困窮者の訪れ
一周年でございます。今後ともよろしくお願いいたします。
水が、滑るように走ってきた。川ではない。溝などない。森の無秩序な凹凸の上を、不自然にかつ素早く水が流れていく。
本来であればそれは地面の上の土や草、ゴミを拾って汚れる。しかし、この水はそれらを一切巻き込まない。清流のまま、一直線。
代わりにその身に抱いているのは、人だ。
「うあぁぁぁぁぁ!?」
「俺は泳げないのにぃ!」
「太陽神ソルデガン、海神カルケラート、帝国の神様! ああもう、ともかく誰かお助けぇ!」
一人や二人じゃない。十人や二十人でもない。数十人がこちらに向けて流れてくる。年齢もバラバラだ。女子供、老人が多い。理解のできない状況に、皆悲鳴を上げている。でもしょうがないのだ。彼らは今、危険の真っただ中だ。
「ブルギィィィィ!」
頭は猪、身体は熊。どこかの魔法使いがやらかした結果なのか。異なる世界の奇跡なのか。ともあれ、この奇怪な怪物、ボアベアが複数彼らに襲い掛かっていた。しかも、それは偶然ではない。ボアベアは、嗾けられたのだ。
「ゴァァッ!」
ざんばらな髪。筋骨隆々な体躯。手には粗末ながら頑丈極まる巨大な棍棒。オーガが三体、ボアベアを追い立てている。
筋肉の塊のようなボアベアと、怪力という単語が具現化したようなモンスターであるオーガ。ろくに戦ったことがなさそうな彼らが、抗えるわけがない。
だから、こうやって逃がしているのだ。
「うーん、さすが先輩が嫌がるだけはある。凄まじいパワーだ。大精霊の呼び名は伊達じゃない」
「ガーディアンの評価はともかく。この程度造作もない事です」
俺の隣に立つ、水で形作られた女性は世間話のようにそうおっしゃる。契約したばかりの大精霊、レケンス様である。……ああ、様は止めるよういわれていたんだった。だが、改めてつけたくもなる。
百人を超える人間を、あんなふうに高速で避難させられているのは彼女のパワーのおかげである。そうでなければどのような惨劇となっていたことか。考えたくもない。
「ミヤマ様。準備、整ってございます」
「ん。それじゃあ攻撃開始」
「はい。よーい! ……放て!」
エラノールの号令に従い、隣に控えていたダークエルフが矢を放つ。それは、笛のような音を立てて空を舞う。鏑矢、正確には蟇目鏑矢と呼ばれる合図に使う矢である……と教えてもらった。
森の中にそれが響き渡る。同時に、ボアベアやオーガの背後から矢が次々と浴びせかけられた。
「ブギィ!?」
「ガァッ!」
悲鳴が、奇襲の成功を知らせてくれる。上手くいって何よりだ。
さて。なんでこんなカオスな状態になったか。はじまりは、ダンジョン周辺の警戒を任せているエアルからの急報だった。たくさんの人間がダンジョンに向かっている。さらに、それを狙ってモンスターが迫っている。
トラヴァーの翻訳により、人間たちの中に子供や老人が混ざっていると聞いては黙っていられるわけもなく。大急ぎで戦力を率いてダンジョンから飛び出した。どうやって人々をモンスターから守ろうかと悩み始めた所に、レケンスからの進言。
自分なら簡単に人々をこちらに逃がせる。さらに、ダークエルフの戦士たちを率いるペレンからも提案。モンスターが逃げる人間たちに集中している間に背後に回れば、効果的な奇襲が可能だと。
時間もなかった事だしさっくり採用。無事成功してこの結果である。レケンスの奇跡もさることながら、ダークエルフたちの移動技術も素晴らしい。……うちのダンジョンも、ずいぶんと層が分厚くなったものだ。
そして、奇襲だけに終わらないのだから頼もしい。
「いやっほい!」
「グゥラァァァァッ!」
「二人とも、前に出すぎないように!」
