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阿吽(あうん)の呼吸

作者: 三歩

 嫌なことがあった。生きていくのが苦しくなった。


 騒がしい。ざわざわと、毎日音に囲まれて。何故責めてくる。何故苛めてくる。何故巻き込んでくる。


 助けてほしい。でも、そんな気持ちに触れてもらうことすら拒んでしまう。自分が情けない人間だと、劣等な人間であると認めてしまうのが怖くて。


「君よりずっと苦しい思いをした」

「私よりマシだよ。」

「君はまだ甘い。」

「私は努力した」

「君は努力したのか」

「あの人は頑張ってるよ」

「君は行動したのか。」

「君は。」

「君は。」

「君は。」


 安い言葉にしか聞こえない。比べないでほしい。


 何を知っているの。決めつけないでほしい



 おねがいします。でないと、わたしは。




 暗闇の中。大男の垂れた、大きな耳がぴくっと動く。

 少しして、閉じていた目が少し開く。


「聞コエタカ。」


 下顎から伸びる2本の牙が動き、野太い声を発する。


「うん。ちゃんと聞こえている。」


大男の大きな背中に、背を預けている少女が答えた。目を閉じていたが、返事の後目をゆっくり開く。互いに腕を組み、開いた目は暗闇をみている。少女は大男の背中から体を起こし、立ち上がる。大男も立ち上がる。

 大男の体は炎のように赤い体色であり、その巨体はまさしく大岩。黒い鎧のような衣から生える四肢は、とても力比べで負かすことはできない猛々しい大きさ。耳は垂れており、コメカミより少し上にある。眉間に皺を寄せ、黒い眼が恐ろしく睨んでおり、太い眉、ゴツゴツとした顔つきを見れば身の毛がよだつ。白の縦髪と赤に染まった長い髪。もみあげから顎まで、隆々と膨れた白い髭。口を開くと、鋭く尖った4本の犬歯。顎から伸びる2本は特に大きい。


 少女は対して小柄。少し色白な肌。身動きの取れる白い衣を着ており、首に赤い布を巻いている。人のような身形であるが、つんと尖った耳がコメカミより少し上にある。凛とした顔つきであるが、目尻は艶めく朱色で染まっている。黒の縦髪と白に染まる白髪は、肩に届かない短さ。輪っかの形をした銀冠を額から一周して被っており、その頭には短い1本の角が生えている。閉じた口から上顎の犬歯が僅かに覗いている。


「行クゾ、彼ノ元ヘ。」




「いやー、なんでわかんないかなー。この企画はやんないって言ったでしょ?。んん?」


「す、すみません。」


 バタバタと人が行き交い、書類の積み上げられた机が均等に並ぶ広いオフィス。電話の音や人の声があちこちから聞こえる中、オフィス入り口から真正面、窓側にある大きなデスクを挟んで、2人の男が話をしていた。


「人手頼りで大袈裟な配置。コストも半端ない。スポンサーが集まる大きな会場なのに、ここまでやるときついよー?ただでさえ例年と比べて世知辛い世の中だよー?わかってるー?いやー、なんでわかんないかなー。」


「し、しかし。もう少し手を加えておけばという反省があって、修正を依頼して頂きました。それに基づいて企画を」


「え?何?私の責任と言いたいの?んん?責任を私になすりつけるの?張り切ってやるって言ったのに?はぁ。」


 背筋を伸ばし、少し弱々しくも意見を言う若い社員。そして椅子に座り、机の上に置かれた書類をボールペンでしつこく叩く年配の社員。


「大体ね、何かあって責任取れるの?君。言うからには絶対にできるの?ん?どうなの?んん?」


「せ、責任、責任って。なんで、そんなことばっかり言って」


「はぁ、ダメだねぇ。」



 放たれた一言。

 それに呼応するかのように、闇の中から振動が鳴る。



 2人の会話が続く。その会話に聞き耳を立てていた数人の社員が小さな声で話していた。


「またやってるよあの2人。」

「あんな上司の嫌味によく耐えられるわよね。」

「もうやめた方がいいって。どうせ否定されるし。」

「トバッチリがこっちにもくるの、わかってるのかな。」

「むしろ変に張り切ってると、苦労するのは俺達だ。巻き込まないでほしいぜ。」


「そもそも、上司の責任押し付けられて企画担当になったみたいだけど、昔から年に一度のイベント任された日には、担当社員はみんな辞めていくらしいよ。成功したら上司の功績、失敗は部下の責任になるとか。噂だけど。」


