7.キッズアタック
葛西たちが帰った後、由利子は書き起こしの続きをしていたが、ある個所までいくとキーボードを打つ手が止まった。
いち早くそれに気づいたギルフォードが、席を立ち由利子の方に向かった。
「どうしました?」
由利子のPCモニターを見ると、それは碧珠善心教会の教主が挨拶をする場面だった。イヤホンをしていたせいか、由利子はギルフォードの言葉が聞こえないようで、キーボードに手を置いたまま、ぼーっとしている。ギルフォードは急いでイヤホンジャックを抜いた。そのとたん、教主の声が教授室に広がり、一瞬ギルフォードも軽い眩暈に襲われた。ギルフォードは慌ててボリュームを下げ、由利子の肩を軽く2回叩いて言った。
「ユリコ、どうしました? しっかりしなさい」
その声で、由利子は弾かれたように我に返った。
「あれ? あ、ごめんアレク。私、ひょっとして居眠りしてた?」
「いえ、起きてましたよ。ただ、急に動きが止まってぼんやりしていたので……」
「やばっ。実は、昨日もこの教主の演説聞いててぼうっとしたんだよね。葛西君の声で我に返ったんだけど」
「演説……。確かにこれは演説ですね。実は、僕も君たちの知らせで配信を見たとき、彼の声を聴いて少し不思議な気持ちになったんです」
「アレクも?」
「はい。ぼうっとはしませんでしたが、彼の声になんかノスタルジーめいた……、聞いたことがあるような懐かしいような不思議な気分になったんです」
「そういえば、あの時……カルト教団データベースでこの教団を調べていた時も、アレク、『会ったことがあるような気がする』みたいなこと言ってたよね」
そこで、二人は顔を見合わせてしばらくの間無言になった。
先に口を開いたのは由利子だった。
「やっぱりこの教団、気になる……」
「そうですね。これは、なんとしても松樹警視正にこの教団を徹底的に調べるよう、お願いしなければなりませんね。ユリコはそのまま書き起こしを続けてください」
そう言うと、ギルフォードは席に戻り受話器を手に取った。
夕方、葛西が由利子を迎えに行こうと県警の駐車場を歩いていると、彼の車の近くで長沼間が柱にもたれかかっているのを見つけた。葛西は不機嫌そうな表情を浮かべながら、無視して通り過ぎようとした。
「よお、お疲れさん。篠原を迎えにいくのかい」
すれ違ったところでからかうような口調で声を掛けられ、葛西はむっとして振り返った。
「なんか用ですか?」
「ぶっきらぼうだな。そういうところは相変わらずのお子ちゃまだな」
「そんなんはいいです。要件があるなら早く言ってください」
「そうじゃけんにするもんじゃないよ。失敗は成功の基ってな」
長沼間は、意味深に言うと、内ポケットに手を入れながら言った。
「今日は、ちょっとしたネタを渡そうと思ってな」
「な、なんですか?」
「鉄砲なんか出しゃしねえよ。ほれ」
と言いながら、長沼間はリーフレットを葛西の目の前にちらつかせた。
「なんですか、それ?」
「碧珠なんちゃらとかいう教団の教主が講演するてなチラシだよ。気になってんだろ?」
「どうしてそれを? それにそんなもんどっから……」
「公安なめんなよ。と言いたいところだが、T神をぶらついていたら道端で配っとった」
「長沼間さん、チラシとか受け取るんですか?」
「情報収集の一環でな。まあ、行くか行かないかはおまえさんたちに任せるよ。明日の午後かららしい。デートの場所にしては無粋だけどな」
「デ、デート?」
「明日は土曜だ。ちょうどいいじゃないか」
長沼間は、若干うろたえる葛西にリーフレットを渡すと、笑いながら去っていった。
「あいつ、やっぱキャラ変わった???」
去っていく長沼間の後姿を見ながら、葛西は首をひねっていた。
「へえ、そんなことがあったんだ」
葛西に送ってもらう途中、車の中で由利子がリーフレットを見ながら言った。
「明日の午後二時から、T神のXXホールかあ。駅から割と近いやん」
