妹のようなもの
リツは部屋を出て薄暗い廊下を渡り塗籠の前へと辿り着いた。やけに具体的な予想どおり戸は少しも動かない。
「ソウ、そこに居るのね?」
声をかけると内側から微かに物音が響いた。
「さっきは私も感情的になってごめんなさい。薬についてちゃんと話をしたいから出てきてくれる?」
「……嫌です。真名で呼ばないということは、側にあの男もいるのでしょう?」
憎々しげな声に、側に立つセツが軽薄そうな笑みを浮かべる。
「はは。ついに義兄とも呼んでくれなくなっちゃったか」
「……」
声の代わりに小さな物音がカタリと鳴った。
「ちなみにね、あの薬がどんな病に効くものかはもうリツに話してあるんだ」
「……」
返事はやはりない。
「まあ、君がその病にかかっている可能性が低いということでリツと私の意見は一致しているよ」
「……さようでございますか」
ようやく返された声には嫌悪感が溢れている。それでも、たしかにそれは妹のものに違いない。
「ソウ」
リツは戸に額をつけ目を閉じた。憤りのようなものは感じるが、あやかしが放つ特有の血腥さや吐き気を催す気配は感じられない。
「セツ班長が気に入らないのも、病気を疑われて腹が立ったのも分かるわ。でも、万が一にも貴女に何かがあってほしくないの」
「……姉様」
聞こえてくる声が俄かに和らぐ。
「だから、少しでもいいから薬を飲んでくれない?」
「姉様は本当にお優しいのですね」
再びカタリと小さな物音が鳴った。ついで足音が近づいてくる。
そして。
「そんな姉様が命を賭して退治に赴かないといけないなんて、間違っていますよね」
「え……?」
「!? しらべ!!」
「わっ!?」
リツは突如として体当たりされ床に倒れた。
「しらべ……、怪我はない?」
「はい、問題ありま……!?」
ぐらつく視界のなか、覆いかぶさったセツが苦笑いを浮かべている。その笑み自体はいつも通りものだった。しかし。
「セツ班長、それ!?」
「無事ならよかっ……た」
見慣れた表情の近くで、白い退治人装束の肩口が破れ赤々とした傷口がのぞいている。
「早く治療を……」
「ふふ、このくらいの傷なら慣れているし大丈夫……」
「いつまで姉様に縋りついているのですか」
冷ややかな声とともに身体にのしかかる重さと血の匂いが一瞬にして遠かった。次の瞬間目に入ったのは血を撒き散らしながら廊下で跳ねる白い装束を着た身体。
「ぐっ……」
「セツ班長!?」
「姉様、そんな男など放っておきましょう」
「っ!?」
立ち上がり駆け寄ろうとした瞬間、髪を掴まれ後ろを向かされた。
「まったく、こんな下品な血の香りを撒き散らして、本当に厭わしい男」
鈍色に染まった肌。
赤い血を滴らせる長い爪。
唇から覗く鋭い牙。
濁った金色の瞳。
どこから見ても、目の前にいるのは退治すべきあやかしだ。
「姉様もそう思いますよね?」
それがなぜか、妹の顔と声で微笑んでいる。
「これは……どういうことなの?」
「ああ、説明をしないといけませんでしたね」
吐き気を堪えながら問えば笑みはさらに深まった。
「先ほどは手をあげてしまってすみません。でも姉様は責任感がお強いので、退治人を辞めていただくには腕の一本ももいでおかなくてはと思いまして」
「そんなことは聞いていないわ。かなで、貴女やっぱりあの病に……」
「病だなんてとんでもない! 私は至って正常ですよ。その証拠に、ほら」
「っ」
不意に髪を離されリツはよろめきながらも目の前のそれに鋭い視線を送った。しかし、やはりあやかしの気配は少しも感じられない。
「えーと、たしかあれは……」
「!?」
戸惑いのなか鋭い爪が自らの腹を抉った。
悲鳴を上げる暇もなく長くなった指がズブズブと腹の中にめり込んでいく。
「……あ、あった。ほら、見てくださいこれ」
引き抜かれた指は血に塗れ、発芽した種子のような塊を摘んでいる。
よく見ると塊には濁った金色の光が二つ宿り、甲高く細い音を発しながらかすかに震えていた。
「ふふ、『話が違う』? 何を言っているのですか。私がしたのは身体を作り替える許可だけですよ。だいたい私の指示どおりにしか動けなかったものが主導権を欲しがるなど、厚かましいにもほどがありますよね?」
妹のようなものが笑いながら指先に力を込める。ひときわ甲高い音を立てながら塊はすぐに潰れた。
「ご覧のとおり身体に巣喰っていたあやかしは潰しましたから、心を乗っ取られる心配なんてありませんよ!! それにこの身体は今までよりずっと動きやすいですし、何も問題ありません!!」
無邪気な表情も、楽しげな声も以前と何も変わらない。
「これで、姉様を危険な仕事から守ることができます!!」
自分を慕う気持ちも以前のままだ。
「煩わしいものはすべて引き裂いてまいりますから、姉様はここでお休みになっていてください。大丈夫、この力があれば私たち二人だけで生きていけます!!」
それでも、目の前のものを妹と呼ぶことはもう許されない。
「……っ、しらべ」
消え入りそうな声に振り向くと、白い装束を赤く染めたセツが床に爪を立てながらかすかに震えていた。
「あら? まだ立ちあがろうとなさるなんて見苦しいほどしぶといのですね。いま楽にしてさしあげますので、お待ちになってください」
妹だったものはため息を吐きながら血溜まりにうずくまる身体に歩みを進める。
「……」
リツはごく冷静に懐刀を取り出し、鈍色の首筋を狙って切りつけた。
「きゃっ!?」
短い悲鳴とともにその一閃はかわされる。
「? 姉様?」
濁った金色の瞳が不思議そうにさっきに満ちた鋭い目を覗き込んだ。かすり傷を負わせることすらできていないが、足止めには成功した。
「なぜ、そのようなものを私に向けるのですか?」
「……人に仇なすあやかしを退治するのが、私の仕事だからよ」
声を絞り出した喉が鈍く痛む。
「そう、ですか……」
濁った金色の瞳は俄に輝きを失い、長いまつ毛の瞼が伏せられた。
「……なら、やはり腕をもいででも仕事から離れていただかなくては」
そうこぼす声に闘いを前に欣喜する響きはない。
「やってみなさい。出来るものならね」
答える声にも挑発的な響きはない。
ただ重く冷たい空気が廊下に満ちていた。




