翳り
「つまるところ、私とライ班長の仲を割くような助言をしていた理由は恋路を邪魔された恨みということなんですね?」
「うん。そのとおりだね」
苦笑いを前にしてリツの頭は鈍く痛んだ。
「ふふ、軽蔑した?」
「軽蔑、はしてないとおもいます」
たしかに助言が煩わしい事態の一因になってもいたのだろう。しかし、それが全ての原因でないことも事実だ。そのうえ。
「幼いころとはいえ、助言云々がなくてもライ班長のことをろくでもないと思ったわけですから」
「そっか」
「それよりも、さっきも言ったとおり意図せず長の家に嫁いでしまったことの衝撃のほうが強く」
「あはは、本当にそうだよね」
セツは軽くため息を吐くと力なく虚空を見つめた。
「まあ、不要な厄介ごとだとか呪いだとかを避けるために素性を隠すって決まりがあるわけだけどさ。ある程度上の役職の奴だとか一部の人間には否が応でもも知られるわけだし、正直話しちゃってもいいかなとは思ってたんだけどね」
「なら話しておいてくださいよ……。なんか、めちゃくちゃ失礼な態度とっちゃっていたじゃないですか」
「ふふ、そこは気にしないでほし……いや、それもちょっと黙ってた理由になるかな」
不意に力ない表情に翳が差す。
「だってしらべ、私が長の子だなんて知っていたらずっと部下然としてたうえに、いざと……いうほどじゃないときでも命懸けで護ろうとしたでしょ?」
「それは、まあ……。結社に勤めている以上、長の血縁者は護るべき、ですし」
「それがさ、嫌だから黙っていたんだ。前にも言ったけど私は長く生きていたいんじゃなくて、しらべと一緒に長く生きていたいわけだからね」
「……そうですか」
「うん。さて、そんな話を踏まえたうえで私からも一つ質問。今後しらべはいざというときに自分の命を捨ててでも、長の血を護ろうとする?」
「……長の血統を護るために命を棄てるなどということはしないつもりです」
その答えに嘘はなかった。
それに、ソシエとの一件で何があっても全員で生き延びるよう最善を尽くす覚悟はできている。
ただ、もしも、そんな覚悟さえ簡単に噛み砕くような相手が現れたとしたら。
「……そっか、ならよかったよ。じゃあ約束ね。この先、何があっても命を棄てるようなことはしないこと」
「はい」
「破ったら罰として、書類仕事の手伝いを毎回してもらうから」
「……それだと、今と何も変わってないですよね?」
「あはは、バレたか」
セツの顔に笑みが戻った。しかし、どこか翳も残っているように感じる。
「ほかに、何か質問はあるかな?」
「そう、ですね」
きっと照明の具合のせいだと言い聞かせながら、リツは他の話題を探した。
「……妹に渡した薬って、いったい何だったのですか?」
「ああ、あれね。まあ、都で流行っている病の予防薬っていうのは間違いないんだけど、さ」
答えに嘘はなさそうだがあからさまに歯切れが悪い。黙って見つめていると、観念したように深いため息がこぼれた。
「……その病っていうのが、腹にごく小さなあやかしが棲みついていずれその身体を乗っとるって厄介なものなんだよ」
「!? な、厄介どころの話じゃないじゃないですか!? 無理にでも薬を飲ませてこないと!!」
「ちょ、落ち着いて!」
部屋を出ようと立ち上がると、袖を掴まれ引き止められた。
「その病にかかった人は初期でも瞳が目に見えて黄みががってくるんだけど、そんなことはないでしょ?」
「それは……、たしかに」
「それに、私はおろかしらべでさえあやかしの気配は感じていない」
「そう、ですね」
「だから、基本的には妹君がその病にかかっているはずはないんだけどさ……」
再びセツから深いため息がこぼれる。
「……さすがに、あそこまで薬を嫌がるのはちょっと異常だよね。いや、まあ」
力ない言葉とともに自嘲的な笑みが浮かんだ。
「そこまで私に信用がないだけっていえば、それまでなんだけど。ほら、私ってば結果的に兄様見殺しにしちゃったわけだし……」
「えーと、それは、まあ……、事実なのかもしれませんが。ライ班長とずっと一緒にいるよりは、今のほうが余程たのしいのでその件はもうどうでもいいっていうか」
「ふふ、ありがとう。そうだね、今はその件よりも妹君の真意を聞かなきゃだね。ただ、きっと部屋に戻ったふりをして塗籠にこもって内側から支えをしてふて寝してるから、明日の夕方にしらべが声をかけるまで無反応だろうしなぁ……」
やけに具体的な呟きを聴きながら栗は記憶を手繰り寄せた。思えば妹は、幼いころも両親たちと口論をして同じようなことをしている。それでも、自分が声をかければ素直に顔をだしてくれていた。
「えーと、やはり私が様子を見てきましょうか? 諸々の事情が露見しちゃったんで、お互いにもうそこまで感情的になることもないと思いますし」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えてお願いしちゃおうかな……って言いたいところではあるんだけど」
小さく掛け声を漏らし、セツがゆっくりと立ち上がる。
「今回は私も同席させてもらうよ」
そう言う苦笑いにはやはりどこか翳が差したままだった。




