夏雄の過去
未だ、先の騒動の後始末に追われるミヤマダンジョン。その夕食時。
「そういや俺、記憶戻してもらったよ」
世間話のように、ミヤマは正面に座るエルフ侍娘にそういった。当人はその言葉を一瞬理解しきれず、箸をくわえたまま止まってしまった。母親がみたら叱責確実のはしたない姿だった。身震いしてエラノールが再起動する。
「そ、それはおめでとうございます! とても早かったのですね!」
「うん。なんかオリジン先輩がその場の勢いのようにサラっとね」
青年ガーディアン二人、セヴェリとダニエルがその名前を聞いて身震いする。このダンジョンで何度か接しても、全くもって慣れやしない。そういう存在なのだからしょうがない。
「ボス。具体的に何思い出したのさ?」
ゆでたジャガイモをスナック菓子の様にひょいひょいと食べていたミーティアが気軽に尋ねる。彼女は身体が大きく、それゆえによく食べる。
エラノールが厳しくしつけたおかげで最近はマナーを覚えたが、ダンジョンで生活し始めの頃はそれはもう酷かった。つまみ食いをする。コボルトの食事を奪う。更には未調理の食材を生で食う。
それも、ある意味しょうがない。彼女は野生のモンスター。マナーのマの字も知らないし必要のない生活だったのだ。
ミヤマも手伝って徹底的に仕込んだおかげで、現在のようにテーブルを囲み食器を使った食事を取れるまでに至った。ダンジョンマスターの命令までは流石に逆らえないのである。
ミーティアの事はさておき。ややデリカシーにかける質問に周囲の者は表情を変えるが、言われた本人は平然としたもの。
「んー。家族や友人の事は思い出したな。それぐらい」
「……心中、お察しいたします」
セヴェリが言葉をかける。家族との永遠の別離。ほぼそれに近い状態にされてしまったのだ。こういうしかない。
ミヤマは微笑むと、気にするなと手を振った。
「頑張れば、故郷に手紙を送らせてくれるらしいし。それに、あっちには姉さんと義兄さんがいるから。親の事は心配いらんし」
「頼れるご兄弟がいらっしゃると」
ダニエルの言葉に、まあねと答える。
「姉さんは昔からすげぇ人だったし、旦那になった義兄さんも立派な人だし。あの二人がいれば大概の事はなんとかなる」
「具体的に、どんな人たちなのさ。ボスの家族って」
またも、遠慮なしのミーティアの発言に周囲は色めき立つ。が、止められない。皆、気になるのである。
ミヤマはふうむ、とひと唸り。茶を一口すする。
「まあ、なんというか。姉さん以外は普通なんだよ、うちは」
そういって、深山家の事を語り出した。
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夏雄の父、深山正一は普通の勤め人である。ゴルフをやっているが仕事の付き合い。趣味らしい趣味ももっていなかった。……のだが、ここ数年唐突に蕎麦打ちに目覚めた。
昨年から近所の農家と休耕地を借りて蕎麦を育て始めるなど、かなり精力的。人様に迷惑をかけるもので無し、家族は普通に見守っている。蕎麦はなかなか美味い。
母、桃子は普通のヘヴィ級オカンである。よく笑い、よく食べ、よく寝る。バーゲンセールがあれば古今東西かまわず向かい、戦果をあげる。
活力そのものという感じの女性であり、病気一つしない。しつけに厳しく、夏雄はよく叱られた。
そんな二人の下に突然変異的に生まれたのが夏雄の姉、冬美であった。幼少のころはその可愛らしさに皆が微笑んだ。そして成長し小学校に上がる頃は誰もが振り返るほどの美少女になった。
加えて、彼女は物覚えがよかった。小学校のテストはほぼ満点だった。頭脳明晰にして見目麗しい。そんな二歳年上の彼女を、夏雄は子供の頃は誇らしかった。物心がついていくと、劣等感に苛まれることになったが。
さて、そんな順風満帆な冬美の人生。唐突に壁が現れた。
