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婚約者を妹に譲ったうえに左遷されたあやかし退治人ですが、なぜか結婚して溺愛されることになりました。  作者: 鯨井イルカ


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翅愛づる姫君・八

 月明かりに照らされ薄い翅が輝く。その様はたしかに神々しくすら感じる。


「今日はいらっしゃらないのですね、あの地蟲の姫君」


 しかし、人語を発する声はやはり背筋が粟立つほど気色が悪い。


 リツは袖口で口元をおさえ、込み上げてくる吐き気をこらえていた。焚き染めておいた香のおかげでなんとか気は紛れているが、呼吸をするたびに頭と腹の中をかき混ぜられるような不快感が押し寄せてくる。


「大丈夫だよ、リツ。ここは私にまかせて」


 不意に、温かな手が背中をなでた。


「その香には気付け薬の効果があるから、袖を外してはだめだよ」


 セツの囁きが頭のなかに響き不快感が幾分か和らいでいく。


「今は意識を保つことに集中していて」


「……はい」


「うん。いい子だね」


 温かな手がゆっくりと背中から離れていった。


「おや? 鋭き姫君はご気分がすぐれないのですか?」


「ええ。妹も姉と同じようにいつも気を張って過ごしているので、時折このようにその疲れで体調を崩してしまうことがあるのです」


 耳障りな声に違和感のない女性声が答える。喉元も隠れているが、男性だと見抜かれてしまわないだろうか。そう考えていると、心配するな、と言うようにまた背中を撫でられた。


「おやおや、あなた方は地虫の姫君のご姉妹でしたか」


「ええ、そうですのよ。私も同じようにこの家での暮らしには辟易しているのですが、抜け出したところで非力な娘が生きていけるわけもなく」


 わざとらしく泣き崩れる姿にあやかしの目が鈍く輝いた。


「それはお可哀想に。ならば、貴女方にも地虫の姫君と同じように力を授けましょう」


「……っ」


 なにが力だ。

 そんな言葉が吐き気とともに込み上がってくる。しかし、宥めるように背中をなでられ、なんとか堪えることができた。


「まあなんとお優しい方なのでしょう! しかしながら、貴方様は姉様のことを愛していらっしゃるのでしょう? 妹の私たちがそれを奪うような真似をするなど」


「いえいえ、そのような些細なことはお気になさらなくていいのですよ」


 濁った金色の目が輝きを増し、薄い翅が細かく振動しはじめる。その途端、リツを苛む不快感がいっそう激しくなった。


「……っ」


「リツ、も──しだ──」


 意識が濁りセツの声が遠くなっていく。


「人の血が混じった子は有ればあるだけ便利ですからね」


 かわりにあやかしの声は近づいてくる。


「優れた術や業を持つものの血となれば特に、です。それに、貴女だって自分を蔑ろにしたものに報いを受けさせ、苦境から抜けだすことができる力が手に入るのですから」


 丁寧で不快な声が頭の中を掻き回す。


「どうです? 悪いお話ではないでしょう?」


 耳元で問いが囁かれる。


 自分を蔑ろにした者への報い。

 

 本部にいた頃なら多少は心を乱されたかもしれない。


 それでも、そんなものも既に終わってしまっている。


 袖越しに手に齧り付くと朦朧としていた意識が明瞭になってきた。

 

「──やれやれ。愛情云々が根源にあるのなら、あるいはと思ったのですが」


 セツの声もはっきりと耳に届く。

 吐き気も峠を越した。


「はっはっは。面白いことをおっしゃるのですね。私たちが人に愛情を抱くなど」


 耳障りな声に嘲りがまじる。


「下等な生き物が私たちの役に立てるのですから、それだけで誉高いことだと感謝するべきですよね」


「……ま、あやかしならそう言うだろうね」


 吐き捨てられた声は男性のものに戻っていた。


「ああ、あなたは姫君ではありませんでしたか。でも構いませんよ。そちらの鋭い姫君だけくだされば」


「はい分かりました。なんて答えると思うのか?」


「はっはっは、その殺気、やはり退治人でしたか。そうですよね。なら貴方も持ち帰ることにいたしましょう。大丈夫ですよ、貴方のような食材を永く愉しむ術も私たちは心得ていますから」


 辺に響いていた翅音が微かに高くなる。きっと、外に控えていた仲間たちを呼ぶつもりなのだろう。


「さあ、お前たち。新しい胎と食材を運び出しますよ!!」


 高らかな声が夜の庭に響く。

 しかし、それに答える声はおろか物音ひとつ聞こえてこない。


「……え?」


 あやかしは中空に浮かびながら首を傾げる。


 その瞬間、両端に石がくくりつけられた縄が薄い翅に絡みついた。


「うわ!?」


 翅音が止むと同時に宙に浮かんでいた身体が地面に叩きつけられる。自分の置かれた状況を飲み込めていないのか、長い触角を持つ頭が細かな動きで当たりを見回した。


「さすが、リツ。敵さんの数も場所も正確だったようだね」


「セツ班長こそ。よく相手に悟られず情報を伝えられましたね」


「ふふふ。離れた相手に声を伝える術は心得ているから」


「凄まじい術を使えるのですね……、感服いたします」


「いやいや、慣れれば簡単だよ。それよりも、今回一番の功労者は」


「そうですね」


 リツとセツは惚気のような会話を止めると、あやかしのそばに視線を移した。


「いったい、なにが……ひっ!?」


 触角の間に切先が突き立てられ、棘の生えた顎から悲鳴が漏れる。濁った金色の目の先には。


「残り……、一匹……」


 いつのまにか、ひどく冷たい目で退治用の刀を持つハクの姿があった。その装束には、至るところに塵が纏わりついている。


「こちらはこれで完了だね。さて、向こうはどんな感じかな」


「少々、お待ちください」


 促されつつ神経を集中させると、仄かに腥い気配が新しく生じたのを感じた。それに、微かな産声も。


「どうやら済んだようです」


「そうか。それなら最悪な事態は避けられたかな」


 どこか悲しげにセツが微笑む。


「ええ。そうですね」


 リツは軽くうなずくと、冷ややかな目であやかしに刃を突きつけるハクに視線を戻した。


 縄に絡め取られた翅は相変わらず月明かりに照らされて輝いていたが、神々しさや美しさは少しも感じられなくなっていた。

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