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朝焼色の悪魔-第5部-  作者: 黒木 燐
第2章 急転
14/15

6.ディスカッション&ディスコンフォート

 話は少し前に戻る。


 碧珠善心教会F支部の建物の周囲で、突入待機をしていた三之丸たちは、なかなか指示がないことにやきもきしていた。

「何してんのよ、長沼間さん」

 警察車両やパイロンで道を塞いでいるにも関わらず、徐々に野次馬が増えていく現状に、三之丸はイラついてつぶやいた。他の警察官たちも不安そうに建物の方を見ている。SV対策チームの主任で今回の突入の指揮を任されている富田林は、かなり前からイライラの空気を纏わせていたが、しびれを切らして三之丸に訴えてきた。

「おい、遅すぎやしないか? 中で何か起きているのではないのか?」

「長沼間に限って、そんなことはないと……」

 言いながら一抹の不安を覚え、三之丸の語尾がかすれた。

「ほー、俺はただの胡散臭いヤツとしか思っていないからな。そもそもあんたら公……」

「ちょっ、やめてください」三之丸は富田林の言葉を遮って小声で言った。「私が公安ってことが周知されていないのはご存知でしょう」

 そんな中、武邑から電話が入った。

「すみません、三之丸主任、今回の突入は中止です」

「はあ、中止? 何を今更! 長沼間さんはァ⁈」

「もう少し教主と話すということです。建物の突入に十分な証拠や証言が得られなかったのと、結城から解放された多田美葉は自主的にこちらに保護されたということで、男女間のトラブルという見方をされ、誘拐事件ではないという判断になったそうです。多田美葉は、結城が行方をくらましたという危機感で残りたがったようです」

「は? ナニソレ……。で、肝心の結城は?」

「それが、数日前に多田美葉を連れて来てからすぐに出て行ったということで、行方が分からないと。僕たちが救出に行った時、室内には多田美葉だけがおどろいた顔でこっちを見ていて……」

「はあ? 一体どういうこと? わけわからんし、どうすんのよ、これ!」三之丸は自分の装備と周囲を見回して言った。「私ら、もう突入する気満々だったんだよ。このモチベーションどうしてくれんのさ!!」

「申し訳ありません。取りあえず本部に戻ってください。詳しい説明は後ほど」

 そう言い捨てて、武邑の電話は切れた。

「もう、何考えてんだよ!! だからあいつらとは仕事したくなかったんだよ」

 三之丸はガンと壁を殴った。思い切り殴ったので手袋で守られている手に結構な衝撃が走り、三之丸は顔をしかめた。彼女は右手を二回ほど振ると、ため息をついてから、横で事情を察し不機嫌さMAXの富田林に伝えた。

「とりあえず撤収だそうです。申し訳ない」

「はっはあ、申し訳ないで済んだら警察は要らんわ! って俺ら警察官だったわ、って、ふざけんな!!」

 富田林はそうぶちまけると、隊員たちに号令をかけた。

「撤収する!!」

 当然隊員たちから不満の声があちこちに上がった。

「命令だ! 四の五の言わずに帰るぞ!!」

 富田林は吐き捨てるように言うと、自ら撤収の準備を始めた。その横を、スモーク窓の黒塗りハイブリッド車が、独特の人工音を立てて通って行ったが、誰も気に留める者はいなかった。



