朔月
リツはまとまらない思考のなか、セツが発した言葉の意味を必死に理解しようとした。しかし、どれだけ思い返しても心当たりは見当たらない。
「おや、腑に落ちないって顔をしているね?」
目の前に浮かんでいるのは、やはりいつもどおりの笑顔。
「でも、さすがにこの状況で知らないふりは無理があると思うよ」
それが、やはり訳の分からない言葉を発している。あまりの不可解さに悲しみは少しずつ落ち着いていった。
「……そう言われましても、身に覚えがありませんので。本当になんの話ですか?」
目を拭いながらようやく詰まらずに出せるようになった声で問いかける。返ってきたの浅いため息だった。
「はは。まさかまだ騙しとおせると思われているなんて、私も随分と見くびられたものだね」
「……」
嘲るような笑みに混乱を押し退けながら怒りが込あがってくる。
「あの、本当に何をおっしゃっているのか理解しかねているのですが?」
視線と声は自ずと鋭くなった。しかし、目の前の笑みは少しも変わらない。
「まったく。できる限り穏便に済ませたかたから察してくれるか、自白してくれるかしてほしかったんだけどね」
「だから、身に覚えのないものをどうやって察して自白しろというのですか?」
「ああ、あくまでも認めないんだ。ならもういいよ、こっちから言うから」
薄い唇が深く息を吐く。そして。
「この間、妹君と共謀して私を葬り去ろうとした件だよ」
至極冷ややかな声を放った。
「……」
あまりの言葉にリツは再び言葉を失った。そんな様子を気に留めることもなく薄い唇は動きだす。
「だいたいさ、君が本気を出せば体内に潜んだあやかしくらい見つけられただろう?」
「……」
「それに、私は妹君に薬を欠かさず飲むよう第七支部第一班班長として命令をしていたんだ。なら副班長として、本人の生返事を信じるだけじゃなくて飲むところを確実に見届け報告する必要があったよね? なのに君はそれをしなかった」
「……」
反論はできなかった。
あの夜から何度も繰り返してきた後悔。それと寸分違わない言葉が淡々と繰り出されたのだから。
「ということは妹君と共謀して私を害する気だった、と」
「……それは、なんのために?」
「決まってるじゃないか。あかやし関係で正式な伴侶を失った場合、うちの結社はそれなりの手当がでるからだよ。それが支部の責任者なら退治人稼業から遠のいても生きていけるくらいに。それにあの夜……」
不意に嘲るような笑みに悲しげな影が差した。
「……君は私の素性を知った。なら諸々を考慮して生かしてそばにいるより亡骸からいろいろとむしり取ったほうが効率がいい、と判断したんだろ。だから、妹君にわざと不意打ちをくらって庇いにきた私を仕留めようとした」
「……そのようなことは、決して」
「ここまで言っても認めないのか。いっそのこと、妹に唆されて魔がさしたから、的な言い訳をしてくれたほうがまだマシだと思うんだけどね」
ため息をつくセツに否定の言葉は届いていない。それでも今までともに過ごした時、囁き合った睦言がすべて偽りだったと思われたままでいたくはなかった。
「……仮に私がセツ班長の命を狙っていたのなら、なぜ妹を退治したとお考えですか?」
傷をこじ開けるような痛みを感じながら問いを繰りだす。きっとそれが誤解を解く鍵になると信じて。
「ああ、そんなこと」
しかし、悲しげな表情には少しの変化も訪れない。
「私だって仮にも支部の責任者だからね。不意打ちに失敗したなら二人がかりでも仕留めるのは難しいし、口封じが必要だと判断したんだろ。それに君さ」
薄い唇は再び深く息をつく。そして。
「ああいう自分のしてきた仕事を軽んじるやつのこと、死んでほしいと願うくらいに大っ嫌いだろ?」
至極平然とそう言い放った。
「そうだったよね──」
「……」
「──っ!?」
わずかな否定や返事をする間もなく、リツの手は目前の喉元に懐刀の切先を突きつけていた。
「……へえ?」
一瞬だけ目を見開いたあと、セツはまた悲しげな笑みを浮かべた。
「これはどういうつもりかな? リツ副班長」
「別に。その下らない被害妄想を現実のものにしようしたら、どんな反応をなさるのか興味が湧いただけです」
自分でも驚くほど滑らかに冷たい声が溢れる。
「……そう」
「ええ。それが嫌ならば残りの作業はこちらで済ましておきますので、どうぞご自分の部屋にお戻りください」
「……わかったよ」
少しの震えもない切先から白い首元が離れていく。
「せっかく最後の夜だし愉しめるものは愉んでおこうかとも思ったけど、そんな雰囲気でもないみたいだね。身体の相性だけは確かに良かったから残念だ」
「……」
嘲りの言葉に一瞥を返すと、薄い唇はまた浅くため息を吐いた。
「ま、君のその輝かしい業績に免じて私を害そうとした諸々は不問にしておいてあげるよ。それじゃ、私は明け方にはここを出るからあとのことはお願いね」
セツはおもむろに立ち上がると少しも振り返らずに部屋を出ていく。
── 絶対に、君を置いていったりはしないから
傷を焼き切るような痛みのなか、いつか聞いた言葉がいやに鮮明に蘇った。
「……っ」
治まっていた涙がまた溢れだす。
ただ、それが何に対してのものなのかはリツ自身にもわからなかった。
失ってしまったものは、大きすぎるし多すぎる。
嗚咽が昇っていく月の照らない空には、朧げな星が無数に瞬いていた。