「中学上がってしばらく……ええと、年齢的には二次成長期終わったあたりなんだが。外見全く歳取らなくなったんだよ」
「……? ミヤマ様の先祖にエルフがいたのですか?」
エラノールの質問に腕を組んで唸る。
「いない、と思う。たぶん。調べてないから絶対とはいえないけど」
昔ならヨタ話とするところだが、こんな世界に来てエルフを見た今となってはその疑いも考えてしまう。
「じゃあ、どこかの女神の生まれ変わりとか」
「流石にそれはないだろう。奇跡の類を起こしたことはない……たぶんな」
ミーティアの言葉にはさすがに苦笑し、話を戻す。己の成長が遅くなった(と、当時は思っていた)と感じた冬美は、やはり聡い娘だった。この年頃の子供というのは、奇異なるものに敏感だ。目立っていた彼女は、それがいじめに向かうものであると感じ取った。
なので、即座に対策を取った。まず最初に、空手道場に通う事にした。力に物を言わせる相手を撃退するために。役に立たない方がよいのは間違いない。のだが、残念なことに大いに習った技が役に立ってしまったらしい。具体的な事を夏雄は知らない。だが、冬美の姿を見るとそそくさと歩み去る者を何度も目にした。
しかし、力だけではどうしようもない事が多々ある。彼女はそれについても手を打った。具体的に言えば、クラス内で成績の悪い者の勉強を見るようにしたのだ。出来の悪いものは成績が上がる。冬美は自分の味方が増える。
誰からも文句を言われない、被害も出ないwin-winの関係である。さらに、悩みを持つ生徒の話を聞く事にした。解決は難しくとも、人に話せるだけで変わることもある。彼女にどうにかできないことも、クラスメートの協力でどうにかなる事もある。
そんなことを繰り返した結果、冬美はすっかりクラスカーストのトップに立つことになった。クラスにいじめはなかった。彼女をトップとした強い連帯感があった。
「なるほど、実にミヤマ様のお姉さまですね」
「うえぇ!?」
エラノールの一言に、ダンジョンマスターは素っ頓狂な声を上げて驚いた。
「ど、どの辺が?」
「周囲に心を砕いてくださるところが、とても」
セヴェリの言葉に一同が頷く。ミヤマは己の複雑な感情が顔に出て、それを手で揉んだ。ひどく不細工になっていると思ったから。
酒に手を出しながら、彼の話は続く。一部、話を濁しながら。特に己については。
冬美はそのように中学と高校を過ごした。思春期に入った夏雄はといえば、すっかり自らを出来損ないであると定義付けていた。
小学校の頃は、かっこよく頼もしい姉を素直に好いていた。複雑になったのは中学生の頃。年相応に負けん気が強くなってきたが、姉には勝てない。当然だ。何もしていないのだから。
唯一背丈は越えたものの、身体的特徴は本人ではどうしようもない事柄。そもそも夏雄が努力して超えた物ではない。それでマウントを取るほどの幼稚さは抜けていた。
なので、自分を出来損ないとした。出来が悪いのだから、姉に劣っているのは当然だ。そうやって努力から逃げたのだ。
そんな自分を恥じながらの学生生活。高校も当然、姉とは別。比べられてなじられるのはうんざりだった。その理由が己にある事も理解していた。
転機は、姉の大学合格だった。冬美の努力が実って、故郷の最高学府に合格したのだ。大学に通うために、故郷を離れて一人暮らしをする姉。送り出してから、離れられて心の重荷が取れたように感じた自分を夏雄はひどく恰好悪いと思ったものだ。
夏雄は、就職の道を選んだ。実家は裕福ではない。二人も大学に通わせる余裕はない。なにより夏雄にその学力も意志もなかった。
姉への仕送りをする親へ、多めに生活費を入れた。両親や姉の為というより、自分の為だった。
この辺りの己にまつわる話は、ミヤマは口にしなかった。己のもっとも恥ずべき部分である。たとえアルコールが入っていてもそうそう話せるものではない。
