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婚約者を妹に譲ったうえに左遷されたあやかし退治人ですが、なぜか結婚して溺愛されることになりました。  作者: 鯨井イルカ


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穏やかな陽射しのなかで

 春の日が差し込む部屋。

 しらべは書類を片手に薬棚の引き出しを開け閉めしていた。


「……やっぱり、台帳と在庫の数があってない」


「あー、その薬ね? 昨日の夜中に急に入り用になっちゃったから、まだ記帳できてなくて」


「わっ!?」


 突然かけられた声に思わず肩が跳ねる。振り返るとすぐ背後に雪也が笑みを浮かべて立っていた。


「気配を消して近づかないでくださいよ」


「あはは、ごめんごめん。反応が可愛くてつい」


「なに新婚時代みたいなこと言ってるんですか」


「ふふ、初心を忘れないことは何事においても大事だよ。それに、しらべが可愛らしいのはずっと変わらないんだし」


「……まったく」


 ことあるごとにどこか軽薄そうな笑顔で話をはぐらかすところはずっと変わっていない。ただ発言の真偽を疑うことはもうないし、不愉快だと思うこともない。


「あー、照れてるでしょ? そういうところも相変わらず可愛──」


「それで、どう言った用件であの薬を処方したんですか?」


「もう、照れ隠しで話を流すのも相変わらずなんだから。ともかく、夜中に急患が来てね」


「急患?」


「うん。明式の所で面倒を見てるあやかしの学生さんだったんだけど、ひどい悪夢を見て錯乱しちゃってたらしくてね。ベトベトサンと三人で夜中に来たから」


「わりと一大事だったじゃないですか。それなら私も起こしてくださいよ」


「そうしようかと思ったんだけど、昨日の昼間はしらべも大変だったじゃない? 薄氷たちと置き薬の棚卸ししたりだったし」


「そうでしたけど、お子さんたちにも手伝ってもらってたんでまだ余裕はありましたよ」


「たしかに。ああいったときに虫のあやかしの血が入った子がいると助かるよね。ちょっとだけ悪くなった薬とか臭いですぐに見つけてもらえるから」


「本当に」


 相槌を打ちながらかつての部下たちに思いを馳せた。


 転職の話を持ちかけた際はさすがに戸惑われはしたが退治人よりも安全な仕事に移ることについて特に異論はなく、今は金枝が設立したあやかしの血が入った子供たちの教育機関で教員や書類仕事をこなしている。


「ともかく、今後は私にも声をかけてくださいね」


「了解。じゃあ今後はそう……ふぁあ」


 不意に雪也が大きな欠伸をした。いつもなら気が抜けているなどと小言を言っていたかもしれない。


「……昨夜は遅くに大変だったようですし、急ぎの患者さんがいないようなら日向で少し休憩をしてきたらいかがですか?」


「じゃあ、お言葉に甘えようかな。しらべも台帳の数字が合ったなら一緒にどう?」


「では、私もお言葉に甘えて」


 二人は部屋を後にすると中庭に面した廊下に移動した。


「もう随分と暖かくなりましたね」


「そうだね」


 うららかな陽射しのなか、そんな長閑な話題が自然とこぼれる。


「……」


 不意に雪也が空に手を掲げ視線を向けた。


「どうかしましたか?」


「いやさ、こう見ると結構歳をとったものだと思ってね」


 穏やかな声とともに手がゆっくりと握っては開かれた。指の節や刻まれた皺や血管が目立つようにはなっている。それでも呪いを刻んだ黒い紋様はどこにも見当たらない。


「思えば前は老化には無縁だったから、何だか心許ないかんじがするなぁ」


「……私はともに歳を重ねていく雪也様が見られて、幸せだと思いますけどね」


「!」


「まあ、雪也様としては妻にはずっと若いままでいてほしいのかもしれませんが」


「ははっ、まさか」


 空に伸ばされた手が白いものがまじる髪に触れる。


「前にも言ったろ? 私はしらべと一緒に長生きしていきたいんだって。それは今でも変わらないよ。それに、私にとってしらべはずっと魅力的なままだ」


「……子供も独立して久しいのに、何を言ってるんですか」


「ふふっ、照れない照れない」


「別に照れてなんていません」


 思わず顔を背けると頭が優しく撫でられた。温かな陽気も相まって、しらべは自然と目を細める。


「……退治人を辞めて薬師になってからさ、本当に穏やかな日が続いてるよね」


「……ええ、本当に」


「……でもさ、本当にたまになんだけど、まだ不安になることもあるんだ」


「それは、こんなに穏やかな日々が続いて許されるのだろうか、的なやつですか?」


「そうそう。それ的なやつ」


「まあ、それは私も感じることはありますよ。でも」


「っ」


 年相応にこけた頬に手を添えると目が軽く見開かれた。


「血生臭いあれこれは遠い未来に飽きるほどしてきたんですから、今回はこの幸せを噛み締めて過ごせばいいと思いますよ」


「……うん」


「それにですね」


 不意に玄関のほうからバタバタとした音が響き出す。


「姉様!! ついに伝説の万病に効く霊薬の素を見つけ出しましたわ!!」


「えっと、奏さん。申し上げにくくはあるんですが、それはただの石水母、かと」


「ヒヒッ! 坊ちゃんの言うとおりだぜ!! ま、オレに似た見た目してるから有能そうに見えるのはたしかだけどな!!」


「たしかにベトベトサンは有能だと思うが……、どちらかというと石水母って……、ベトベトっていうよりムニムニってかんじなんじゃ……。というかみんな……、それよりも本題のほうを……」


 聞き慣れた声とともにワチャワチャした空気も押し寄せた。


「こんなかんじで、結構な頻度でなんやかんや起こるわけですし」


「まったくもって、そのとおりだね」


「……ふふ」


「……はは」


 どちらともなく穏やかな笑みがこぼれる。


「じゃ、今回もそんななんやかんやの対応に向かうとしようか」


「ええ、そうですね」


 しらべは雪也と同時にゆっくりと立ちあがる。




「ところでさ、しらべ。なんやかんやの前に大事なことを伝えたいんだけど、いいかな?」


「はい。なんでしょうか?」


「……愛してるよ」


「……ええ。私も愛していますよ、雪也さま」




 温かな陽射しと空気なか二人は声のするほうへ歩みだした。

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