 美葉が目を覚ますと、自分の部屋のベッドに横たわっていた。横を見ると、由利子が心配そうに自分を見ている。

「美葉、頑張ったね」

 由利子が泣笑いで言った。

「私、うちに帰れたと?」

「そうだよ、公安の人たちが助け出してくれたんだよ」

 それを聞いて、美葉の目からぽろぽろと涙があふれた。

「由利ちゃん、私、頑張ったんだよ。絶対助けが来るって信じてたんだよ。何度も死んだほうがましだって思ったけど、四か月近く……、長かった。長かったよ」

「うん、うん……」

 由利子も涙でくしゃくしゃの笑顔で答えている。

「これからも大変だと思うけど、諦めちゃだめだよ。ほら、アレクも心配してきてくれたんだよ」

 そう言われて由利子の背後を見ると、ギルフォードが立っていた。

「ハイ☆」

 ギルフォードはウインクをしてにっこりと笑った。

「ミハ、辛い状況をよく耐えてくれました。ミツキちゃんも元気になりましたよ。おいで、ミツキ!」

 ギルフォードの合図で、待ってましたとばかりに愛犬の美月がベッドに上半身を乗り上げ、満面の笑みで美葉の顔を舐めてきた。

「美月、良かった。生きてたんだね。ありがとうね。良かった、本当に良かった」

 美葉は、その時何か違和感を感じた。残暑の名残があるとはいえ、もう十月に入っている。ギルフォードはともかく、由利子は何故夏服を着ているのだろう。これは確か、最後に会った日の服装だ。明晰夢! そう思った時、ハッと目が覚めた。 

 美葉はベッドに寝てはいたものの、違和感しかなかった。横を見ると、座っているのは由利子ではなく若い女性だった。彼女は心配そうな表情で、優しく美葉の顔の汗をぬぐっていた。 

 美葉はガバッと起きて周囲を見渡した。自分の部屋とは全く違う部屋に居た。美葉の脳裏に今日の出来事が走馬灯のように浮かんだ。

「私、また、監禁されちゃったんだ」

 美葉はそう呟いた瞬間、反射的にベッドから飛び出し、ドアに向かった。しかし、当然ドアノブを回しても扉は開かない。美葉は周囲を見回すと、ドレッサーの鏡に気が付いた。迷わずそこに向かうと、右ひじでガラスを打った。ピシッと蜘蛛の巣状のひびが鏡に走った。もう一度肘打ちをしようとして、同室に居た女性が羽交い絞めにして止めた。見かけによらず、強い力だった。

「もう死ぬんだ! 死なせてよ! もう生きていたって仕方がない」

「だめだよ! 事情は分からないけど、死んじゃダメ!! ここはいいところだよ。ごはんもちゃんと食べられるし、毎日お風呂にも入れるし、ベッドは柔らかくてあったかいし!!」

 思いもよらない女性の言葉に、美葉は彼女の方を向いた。そこには邪気の全くない幼さの残る顔があった。それで気が緩んだのか、眩暈に襲われ床に座り込んだ。

「ああ、ほらほらぁ。お姉さん、すごい熱があるのよ。よっぽどのことがあったんだね。取りあえずもう少し寝ようよ。ね? ね?」

 女性は、美葉を抱えてベッドに運んだ。見かけによらず強い力だった。彼女は美葉をベッドに寝かせると、掛け布団をかけ、またベッドの横に座った。

「何があったか知らないけど、死ぬのは絶対ダメ。せっかくひどい家族から逃げてきたんでしょ?」

 美葉は女性の顔を見た。彼女は自分(美葉)のことを、家族のDVから保護されたと聞かされているらしい。確かにDVから逃げたことには間違いはないと思うが、実際の状況は全く異なっている。しかし、ここで事実を離しても彼女は理解できないだろう。自分だって状況が良くわかっていないのだから。女性は美葉に諭すような口調で言った。

