今度こそまとめみたいな
色々ありながらも、第七支部の面々は夜を明かして膨大な数の調書やら報告書やらをまとめあげた。
その数日後。
「ということで、さっき届いた本部からの文にこちらの提案が通ったことが書いてあったわ」
「そうですか」
「……今日中に相手先へ向かってもらうことになるのだけど、準備は大丈夫?」
「……ええ、問題ありません」
朝日が差し込む部屋、リツと奏はどこか気まずそうに向かい合って座っていた。他の面々の姿はない。
「義兄様たちはいらっしゃらないのですか?」
「ええ。セツ班長からは、しばらくは会えなくなるだろうから二人でゆっくり話すといい、って言われてるわ」
「ふぅん、義兄様でも多少は気を遣えるのですね」
「こらこら、そんな言い方をしないの」
「はーい」
返事をしながらも頬を膨らませるさまに幼い頃の姿が重なる。無邪気に後ろをついて回っていた頃の姿が。
「……本当は姉様のお側でお役に立ちたかったのですが」
「……なら、今からでも第七支部の手伝いをするようにセツ班長と本部に話をしましょうか?」
妹と離れることに寂しさを覚えていないわけではない。
「いえ、それには及びません。私は姉様の邪魔をしたいわけではないのですから。姉様が幸せならこれ以上ここに居座るわけにはいきません」
「……そう」
毅然とした声に胸が締め付けられた。ここで引き留めてもお互いのためにはならないのだろう。
「ええ。それに、義兄様への誤解も一応は解けましたし」
「誤解?」
意外な言葉にリツは我に返った。
「……はい。ライ様への嫌がらせのためだけに何とも思ってもいない姉様と結婚したのかと」
「あー、それで」
思わず気の抜けた声がこぼれた。
なんとなくいけ好かないからいがみあっているのだと思っていたが、気に入らなかった明確な理由はあったようだ。
「ライ班長への嫌がらせ的な面も強かった、というのは否定できないかもしれないわね。往々にしてろくでもない方ではあるから」
「ふふふ。姉様がそんな風に言えるってことは、ちゃんとした信頼関係を築けている証拠ですよ」
「まあ、それはそうね」
「ええ。嫌がらせや当てつけのためだけに結婚したのなら、いざと言うときに姉様を切り捨てて逃げるなんてこともあり得る。そう思ったので、姉様を守れるほど強くなろうとしたのですが」
「……」
自分を捨てて一人で逃げる。むしろそうして欲しいと心から望んだこともあった。
「……そんなことは絶対にしてくれない方よ」
「……そう、なのでしょうね」
奏が深く息を吐く。
「そしてきっと、姉様も義兄様を切り捨ててご自分だけ逃げたりはしない」
「……」
否定はできなかった。
もしもこのまま解決策が浮かばないなら今度こそは、そんな思いが完全に消えたわけではない──
「な・の・で!! そんな馬鹿馬鹿しい状況にならないように、私は私で今回とは別方向からできることをさせてもらいます!!」
「……え?」
──などという感傷的な考えは得意げな表情と声に打ち消された。
「えーと、奏?」
「私これからあやかしの長……えーと、神野様でしたよね。その方のところへ行くことになるのでしょう?」
「え、ええ。そうね」
あやかしを使役する力とあやかしによって人より高くなった身体能力。そんな力を持つ者が本部のある都に戻れば、よくて強制的に実戦部隊へ入れられるか悪ければ実験体として扱われることになるのは目に見えている。
そんな事態を避けるため、金枝たちのもとへあやかしへの理解を深めるための留学という名目で奏を預けることを提案した。金枝側は快くそれを受け入れ、本部からも若干の苦言はあったが了承を得た。あやかしの長との縁ができるという利点は結社にとっても大きいのだろう。
「それなら神野様に実力を示し、姉様たちが危険な目にあいそうな場合は問答無用で力をかしていただけるような存在になってみせます!!」
「うん、まあ、それは頼もしいんだけど、間違っても神野様たちに武術的な勝負を挑んだりしないで頂戴ね」
「分かりました! では、他の面で神野様に実力を示してみせます!!」
「……そう」
光り輝く目を前にしてリツは言いようのない脱力を覚えた。つい最近変な方向に突っ走り過ぎてあやかしを操る力に目覚めたあげく下手をすればあやかしに転じてしまう事態になったばかりなのに、どうしてまたややこしくなりそうな方向に突っ走ろうとするのか。そんな思いが頭を埋め尽くしていく。
ただし、何としても避けなければいけない惨劇が迫っていることも事実だ。
それならば。
「……奏、神野殿に認めていただけるよう頑張るのはいいのだけど、その前に一つお願いしたいことがあるの」
「はい! 私にできることなら何でも協力いたします!!」
「次の春ちょっと大きな仕事があるかもしれないからそのときは力を貸してほしいかもって、神野殿に伝えててもらえる? くれぐれも穏便に」
あやかしの長といえども自分の管轄外のあやかしと人間の問題には原則として不干渉、というのが不文律になっている。それでも使えるかもしれないつては多いに越したことはない。
「かしこまりました! この身を賭してでもかならず姉様のお願いを聞いていただけるようにいたしますわ!!」
得意げな表情を前に、再び言いようのない脱力感が全身を襲った。
「だから、くれぐれも穏便にって言ってるでしょ!!」
「分かりましたわ!!」
勢のいい返事に本当に分かっているのか不安になる。
「……必ず姉様の幸せを守ってみせますから」
しかし、奏はそんな不安を消し去るような真剣な表情を浮かべた。嘘偽りは微塵も感じられない。
「……ありがとうね」
「ふふ、構いませんよ。大好きな姉様のためですもの」
「そう言ってもらえるのは嬉しいわ。でも、くれぐれももう無茶なことはしないでね。私の幸せには奏が幸せでいてくれることも入っているんだから」
「姉様……」
「神野殿のところでも、どうか元気でね」
「……はい」
部屋は俄かに穏やかな空気に包まれた。
しかし。
「ちょっとハク、襟首を引っ張らないでよ!! 着崩れちゃうでしょ!!」
「断る……。というか……、自分で姉妹だけの時間を持たせてあげたいとか言っておいたくせに……、女装で乱入しようとするなよ……」
「でもさー、ちょっと二人きりの時間が長すぎるし。それにこの完成度だったら義理とはいえ姉妹という括りのなかに入っても問題なくない? メイもそう思うでしょ?」
「今問題になるのは女装の完成度云々の話じゃないと思います。というか、馬鹿なことしてないで早く掃除に取り掛かってくださいよ。今日の当番はセツ班長ですよね?」
「うー、二人のいぢわるー」
外から聞こえるろくでもない会話のおかげで、一気にワチャワチャとした空気が押し寄せた。
「……姉様」
「……うん。奏、何も言わないでいいわ」
乾いた視線に見守られながらリツはゆっくりと立ち上がる。
「セツ班長!! あまり一般的じゃない方向性で姉妹の間に挟まろうとしないでください!!」
「ごめんなさい」
爽やかな朝の光のなかに叱責の声が響き渡る。
かくして、リツの心残りの一つはなんとか解消されたのだった。




