月夜・八
「それじゃ、妹君の身に何が起きたのか情報交換といきたいところだけど……、本当に大丈夫?」
橙色の灯りに照らされながらセツが軽く首を傾げた。
先ほどから脈は速まり口のなかには苦いものが絶えず込み上がってくる。
手に蘇るのはあやかし用の刀を突き立てる感触。
大丈夫かと聞かれれば、まったく大丈夫ではないと言わざるを得ない。
「ええ、問題ありません」
それでもリツは首を縦に振った。
「……そう。なら話を続けるけど無理そうなら早めに教えてね」
「かしこまりました」
「じゃあ、まずは私の知ってるこの先起こることから。先に謝っておこうと思うんだけど……」
向かい合った顔に気まずそうな表情が浮かぶ。告げられることの予想はもうついている。
「妹君への文と妹君からの文を私のほうで預かってたのも、もうバレちゃってるんだよね?」
「ええ」
「その点に関しては、本当に申し訳なかった」
「いえ、その謝罪もシミュレーションのほうで受けましたから。ただ今思えば、理由ははぐらかされていた気もしますが」
「あはは。さすがにそれもバレちゃってるよね」
シミひとつない手が軽く頬をかき、薄い唇からは軽いため息がこぼれた。
「本当はね、しらべと妹君は文のやりとりを通じてお互いの状況をそれなりに詳しく知ってたんだ」
「例の新しい婚約者と反りが合わなかった件とかですか?」
「そうそう。あと、反りが合わないからいっそのこと退治人としてこっちに来たいって話も……それこそ、あくた川的な一件の直後くらいに」
「だからといって文を破棄しなくても、妹が危険な仕事につくことを勧めるような返事を私がするとは思えませんが」
「でもさ、書類仕事なら或いはとかは考えつかない?」
「……あ」
シミュレーション中の落とし所が鮮明に蘇る。たしかにその提案をしたのは自分だった。
「ふふ、まあ世間知らずで世の中をなめてる思い上がりも甚だしい娘が無茶を言って本当に退治人になっちゃうよりも、側でそれほど危険がない仕事についていたほうがそれなりに安心だからね」
「……どさくさに紛れて、人の妹のこととてつもなくディスってきますね?」
「っ!? ご、ごめんごめん。ちょっとした愚痴だからあんまり怖い顔しないで、ね?」
「……まあ、雪也さまと妹の反りが合わないのは身をもって知っていますので。今のは不問にいたしましょう」
「あはは、助かるよ。まあ、そんなこんなでさ、妹君が補佐役としてこちらに来るって話が正式にまとまって進んでいっちゃたんだよ。さらに不幸なことに本来なら第七支部は深刻な人手不足に陥ることになるから、話を断る理由がない」
「……そして、妹がここに来るときには」
鈍色に染まった身体。
塵に塗れた脳髄。
脳裏を過ぎる映像にまた苦いものが込み上がる。
「私が知る限りだとここに来た時点ではあやかしの気配はまったく感じられなかったけど……、シミュレーションではどうだった?」
「……同じです」
「そっか……」
「ただ体内のあやかしを退治する薬を頑なに飲まなかったので、すでに」
「……そっか」
苦々しい表情を浮かべセツが深くため息を吐いた。
「情けないことに、私もどの時点で妹君がああなったのか、未だに正確には分かってないないんだ。優れた戦闘センスを持つ身体を探していたあやかしに唆されたってことはなんとか聞き出せたんだけど……。本当に申し訳ない」
「いえ、雪也さまが謝ることではないかと」
「ふふ、ありがとう。だからせめてこちらに来るって話が正式に進まないように、文のやりとりを妨げてたんだよ」
「そう、でしたか」
「うん。本部の近くにいればここよりも色々と適切な対処をできるだろうし……、最悪の事態を避けることはできるだろうから」
きっと本来の流れでも妹は自分の手で塵に帰されたのだろう。いやな感触がまた蘇った。
「でも、シミュレーションではやっぱりこっちにに来ちゃったんだよね?」
「はい。私が見た限りでは──」
込み上がる苦いものを堪えながら、リツは自分が見た妹の顛末を口にしはじめる。向かい合う顔に疲労とも困惑とも取れる表情が浮かんでいく。
「──という次第です」
「……それは、辛かったね」
「はい……、あ。いえ、退治人である以上そういうことも……」
「ほらほら、この期に及んで変な意地を張らないの」
俯くと同時に、体が腕のなかに包まれた。
「……君は、大切な者を手にかけて平気でいられるような人間じゃないんだから」
「……すみません」
もう二度と感じることができないと思っていた愛しい者の温もり。それがたしかにすぐ側に存在している。
「大丈夫。今回は妹君のことも助けるよ。だから安心して、ね?」
「……は、い」
「よしよし」
柔らかな声と背をなでる手に、シミュレーションでは堪えられていた涙がとめどなく溢れていく。リツはその温かさにしばらく身を預けていた。
「でも、どうしようかなぁ……」
嗚咽が落ち着いたころ、セツがどこか気の抜けた声をもらした。
「万が一ここに来ちゃったときのために用意してた薬は飲んでもらえないんだもんね」
「……っは、い」
上擦った声で返事をすると背がまた優しく撫でられた。
「なら別の方法も検討しないとか」
「そう、ですね」
相槌を打ったものの、具体的な方法はまったく浮ばない。それでも、もう時間あまり残されていない。絶望的な状況にまた目頭が熱くなる。
「大丈夫。大丈夫だよ」
震える身体を抱きしめる腕がキツくなった。
「しらべが話してくれたおかげで分かったことも沢山あるんだし……私だって、愛する人を悲劇から救うために、ずっとずっと遠くから戻ってきたんだから」
いつになく真摯な声が部屋のなかに響く。
空には少しも欠けたところのない月が穏やかに輝いていた。