「大丈夫、お姉さん先生が診てくれて注射とかしてくれたから、ゆっくり休んだらすぐに治るよ」

「うん。そうする……」

 美葉は短く答え、すなおに横になった。彼女に敵意はなさそうだ、しばらく様子を見てみようと、美葉は冷静さを取り戻した。


 葛西が対策室で『ディスカッション0』を配信で見直していると、仏頂面の富田林が帰って来た。

「あれ、富田林さんどうされたんですか?」

「どうもこうもねえよ。いきなり宗教施設突入を命令されてよ、人員そろえて装備整えて現場行って待機しとったら、また唐突に中止命令が出てな。とんだ無駄足だったわい」

「え? そんな命令が?」

 葛西は少し不満そうに言った。

「僕は聞いていません!」

「おまえ、今日は半休を取っとったやろうが」

「まあ、そうでしたが」

「どうせ、篠原由利子とデートでもしてたんだろう?」

「会ってましたがデートというわけでは……」

「そんなこたぁどうでんよか。まあ、それもあって連絡が行かなかったんだろうよ」

「あ、ということは、由利ちゃんに関係がある? ひょっとして、多田美葉の救出……」

「相変わらず勘だけはいいな。中止になった理由だが、公安さん曰く『結城はとっくに宗教施設から逃走し、多田美葉はその施設での保護を希望』だとよ」

「そんなバカな! 美葉さんがそんなこと希望するはずないです。結城から解放された美葉さんに、もう隠れる意味はないでしょう。それとも、その宗教に洗脳されてしまったのでしょうか?」

「そんなこたぁ、俺に訊いてもわからん! おそらく逃亡中の結城が不安なんだろう」

「そっか。で、それは、どこの宗教なんです?」

「碧珠善心教会だ」

「え?」

「何か心当たりでもあるのか?」

「由利ちゃんが……」

「おまえ、職場で『由利ちゃん』呼びはやめろ。公私混同だぞ」

「すっ、すみません」

「で?」

「あ、はい。篠原さんに以前、死ぬ間際に園山が言った言葉に該当する、カルト教団を見てもらいましたが……」

「ちょっとまて。その調書は俺も見たぞ」そういうと、富田林は腕組をしながら少し上を向いて考えていたが、手をポンと打って言った。

「そうだ、篠原が一番気になっていたという教団か!」

「そうなんです。H駅爆破犯の古河勇が入信していたと言われる大地母神正教に嫌疑が移ってしまい、捜査対象から外されてしまいましたが」

「てえことは、実のところ公安は碧珠善心教会をまだ疑っていたということか」

「突入指示が出たということは、それなりの証拠があったはずです。古河が大地母神正教の前に入っていた教団ですし」

「そもそも民間人の誘拐程度で公安が動くとは思えん。突入はウイルステロ画策の重要参考人の目星がついていたとしか考えられん」

「命令は何だったんですか?」

「結城の確保と人質の保護だ」

「それが、いきなり中止になったんですね」

「その時は頭に血が上っとったんで、とっとと撤収したんだが、今、頭を冷やして考えると色々妙だな。急に路線変更になったってことか」

「僕もそう思います。長沼間さんはよくギル教授の研究室に来るので、出会えたらカマをかけてみます」

「ムカつくが、相手が公安じゃそれしかなさそうだな。おまえ、このことは篠原由利子には?」

「伝えるべきだと思います。救出出来なかったのは残念ですが、多田美葉の生存は確認されているようなので」

「頑張れよ。伝え方に寄っちゃあ、彼女、県警に怒鳴り込みかねないぞ」

 富田林に言われて、葛西は頭を抱えた。富田林がしてやったりという顔をしていたので、葛西は件の配信を富田林に見せることにした。

「その碧珠なんたらという宗教団体なのですが、これを見てください」

 それを閲覧して、今度は富田林が頭を抱えていたが、教主の例の話が始まると、「ふむふむ」とたまに感心しながら聞いていた。

「教主サマのおっしゃっておられることは、筋が通っていると思うし、俺も納得するところもあるな。時々引き込まれそうでヤバかった。しかしなあ、なんだろう、この違和感は」

「やはり、違和感ありますか?」

「うむ、イケメンすぎる」

「はあ?」

「イケメンで教主という立場ってこたぁ、明らかに勝ち組側だろ。そんなリア充が、なんで地球の未来を憂える必要があんだよ? 教主なんて、女侍らしてウハウハしてりゃあいいのによ」

