採用と不採用
リツたち第七支部の面々は、予定どおり気絶せた奏を詰所のなかに運び込み部屋の床に横たえると身体に巣食ったあやかしの除去へ取り掛かった。
「それじゃあ、始めますよ」
静かに上下する胸のうえに札を起き祭文を唱えだす。その表情に迷いや自信のなさは一切感じられない。
「なんかさ、部下が自分の力を信じられるようになってくれてたのはいいけど、ちょっと淋しくもあるよね。前の感じも仔犬みたいで味わい深かったし」
「まあ……、今は仔犬というよりも……、なんかキリッとした狆みたいだしな……。先輩としては……、頼もしくなって嬉しくはあるけど……」
「たしかに、今は仔犬というよりしっかりした小型犬的な感じがありますね」
セツとハクに同意をしていると、祭文を唱える表情にあからさまな憤りが見えた。
「……三人とも。少し黙っててください」
「あはは、ごめんごめん」
「悪かった……」
「すみませんでした」
「まったく」
小言をこぼす姿にやはりなんらかの小型犬の姿が重なる。そんなことを考えているうちに祭文が全て唱えられた。
「……急急如律令、宿主を傷つけずにその身体から這い出せ」
部屋のなかにどこか冷たい声が響く。その直後、奏の唇が微かに震え出した。一瞬にしてあたりの空気が張りつめ、鋭いし視線が口元に集中する。
そんななか唇が押し開かれ──
「……っ助けてくださってあ゛りがとぉござい゛ま゛す゛ぅぅぅうぅ!!!」
──小さな髑髏と芋虫を雑に組み合わせたような見た目のあやかしが飛び出した。
「もうあ゛の゛まま゛取り殺されるのをま゛つばかり゛かとぉぉ!!」
濁った金色の光がやどる眼窩の奥からは涙がとめどなく溢れている。
当然、あたりの空気は一気にワチャワチャとしだした。
「うんうん。使役者があの義妹だったわけだから君もかなりいびり倒されたり、無茶苦茶なことをふられたりしたんだろうね」
「セツ班長人の妹をなんだと思っているんですか──と、言いたいところではあったんですけどね。はははっ」
「あー……、副班長……。そんなに自暴自棄な笑みをしなくても……、その……、ほら……、あやかしに屈しない……、強い心をもっているのは……、素晴らしいんじゃないか……?」
「えと、それに使役する術を使うにはあかしを恐れないことが必須ですからね。それどころかここまで恐れられてるんですから、術者としてはこのうえなく素晴らしいことかと」
一同は方々に脱力する。そんななか、あやかしが口元が這い下りメイの傍で髑髏を床に擦り付けた。
「ご主人様。この御恩は必ずや返します」
「あー、そうですか。ならリツ副班長、なにか聞いておきたいことはありますか?」
「……そうですね」
リツは乾いた笑いから我に返り、奏へ視線を向ける。横たわる身体はまだ人間にしか見えない。
「妹の身体をどのくらい作り替えたのですか?」
「あ、ああ、貴女がこの方のおっしゃっていた姉様でしたか。いやはや、お話どおりとても凛々しくて美し」
「今そういうのいらないんで、質問にだけ答えてください」
「も、もうしわけない!! えーと、まず頭の中は何も弄れなかった……あ、いえ、弄っておりません。なので、思考やら嗜好やらは本人のままで」
「それはもう分かっています。だから身体のほうはどうかと聞いているのです」
「ひっ、もうしわけございません! そのまだ寄せ……いえ、協力関係を築いて日が浅いので、身体能力を少し上げた程度です」
「それは爪や歯で人を切り裂くことができる程度に?」
「い、いえとんでもない! いずれはそう使いたかったのですが……ではなく!! 他の者より素早く動けたり、高く飛び上がれたり、重いものを持ち上げられる程度ですよ!!」
「そうですか」
自然と安堵のため息がこぼれた。この様子なら、間違いなくまだ人を傷つけてはいない。
「ふーん、なら青雲としては義妹を処分する謂れはいか。ただ、本部に知られたら報告書が面倒そうだから、うちで面倒を見ちゃったほうが楽かな。ものすごく不本意だけど」
「まあ……、人より身体能力が高いなら……、実戦に出すわけにはいかないが……詰所の管理とかをお願いすればいいんじゃないかな……。薪割りとか水汲みとか……、目殿のとこへのお使いとか……、体力と筋力があるにこしたことはないし……」
セツとハクもいつものように気の抜けた会話をしている。妹を手にかけなくてはならない理由はもうない。あとは。
「リツ副班長、もうよろしいでしょうか?」
「ええ、充分です」
「ならよかったです。では予定どおり後はこちらで」
メイは微笑みながらあやかしをつまみあげると、袂から再び札を取り出した。つままれた髑髏の奥で濁った金色の目が鈍く輝く。
「ご主人様!! 誠心誠意尽くしますのでどうぞよろし──」
「ベトベトサンこちらへどうぞ。急急如律令です」
あやかしは忠誠の言葉を口にしようとしたが、馴染みの台詞がそれを遮った。床には籠目に似た紋様が浮かび上がり、中央から馴染みの赤黒い粘液が溢れだす。必要な部分がすべて現れると赤黒い粘液ことベトベトサンは楽しげに波だった。
「ひひっ、ようやくお呼びか!! 待ちくたびれたぜ坊ちゃん!!」
「すみませんベトベトサン。色々と聞いておかないといけないことがあったので」
「ま、それならしょうがねーな。つーか、ようやく猫被りやめたのな!! いやどっちかっていうと猫っつーか犬ってかんじだったけどよ!!」
「やめてくださいよベトベトサンまで。人のことを犬だの猫だの」
「いーじゃねーかよ、ひひっ! ともかく、オレはこっちの坊ちゃんのほうがらしくて好きだぜ!!」
「それはどうも。僕もあなたのことは頼りにしてますよ」
「お! じゃあこの時代だとオレら相思相愛だな!! ひひっ!!」
わりと二人(?)の世界が構築されるなか、髑髏の奥の目があからさまにうろたえる。
「あの、ご、ご主人様? この方はいったい?」
「ともかく、お待たせしてすみませんでした。お口に合うかは分かりませんが」
「あの、口に合うというのは? ご主じ──」
答えを返されることもなく、小さな身体が赤い粘液の中に落とされた。
「ひひっ!! そりゃオレの飯になるってことに決まってんだろ!! だいたいな、身体に入りこんでどうこうなんて役回りはオレで間に合ってるんだよ!!」
「……」
反論や悲鳴を上げることすら叶わず、妹を手にかけることになった元凶が崩れていく。リツはその様をただ無言で見つめていた。
あやかしが崩れていくのにつれ、妹を救えなかった罪悪感も消えていく──
「それにだな!! 憧れのおねーちゃん枠のフクハンチョーを困らせるようなやつを坊ちゃんが赦してやるわけねーだろ!! ひひひっ!!」
「だから!! その件はこの間ひととおりやったから蒸し返さないでくださいって言ったでしょう!!?」
──という感傷すらも消えていった。
「やっぱり……、ベトベトサンにも……、この件でからかわれる流れになるよな……」
「まあ、一回はからかっておきたいよね。それにしても部下を惑わせるだなんて、リツってば魔性の女なんだから!」
「茶化さないでください。というかその台詞、セツ班長にだけは言われたくありません」
ワチャワチャとした空気に包まれながらも、第七支部の面々はあやかしの駆除に成功したのだった。




