お家事情、乙女事情
アルクス帝国で最も北東に位置する地、ヤルヴェンパー領。火山と海蝕洞を内に秘めたダンジョンの主、大海竜ヤルヴェンパーの支配地。
ここは、帝国にとって様々な点で重要な場所だ。まず、物流。海運によって最北端から最南端。帝国最南東にあるセルバ地方の近くまで、ヤルヴェンパーの船は足を延ばす。帝国の外にも赴くのだから、その行動力はすさまじいの一言に尽きる。
次に、観光地として。ここではダンジョンから温泉が湧いている。それだけで、ハイロウからしてみれば垂涎の代物。さらに病や負傷にも効果があると言われれば、どれだけ遠くとも足を延ばすというもの。歴史ある神聖ローマ帝国調の温泉街は、リピーターも多い。
美食を求める者もそれなりにいる。まず、火山の熱のおかげで北方の寒さにも負けず野菜が一年中取れる。海の幸ももちろん豊富だ。さらに言えば、南国から香辛料も山の様に持ってきている。
そして何より、ダンジョンマスターが美食家だ。これでその地に美味い物がないのは嘘だ。というわけで、古今東西の様々な料理がこの地では楽しめる。帝都の富豪などは、たまにはのんびり北海へというのが昔からの伝統的な遊興だ。
最後はやはり、防衛拠点として。ダンジョンの精強さは言うに及ばず。豊かな財源に支えられた海軍と空軍。城塞都市をしっかりと守る衛兵たち。かつてのさまざな大襲撃、それをことごとくを打ち払ったのは伊達ではない。
つまるところ、ヤルヴェンパー公爵家というのは帝国でもトップレベルの成功した家という事になる。帝国のあらゆる派閥に顔が効き、複数のダンジョンと友好な関係を築いている。
だからといって、問題がないわけでは無い。人が生きていく限り、それと無縁でいることはできない。
公爵家の住まう白波城は、その隆盛を外観で表すために豪華かつ堅固に作られている。中は帝国建築学と魔法の粋を集めて作られており、一年中春のような気候を保っている。薄着のドレスを纏っていても、何の問題はない。今のイルマのように。
彼女は今、帝都から実家に戻ってきていた。ヤルヴェンパーダンジョンの転送室を使ったので移動も短時間。つい一時間前まで帝都にいたのだ。
ダンジョンの主に挨拶をし、その後色々あって今に至る。服も自室で着替えた(メイドの手によって)。久方ぶりのドレスは、どうにも身体に合っていない様に思えた。その後ろに二人、歩いている。一人は彼女の父親、ユリウス・ヤルヴェンパー。もう一人の長身の美女は、のんびりとした歩み。蒼く長い髪を揺らめかせながら、ゆったりと二人について歩く。
「……それにしても、まさかまだやっているなんて思ってもいませんでした」
呆れを隠さないイルマの言葉に父が笑う。
「全くだねえ。名誉が無ければ生きていけないけど、それに縛られても生活できない。バランス取りができないと結局苦しくなるってなんで分からないんだろうね」
「お父様、でしたら当主にお戻りになればよろしいのに」
「やだやだ。私はダンジョンで楽しく暮らすのだよ」
人が変わったかのような浮かれポンチ。父親の変わり様に、イルマとしても呆れを覚える。兄が殺意を覚えるのもよくわかるというものだ。
そんな雑談をしているうちに、目的の場所に着いた。重厚な扉を守っていた衛兵二人が、最大限に姿勢を正す。
「入室許可を、当主様に」
「はい! ただいま! 少々お待ちくださいませ!」
きびきびと、あるいは逃げるように。一人が扉の中に入って行く。そして、中からはっきり聞こえる声。
「失礼します! ダンジョンマスター・ヤルヴェンパー様! ユリウス様! イルマタル様! ご入室いたします!」
「それ、許可を取るって言わない……」
「まあ、こうなるよね」
そんな話を終えてから、扉をくぐる。そこは会議室。公爵家の重臣たちが、席を立って入室者を迎え入れる。上座にいたのはもちろん、当主であるイルマの兄エドヴァルドだ。
彼らの視線を集めるのは、青髪を揺らす長身の美女。大海竜ヤルヴェンパーが、呪文によって変じたのが彼女だ。
「ヤルヴェンパー様。ようこそおいでくださいました。お迎えできずに申し訳ありません」
頭を下げるエドヴァルド。重臣たちもそれに続く。当人は、ゆっくりと手を上げて答えた。