 その時、オフィスの自動ドアが開いた。


「お疲れ様です!」


 1人の男性スタッフの挨拶から、皆一斉に作業の手を止めて立ち上がり、入り口に向かって頭を下げる。


「お疲れ様です!」

「お疲れ様です!」


 挨拶の先にいたのは、3人の会社員。周りの反応を見ると、重役であると分かる。背後から2人の部下らしき人間、先頭を歩くのは中年の男。


「どうかね課長、企画のほうは?来月に差し掛かってるぞ。」


 どこから出る声なのか、やけに耳の中で残る少し高い鼻声。上司も立ち上がり、状況説明を始める。


「いやそれが部長。この社員が企画担当のリーダーですのに、未だ企画、スポンサー対応、イベント会場に来場頂くお客様の対応方法等が決まらず、私に相談してくる始末。」


 最後の一言に、リーダーである社員は驚く。


「そ、そんな!私は改善を依頼されたので」


「おい!私が説明する間に口をはさむな!ほんとに言い訳だけは一人前だな!んん!?」


 課長は唾を飛ばしながら、社員を叱責する。


 闇の中の振動が、大きくなる。


「なんだ、また君か。先週も企画に欠点があったそうじゃないか。課長が心配していたんだぞ。何故もっと努力しないんだ。」


「で、ですから私は」


「おい!『ですから』とはなんだ!部長に向かって!言葉遣いから酷いな君は!」


 課長がボールペンを突きつけ、再び叱責。部長も怪訝そうに社員を見る。その社員の背後にいる皆も、一点に社員を見る。


「君という奴は」

「なんという奴だ」

「反省しろ」

「謝罪しろ」

「君が悪い」

「全て君が」


 揺らぎが亀裂となり、更なる闇が溢れ出た。


も う い や だ 


 その瞬間、社員はボールペンを奪い、書類を蹴飛ばし、机に登り、課長へと腕を振りかぶる。




 社員が目を開くと、暗闇の中にいた。


「あれ、ここは。」


 社員は周りを見渡す。革靴の裏に地面の感触はあるが、周りは果てしない暗闇。


 僅かに、匂いがした。無意識にもう一度嗅ぐと、鼻を手で覆う。


「なんだ、この臭い。」


 鼻をつく臭いの原因が、背後にあると感じた。そして、社員は振り向く。


 その目の前にいたのは、巨大な何か。ドロドロと液体が流れ、その中心に大きな瞳が見開いていた。


「ひ、ひいい!」


 驚愕した社員は尻餅をつく。体が震え、身動きが取れない。その物体の目がほくそ笑むように歪み、その下から大きな口が開いた。無数に並ぶ歯と、不気味な紫色の舌を見せた。


「わあああああ!化け物ー!」


 涙を流しながら、社員は立ち上がって逃げようとする。震える足が思うように動かず、何度もこける。立ち上がりこけてを繰り返し、少しずつ化け物から離れる。ようやくまともに立ち上がり、駆け出そうとした。だが、何かに脚を掴まれた。


「ひいい!!」


 その足元に、化け物に似た小さな化け物が数匹、足元に固まっていた。足をとられ、抜けない。大きな化け物が体を滑らせながら、徐々に迫る。


「い、いやだ!こっちにくるな!!なんでだよ!俺が何したってんだよ!!なんで俺が、こんな目に!!」


 足元の化け物を引き剥がそうと手で掴むが、気色の悪い感触と共に本体を握るが、全く離れない。


「離れろ!離れろよお!ひっ!」


 叫ぶ間に、社員が顔を上げると、ほぼ真上に化け物の瞳があった。目の前に、大きく口が開かれる。


「あぁ、あああああああ!」


 男は目を瞑り、腕で顔を覆った。



 その時、瞑った瞼の隙間から光が差し込み、大きな音が鳴る。突如体を何かに抱えられた。


「ひぁあああああああ!!」


 目を開くと、化け物が下にいて、自分の体がどんどん高く飛んでいた。


「ひいいいいい!ひあああああああ!!ぎゃああああ!!」


「フム、サシテ瘴気ヲ貰ウテオラヌナ。」


「へぁ!?」


 声の方へ瞬時に顔を上げた。自分を覗く、大きな2つの眼と、牙を目の当たりにした社員は、僅かなうちに項垂れた。


「フハハ、気ヲ失ウテオル。」


 笑う大男は片腕で社員を抱えたまま、化け物から離れた場所へ着地する。化け物は遠くから、そして大男も、互いに眼を合わせる。


「我ハ『現世阿吽うつしよのあうん』、『阿形あぎょう』。『疫病神やくびょうがみ』ヨ。覚悟ハ出来テオロウナ。此ノ世ハ此奴ノ世。オヌシガ介入シテ良イ場デナイコトハ承知シテオロウ。速ヤカニ『在ルベキ地』ヘト還ルガヨイ。」