「もう、富田林さんてば、鹿爪しかつめらしい顔で聞いていたと思ったら、そんなことかんがえてたんですか」

「おおよ、おれはキングオブ俗物だぜ。悪いか?」

「はいはい、番組終わったから切りますよ」

 葛西はため息交じりに言うと、PCの電源を落とした。

(こういうところは、元の富田林さんなんだけどなあ)

 葛西は、「ちょっくらシャワー浴びてくるわ」といって部屋から出ていく富田林の背中を見ながら、若干の寂しさを感じていた。


 由利子は、美葉奪還計画の失敗どころか、それがあったことも知らずに床に就いていたが、何故か不安で眠れない。

「なんか、興奮して眠れないのかなあ」

 由利子はつぶやいた。確かに、あんな風に告白されたのは初めてだった。

 初めて由利子が結婚を意識した相手は、なんとなく付き合い始めてなんとなく半同棲状態になって、二股かけられて破局という、今考えると若さ故のしくじりであり、黒歴史だった。なので葛西の告白は非常に新鮮であり、嬉しくもあったのだが、七歳も年上の自分とはやっぱり釣り合わないとも思うし、さらに今まで異性というより弟ポジだった彼を配偶者としては、出会った頃ほどではないが、やはり少し頼りなさも感じていた。

 それより、心の底に何か違う不安を感じているような気がした。

「好事魔多し……?」

 由利子はまたつぶやいた。いやいや、今は全然好事ではない。美葉も見つからないし、なによりウイルス事件は殆ど進展していないではないか。では、それ故の不安か? ふっと落ちて割れたあの写真立てが頭に浮かんだ。

 色々とりとめのない考えが浮かんでは消え、由利子はしばらく寝返りを繰り返していたが、いつの間にか眠っていた。


20XX年10月4日(金)


 三之丸は昨夜県警本部に帰ってから、早々警備部部長から突入中止についての説明を求められた。仕方なく武邑から聞いた長沼間からの伝言を言うしかなかったが、非常に気まずい思いをしてしまった。あれから長沼間も武邑も姿を見せていない。二課課長の大野に訴えかけても、ぬらりくらりと誤魔化されるだけだった。


 結局、調書やら何やらで徹夜した三之丸は、目の下に隈を作ったまま由利子の朝の護衛にあたった。マンションから出てくる由利子を見つけて、軽く会釈をしてからお互い顔を見合わせた。すると両者ともに目の下に隈を作っている。

「おはようございます。あはは、色々考えたらなんか眠れなくて」

 由利子が照れ笑いをして言った。三之丸は苦笑いで答えた。

「私はクソ男共のケツ持ちで徹夜ですよ」

「なにかあったんですか?」

「いえ、大したことではありませんよ」

 三之丸がにっこりと笑って答えた。由利子はあっと思った。任務についてうっかり聞いてしまった形になったからだ。

「働いていると色々ありますよね」

 由利子はそう言ってお茶を濁すと、三之丸の先に立って走り始めた。三之丸は軽くため息をつくと、数秒置いて由利子の後を追った。


 由利子は仕方なく寝不足の状態で出勤した。迎えにはギルフォードが来たが、由利子の顔を見て一瞬意味深な笑みを浮かべ真顔に戻った。勘違いされたかなと思いながら助手席に乗ると、ギルフォードはニコッと笑って言った。