「よい。今日はただ運動に歩いているにすぎません。そろそろ祭りですからね。人の身体になれておきませんと。用があるのはイルマです。そちらとお話しなさい」
そういって、やはりゆっくりと室内を歩きだす。重臣たちは極めて居心地悪そうにしているが、本人は気にしない。
ダンジョンマスターに促されては、そうせざるを得ない。皆の視線がイルマに集まる。正確には、貴族令嬢らしく姿勢を正した彼女と、目を細めて笑うユリウスを。
「……イルマ。帰還するという報告は受けていないが」
「はい。ダンジョンに連絡したところ、前当主様が直接来るように、と」
その言葉に、厳しい視線がユリウスに向けられる。ハイロウらしく青年にしか見えないこの前当主は、しかしそれに全く動じない。むしろ、眼光をより強くする。
「……隠居された身で家の事に口を出すとは何事ですか」
「極めてささやかなおせっかいさ。いつまでもぐだぐだと、オリジン様がご参加されたミヤマダンジョンでの一件について責任擦り付け合ってるんでしょ? 建設的でない事この上ない」
そう。先の一件、ミヤマダンジョンに援軍を送れなかったことは、公爵家を揺るがす大事件となっていた。イルマ、セヴェリ、さらに寄子であるルフス家の者が出ていたから辛うじて面目は立った。
しかしそれだけ。数も質もぜんぜん足りていない。オリジンが参加していたのに、である。イルマからその旨が伝わっていたのに、それでも参加者が決められなかったのである。
何故か。いたって普通に、権力争いである。公爵家も始まって長い。色々なしがらみがあり、内部での勝敗もある。あちらを立てればこちらが立たず。歴史は長く続けばそれが鎖のようになって互いを縛り上げるのである。
一つ擁護するならば、オリジンの参加が話をややこしくした。最初は、単純にダンジョンキャンプの慰労の順番決めだったのだ。それが彼女の参加によって、公爵家の貢献というお題目が乗ってしまった。となれば名誉の話も加わり、話し合いは混迷を極め結果的に時間切れとなってしまったのだ。
ユリウスの言葉に、重臣たちの視線が互いに向き合う。この不名誉を、一体だれが責任取るのか。極めて険悪な空気が室内に満ちる。
唯一我関せずというのは一番下座に座った御用商人、ケトル商会のレナードである。彼だけは豪胆にものんびりと狐耳を揺らしながらお茶をお代わりしていた。
「だから、イルマの報告が起爆剤になるよね。はい、出番だよ」
「……ご当主様、こちらをご覧ください」
内心盛大にため息をしつつ、イルマはマジックバックからミヤマから渡されたものを取り出した。『ダンジョン一時退避許可証』である。これには、室内のほぼ全員が色めき立つ。
「なんと! めでたい!」
「素晴らしい。これでミヤマダンジョンとの繋がりは安泰ですな!」
「いやあ、良かったよか……った……」
爆発的な歓喜も、尻すぼみとなる。ユリウスは表情を変えず、ただ怒気だけを放っている。
「言いたいことは分かるよね? ありがたくもミヤマダンジョンは、イルマにこれを与えてくれた。聞けば、ブラントームの当主も頂戴したとか。まあ、あちらは大変な貢献をしたそうだ。分かる話だとも。……で? 我が家はどうだ?」
重臣たちが顔を引きつらせる。彼らは知っている。ユリウスが当主の座を息子に譲った本当の理由を。重臣たちの権力争いにほとほと嫌気がさしていた彼が、爆発寸前だったことを。もしあのままだったら、家が傾くレベルで内部粛清が起きていたと。
それを知らないエドヴァルドであるが、今の当主は彼である。
「そこまでで。以後は私が」
「……ああそうだね。当主はエドヴァルドだ。そうだね? お前たち」
ユリウスの言葉の裏に込められた感情を感じ取った重臣たちは、一斉に首を縦に振る。その光景を見て、イルマは今度こそため息を隠さなかった。
家がこのありさまでは、個人としての思いや行動はいったん足を止めざるを得ない。自分は公爵家の者なのだから、とイルマは己を戒める。
まあ、ちょうど良くもある。あの時は、ちょっと場の雰囲気で大胆な事をしてしまった。はしたない。その時の感情を、思い返してはいけない。顔に出てしまう。
この会議の場が、酷い空気でよかった。イルマは努めて顔に出さず、そう思った。