優秀な姉にコンプレックスをもっていた。だが仲は悪くなかったと軽く説明した程度である。実際、二人は子供の頃を除けば喧嘩をしたことがない。大抵、夏雄の方が折れていた。ぶつかり合う事すら逃げていたともいう。
話を冬美にまつわる事に戻そう。順風満帆に大学生活をスタート。歴史ある学府に入った彼女は、運命の人に出会った。
「運命の人、とは?」
食いつくエラノールに一歩引きつつ答える。
「その人は、成績においては姉さんと互角。そして……外観も、姉さんと同年代にしか見えない人だった。はっきり言えば、美少年。多分今も。それが、後に俺の義理の兄となる涼さんだった」
「運命の人だ……っ!」
おお、と盛り上がる一同。酒が入り始めたのでノリがよい。さて。後の義兄、花村涼。外観年齢が姉と同じであるが故に、その悩みも同じだった。いや、彼女以上に深刻だった。やはり男の場合、外観が愛らしいと苦労の質が違う。彼の場合は剣道を習ったが、当然それだけでは足りない。
なので、金を稼いだ。親や祖父母を巻き込んで株や投資で初期資金を稼ぎ。大学を卒業する頃には一角の投資家となっていた。
「なるほど。分かっている。力も魔力もないなら、金だな」
うむ、と力強く頷くダニエル。帝国男子たるもの、力、魔力、金のどれかを鍛えるべし。そういう文化で生きているので、共感を覚えたらしい。
そのようにして大成した涼であったが、大学に入った頃はまだその途中。大いに鬱屈していた時代だったらしく、それゆえに姉との相性は最悪だったらしい。
家に帰ってくるたびに、夏雄は姉の愚痴を聞かされた。その内容が涼についてだっただけに、姉にここまで嫌われる男とは何者だろうかと思ったものだった。
そして姉の大学卒業まで残り一年となったある日。結婚を前提に付き合い始めた男がいる。それを実家に連れていく、という姉の発言に両親共々大いに驚いたものだ。飛び上がるほどに。
さらには、それがあの涼だというではないか。一体どんな風の吹き回しだ。弱みでも握られたかと邪推するのも無理のない話だ。
「私たちならまず惚れ薬を疑ってディスポイズン。呪いを疑ってリムーヴ・カース。強制の呪いを疑ってディスペル、といった感じだね」
「それぐらいはする。当然する」
うんうん、と頷き合うセヴェリとダニエル。異世界もなかなか大変である。
そして、挨拶の日。背広姿が悲しいほど似合わない美少年がやって来た。だが、それが姉と一緒に並ぶと感想は変わる。この人物以外に、姉を任せられる相手はいない。他の誰が隣に立っても彼以上に並び立てる人間などいやしない。玄関で初めて見た時に、夏雄はそう思ったのだ。
流石に、挨拶そのものは同席しなかった。なのでそこでどのようなやり取りがあったのかは後で聞いたのだが。
「この時、本当ならばお付き合いさせていただいています。今後ともよろしくお願いします、みたいな挨拶をする予定だったんだよ」
「何か、トラブルが?」
小首をかしげるエラノールにミヤマは深々と頷く。
「義兄さん目がグルグルするほどテンパって。一足飛びに『娘さんを僕にください』と言っちゃったらしいのよ」
「わぁー。それで、どうなりました?」
「姉さんがド頭張り倒して。『こういう人だから一緒になる。よろしくね』ってゴリおした。父さんそのまま頷いて、母さん涙流しながらゲラゲラ笑ったそうな」
その後はとんとん拍子に話が進んだ。大学卒業と同時に結婚式。親族以外の参列者、姉は学生時代の友人たち。涼の方は出資先のお偉いさん。その中には深山家のある地方の企業もあった。姉の友人たちの勤め先である。
結婚一つにそこまでするのかと、夏雄は畏怖したものである。そこまでしないといけなかったのが涼の人生だったと知ったのはだいぶ後だった。
実際、学生時代に姉に世話になった男衆が涼を見極めると息巻いていたらしい。お偉いさんカードが無ければどうなっていた事か。