 阿形、そう名乗った大男は化け物、疫病神へと大きな声で伝える。対して疫病神は目を閉じる。


「くくくくく。」


 すると、疫病神は大きな口を開く。


阿形あぎょうよ。我等『神』を知らぬという事はないだろう。神が人間を創造したと共に、我もまた人間が創り出した『神話』を元に、時を経て生まれたのだ。だから私はこの時まで、此奴らの中より溢れる憎悪を我が吸収し、世の均衡を守っている。」


「否、均衡ハ疫病神、其方ガ揺ルガシテオルト気ヅカヌカ。度ヲ過ギタ現世ヘノ介入ガ、ソノ姿ヲ物語ッテオル。」


「ふはははは!それの何がいけないのだ。憎悪を生み出すのは人間であり、むしろ私は何もしていない。私は役目を果たしてるだけ。」


「よく言えるもんだね。」


 2体の会話に、別の声が割って入る。


「何!」


 疫病神の目が見開く。その目の前に、何者かが勢いよく着地する。風が舞い、阿形の長い髪と髭がなびく。


「オウ、吽形うぎょう。捕ラエタカ。」


 阿形が降り立った少女に声を掛ける。吽形と呼ばれた少女は、両腕を伸ばした。吽形うぎょうが握っていたのは、球体となった小さい疫病神が2体。ジタバタを暴れている。


「2人の人間に入ってた。」


「フフフ。サア疫病神ヨ。コレハ何トスルカ。」


「く、我は知らぬ!疫病神は我のみ!そのような姿の雑魚は、我の関するものではない!」


「コノ者ノ足元ニ、吽形が抱エル姿ト似タモノヲ見タガ?」


 疫病神の目は、阿形をばつが悪そうに睨む。


「神デアル其方ナラバ、数千、数万ノ人間二付ケ入ルナド、造作モナイデアロウ。雑魚ノ姿トナッタ其方ノ分身ガ証拠ヨ。ナレド、人間ヲ自ラ操ルトハ、神二アラヌ行為。故二、」


 阿形ガ疫病神に指を指す。それにあわせるように、吽形は刹那に動く。


「戒めに基づき裁く。」


手に持つ雑魚が離された瞬間、雑魚は真っ二つに斬り裂かれた。雑魚は紫色の煙となり霧散した。低く身を構えた吽形の手に刀が握られていた。刀身に白い陽炎が揺らめく。


「く、くくくくく。」


 疫病神は目を瞑り、笑い出した。


「愚かな。神でもないお前達ごとき。」


 目を見開くと、吽形を見た。


「消し去ってくれるわ!!」


 ドロドロとした体を揺らし、その姿が大きくなる。横に広がった体が、津波のように吽形へと襲いかかる。吽形の構えが動くと、刀身から揺らめく陽炎が大きくなる。


白閃びゃくせん


 吽形の一声、刀が横に振られると、一瞬疫病神の体に線が通る。瞬く間に、疫病神の体が真っ二つに割れる。


「ぐおおおおおおお!」


 大きな波が唸り、液状の身体がボトボトと零れる。それらが再び結集して大きくなり、その中央に目が見開く。


「ふはははははは!我を倒したと思ったか!残念だ。我は憎悪、念により塊となったもの。そのような攻撃では何度やろうと無駄な事だ!」


「白閃。」


 再び斬られる疫病神。


「無駄だと言っただろ!」 


「否。」


 次に発したのは阿形。跳躍し、疫病神へと突撃。阿形は両腕の拳を握る。


おごル事無カレ、墜落シタ神ヨ!」


 叫ぶ阿形の拳が燃え盛り、右腕を引く。


炎爆えんばく!!」


 右拳が突き放たれる。豪快な爆発音と共に、宙に浮いていた疫病神の体もろとも炎が弾け飛ぶ。


「うおおっ!?」


 その振動と共に、気絶して横になっていた社員が飛び起きる。


「な、なんだ貴様!何故そんな力を持っている!」


 何処からか、疫病神の声が聞こえた。状況がまだ把握できない社員が目の当たりにしたのは、再び形成されていく疫病神の姿。だが、その姿は先程と違い、吽形が握っていた疫病神と同等のサイズになっていた。阿形は右拳を握り締める。