「おはよう。おや、ジュンの方が良かったですか?」

「おはようございます。どっちでもいいです。二人には感謝していますから」

 由利子はむすっとして答えた。

「葛西君とは特になにもありませんから。ただ、昨日気になる番組があったんで、葛西君と見てたんです」

「昨日、二人からメールで連絡があった討論番組ですね。僕もすぐに配信をみましたけど、なんか、こう、すごかったですね」

「ええ、久しぶりに頭がクラクラしました」

「ユリコ、会話が敬語に戻ってますよ」

 ギルフォードはそう言うとクスッと笑った。それで、由利子も可笑しくなって答えた。

「あはは、ホントだ。でも、そういえばアレクはいつも敬語やん。まあ、らしいっちゃらしいけど」

「まあ、僕は日本語をシンイチから習ったんで、敬語が一番使いやすいんです」

「あ、新一さんもそんなしゃべり方だったんだ」

「はい。シンイチが僕のために日本語レッスン用のテープを作ってくれて、そのために敬語感が増し増しになっちゃってて」

「レッスン用テープ! 時代だなあ。でもほほえましいよ」

「まあ、そんなわけで、あまり気にしないでどんどんタメ口で話してください」

 その後、やや自分に踏み込んだことを言ってしまったと思ったのか、ギルフォードは話題を元に戻した」

「で、昨日の番組についてですが、ユリコにお願いがあります。今日はその配信を見ながら文字起こししてほしいんです」

「え? またあれを見るの? しかも文字起こし? アプリ使えばいいじゃん」

「正直、僕は『碧珠善心教会』をまだ疑っています。H駅爆破犯人の古河がかつて入信していたところですから。ユリコも文字起こししながら、何か思いつくことがあるかもしれないと思ったのです」

「そっか、わかった。やってみるよ」

 由利子は快く引き受けた。

「そうそう、文字起こしだけじゃなくて、その時の状況も書いてください。誰がどういう表情をしていたとか気になった点は特に。君の主観でかまいません」

「え?」

 由利子が嫌そうにギルフォードの顔を見た。

「文章は得意でしょ?」

 ギルフォードがにっこり笑って言った。


 その日の午後、葛西と青木がギルフォード研究室に行くと、ノートパソコンの前で由利子が頭を抱えていた。

「みなさん、こんにちは」

「こんにちは、って、あれ? 由利子さんどうしちゃったんですか」

「チャオ、ジュン、カズ。 昨日の例の番組の文字起こしを由利子にお願いしたのです」

「あー、あれね。そりゃあ、ああなりますよね」

 葛西の声に、由利子が顔を上げて言った。

「おー、葛西君に青木君。こんにちは」

「今日のお茶請けは、16区(フランス菓子16区)のダックワーズです」

 青木が明るく言うと、由利子がほっとした表情で言った。

「あー、ありがとう(たすかった♪)。早いけど、お茶しよう、お茶」

 いそいそと立ち上がろうとした由利子の両肩を抑えて、紗弥が言った。

「お茶はわたくしが淹れますわ。由利子さんは続きをどうぞ」

 紗弥は由利子を椅子に座りなおさせると、さっさとお茶の用意をしに行った。由利子はげんなりとした顔をして、パソコンに向かった。

 青木がこっそりと葛西に訊いた。

「そんなすごい番組だったんですか?」

「たぶん、君の想像以上」

「うわあ」

「あとで配信先メールするよ」

「え?」青木は驚いて葛西を見たが、彼はさっさと持ってきたお土産の箱を開け、お茶の準備に取り掛かっていた。

 (おれ、見なイカンと?)

 乗り気のしない青木は、余計なことを言ったと後悔していた。


 由利子がお茶の時間を切り上げ文字起こしに戻ろうとした頃、ふらりと長沼間が姿を表した。

「よお」

 長沼間が珍しく親しげに声をかけた。ギルフォードは立ち上がり、長沼間の方に向かって言った。

「久しぶりですね」

「ああ、色々と忙しくてな」

 長沼間はそう言いながら、すっと研究室内に入って来た。

「相変わらず遠慮のない人ですね。まあ、取り敢えずソファにでも」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 ギルフォードに言われて、長沼間は遠慮なく葛西の隣に座った。そこはさっきまで由利子が座っていた場所だった。葛西は一瞬嫌な顔をしたが無理やりポーカーフェイスを作った。長沼間はそれに気づいてニヤリと笑って言った。