ミーティア、ダニエル君、セヴェリ君の三人が真正面から迎撃する。ミーティアは蛇腹によって地形の悪さをものともしない。早速オーガの一体に絡みついて引き倒している。いかにオーガが怪力だろうと関節を決められては抗えない。……あ、首に噛みついた。あれは終わったわ。
ダニエル君は豪快だ。筋力と質量で勝るボアベア相手に一歩も引かない。かぎ爪で引き裂く、噛みつく、蹴り飛ばす。それでいて、ボアベアの攻撃をかわしている。攻撃範囲そのものに入らない様に立ち回っているんだな。とってもテクニカル。
そしてセヴェリ君はさらに上手くやってくれている。蜘蛛の巣や氷のつぶてを使って怪物たちの動きを鈍らせている。するとどうなるか。ダークエルフたちの矢玉がさらに刺さるというわけである。
戦場のコントロールこそが魔法使いの仕事、と誰かが言っていた。今回のセヴェリ君は、見事にそれをやってくれているわけである。
次々と、モンスターが討ち取られていく。襲われていた人々も、俺のいるダンジョン前に到着する。状況は、ほぼ決した。我が方に怪我人なし。水に運ばれてきた人々にはいるようだから治療のために話を聞かなければ……。
「ガァァァァァァ!」
と、大気を揺るがす咆哮と共に、オーガがこちらに向けて走りこんでくる。身体にはハリネズミの様に矢が刺さっているというのに、砲弾の様に一直線。これだからオーガは恐ろしい。
いつもなら、石の一つも投げるところだが今回は全くもって不要。それは何故か。レケンスやエラノールが隣にいるから、ではない。強力な迎撃要員がほかにいるからだ。
目と鼻の先まで迫ったオーガに、それは容赦のない一撃を浴びせた。頭上から、柱のような大質量が叩きつけられたのだ。それは鞭のように素早く、直進に全力だったオーガに避ける術はなかった。
さながら、虫を潰すが如く。筋肉が、骨が、分厚い皮膚が押し潰された。これで生きていられるはずもない。ろくな悲鳴も上げられず、最後のモンスターは討伐された。
「うーん。流石。お見事でござます」
俺は、ダンジョンのある大岩の上へ向けてサムズアップ。わっさわっさと、枝が揺れる音が聞こえる。伝わったようだ。
さて。俺は一回しゃがみ込む。そして、袖の中にいた黒鱗の蛇を地面に下ろした。蛇はそのまま体をくねらせてダンジョンに入って行く。期待通りの働きだった。戦力の充実は心を支えてくれる。だからこそ、この状況にも冷静でいられる。
人々を見やる。反応は様々だ。ダンジョンの上を、口をあんぐりと開けて眺める者。戻ってきたミーティアやダニエル君に怯える者。エアルやレケンスを物珍しく見るもの。
そして、俺に対して鋭い視線を投げる者。とりあえず、動くとする。場のイニシアチブを握るというのは大事な事だ。
「はい、皆さんこんにちは。私はナツオ・ミヤマ。このダンジョンのマスターだ。そして周囲のモンスターたちは俺の配下。皆さんが暴れたりしない限り、襲ったりしない。そこは安心してほしい」
ざわり、と人々が騒ぎ出す。改めて見ればひどい有様だ。皆、ずいぶんと汚れている。レケンスの水によるものではない。一体どれだけの間、身を清めていないのか。服だって汚れもあれば破損もある。
そして、水濡れで顔を青くしている者も多い。けが人もいる。話を急ぐ。
「皆さんがどのような理由でここに向かっていたかは、今は問わない。まずは治療と暖を取る事から。それでよろしいね?」
最後の言葉は少し強く言う。問答している時間はないのだから。
「あ、あんたを信じろっていうのか!」
人々の中から、そんな声が聞こえた。全くもって、当然の発言だ。俺だって同じ立場ならそう思うだろう。こんな時こそ神頼み。
「偉大なる森の神、アラニオス神に誓う! 君たちがこちらに害を与えない限り、我々もそれをしない!」
「!?」