「然ルベキ時二備エ、我等有リ。神ノ領域二対等スル事ハ成セズトモ、天ヲ戒メル者トシテ、此ノちからヲ我等ハ秘メテイル。」


 そして、吽形は刀を振り上げる。


「私達は現世阿吽うつしよのあうん。神の導きに付き従う人間達を護る為にいる。疫病神、貴方はやり過ぎた。今一度彼の地へと還り、所業を戒めるが良い。」


 同時に、己の武器を振り下ろす。




「課長、それはなりませぬ。」


 課長の突き出したボールペンを、部長の後ろにいた部下が握る。


「な!」


 なにをする!と叫ぼうとした課長。だが、見上げたその部下の身長に度肝を抜かれた。


「な、ななな、なんだ!君は、この男を庇うのか!」


 冷や汗を流す課長は早口にそう言った。握られたボールペンを抜き取ろうとするがびくともしない。


「聞けば、彼の立ち振る舞いからは、課長の仰る素行をとるとは思えませぬ。ここはどうかお納め頂きたい。」


 体格と強面からは似つかわしくない、優しげに諭す部下。それには課長も口を開けなくなった。


 そんな中、課長に手を伸ばしかけた社員の手を、そっと後ろから手を重ねていた人がいた。息切れする社員が振り向くと、部長と部下と一緒に入ってきた、背の低い、眼鏡を掛けた女性社員。首には赤い布を巻いている。男性社員の息はまだ荒い。見開く男性社員の目を見つめる女性は、笑みを浮かべた。


 その時社員は、ぼやけていた記憶から何かを思い出した。閉じていく世界に立つ阿形。振り返った吽形の表情。


「君、どこかで。」


 社員が言いかけた時、女性の手が人差し指を立て、社員の口に当てた。


「大丈夫。貴方の責任じゃなくて、これは会社の責任。ここまでよく頑張ったね。さあ、もう一度貴方の企画を、私達に教えてもらえるかな。」





 誰しもに降り掛かる、艱難辛苦。人1人では乗り越えられなくとも、手を差し伸ばしてくれる人がいれば超えられる。


 決して見捨てたりはしない。


「其方ニハ秘メシ物有リ。光明遮ル者現レシ時、我等現世阿吽ガ護ル。」


「何かあれば、思い切り息を吸って、ゆっくり吐いて。

それが私達を呼ぶ合図になるから。」



 阿吽の呼吸。始まりから終わりまで。


「必ズヤ、」

「貴方を護る。」


最後まで読んで頂きありがとうございます。思い立ったら筆、もとい指を動かしてました。スマホ便利。

阿吽の呼吸は、誰しもが一度は聞いたことのある言葉。よくある意味だと「息がぴったり」「一心同体」みたいなイメージでしょうか。でも、深く掘り下げてみると、実は色々と意味があるのです。

 神社にいくと、狛犬が2体並んでますよね。実は調べてみると、様々な諸説が浮き彫りとなり、今回登場する阿形あぎょう吽形うぎょうに繋がるエピソードが出てきます。

 ほんのちょっとお伝えすると、この狛犬、実は片方が、「獅子」なのです。獅子は口を開けており、厄を祓う。対して狛犬は口を閉じ、幸福を呼ぶ。そんな意味があるのです。沖縄で見かけるシーサーも、2体見ると口を開けてたり閉めてたり、はたまた玉のような物を咥えてますよね。あれにも意味が実はあるんです!へー、となっちゃいます。

 息が詰まった時、深呼吸することが大事と言います。この呼吸も、案外阿吽の呼吸に近いところがあります。幸せを呼び込みたい時、まずは深呼吸。これ、大事です。是非、神社等に行かれて、獅子と狛犬を見かけた時は、2人を思い出して頂ければ幸いです。

 最後になりますが改めて申し上げます。本当に最後まで読んで頂きありがとうございます。

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