「おっと悪いな坊や。カノジョの席を奪っちまって」

「構いません。由利子さんは仕事に戻ったので」

「篠原は何をやってるんだ?」

「いう必要あります?」

 いつになく長沼間に冷たい口調の葛西に、ギルフォードは「おや?」という表情をしたが、すぐにいつものアルカイックスマイルに戻った。

 長沼間はその後、軽く世間話をすると、不意に立ち上がってギルフォード研究室内をぶらりと眺めて回ると、ドアに向かった。

「もう帰るんですか?」

「ああ、邪魔したな」

「何しに来たんですか?」

 ギルフォードが問うと、長沼間は心外だと言う表情をして答えた。

「いや、いつもこんな風だと思うが」

「まあ、そうですが」

「じゃあな」

 長沼間は、一言暇いとまを告げると、ギル研を出て行こうとしたが、いつの間にかドアを開けて立っている紗弥を見て、一瞬驚いた風だった。しかし、「お気をつけてお帰りくださいませ」という挨拶に「鷹峰ちゃん、またな」と普通に返してさっさと帰って行った。

 ギルフォードはいぶかしげな表情のまま、長沼間が出て行ったドアを見つめて言った。

「なんか、いつものナガヌマさんじゃないような……」

「そりゃあそうでしょうよ」

 葛西がやや声を荒げて言った。

「どうしたんですか、ジュン。らしくない」

「僕だって、らしくない時くらいあります!」

「ジュン、えーっと?」

「じつは」青木が割って入る。「長沼間さんたち公安が大ポカをやらかしたらしいんです。で、無駄足させられた富田林さんたちが滅茶苦茶怒って、結果公安二課とちょっとしたごたごたになってしまいまして」

「なるほど。それでなんとなくいつもと違ってたんですね」

「きっと、様子を見に来たんですよ」これは葛西。「で、僕らが居たので長居を止めてさっさと帰ったんです」

「で、何をやらかしたんです?」

「それが、ある人の奪還作戦がいきなり中止になったと……」

 それを聞いて、はっとした由利子が話に割って入った。

「ちょっと待ってよ。ある人ってまさか」

「公にされていませんが、おそらく美葉さんです」

「美葉? 無事だったの⁉」

「無事ではあったようです。が、今いるシェルターに残りたいと、救出を拒否したと」

「そんなわけない!」

 由利子が激しく椅子から立ち上がったので、キャスター付きの椅子が後ろに下がって一メートルほど後ろの壁にぶつかった。

「美葉がシェルターに隠れる意味なんかない。結城はどうなったの? 逮捕されなかったの?」

「武邑さんたちが突入した時には、とっくに姿をくらましていたらしいです。なので、美葉さんが怖がってシェルターに残ることを希望した……らしいです」

「逃がしたっていうの? 結城を? なんで? なんでだよ!!!」

 由利子はそのまま悔しそうに、机をグーでガンガンと二発叩いた。

「由利子さん、落ち着いてください。壁をぶち壊したいくらい悔しいのは僕らも同じです」

「そうですよ、ユリコ。そんな風に冷静を欠くなら、情報共有は難しくなりますよ」

 由利子は、机に両手をついたまま下を向いていたが、三回ほど深呼吸して椅子を元に戻して座った。

「ごめん。私はもっと冷静にならなきゃね。でも、もし救出作戦がうまく行ってたら、今頃は美葉に会えてたかもって思ったら、頭に血が上っちゃった」

「OK、ユリコ。良く自制しました」

「無事が確認できたことは良しとしなきゃね。ごめん、葛西君。話を続けて」

「はい。…結局、富田林さんたちは、昨夜十時過ぎ、突入ギリギリで中止を告げられ撤収を余儀なくされたそうです」

「長沼間さんの判断なんだね?」

「報告ではそう上がっています。僕はまだ直接話してないので、詳しいことは……」

「とりあえず、長沼間さんが変だったのは納得した。起こったことには納得していないけど」

「ですよね。僕から改めて聞いてみます」

「じゃあ、私は、さっさと例の番組の文字起こしをがんばるわ」

 そういうと由利子は席に戻っていった。

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