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朝焼色の悪魔-第5部-  作者: 黒木 燐
第2章 急転
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2.フォーチュネイトエラー

 葛西たちが現場に急行すると、警察からはまだ誰も来ていなかった。コンビニを遠巻きにして野次馬の群れが出来始めている。

 件の男はコンビニのドアやFIX窓を何かわめきながら叩いて回り、時折野次馬に威嚇のようなしぐさを繰り返している。

「やった! 一番乗りですよ」

「あのね、こういうの一番ヤバイ事件(やつ)だろ。さて、駐車場内は入れそうにないなあ」

 そう言いながら、葛西は近くの路肩に車を止めた。青木は無線で受けた情報を改めて葛西に言った。

「同居人がいきなり暴れ出して、身の危険を感じた女性が近くのコンビニに逃げ込んできて、男が追って来るのを確認した店員が、慌ててドアをロックしたということですが……」

薬物中毒(やくちゅう)なのは間違いなさそうだけど、『ルビー』の中毒とは違う気がする……」

 その時、ドアを乱暴に叩く音がした。店内を伺おうと目を凝らすと、ドアを店員や客の男性たちが必死で抑えている。

「ヤバい!」

 葛西はそう言うと、急いで車から飛び出しコンビニに向かって駆け出した。その後を追いながら青木が言った。

「あっ、葛西さん! 僕たち丸腰だし、防刃チョッキも着てません!」

「だからって、このままだとドアが破られて、中の人たちが危険に曝されてしまうよ」

 葛西はその足を緩めずに犯人の方にまっすぐ向かって行った。

「警察です! 少し落ち着きましょう」

 葛西は五メートルほど男に近づくと立ち止まってから言った。男は興奮のあまり葛西の接近に気が付かなかったらしく驚いて振り向き固まった。葛西は青木を野次馬整理に行かせ、男を落ち着かせようと出来るだけ穏やかに声をかけた。

「どうされたんですか? 話なら僕がお聞きしますよ」 

 男は葛西が厳つい警察官ではなく中肉中背のリーマン風な優男だったので、少し拍子抜けした様子だった。警察と名乗るものの、屈強さは感じられない。少し安心したのか、息を荒げたまま男が大声で言った。

「この中にいる女と話をさせてくれ。あいつ、いつの間にか間男を作ってやがったんだ」

「お店の中に女性がいるんですね。奥さんですか?」

「結婚はしていない。けど、俺の女なんだ。頼む、刑事さん、あいつを連れて来てくれたら大人しく話をするから……」

 すると、コンビニ内から女の金切り声がした。

「ふざけんな! あんた、あんたこそ……」

 女は言いかけたが、店員らしき女性に口を押さえられて店の奥に連れていかれてしまった。

「てめえ、やっぱりここに居やがったな。さっさと出てこい!」

 その後、男は再び興奮してドアを激しく叩きだした。

「落ち着いてください。そんな状態だと、彼女さんだって怖がって出てきませんよ。さあ、落ち着いて、僕に任せて……」

 その時、応援のパトカーが数台到着した。そのサイレンの音がトリガーになったのか、男の表情が変わり目が座った。突如、男は奇声を上げて野次馬の方に向かって行こうとした。パトカー内から状況を把握した警察官たちが一斉に飛び出してきたが、パニックを起こした野次馬に阻まれてしまい、群衆を抑えるために手を取られて葛西たちの加勢に向かうのが遅れた。男は奇声をあげ続けていたが、その中で「化物共が」ということが聞き取れ、葛西は血の気が引くのがわかった。禁断症状で群衆が化物に見えているのだろう。このままでは大惨事になりかねかねない。葛西はとっさに男の足にタックルをした。

「は、離せぇ! お、お前も化物だったのか!」

「葛西さん、刃物ッ、こいつ刃物持ってます」

 青木が悲鳴に近い声で叫んでいた。葛西がそれに反応して顔を上げると、刃物らしき光るものを振り上げようとする男と、走って来る青木の姿が見えた。


 由利子が息抜きにコーヒーを淹れていると、紗弥の携帯電話(スマートフォン)に電話が入った。紗弥は要件を聴きながらなにやら焦った様子で応対している。由利子が(何かあったのかな?)と思ったところで、紗弥が珍しく慌てた様子でやってきた

