月夜のようなもの・一
月明かりの下、リツは赤銅色の髪と濁った金色の瞳をもつあやかしの少年と対峙していた。
「立場上確認しておかないといけないのですが、こちらに危害を加えにきたというわけではないのですよね?」
「はい。本部長のほうこそ僕を退治しにきたわけじゃありませんよね?」
「ええ。貴方についての被害報告だの退治依頼だのはきていませんから」
「よかった。本部長と闘うのはちょっと遠慮したいですし」
「何を言うんですか。本部長と部下だったころならともかく、今の私が今の貴方と戦ったところでとうてい勝てないのはよく知っているはずでしょう?」
「あはは、それもそうですね」
「そうです。あと、今は本部長ではなく副班長なので」
「それは失礼しました」
「いえ。それで貴方のことはなんと呼べば?」
「そうですね……」
濁った金色の目が虚空に向き、血に染まった指が口元に添えられる。
「……なんか偶然にも未来での名前と元の名前の発音がそこそこ似てたんで、ジクと呼んでもらえればいいですよ。今もその名で暮らしてますし」
「そうですか。ならそのように」
「はい。えーと、本部長じゃなくて副班長のことはなんて呼びましょうか? 真名のことは一応なんとなくは知っていますが、この時代ではそう気安く呼んではいけないって聞いてますし」
「あー、その辺はあまり気にしなくてもいいですが、ひとまず退治人名はリツと名乗っていますね」
「了解です。じゃあリツ副班長、最初にひとつ聞いておきたいんですが」
不意に幼い顔にそぐわない神妙な表情が浮かび、リツは思わず身構えた。しかし、殺気までは感じられない。
戸惑いながら見つめるなか、ジクがおもむろに首をかしげる。
そして──
「その目、痛くないんですか?」
「めちゃくちゃ痛いに決まってるじゃないですか」
──鋭い牙の覗く口から至極真っ当な心配をこぼした。
張り詰めたかんじになりそうだった空気に脱力感が満ちていく。
「ですよね。ひとまず傷を診せてもらえますか? ある程度なら処置できるかもしれないんで」
「ありがとうございます」
膝をかがめると欠けた視界側の頬に柔らかな手のひらが触れた。途端に目の前の表情は曇っていく。
「これだと……、ちょっと完全に視力を戻すのは無理ですね」
「そうですか」
「ひとまず、傷を塞いで痛みを和らげることぐらいならできますが」
「なら、それでお願いします」
「了解です。では、失礼して」
温かな感触が緩やかに上へと移動し、痛みを発し続ける場所で止まった。その直後、傷から全身を突き抜けるような鋭い痛みが走った。
「ぐっ……」
「少しだけ我慢してくださいね」
「……っ」
無傷な側の目を瞑りあやすような声に頷く。脈打つような痛みが続くなか、幼い声が何か呪文のようなものを呟くのが聞こえた。その声に合わせるように痛みは徐々に遠ざかっていく。
完全に痛みが引くと、触れていた手が離れていった。
「はい。もう大丈夫ですよ」
「……」
目蓋は自然と開いていく。
まず目に入ったのは月明かりに照らされた苦笑い。
その半分が明らかに濁っている。
「具合はどうですか?」
「ひとまず、痛みは完全になくなりました」
「なら何より。でもその言いかただと、やっぱり視力は完全に戻らなかったみたいですね……ごめんなさい」
「……」
悲しげな表情が深々と頭を下げる。
目の前に居るのは、本来ならば愛する者を蹂躙し呪いをかけた相手。
しかし、今そんなことは起きていない。
それに、これから起きることもない。
今目の前に居るのは、悲しそうな顔をしたただのあやかしの子供。
自然と赤銅色の髪に手が伸びていた。
「……!」
「べつに謝ることではないですよ。むしろめちゃくちゃ痛いのを治してくれて、ありがとうございました。ジクはいい子ですね」
「……いえ」
ジクの表情に安堵の色が浮かぶ。
こうしていると本当にただの子供のようだ。そんな感傷に浸ろうとした、そのとき。
「っくそ!!」
血を吐き倒れていたあやかしが勢いよく起き上がり、脱兎の如く走り出した。
「……あ」
「……あ」
当然、二人同時に気の抜けた声がこぼれる。
「っ、ごめんなさいリツ副班長!! もろもろの説明とかはあとでしますんで、ひとまずアイツを!!」
「ええ!! こちらも聞きたいことが山ほどありますからまずは追いましょう!!」
焦りながらも二人は遠ざかる背中を追いかけようとした。
まさにそのとき!!
「──落ちよ霆」
ピシャリ
「ぎゃあぁぁあぁ!?」
月が輝く夜空から稲妻が走り、逃げるあやかしに直撃した。
「……はい?」
煙をあげながら塵に変わっていくあやかしを遠目に、リツの口からまた気の抜けた声がこぼれる。
「……あー」
一方のジクは気の抜けた声をこぼしながらも、どこか納得したような表情を浮かべている。
「こらこらお二人とも!!」
そんな二人の後ろから、軽やかな足音ともにどこか人をからかうような声が響いた。
「標的にとどめを指す前にお喋りにかまけるとは!! 退治人としてどうかと思いますぞ!!」
つい最近目にした記憶のある口調にリツはおもむろに振り返る。
するとそこには、銀色の長い髪をポニーテールに束ね燕尾服を着た女性がステッキを片手に立っていた。
どう見ても時代にそぐわない格好の人物に視界の濁りなど気にならないほどの脱力感が襲ってくる。
「……まことに申しわけもございません、お義姉さま」
「おぉ、さすがは私の義妹!! 正体にもう気づきましたか!! お義姉ちゃんってば、サプライズ失敗ですぞ!! ね、ダーリン!!」
「あ、うん。とりあえず一旦は落ち着いてもらえるかな。色々と順を追って説明したいから」
月が煌々と照る下にはなんともワチャワチャした空気が押し寄せたのだった。