「なんか、出来すぎたタイミングで、ちょっと気が引けますが」
「いいやん。行ってみよう。行って直に教主様のお言葉を聞いてみようよ」
「え? 行くんですか」
葛西は内心(どうせなら、映画とかがいいのに)と思いながら、やや不満そうに言った。しかし由利子は、にっと笑って答えた。
「公安さんが何か企んでいるとしても、渡りに船じゃん。せっかくだから乗ってみようよ」
「危険です。行くなら僕が同僚連れていきますから」
「民間の私と行った方が、何かと誤魔化せるって。行ってみようよ」
「じゃあ、アレクも行った方が……」
「アレクは目立ちすぎて、嫌でも人目をひいてしまうやろ。でも言ったら付いてきたがるだろうから、事後報告しよう」
「絶対にいじけますよ」
それを聞いて、由利子は一瞬戸惑ったが、「やっぱり目立つのはなあ……」と言って、ギルフォードと行った時の情景を思い浮かべた。
「やっぱり、二人で行こう」
「そうですね」
葛西も同じ想像をしたようだった。
その夜、ギルフォードは松樹を食事に誘った。もはや、電話では埒が明かないと思ったからだ。松樹は多忙であるものの、快く時間を作って会ってくれると言った。
場所は、松樹指定の某繁華街にある割烹料亭である。検索するとかなり高級な料亭らしい。場所が場所なので、悪目立ちするギルフォードは紗弥を残し一人でタクシーを使って、松樹が言うところの「密会」場所の割烹に向かった。店の前に着いた時、駐車場から訳ありげな黒塗りのクラウンが出ていくのにすれ違った。一瞬の横顔から、運転手はおそらく早瀬隊長だろうと判断した。腹心の部下に送らせたということは、松樹は誰にも知られないよう、サシで話し合いをするつもりだろう。冗談げに密会と言っていたが、本気だったのかと、ギルフォードは苦笑いをしつつ、松樹も何かただならないものを感じているのだと確信した。
店の玄関に向かうと、庇の柱になにか小さいものがめり込んでいるのに気付いた。よく見ようと思ったが、店の人が出てきて早々に店内に引っ張り込まれた。その後、案内されてた部屋には既に松樹が座っていた。盃を片手にくつろいでおり、ギルフォードを見ると笑顔で手招きをした。
「おう、早くこっちに来て座れよ」
「すみません。なんか場違いすぎて気後れがして……」
「何を謙遜している。君、上流階級のパーティーなんかしょっちゅうだったろうが」
「そんな昔のことなんか覚えてませんよ。今はしがない大学教授ですからね」
「まあ、とにかく座れ。さあさあ」
松木に急かされて、ようやく彼の前に座った。
「あれ、掘り炬燵式じゃないんだ」
「無粋なことを言うな、って、何おかっこしてるんだ」
「だって畳には正座でしょ」
「男は黙ってあぐらをかくんだ」
「そんなクールポコみたいな……」
「そもそも君は正座に慣れてないだろ。痺れてぶっ倒れるぞ。あぐらでもなんでもいいから、正座以外で座れよ。先に進まんだろ」
「横坐りでもいいですか」
「どうでもいいから早く座ってくれ」
「はいはい」
ギルフォードはとりあえず横坐りをした。
「では、仕切り直して、まずは乾杯だ」
「まだ乾杯するような気分じゃないですけど」
「あのな、なんで君は俺に対してだけ、普段以上に絡むんだ?」
「うーん、なんとなく?」
「あのな、引っ捕まえて日本酒ラッパ呑みさせるぞ。まあいいや。とりあえず、君のためにとっておきの日本酒を用意したんだ」
「僕を酔わせて何するつもりですか?」
ご存知の通り、ギルフォードは下戸である。
「アホか。ノンアルだ。本物の日本酒からアルコールを抜く製法で作られたヤツだ。いつか君とサシで飲もうと思ってな」
「それは光栄ですね、センパイ」
口調はおちゃらけ気味だが、実のところ嬉しそうな様子だった。グラスに注がれた透明のノンアル日本酒は、注がれたグラスのクリスタルガラスのカットにより室内の灯りに照らされてキラキラと美しかった。
