かぎろひの季節に
妹の一件が済んでからもリツは至極淡々と日々の業務をこなしていた。他の面々も初めのうちは扱いに戸惑った様子だったが、あまりにもいつもと変わらない態度を受けしだいに普段通り戻っていった。
この程度のことは退治人ならよくあること。
いつも通りに日々を過ごしながら早く忘れてしまうべきだ。
無理やり自分にそう言い聞かせてはいたが簡単には上手くいかなかった。
「しらべ、愛してる」
「……はい、私もです」
セツと肌を合わせるたび乱れた襟から覗く傷跡が、否が応でも様々なことを思い起こさせる。
どうすれば、妹を失わずに済んだのか。
どうすれば、妹への償いになるのか。
漠然と考えているうちにすべてが終わり、気がつけば次の朝を迎えていることがほとんどだ。
それでも向けられる笑みや声は穏やかで優しいままだった。
そうしているうちに厳しい冬が訪れて去り、暖かい風が吹き始める季節となった。
「さて、しらべが第七支部に来てからもうじき一年になるけれど、少しは慣れてくれたかな?」
橙色の灯が点る部屋のなか、報告書に筆を走らせながらセツが尋ねる。
「はい。おかげさまで」
向かいの文机でリツも別の書類に筆を走らせながら頷いた。
「ふふ、それはよかったよ。まあ、しらべは退治人としての実力も充分だし、書類仕事も完璧だし、ハクやメイや目殿たちや近所の方々とも上手くやっていけてるから、何も問題はないと思っていたけどね」
「そんな、買い被りすぎですよ」
「そんなことないって。これなら、安心してこの第七支部を任せられるよ」
「そうですね……、はい?」
不穏な言葉に自然と筆が止まった。しかし、向かいの文机では相変わらず報告書の上で筆が走っている。
真意を問い直す前に薄い唇がおもむろに開いた。
「今朝がた本部から文が届いてね。色々と面倒な会議を経て、長が私を次の長に指名したそうだよ」
「それは、えーと、おめでとうございます?」
「うん。ありがとう」
平然と続く予想外の言葉に混乱がさらに深まっていく。それでも、薄い唇は問いを許すことなく動き続けた。
「それでね、いろいろな研修を兼ねてまずは本部長を務めることになったんだ」
「ご昇進、おめでとうございます……あ」
混乱していた頭はようやく動きだした。第七支部第一班の責任者が本部へ移動となるということは。
「ありがとう。というわけで、この第七支部第一班の責任者はしらべに譲ることになったから」
「……そう、ですか」
「おや? せっかくの昇進なのにあまり嬉しいそうじゃないね?」
書類から目を離すことなくセツが問いかける。その顔にはなんの表情も浮かんでいない。悲しみや惜別はおろか微かな戸惑いさえも。
「なにか問題でもあったかな?」
「……」
以前ならば何も問題はないと答えていただろう。
「……第七支部責任者の地位を譲るということは、私は本部についてはいけないということですね?」
「うん。本部への異動が命じられているのは私だけだからね」
「それは、覆すことはできないのですか?」
「そうだね。より良い立場にいけなくて残念だとは思うけれど」
「……はい?」
平然とした表情が平然とした声で突き放すような言葉を発する。
「まあ、でも、僻地とはいえ支部長だってそこそこの役職だと思うよ。特に、女性でその座に着くのはかなり珍しいんだし誇ったら良いんじゃないかな?」
「セツ班長、私はそのようなことを気にしているわけではなく」
「へえ? じゃあ、何を心配して……ああ、そっか」
ようやく書類から上げられた顔には笑みが浮かんでいた。
どこか軽薄そうな軽薄さを覚える笑みはどこまでもいつもどおりに。
「大丈夫。君の新しい配偶者も手配するという方向で話が進んでいるから」
いつもからは考えられない言葉を口にした。
「……」
喉から胸を締めつけられる感覚に襲われ少しも声が出せないどころか、呼吸さえままならなくなる。それでも向かい合った顔にはいつもどおりの笑みが浮かんだままだ。
「心配しなくても大丈夫だよ。一応あの親父も兄様とのことは気に病んでたみたいだから、もっとまともな奴を紹介してくれるそうだし」
「……」
「ああ、それともあれかな? 長の血縁との関係があったほうが都合がいいって話なら、親父のご落胤のなかからまだマシな性格の奴を選んであげるから……」
「……っそんなことを気にしているわけではありません!!」
嘲るような言葉に、ようやく怒鳴り返すことができた。俄かに軽薄そうな笑みが影を潜める。しかし、それは一瞬のことですぐにまた現れた。
「なら、どういう奴がご所望かな? 今までの功績を考えて、可能なかぎり条件に合うのを見繕ってくるけど」
「……セツ、班長の、お側にいることは、もう叶わないの、ですか?」
声は詰まり、目頭は自然と熱くなる。
「……はは。そう言ってもらえるのは喜ばしいことだとは思うよ? でもさ」
セツは一度言葉を止め深く息を吐いた。そして。
「いつ寝首を掻かれるか分からないような相手をずっとそばに置けるほど、私は人格者じゃないんだよね」
さも平然と冷たい言葉を言い放った。
「……は?」
滲み歪むリツの視界には、いつもどおりの笑みが浮かびつづけているように見えた。