姉の結婚後、夏雄は涼とすぐに仲良くなった。涼は次男であり、末っ子だった。弟が欲しかったとは彼の弁で、遊びや食事に良く誘われた。
己のコンプレックスと向き合うように促してくれたのも彼である。何でもいいから、一つ一つこなしていく事が大事なんだよ。彼の根気強いカウンセリングが、逃げ続けていた夏雄を少しだけ変えた。
キャンプという趣味を始めたのも、この頃からだった。姉との交流はぎこちないものだったが、逃げ続けていた頃よりは進歩の兆しがあった。
さて、二人は結婚は出来たのだが、姉の外見は学生時代から相変わらず変わっていない。なので子宝にはなかなか恵まれなかった。結婚から三年後、念願の懐妊。
その後もまた苦労があった。繰り返すが、外見が中学生である。それが妊婦となったら世間の目がどうなるか言うまでもない。冬美はいくつもオリジナルTシャツを作った。生年月日が入った免許証のコピーをプリントしたり。『私は成人しています』と大書したり。
が、ここで当事者たちの思いもよらない助けがあった。冬美の友人達である。彼女たちの中にも結婚し子供ができた者達がいた。ママ友にクラスチェンジした彼女たちが、買い物などで外に出る時は交代で付き添ってくれたのだ。
これは、極めて心強い援軍だった。彼女たちの母親にも話が通り、そうなれば周囲の理解は大きく広がる。奇異の目もだいぶ減った。
『そんなつもりはなかったのだけど。人助けはしておくものね』
とは姉の弁である。こうして多くの人に助けられて長女、秋は誕生した。なお、名前付けはだいぶ揉めた。
季節の名前を継がなくてもいいんだよ、だってうちのは思いつかなかっただけだからという両親。そんな事だろうと思ったよと叫ぶ姉と弟。せっかく秋に生まれたし、これも家族の繋がりだからと押す涼とその両親。
出産祝いでどんちゃか宴会まじりの会議の結果、ちょっとひねろうか! という事で名前が決まったのである。秋が物心ついた時にこれをどう思うだろうか。そんなことを思いつつ、姪御の日々の成長を見守っていた。
そして、両親からの結婚相手を見つけろという説教から逃げたり。義兄から仕事先を変えたらどうかと心配されたり。姉にパシりにされたり。そんな平凡な日常がずっと続くと思っていたのだが。
「ある日唐突にこの世界に連れてこられた、と。……以上がまあ、俺の家族の物語だな」
「何というか、ボスがどうしてボスになったのか、よくわかる話だったねぇ」
頷く一同に、ミヤマは苦笑を浮かべた。記憶を失ってはいたが、それまでの経験は確かにあった。これまでの人生の結果に己があると、あらためて思い知らされた。
ミヤマはグラスに残っていた酒を飲み干した。今日は宴会というわけでは無い。これを飲んだら今日はお開きだ。
「はい、それじゃあごちそう様。さっさと風呂入って寝ましょうね。明日も早いからね」
ダンジョンマスターの促しに、皆が返事をして席を立つ。ミヤマはをそれを見届けて、水を入れた水筒を作ってエレベーターに乗った。
向かうは地上階。そしてそのままダンジョンの外に出た。ダンジョンの外に明かりはない。遮るものが何もない、満天の星空が広がっている。
わん、と背後より吠える声あり。クロマルが付いてきていた。
「なんでもないよ。酔い覚ましをしているだけだ」
「わん」
そのまま、しばらく空を見上げ続ける。寂しくないわけがない。顔が見たい。声が聴きたい。家に帰りたい。何もかも投げ出したい。
だが、だめなのだ。責任ある身になった。守りたい者達もいる。なにより、この世界を守らねば、地球が攻め込まれる。家族が危険にさらされる。
それだけは、死んでも我慢がならない。だから、すべての弱音を決意の炎にくべる。燃え尽きろ深山夏生。お前はダンジョンマスターとして生きるのだ。
浮かんだ涙を、袖で拭った。水筒をあおる。
「よし、もどるか」
「わん」
一人と一匹がダンジョンに戻る。明日もまた戦うために。