ざわめきが大きくなる。神々が実在するこの世界において、神に誓うというのは極めて大きい。ましてや、俺が誓ったのは人間に厳しいアラニオス神様である。……ふふふ、誰もいないはずの慰霊碑の方から真冬のような冷たい視線を感じるぞぅ! 後で拝んでおこう。
やがて、人々の中から一人が歩み出た。大分くたびれたチェインメイルに、先端の欠けた槍。しかし体はしっかりと鍛え上げられており、目には力がある。金髪碧眼、無精ひげの青年。歳は俺と同じくらいか。
彼は俺に会釈をすると、人々に向き直った。
「皆。神の名をもって誓ってくださったのだから、これを信じぬのはアラニオス神への侮辱にもなる。信じて、委ねようではないか」
「ジルド様、その……本当に?」
「元々、このダンジョンを目指してきたのだから今更だ。……それに、先の騒動で物資を失った。我々は、マスター殿の慈悲に縋る以外の選択肢は無いのだ」
聞き捨てならない話があったが、今は黙る。人々はジルドとかいう代表者の話に、ざわめきを大きくする。
そこに、風が吹いた。それはそれほど強いものではなかったが。
「はっくしゅ! ……ううっ」
濡れた身体には応えるものだったようだ。何人かが震えを強くしている。赤子や子供の体温を気にする母親たちの姿も見える。
目だけで空を見やれば、驚いた表情で口元を押さえるエアルの姿が見える。ちょっとした一押しのつもりだったようだが、子供の事を思いつかなかったようだ。まあ、責めはすまい。
「すでに、暖を取る準備はさせてある。後は君たちの選択次第だ」
俺の言葉か、それとも現状に耐えられなくなったか。かなり渋々という態度ではあるが、反対の声は小さくなった。では、さっさと状況を動かそう。
「トラヴァー! 荷物を運び込め!」
「はい、ただいま!」
コボルト達が焚火台に加えて薪と炭を運んでくる。それを人々の傍に置くから、さっそくおびえる声が聞こえてくる。ビビって攻撃を仕掛けてこないように目は光らせる。
「そこのチェインメイルの人。ジルド殿でよろしいか?」
「……はい、ダンジョンマスター殿。バルコ国の騎士、ジルド・カリディと申します」
「ではジルド殿。けが人たちをダンジョンの入り口……あの洞窟付近まで移動させてくれ。治療させる」
「それは……ご温情に感謝します。聞いたな? 歩ける者は自分で、そうでないものは周囲の者が手助けせよ! 急げ!」
騎士ジルドに急かされて、けが人たちが移動する。……明らかに重傷者と見て取れるものが数人いるな。自分で歩けないものたちがそれだ。
「アミエーラ! 傷が浅い者たちはお前が受け持て」
「かしこまりました。……ひどいけがの者は、やはり?」
「ああ。……ホーリー・トレントさーん! おねがいしまーす!」
幹がきしむ音が頭上から響く。そして、何本かの柱のような根が重傷者に向かって伸びていく。
「だ、ダンジョンマスター殿! この巨木はいったいなんなのですか!?」
「アラニオス神の眷属であるホーリー・トレントさんだ! けがを治す奇跡を使ってくださるぞ!」
トレントの根がけが人たちの傷に触れる。するとその根がたちまち膨らみ、傷に覆いかぶさる。傷を塞ぎ、出血を止め、折れていた骨を繋ぎなおす。……意識を保ったままの幾人かが悲鳴を上げているが、受け入れてもらおう。
ともあれ、治療は瞬く間に完了した。根が離れていけば、さながらギブスか包帯の様に樹皮が張り付いている。悲鳴を上げていたけが人たちも、己の身に起きたことに驚愕している。
「い、痛みが……かなり、小さく」
「本当に、奇跡なのか……」
「完治するにはさすがに少し時間が必要らしいから、その樹皮が取れるまで大人しくしておくように」
さて、喫緊の問題はこんな所か。……と、思ったらトラヴァーが走りこんでくる。
「主様。拭きものが足りませぬ。着替えもないようですし、このままでは体調を崩すものが出かねませぬ」
「あー……しょうがない。ジルド殿」
