開いていく。その先では色とりどりの光が渦を巻いていた。若干、眩しすぎるようにも思えるが禍々しさは感じない。
「それじゃあ、僕もこれで」
「ええ、ジクも元気で」
「はい。リツ副班長たちもどうかお元気で」
一礼するとジクも踵を返し扉に向かっていく。
「……ジク」
その後ろ姿にセツが神妙な面持ちで声をかけた。
「……うん。どうしたの? セツ」
歩みは止まったがその顔は扉へ向いたままだ。
「今度こそ、幸せにな」
「うん、ありがとう。セツも幸せにね。じゃあ……、さようなら」
「……ああ。さよなら」
後ろ姿はやはり振り返ることなく光の渦へ消え、重い扉はおもむろに閉ざされた。そしてしばしの間を置きその扉も月明かりのなかに溶けるように消えていった。
「……行っちゃったな」
セツの目はまだ二人が消えていった辺りに向けられている。その視線に胸がかすかにざわつく。
「……よかったんですか? もっと話をしておかなくて」
ざわつきは白々しい問いとなってこぼれた。
「まあ、全然名残惜しくないって言ったら流石に嘘になるかな。それなりに情も湧いてた相手だったわけだし」
「そうですか」
いつになく正直な答えに息が詰まる。
「それでもジクとは気が遠くなるほど長い間一緒にいたわけだから。もう、あれくらいしか言うべきことは残ってなかったとも思うよ」
「そうですか」
「そうそう。アイツだって本当に愛してた相手と一緒になれたわけだし」
「そう、ですか」
「うん。それに……、私だってそれは同じだから」
「……そう、ですね」
問いを受け、詰まっていた呼吸は楽になった。
離れていた時が計り知れないほど永かったことは事実だ。それでも、これから先は──
「そうそう。ということで、これから先のことについて一度意見の擦り合わせをしておきたいなー、なんて思うんだけど?」
──という感傷的な気分は首を傾げたあざとい表情にかき消された。
リツはなんとも言えない脱力を感じながらも小さく頷いた。話題の内容はおおよそ見当がついている。
「ええ、構いませんよ。神野殿にお願いした転職の件ですよね?」
「うん、そうそう。さっきも聞いたけど、本当にそれでよかったの?」
「ええ。まさか雪也さまは退治人を続けたかったのですか?」
「そんな訳ないことはしらべもよく知ってるだろう?」
「ですよね。なら、やはり問題はないじゃないですか」
「それはさー、私としてはそうなんだけどさー……、今知りたいのはしらべの気持ちなんだよね」
どこか軽さのある表情が一瞬にして真剣なものへと変化した。
その表情を前に話をはぐらかす気もはぐらかす必要も──
「はい。きっと第七支部に来たばかりの頃な……ヘチッ!!」
「……なにその可愛いくしゃみ」
──なかったのだが、不意に飛び出たくしゃみが話の腰を粉砕骨折させた。
「すみま……ヘチッ、すぐに止……ヘチッ、ヘッチ」
何とか止めようとすればするほど鼻はむずつき気の抜けた音が止まらなくなる。そんななかセツの表情が俄かに緩み肩が微かに震えだした。
「ふふっ」
「笑わないでくだ……ヘチッ」
「ごめんごめん。今日は結構冷えるから積もる話は屋内に入ってからにしようか」
「すみま……ヘッチ」
「ううん、気にしないで。ふふっ、私としてはそのクシャミがツボに入ったから、もう少し聞いてたいところではあるけど、ふふふっ」
「……ヘチっ!」
「あはは、ごめんってば。小突かないで。ともかく暖かい場所に移動しようか」
「ヘチッ」
リツはクシャミをしながら軽く頷く。
かくして二人はワチャワチャしながらも、他の面々たちのもとへ戻っていくのだった。