「飲むのが勿体無いですね」
「とりあえず、乾杯しよう」
「では、ボーディングスクール(※)からの友情に,乾杯!」
「乾杯!」
二人は軽くグラスを合わせ、ノンアル日本酒を飲んだ。
「あ、これ、ホントに美味しいです」
「喜んでもらえてよかったよ。おっと料理が来たようだな。どうぞ、お入りください」
松樹が声をかけると、襖が開いて、中居さんたちがお膳を運んできた。
「では、ごゆっくりとお寛ぎくださいませ」
女将らしき年配の女性が、三つ指をつきながらそう言うと優雅に立ち上がり、イケオジ二人に若干色めきだっていた若い中居さんたちを引き連れて去っていった。
「ねえ、キョウシロー。女性たちにお酌とかして欲しかったんじゃ?」
と、ギルフォードが松樹をからかった。
「莫迦言え、俺は妻一筋だぞ。手酌が気遣いなくて一番良い」
「オー! イッケツシュギ!」
「下品な言い方をするな。誰から教わったんだか」
と、松樹は苦笑したが、ぱん!と手を叩いて言った。「さあ、腹が減っただろう、まずは、食べてくれ」
「では、いただきましょう。会席料理、wonderfulです♡」
ギルフォードは料理に感動しながら、両手を合わせて「いただきます」と言い、箸をとった。
「さてと、お膳は下げてもらったし、腹が充実していい具合に思考もまったりしたところで、本題に入ろうか」
「美味しゅうございました。特に、お刺身の舟盛と海老しんじょのあんかけは、絶品でございました」
「気に入ってもらえてうれしいよ。では、早速だが、これからの会話は英語で話してくれ」
“ああ? 唐突になんだよ。そんなやべぇ状況なのか?”
“いきなりキャラを変えるな。アメリカンのほうじゃなくて、イングリッシュで頼むよ。なお、出来るだけ上品にね”
“Certainly(承知しました)"
“遜るな。ではまず、君の用件から話してくれ”
“昨日のテレビ番組なんだけど……”
“ああ、君が送ってくれたURLから見たよ。最初の方は二倍速でようやく視聴に耐えたよ”
“あの新興宗教のラインナップどう思った?”
“園山看護師の自供からピックアップした宗教とほぼ同じだったな”
“流石。その中で特に目立った碧珠善心教会ってのがあっただろう?”
“君のところの篠原さんが、件の新興宗教の中で、唯一気になったところだと記憶している”
“僕とユリコは昨日の放送で、碧珠善心教会の教主の演説を聞いて、やはりなんかひっかかるものを感じてしまったんだ。違和感みたいな既視感みたいな”
“違和感と既視感……か”
“で、聞きたいんだけど、この前の報告の後はどうなってるの? 調査はしてるの?”
“実はな、宗教関係は調査しづらいという理由で棚上げされていたらしい”
“何だと? 地下鉄サリン事件の時の教訓はどうなったんだよ、クソ公僕どもが!!”
“落ち着け。上品が一瞬でどこかへ飛んでったぞ”
“……じゃあ、ユリコが半日以上費やしたことは無駄だったのかい?”
“それはない。秘密裏に長沼間君たちが探っているはずだ。餅は餅屋にってね”
“そう言うこと? 正直、信じ難いのだけど?”
“今は長沼間君を信じてほしい、としか言えないんだ”
“わかった。信じよう。で、君からの情報は何?”
“ウチの警備部部長が襲われた“
“は?“
“幸い、早瀬と私が一緒だったんで、未然に防げたが、犯人は逃してしまった“
“君とハヤセ隊長がいて逃したのかい“
“子供を使った巧妙なやり口でね。利用された子供たちはショックで大泣きするわで大事だったよ“
“それはなんと言うか、ゴシュウショウサマデシタ“
“あのな、誰も死んでいないぞ“
“そんな事件なら大ニュースでしょ。SNSも大騒ぎだろうに、なぜ公にしなかったの?“
“おそらく、’からかいレベルの警告‘程度だったんだろう。端から暗殺する気はなかったんだよ。大騒ぎをするのも癪なんで、公表は避けてやったんだ”
“からかいレベルって、どんな攻撃を受けたんだ?”