「……これ、狐。小腹がすきました。なにかありませんか」
「はい、ヤルヴェンパー様。すぐにご用意いたしますとも」
一番下座で、大海竜と狐耳の商人がのんびりとしたやり取りを交わしていた。
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ブラントーム伯爵領の中心地、バーズ。都と呼んで全く差し支えない、繁栄したこの街は今お祭り騒ぎの真っただ中にあった。
夜空に次々と花火が上がる。通りは屋台が立ち並び、各所に伯爵家の振る舞い酒が配置されている。飾りつけされた車や汽車が、速度を緩めてお祭り気分を盛り上げる。
住人たちは飲み、食べ、踊り騒いでいた。そして、街のいたるところで祝杯が交わされる。
「ご当主様、『ダンジョン一時退避許可証』受領おめでとうございまーす! ブラントーム伯爵家ばんざーい!」
そう。これはそれを祝う祭りなのだ。この祭りは、バーズだけではない。ブラントーム伯爵領のほぼすべてで行われているのだ。何せ、千年の悲願が成就したのである。これでもまだ大人しい反応とすらいえた。
感情が高ぶってどうしようもない一部種族などは、同じ状態になった連中と闘技場で笑いながら殴り合っている。一人二人ではない。数百人単位である。事情を知らなければ暴動と勘違いするレベルだ。
市街地で(闘技場を除けば)一番盛り上がっているのは踊る金貨商会の本店前である。そう、ミヤマダンジョンを訪れたインテリジェンスソード&リビングメイルのコンビ、ブッチャー&クラッシャーの店である。
この店の幹部は、ある共通点がある。主を守れなかったものたち。ダンジョンを守れなかったものたちである。常に後悔を抱え、それが強すぎるあまり滅びる事すら選べないものたち。
ドアや箪笥、金貨袋の姿をした魔法生物。ミヤマダンジョンにもいるような各種ゴーレム。そういった作られたものたちが、この商会に集っている。
だからこそ、今回の一件はそれはもう商会始まって以来の幸いであった。ダンジョンで戦えて、マスターを守れた。彼ら彼女らの本懐である。なので、この一帯だけ浮かれ度合いが三段階ぐらい上である。
専門の踊り子たちが着飾って踊る。楽団員が愉快な曲を奏でる。曲芸師が次々と技を決める。通りを占有して並べられたテーブルにはごちそうが山盛り。
誰でも参加が可能であるため、近所の住人やライバル店の連中まで押し寄せている。これには、いの一番にダンジョンで暴れたブッチャー&クラッシャーへの妬みをそらすための狙いも若干あったりする。
ともあれ、場は大盛り上がりである。今もこの場の主役がお立ち台に立って、一体何十回目かもわからない決戦の解説を身振り手振りを踏まえて公演中だ。
「必殺のロングレンジスラッシュは確かに決まった! しかし、相手は恐るべき怪物。ペインズのゾンビ! あの恐ろしき茨が……」
なにせ、インテリジェンスソードとリビングメイルである。どれだけ話そうと動き回ろうと疲れなどない(エネルギー切れはある)。そんなわけで、参加者が全員酔いつぶれるまでオンステージは続くというわけである。
さて、視点を市街地からブラントーム伯爵家の城塞エスペランスへ移す。小高い丘に立てられたこの城館も、たいした浮かれようであった。なにせ、ライトアップされている。カラフルに、ライトアップされている。さながら地球は日本の千葉にある大型遊園地のそれのようであった。
……市街地でパレードが行われているし、それの演者の半分が人ではないからかなり似てはいたがそれはそれ。派手なお祭りを演出した結果近づいただけであり、間違ってもパクリでもオマージュでもない。
話が逸れた。ともあれ、城の中もお祭り騒ぎであった。伯爵家の家臣だけにとどまらず、近隣の依子貴族も参加している。飲んでいないのは給仕と兵士など今働かねばならぬ者たちだけ。そんな彼ら彼女らも後々しっかり休暇と特別給金が約束されている。
祭りの中心は、伯爵家自慢のダンスホール。天井には職人が数年をかけて作り上げたきらびやかなシャンデリア。壁には様々な絵画がかけられている。特に目を引くのは帝都とはじまりのダンジョンを精緻に描ききった大画である。
さて。普段であれば酒は口を付ける程度。料理もほとんど話題の種として使われて、平らげられることはまずない。ここは社交の場だからだ。
