月夜・七 或いは「え? 私いまなにかしちゃいましたか?」系ヒロインのテンプレみたいな表情
かくしてリツは金枝にヒナギクを渡し、謝礼として咬神の娘にかかった呪いを解くという約束を取り付け、困ったときにはいつでも頼っていいという言葉を受けた。ここまではシミュレーションで見たものと同じだ。
そして、ここから先は。
「では、今後についてのミーティングを始めましょうか」
「もう、しらべってば諸々の記憶が戻ったからって来世のキャラに引っ張られすぎじゃない? あ、そうだ。今夜は久しぶりにそっちがリードして……」
「くだらない発言でいきなり話を脱線させようとしないでください」
「はいはい、ごめんごめん」
蝋燭の灯りが灯る部屋のなか、セツが相変わらず軽薄そうな笑みを浮かべる。今まで見せられていたシミュレーションとの落差に脱力を感じずにはいられなかった。しかし、一歩間違えればまた。
鳩尾のあたりが急激に冷えていく。
「大丈夫だよ。今回はあんなことにならないように色々と動いていたんだから」
不意に目の前の笑みから軽薄さが消え柔らかさを増した。大丈夫などという言葉に何の保証もないとは痛感させられている。
「だから安心して、ね?」
それでも、穏やかな表情と声に嘘は感じられない。
「……分かりました」
「よろしい。じゃあ、まずは私がどの辺りで色々と思い出したかを話しておこうか」
「ええ。お願いいたします」
「うん。えーとね、しらべが第七支部に来てくれるって話と兄様……が、ライ班長だったってことはもう知ってるよね?」
「はい。ヒナギクのシミュレーションでその辺りの話も見せられたので」
「さっすが、超古代の謎存在はいろんなことができるなぁ……ともかく、兄様が任務中に命を落としたって文を受け取ったあたりで思い出したんだ」
「となると、そこそこ最近なんですね」
「うん。まあ、間に合うなら兄様もなんとかしたくないこともなかったんだけどさ」
笑みに微かな影がさした。この件について、多少なりとも罪悪感や自責の念を抱いていることはすでに知っている。そのため。
「まあ、私としては来世でも思い出すことがなかったはるか昔の元婚約者の話などどうでもいいので、話を進めましょうか」
リツは可及的速やかに話題を変えることにした。当然セツは軽く目を見開いたが、すぐにいつもの笑みに戻った。
「あはは、まったくもってそのとおりだね! まあ、そういうことでしらべが来てからのイザコザはなるべく被害を最小限にできるように動いてたんだよ。たとえばあのあくた川的な一件とか」
「あの、目殿たちのところで起きた件ですか?」
「そう。あれ、もともと確たる証拠が掴めなくてさ。戦闘になったユウマ殿をからくも退治しちゃったんだよ。そのあとの流れはほぼ一緒だけど」
「そう、でしたか」
「まあ、神野殿は『襲いかかったアイツにも非があるから』って言ってはくれたけど、結果的に話がわかるあやかし側のキーパーソンとの縁が切れちゃってさ。今思えば青雲が人間至上主義に突っ走る一因になってたのかもね」
「たしかに」
「ともかく、その辺の縁ももう少しちゃんと残しておきたかったんだ」
「……そうですか」
それは万が一また同じ道を辿ってしまい、自分があやかしに転生したときの保険だろうか。あるいはいずれ現れる、あやかしと人間の間に生まれた……。
「うん。ほら、そのほうが選べる対処法が増えるからさ。どうしようもない思いをするやつらを出さないためのね」
どこか悪戯っぽい声が不安を遮った。最悪の未来を繰り返すつもりなど少しも考えていないのだろう。
少なくとも、今、このときは。
「それでその先は、メイとハクが生き延びられるように動いたよ。二人とも本来ならこの時点ですでに命を落としてるから」
「そうなんで……え? マジですか?」
意外な言葉に悪い方向に渦を巻こうとした思考はまた遮られた。
「うん。マジマジ」
「そんな重大なことを忘れていたなんて」
「あはは、気にしなくても大丈夫。話を聞くに、しらべが思い出したのは多分あの夜の後に何が起きるかっていう来世の話がメインなんだと思うから、覚えてないのも無理はないと思うよ」
「そう、でしょうか?」
「そうそう。ちなみにメイは実家の方で鼻血から回復してた父親と揉めるくだりで時間が押しに押して、ソシエ殿との対峙が日没後になっちゃったのが原因」
「ああ。だから、事前に色々と個人情報をバラして巻きで任務を進めてたんですか」
「そういうこと。ちなみに、ハクもう予想がつくよね?」
「ええ、まあ。多分ですが、咬神支部長の姫君との一件で、ですよね?」
「御名答。姫君の処置を買ってでてはくれたんだけど、躊躇った瞬間に肋骨が飛び出してきてグサリ」
「うわぁ……」
「ほんと、うわぁ、だよね。それでも姫君のほうは死なずに子供を育て続けてたみたいだけど、多分あの時点で壊れちゃったんじゃないかな。まあ、いずれにせよ騒ぎの元となったあやかしはしらべが鬼神のごとき剣幕で退治してくれたわけだけど」
「そうですか……って、蜻蛉のほうはともかくソシエ殿にまで勝てちゃってたんですか、私?」
「うん。暗いし塵にかえすのがやっとだったしで、爬虫類のほうのワニだったことまでは確認できなかったけどね。それにしても……ふふ」
「なんですか? 急に人の顔を見つめて」
「いや、ごめん。あまりにも『え? 私いまなんかしちゃいましたか?』系ヒロインのテンプレみたいな表情だったから、なんかツボに入っちゃって」
「こんなときに、茶化さないでください」
「ごめんごめん。ともかくそんなこんなで、本来ならしらべ個人の戦闘能力の高さがもっと前面に押し出されるようなことが続いたんだ。だから本部の人間にも……、その付近に巣食うあやかしにも話が伝わっちゃったんだろうね」
「……」
俄かにセツの顔から笑みが消え、どこからともなく重苦しい空気が漂いだした。この先に続く話は、もう見当がついている。
「……妹君の件、もうヒナギクのシミュレーションで見てるんだよね?」
「……ええ」
「そっか。ならあんまり掘り返したくはない話題だろうけど……話を進めて、しらべが見てきたことも教えてもらっていいかな?」
「……」
正直なところ、妹の件にまつわる記憶は冷静に思い返すにはまだ生々しすぎる。それでも。
「つらいなら、私の知ってる記憶だけでなんとかしてみるけど」
「……いえ」
リツは意を決して軽く首を振った。
「話を進めましょう」
「そっか。じゃあ続けよう」
きっとこの選択が妹も、灯りに照らされる悲しげな笑みも救うことになると信じて。