「は。何か」
けが人たちの様子を見守っていた騎士を呼ぶ。この人も、まだ濡れたままだな。ちょうど良い。
「済まないが、全員分の着替えは用意できない。なので緊急手段を取りたい。ちょっとジルド殿に根性を見せてほしい」
「こ、根性? それはいったい」
「これ」
ダンジョンから呼び寄せたるは、緑色の一抱えほどある蠢くゼリー。
「ダンジョンの掃除人、スライムクリーナー。俺の命令が無ければ人間を襲ったりしない無害なモンスターだ。こいつを使いたい」
「使うとおっしゃるが、具体的には?」
声が上ずっている。大概の人はそうなるだろう。当たり前のことだ。だからこそ、根性が必要なのだ。
「こいつのパワーで、汚れも水分も吸収させる。濡れたままよりはるかにましな状態にすることができる。だが、モンスターを体に張り付かせるわけだから、民衆は嫌がるだろう?」
「……当然の反応かと」
「男はともかく女性や子供、老人は耐えきれないだろう。だが、今は緊急時だ。使うしかない。というわけで、まずは代表者が皆に見せてやる必要がある。そういうわけで、ジルド殿の出番となるわけだ」
クリーナーを、俺の身体に張り付かせる。ジルド殿の顔が盛大にひきつる。脂汗も浮かんでいる。が、赤子の鳴き声が聞こえてくるとその顔に別の感情が浮かぶ。
焚火台には火がともり始めているが、すぐに火が強くなるわけでは無い。あまり時間はない。
「ジルド様、ここは私が!」
「いや、あっしが!」
恰幅のいい壮年の男や、狩人らしき者が駆け寄ってくるが騎士はそれを手で制した。
「いや、ここはダンジョンマスター殿の言う通り。私が率先して使って見せるのが一番だ。マスター殿、よろしくお願いする!」
ジルド殿が勢いよく頭を下げてくる。……今までの態度を見るにこの騎士、民のために陣頭に立つことを躊躇わないようだ。まあ、そうでなくてはここまで人を連れてくることはできなかっただろうけど。
「よし、それじゃあ早速行こう。クリーナー」
べったんべったんと音を立ててクリーナーがにじり寄る。流石の騎士もこれには腰が引ける。でも逃げ出さない。ナイス根性。
緑の粘液が、ジルド殿に張り付いた。……ジルド殿が男で良かった。これで女性騎士だったらセクシャルハラスメント懸案だった。
「ぬおおおっ!?」
「ジルド様!」
「い、いや、大丈夫だ! 痛みはない! 若干ひんやりして、後少々重量を感じる程度……ぬおっ!」
クリーナーが体をよじ登って顔面に張り付いた。といっても鼻や口はきっちり避けているから呼吸は問題ない。少しばかりの時間で、クリーナーが離れる。するとどうだろう、さながら浮浪者のごとき汚れ具合だった彼がまるで風呂に入った後の様にすっきりと!
鼻や口も交互に掃除してスッキリ綺麗、洗い残しなし!
「お、おお……非常に、さっぱりした感じがある……これは素晴らしい」
よく見れば、かなり精悍な顔つきをしている。綺麗になれば無精ひげもワイルドさを醸し出すツールになる。ああ、イケメンのうらやましさよ!
俺がこっそりと嫉妬に身を焦がしているうちに、クリーナーがジルド殿から離れた。汚れは全て食いつくされ、清潔となった騎士がいた。……流石に、チェインメイルのくたびれ具合はどうにもならないが。
ジルド殿は、自分の身体を撫でまわす。
「これは、すごい。あれだけずぶ濡れだったというのに、天日に干したかのようではないか」
「と、言う感じだ。……君たちも見ていたな?」
人々の方に振れば、激しく首を縦に振る姿が。よし。
「ではジルド殿。指揮を執ってくれ。スライムたちは俺が指示する」
「承知した! 子供や女たちが先だ!」
と、いうわけでダンジョンのスライム・クリーナーすべてを投入して脱水&クリーニングを実施。焚火の火も強くなるころには、大半の人員を乾かすことができた。