しかし繰り返すが今日は祭りの場である。大願成就の日である。こうなるともう、貴族も平民もあった物ではない。
本来ならダンスに興じるホールの中心には、テーブル一つ。大量に並べられた空のショットグラス。そして崩れ落ちる対戦相手と勝利の雄たけびに吠える人狼一人。
「俺の、勝ちだああぁぁぁぁ!」
「勝ったーーー! クロード様、まさかの三人抜きーーー! 肝臓すらも物理を超越したかーーーー!!!」
本来ならば全力で止める側であるはずの家妖精のドモヴォーイが、この実況っぷりである。周囲も似たような物。金糸銀糸で飾られた服も、今日ばかりはだらしなく崩して酒をあおり料理を食らう。
クロードなどは上半身裸である。人狼なので毛皮だが。その背中にべったりと張り付いているのが妻であるアンナ。大分飲んだため、半分寝ている。
無理もない。昼間からぶっ通しである。酔いつぶれて寝っ転がっているものも多い。祭りが始まる前から祝杯上げていた者もそれなりにいるのだ。当然と言えた。
「兄上……兄上……どうして逝かれてしまったか。我ら三匹、共にダンジョンで戦おうと誓ったではありませんか」
度数の高い酒を樽レベルで飲み干したためか、流石のクロードも限界に近い。意識を朦朧とさせて、記憶を彼方へと飛ばす。
「クロード兄上……」
ブレーズも、そのつぶやきを聞いて夢の世界から戻ってくる。若き時代に思いをはせる。
「兄上……兄上……どうして逝かれてしまったか。兄上がいてくだされば、今頃自分がガーディアンとなって大暴れの毎日であったものを」
「クロード兄上」
後頭部を張り倒した。ブレーズ、酒の勢いでつい手が出た。だが、その程度でどうにかなるようなグレーターワーウルフではない。叩かれた事も気付いていない。酔っている。
このように、ブラントーム家の重臣たちはすっかりと酒が回っていた。では、当主はどうか? ホールの片隅で、多くの乙女たちと共にあった。テーブルの上には菓子と茶。そして様々な雑誌である。内容はファッション、デート、育児、住宅、武器防具マジックアイテムなどなど。
「やはり、酒の勢いで無理やり事に及ぶのが一番では?」
「それはリスクが高すぎると散々申しているではありませんか」
「でも、極めて奥手な殿方なのでしょう? 強い一手を繰り出さねば先に進めないのは間違いないかと」
「かといって不興を買っては全てが台無しになってしまいます」
喧々諤々、乙女たちは激論を交わす。彼女たちは重臣たちの娘。話題はもちろん、当主とミヤマをどう進展させるかである。ブラントーム伯爵家の進退にかかわる問題であるし、単純に一番興味がある。
が、流石に長時間やっているので大分煮詰まっている。過激な発言が定期的に飛び出ているのがその証拠である。
その中心、当主であるロザリーはといえばはしたなくもテーブルに肘をつき、組んだ両手で口元を隠して思考中。
「……家としては、一歩先を行くことができました。ですが、女としては二歩遅れている」
ロザリーのつぶやきに、乙女たちは口論という名の趣味の押し付け合いを止める。
「あちらは地力がある。油断すれば家としての一歩も即座に追いつかれる。……廃都の調査。これを更なる足場としなければ」
そして、自分自身も関係を進めなければ。何せ前回の訪問ではろくに二人っきりになることができなかった。問題解決に忙しかったのが原因だが、それではいけないのだ。
ミヤマとの関係が進まなければ、自分は家の為に別の誰かと結婚しなければならない。伯爵家に生まれ育ったのだから、それは覚悟している。だが、今は自分で己の結婚相手を攻略できる立場だ。一生で一度きりのチャンスなのだ。これで燃えぬは乙女の恥。
旦那も息子も自分で育てるもの、という極論を口にしたのは母であった。それに思う所はあったが、強い意見には心を支えられるところもある。つまり攻略してから自分好みに染めろという話なのだ。心が躍る。
とはいえ、それも今のままでは夢のまた夢。もっと親密にならなくてはならない。
「やはり水着では?」
「いえ、正道に則り手料理」
「酒」
「お黙りなさい」
「「「はい」」」
祝杯と狂乱の中心で、ロザリーは一人酔えず懊悩していた。