「葛西さんと青木さんが、職務中に刺されたそうです」

「えっ?」

 由利子は驚いてカップを落としそうになって、あわてて態勢を整えた。

「たった今、県警にいる教授から電話が入りました。急いで病院に行きましょう。教授も直接向かうそうです」

「え? なんで? そんなこと……。容体は?」

「教授も焦っておられて、搬送先を告げると直ぐに電話を切ってしまって……」

「わかった。早く行こう!」

 由利子はすぐに立ち上がってロッカーに走った。


 病院に向かう車の助手席で、由利子は黙ったまま両手を膝の上で固く組んだままじっとしていた。目は組んだ手をじっと見つめている。紗弥は車を運転運転しながら時々由利子の様子に目をやっていたが、我慢出来ずに声をかけた。

「大丈夫ですわ。葛西さん、きっと……。大丈夫に決まってますわ」

 そう言う紗弥の顔もいつもより白く緊張しているようだった。

 搬送先の病院に駆けつけた二人は、受付で入院患者の名を告げ病室に向かった。幸い彼女らには見舞いの許可が出ていたらしく、待たされることはなかった。それが逆に容体が良くないのではないかという不安を掻き立て、エレベーターのボタンを押すのももどかしく指定の病棟のフロアについた。そこでは、看護師たちが気忙しく駆け回っていた。由利子が紗弥を見ると、紗弥が不安そうな表情で見返してきた。きっと自分も同じ表情をしているのだろう。表記に従って葛西たちのいる病室に向かい、部屋の前でややためらっていると、すれ違った看護師が目を伏せて会釈した。ふたりはまた不安そうに顔を見合わせると、意を決して病室のドアをノックして言った。

「篠原です。紗弥さんも一緒です」

 すると中から『どうぞ』という青木のくぐもった声がした。由利子はそっとドアを開けた。そこは二人部屋らしくベッドが二台あり、ベッドに横たわる葛西と、その横で病衣を着て椅子に座りうなだれた青木の姿があった。葛西の頭には包帯が巻かれて晶がはいっていた。一グラムとはいえ、使用したら大変な事態を引き起こしかねない。

 妃都美はそれを使っていないときっぱりと言い切った。

 そもそも妃都美は体質的にドラッグ類を受け付けず、同居し始めてからもドラッグの気配はなかったと言った。普段の圭一は爽やか系の好男子で、職業も営業職で真面目だと評判の男だったという。ところがある時期から彼の営業成績が落ち始めた。苦悩と焦燥の中、大学時代の仲間から何の気なしにもらった危険ドラッグ(ハーブ)がきっかけで薬物使用がどんどんエスカレートして行った。妃都美が気づいた時には常習化しており、会社も休みがちになってある日相談もなく辞めてしまった。それでも彼女は元の彼に戻って欲しい一心で何とかドラッグをやめさせようとしたが、圭一の方は彼女にもドラッグ使用を勧め始めた。妃都美は圭一に否定的な彼女に対して、間男がいると妄想し始めたのがこのころからだと言った。

 ある日、騙し打ちで『ハーブ』入りの紅茶の飲まされ、二日間ねこんだという。身の危険を感じた妃都美は別れることを決めた。もともと零細とはいえお堅い企業の経理を務めている妃都美にとって、職を失うリスクは避けたく、なにより圭一にはほとほと愛想がつきてしまっていた。相談した友人達にも急いだほうがいいと言われ、意を決した妃都美は今日それを告げた。すると圭一は赤い結晶を持ち出して来て妃都美に使えと強要してきた。知り合いからお試しでもらったから、一緒にキメよう。君を俺からは逃げられなくしてやるよと。

 恐ろしくなった妃都美は隙を見て逃げ、近所のコンビニに助けを求めた。


 その後はみなさんご存知の通りである。


「その知り合いって、誰か心当たりはありませんか?」

 富田林が訊くと、妃都美は少し考えてから言った。

「赤いドラッグと関係あるかはわかりませんが、最近目代の電話での会話に『マキさん』という名前が頻繁にでていたように思えます」

「マキ? 男友達ですか?」

「おそらく女性です。その名前を聞くようになってから、あの……たまに朝帰りしてくることもありましたし」

「マキという女性ですか」

 そう言うと、富田林はしばらく黙り込んだ。

(葛西の報告書にそういう名前があったな。マキ……、マキ……、真樹村? まさか、あのKIWAMIとかいう……)

