月夜・五
手にした刀で首を薙ぐ。
「おっと、また飛ばされるところだった。でも、その程度じゃ効かないってもう分かってるでしょ?」
脳天を叩き割る。
「痛た……、ちょっと! 血が目に入っちゃったらどうするのさ!」
腹を捌く。
「うぐっ!? ちょ、ちょっと待ってよ」
うずくまり丸めた背を突き刺す。
「かはっ!? ……っもう!! 待ってって言ってるでしょ!!」
繰り出された手刀を交わしながら刀を構えなおし、よろよろと立ちあがるあやかしの胸に突き立てる。
「……っまあ、お姉さんはいい線いってると思うよ!」
飛び退きながら鋭い爪をかわしつつ、飛び道具を喉元に向かって投げつける。
「っああ、もう!! また逃げ回って!!」
ベトベトサンに言われたとおり、単純な戦闘なら多少の分はあるのかもしれない。それでも、リツの目に勝機は少しも見えなかった。
「さっき食べたばっかりだからまだ治りやすいけど、けっこう疲れるんだからね」
拗ねるような声とともにはみ出た腑は詰め込まれ、破れていた腹や貫かれた胸は塞がっていく。傷痕は少しも残っていない。
強張る背に冷たいものが伝った。
「じゃあ今度は……こっちの番ね!」
「……っ」
猛烈な速さで飛んでくる小石を避けながら、次の攻撃に備える。
「あははは!! これを避けられるなんてやっぱりお姉さんいい線いってるよ!!」
「っそれは、どうも」
「わっ!?」
飛びかかる鋭い爪を刀で弾き、蹴りを入れながらまた距離を取る。
「痛たた……、これならもっと大人の姿になってくればよかったかな……、まあでも」
濁った金色の目が細められ、吊り上がった口の端から鋭い牙がこぼれた。
「お姉さんは絶対に僕を殺せないし、どんな姿でも関係ないか!」
「……」
再び背筋を冷たいものが伝う。
「あれ? 言い返さないの?」
「ええ、それは事実でしょうから」
このままではいずれ体力の限界が来て隙が生じる。そして、その後は。
「ふぅん? そこまで分かってるのになんでわざわざ抵抗するの?」
「貴方には関係のない話です」
「わー、感じ悪ーい。ま、でも、あれか。さっき呼んでた子を逃がす時間稼ぎとかかな?」
「……」
「あはは! お姉さん分かりやすくていいね!! でもね、それも無駄だよ」
無邪気にすら聞こえる声に胸がざわついた。
「なぜそう言い切れるのです?」
時間なら充分とは言えないまでも、それなりに稼いでいるはず。それに、まだ手合わせを続けられる程度の体力は残っている。
「だってさ、人間って命懸けで逃がそうとしてくれる相手を置いて本当に逃げたりできないものなんでしょ?」
「……」
その懸念はたしかにあった。それに、自分が餌になることに対して諦めているような節も感じられた。それでも、僅かな可能性に縋りつきたかった。
今度こそ、自分を置いて逃げてくれるかもしれないと。
「……今度、こそ?」
「? なにブツブツ言ってるの? ま、いいや。そろそろお姉さんと遊ぶのにも飽きてきたから」
「!?」
気がつけば濁った金色の目を見開いた笑顔がすぐそばにあった。
その直後、肩から外れた片腕と手から滑り落ちた刀が宙を舞う様が目に入った。
「──!?」
一拍子おくれて襲ってくる激しい痛みと吐き気と悲鳴。
「あははははは!! やっぱり人間て脆いや!! こんなに簡単に千ぎ……」
「──っ!!」
それらを堪えながら掴みとった腕で嘲笑を浮かべる顔を殴りつける。
「……っぐ!?」
幼い身体はやすやすと吹き飛んだ。
「……うわー」
あやかしは体勢を整えると深くため息をついた。
「そんな状態からまだ攻撃してくるなんて……、ちょっとおかしいんじゃないの?」
「ふふ……っぐ。たいじに、んとは……ぅ、そう、いう、ものですよ……っ」
「へえ?」
激痛を堪えながら笑うリツに呆れや憐れみににた表情が向けられる。
「まあ、まだ遊びたいなら付き合ってあげるけど」
「ええ……、そういたし、ましょう……」
「そ。じゃあ、手加減はしてあげないから」
宣言通り、あやかしの攻撃は一気に速さと鋭さを増した。
それでも、激しい痛みをこらえ攻撃をかわしわずかばかりの反撃を繰り返す。
もう片方の腕も使えなくなれば蹴りを主体に、それもできなくなればなんとか体勢を保ちながら落ちた刀を咥え突き刺す。
「すごい! まだ動けるんだ!! じゃあ、これならどうかな!!」
しかしそんな抵抗も長く続けることはかなわなかった。
「──ぅ」
「あははは! すごく綺麗な音がした!!」
哄笑が響くなか最後の支えが砕かれ血塗れの身体が地面に倒れる。痛みはもう感じられなくなっていた。
「おーい、お姉さん? まだ動けそう?」
「……」
「さすがにもう無理か」
ザラついていく視界いっぱいに濁った金色の目を細めた笑みが浮かぶ。
「お疲れさま、お姉さん」
幼い声に雑音がまじり、ひどく遠くからのように聞こえる。
「なかなか面白かったから、ちょっとだけご褒美をあげるね」
「……? っう!?」
腹部に手のひらの感触が生じたのち薄れていた痛みが再び鋭さを増した。同時に目の前の笑みが深まっていく。
「ふふふ、苦しいかもしれないけどこれであと少しはもつはずだよ」
「な……ぜ……」
「言ったでしょ、面白がらせてくれたご褒美。少し離れててあげるから、最後にゆっくりお話しするといいよ」
「……ぃ」
いったい誰と?
などという白々しい疑問はさすがに浮かばなかった。
雑音に紛れ悪路を駆ける足音が微かだが確かに聞こえてくる。
「うん、すごく美味しそうな匂いだ。これなら約束は守ってあげてもいいかな」
「……ぁ」
「じゃ、最期のお話し楽しんでねお姉さん」
あやかしは闇に紛れていく。その笑い声が徐々に消えていくなか。
「しらべ!!」
愛しい声が名前を叫んだ。
それと同時にこれから起きる全てを思い出した。
「っしらべ……、なんで……、なんで……!!」
泣き顔が問いかけとも独り言ともとれる言葉を呟きながら、自由の利かない身体を抱きおこす。
「今回はちゃんと……」
まるで同じ経験をしたことがあるようなセツの言葉。それでも今までのように違和感を抱くことはなかった。
「……ああ。やはり、あなたも、でしたか」
「……え?」
激痛のなかセツの泣き顔に困惑が交じる。
「……さ、ま」
「しら、べ?」
「……すこし、だけ、おはなし、を」
「……うん」
「ふふ……、ありがとう、ござ、います」
激痛と愛しい人の腕の温もりを感じながらリツは乱れた呼吸を整えた。