“その日は、早瀬と警備部部長と三人で会合していたんだ。今後の方針とか色々ね。ところが会合が終わってから……”
と、松樹はその時のことを語り始めた。
会合が終わったのが夜九時前で、ほろ酔い気分のオッサン二人と早瀬が店を出ると、店の前で小学生低学年くらいの子供が、三人遊んでいた。こんな時間に、繁華街の路地で遊ぶのは危ないと思ったが、保護者らしき女性はついている。女性は生活に疲れた表情で、車止めに座って子供達を眺めていた。見窄らしいコートを羽織り、大きめの古いバッグを持っている。それで、若いお母さんだし訳あり風なので、念のため職質をします、と早瀬が近寄ろうとしたその時、女性が自分たちを示しながら子供たちに何か指示をした。
すると、子供たちは真剣な表情で自分たちに向かって駆け出してきた。手には、何やらおもちゃの銃のようなものを持っている。本能的にやばいと思い、早瀬は子供達の方へ、松樹は警備部部長を庇い、店の庭園に立つ黒松の陰に身を隠そうとした。その時、一人の子供の銃から「ぱあん!」という乾いた音がして弾が発射された。反動で子供は尻餅をつき、惚けたような顔で座り込んだ。残りの二人は、持っている武器を放り出して、わんわん泣き出した。銃撃をする羽目になった子供は、その泣き声に我に返って、遅ればせながら泣き出した。その後すぐに右手がぶらんとなっているのに気づいて、火がついたようにギャン泣きした。泣き声の三重奏に、早瀬は困ってとりあえず周囲を見回した。
幸いにも弾丸は、誰に当たることもなく、店の庇の柱に当たってめり込んでいた。思ったより強力な銃だったようで、もし誰かに当たっていたらと思うと、ゾッとした。
女は、保護者ではなかった。子供たちはこの辺りで有名な放置児らしく、良いように利用されただけのようだった。銃を撃った子は、右肩を脱臼しており、駆けつけた警察官たちにより、残りの二人と共に最寄りの救急病院へ連れて行かれた。
“いや、びっくりしたね。まあ、早瀬君の子供達に対する滅多にない狼狽えぶりが見られたのは収穫だったが”
“あまりからかわないであげてよ。で、そのけしからん女は?”
“子供たちをけしかけてすぐに、さっさと退散したよ。私たちが子供たちに手間取ることは計算ずくだったんだろう。今、付近の防犯カメラを精査しているところだ。特定され次第君に送るから、篠原くんにも確認してもらってくれ”
“わかった。ところで君たちが襲撃された店って、ひょっとして……”
“察しがいいな。ここだよ”
“察しも何も、玄関の柱に思い切り跡があったじゃないか。何かと思ってたから謎が解けてすっきりしたけど”
“『被害者』柱だけで済んだし、児童が絡む事件だけに公表は憚られてね。だからニュースにもならなかったわけだ。もちろん、警察幹部三人がいるところで行われた強行なのは間違いないので、捜査の方は慎重かつシビアに進められている”
“で、君は、この事件があのヘキジュなんとかという教団がらみだと思っているんだね。会話をわざわざ英語にしたのが、ひょっとして店側に敵のスパイがいると?”
“いや、今時英語の判る日本人はざらにいるだろう。単に、久しぶりに君の綺麗な母国語が聞きたかったのさ”
松樹の相変わらずひょうひょうとした態度に、ギルフォードはテンションがやや下がるのを覚え、日本語に戻した。
「わかりました。で、僕からの要望は届いたと思っていいのですね」
「先ほど言ったように、長沼間君の捜査能力を信じてほしい」
「わかりました。ただ、僕にはなんか嫌な予感がするんです。なにかがまたじわじわ動き始めたような……」
「最近起こっている事件から、俺もそう思っている。わざわざ君と会う時間と場所を作ったことで、俺の真摯な気持ちを分かってほしい」
「了解です。僕たちもなにか情報を得たらそれを早急に報告しますから」
「おお、頼むよ」
松樹はそういうと、また手酌で日本酒を注いだ。
「もう少し時間があるな。世間話でもしながら時間をつぶそう。君は何を飲む?」
「えっと、日本茶で……」
「じゃあ、デザートに和菓子でもお願いしようか」
「ごっつあんです」
「相撲取りかよ」
ギルフォードから思いがけない言葉がでたので、松樹は声を上げて笑った。ギルフォードもつられて笑ってしまい、緊張した空気が一気に和らいだ。
※ボーディングスクール:英国の寮生学校