「刑事さん?」

 富田林は妃都美の声で我に返った。

「ああ、申し訳ない。つい考え事をしてしまいまして」

「マキとかいう人、やっぱり危ない人だったんですか?」

「いえ、まだなんとも言えません。でも、西山さんが目代から赤いドラッグを試される前に逃げきれて良かったです、本当に。万一これからそういうことがあっても、絶対に拒否してください。ドラッグはダメです! 絶対に!!」

 そう言うと、富田林はいきなり立ち上がり「ご協力ありがとうございました」と言いながら一礼し、その場を去った。残された妃都美は、豆鉄砲喰らった鳩のような顔をして座っていた。


 由利子はふらつきながら病室に入った。心臓がバクバクしていた。紗弥は相変わらずポーカーフェイスだが、目に不安の色は隠せなかった。

 青木はさっと立ち上がると言った。

「篠原さん、紗弥さん、ご心配をおかけしました」

「青木さん、ご無事だったんですね。で、あの、葛西君は……」

「ああ」青木は笑顔で答えた。「葛西さん、昨日徹夜して調べ物をしていたらしくて、爆睡しちゃってて……」

「はあ、寝てるだけ……」

 いきなり緊張が解けて、由利子はへたへたと座り込んでしまった。紗弥がすぐに由利子を支え、青木が慌てて自分の座っていた椅子を持ってきて由利子に座らせた。そして包帯を巻いた自分の右手を見せながら言った。

「葛西さんも僕も、ちょっと切り傷を負いましたが、出血量にしては大した傷じゃなくて数針縫う程度で済みました。特に葛西さんはナイフをよけた時にナイフが頭をかすって、頭って怪我のわりに出血が多いんでビビりましたが」

「頭を数針……。てことは避けられなかったら……」

「大丈夫です。僕らは訓練してるんで、油断しなきゃそうそう刺されたりしませんから」

 青木は由利子を心配させないように明るく言った。

「なんにしろ、良かった……」

 と言いながら、由利子が安どのため息をつくと、紗弥が同意して言った。

「本当に……」

 そういう紗弥の顔は、先ほどより和らいで見えた。

「看護師さんたちが慌ただしくしてたんで、ひょっとしたらって」

 由利子が少し照れ臭そうに言うと、青木が納得して答えた。

「ああ、この階に入院してたお爺ちゃんが危なかったみたいですよ。だいぶ持ち直したみたいですが」

「そっか。なんだ勘違い」

「でも、そのおじい様、持ち直されてよかったですわ」

 周囲の話声で葛西が目を覚ましたらしく、布団がもぞもぞと動いた。包帯の頭が左右に動き葛西がむくりと起き上がった。

「なんか良く寝た……」

 葛西は呑気に言うと、欠伸をした。その後、由利子たちに気づいて言った。

「あ、由利ちゃん、紗弥さん。わざわざすみません。僕はこの通り大丈夫ですから……」

 葛西ののほほんとした様子に、由利子は今までの不安と心配の分だんだん腹が立ってきて、椅子からザッと立ち上がって言った。

「馬鹿ッ! 誰が由利ちゃんだッ! 本当に心配したんだぞ。ジュリーに続いて葛西君まで失ったらどうしようって! 気を付けろよ、本当に!」

 気が付くと、目からぽろぽろと涙がこぼれていた。由利子はそのまますとんと椅子に座ると両膝を掴みそのまま涙をこぼし続けた。思いがけず由利子が泣き出したので、葛西は焦って謝った。

「由利子さん、ごめん。心配かけて。本当にごめん」

 二人の様子に青木は少し困っていたが、紗弥がそっと立ち上がってドアに向かったので、自分も上着をはおってその後に続いた。

 病室から出ると、そこにギルフォードが立っていた。実は由利子たちより先に来ていたのだが、葛西たちの怪我が深刻ではないと聞き、対策部と感対センターに連絡していたとのことだった。戻ってきて病室に入ろうとしたら由利子が泣き出したので、入ろうか迷っていたという。そう説明した後、ギルフォードは紗弥の肩をポンと叩いて言った。

「あの二人、いつの間にかいい感じになっちゃいましたねえ」

「ええ、そうですわね」

 紗弥は相変わらずつんとした表情で答えた。ギルフォードはそんな紗弥の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「僕らは完敗ですね」

「え? 教授はともかく、わたくしはそんな……」

「ジュンはいい人ですから、みんなから好かれマス。そして、僕はジュンとユリコは(あね)サン女房で良く似合ってると思いマス。ですから、僕はジュンをアキラメマス」

 それを聞いて紗弥はクスッと笑って言った。

「教授、日本語が退行してますわよ」

 ギルフォードは、紗弥の頭をもう一度ぽふっと優しく叩くと明るく言った。

「さて、お邪魔虫はお茶でもしばきにいきますか。病院内に可愛いカフェがありました。アオキさんもご一緒しませんか?」

「ええ、ええ、もちろん喜んで」

 青木は彼等の会話について行けなくてぼうっと立っていたが、不意にお茶に誘われて、二つ返事で答えた。青木も病室の二人をしばらくそっとしておいてあげようと思っていたので、渡りに船のお誘いだった。


 しばらくして、由利子は涙をぬぐうとため息をついて言った。

「よく考えたら、そんな状態で身内でもない私たちが入れるわけないよね」

「はあ、なんかすみません。僕も薬物中毒を甘く見てたかもしれません。あんなにいきなり豹変するなんて。実は、青木君が駆けつけてくれなかったら危なかったかもしれません」

「ほんとに気を付けてよ」

 由利子が葛西の顔を不安そうに見ながら言った。葛西はそれを受けて申し訳なさそうに言った。

「僕は警察官です。志をもってこの職業に就きました。なので、これからも危ない目に遭うかもしれません。なのに昨日、あんなことを言って混乱させてすみません。なんか浮かれてたみたいです」

 由利子は無言で下を向いていた。しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのは由利子だった。

「葛西君、私ね……」

 そう言うと、大きくため息をついた。

「昨日、本当は嬉しかったんだ。葛西君みたいなまっすぐな人に言われて。若いころだったら喜んで受けたと思うよ。でもさ」

 由利子はショートカットの髪を右手で何度かかき上げながら、少し辛そうに言った。

「この歳になるまで色々経験してさ、そういうことは軽々しく受けられなくなったんだ」

「僕は決して軽い気持ち言ったわけじゃないです。ずっと考えてたんです。多美さんに乗せられたからじゃなくて……、いや、若干それはあったかもしれませんが、初めてお会いした時に、思ったんです。なんかこう……この人いいなって……あー、えっと、あの、うまく言えませんが……」

「うん、葛西君に下心とか全然ないってわかってるよ。真摯に言ってくれたんだって。だけどさ……」

「年の差ですか? たしかに僕は7歳下です。頼りないってことは判ります」

「葛西君は、もう頼りなくないよ。私から見ても、立派な警察官だよ。でもさ……」

「そうですよね。僕、幼い頃、母が父を笑顔で送り出した後、いつも一瞬だけ不安そうな顔をしていたのを見てました。父が殉職した時の母の様子は、今もはっきりと覚えています。それを由利子さんに負わせるのは……」

「考える時間をくれる?」

 葛西の話している途中でいきなり由利子が言った。

「え?」

「そしてもう一度話そう。真摯に言ってくれた葛西君には、真摯に答えんとね」

 それを聞いた葛西の表情がパッと明るくなった。

「待ちます。待ちますよ、もちろん!」

「ありがとう。取りあえず軽症といっても頭を怪我したんだから、今日は安静にしてなきゃダメだよ」

 由利子が言った先から、葛西は嬉しさに万歳しようとして右手が頭の傷に当たってしまい、痛たたたたと頭を押さえてベッドにつっぷした。

「わあ、葛西君大丈夫!?」

 と言いながら狼狽えた由利子がナースコールを押した。すぐに担当看護師が駆けつけ医師も後から駆けつけてきた。その後ろから、心配でお茶を早めに切り上げて帰って来たギルフォードたちが足早にやってきた。不安そうな紗弥と青木を制しギルフォードがそっと病室を覗き、肩をすくめて言った。

「よかった。大丈夫そうです」

 それを聞いて、二人もそっと病室の中を見た。扉の向こうには、葛西と由利子が仲良く医師と看護師に謝っている姿が見えた。


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