ヨルマ・ハカーナの決意
ヨルマ・ハカーナという青年は、常に感情を平静に保つことを心がけている。感情の乱れは行動の乱れ。瞬時の行動が必要とされた時に、平静でなくてはそれができない。
生まれ育った場所でも、仕事先でも隙を見せれば付け込まれる。そういう環境にいたからこそ、そのような事を身に着けた。しかし。
「ミ、ミヤマ様。これは……!」
だが流石に、ミヤマが取り出した物を見た時は取り乱さざるを得なかった。『ダンジョン一時退避許可証』。それも、ヨルマの名前が書かれている。間違いなく、自分用の物。テーブルの上に置かれたそれを、ミヤマはぐいと押し出してくる。
「最近、色々助けてもらってたからな。感謝の気持ちだ」
「いけません!」
思わず叫ぶ。ミヤマは驚いて瞬きする。
「何で?」
「何でも何も! 私がこのダンジョンにご迷惑おかけしたことをお忘れですか!」
「おう。つい最近までガチで忘れてた」
はっはっは、と気軽に笑うダンジョンマスターの姿に力が抜けかける。それでも、と声を張り上げて主張する。
「私は! 一方的な主観と情報から、勝手に思い込んだあげくモンスターをけしかけたのです! あの当時のダンジョンでは、事故が起こりえた! そう簡単に許していいわけがないでしょう!」
「簡単に許した覚えは無いぞ。その分ヨルマはずいぶん働いてくれたじゃないか。現状、うちがここまでに成れたのはお前さんのおかげの所が結構あるぞ」
「それでも!」
まあまあとミヤマは手で制し、茶を進めてくる。全くもってそんな気分ではなかったが、付き合いで口に含んだ。味も香りもわからない。感情が荒波の様に乱れている。
対面するミヤマの茶を飲み、椅子に深く腰を掛けている。しばらく、無言で時が過ぎる。どう言い出すべきか。ヨルマは上手く思い浮かばなかった。どうにも、ここではこう言ったことが多い。
「というかな、ヨルマ。俺、オリジン先輩ともそれなりに上手くやれてるじゃん。あの人がやらかしたことに比べれば、ヨルマのやった事大したことないじゃん」
「それは……その……比べる対象が間違っているといいますか、恐れ多いと言いますか。……そもそも、ミヤマ様はあの方が恐ろしくないのですか?」
「怖いと思う所はあるよ。間違いなく俺なんか歯牙にもかけないほどに強いだろうし。保有戦力なんてドラゴンとアリよりも離れてそうだし。でも、あの人は俺の敵にはならないから。俺が、ダンジョンマスターとしてまじめに勤める限り」
強く、確信をもった言葉だった。ヨルマは、この若きダンジョンマスターと始祖オリジンとどのような交流を持ったか知らない。ヨルマもまたハイロウ。神のごときお方とは、同じ空間にいるだけで極度の緊張を強いられる。
そんなお方を先輩などと呼ぶ彼は、やはりどこか非凡なものを持っているとヨルマは感じる。目に見えるものではない、しかし特別な何かを。
「あとな、俺にはヨルマにこれを受け取ってほしい理由があるんだよ」
「……伺いましょう」
「味方が欲しい」
まっすぐに、ダンジョンマスターはヨルマの目を見る。
「貴族様方は良い方ばかりだが、やはり家のしがらみがある。下から突き上げられれば、無理を押し込んでくることもあるだろう。数も財産も戦力も、何もかもがあちらが上だ。そんな無理難題を突っ込まれた時に、はっきりと俺の、俺のダンジョンの味方である人間が欲しい」
「……なるほど。確かに、自分もブラントームの庇護下にはありますが家の者ではない。はっきりと命令を受ける立場では、ない」
懸念は理解できた。ヨルマが関わった事からもわかる通り、いざとなれば表に出ないギリギリの所までやってのけるのが貴族たちだ。これからも、本当に困窮すればそれをやらないという保証はない。
そういった時に、ミヤマの側に立って動ける者は欲しいだろう。何せ、ダンジョンマスターは自由に動けないのだから。
「だから、これは俺の都合という事もあるんだ。……まあ、受け取れないというのならしょうがない。無理を言った」
「お待ちを!」
テーブルから下げられようとする許可証に、思わず手が伸びてしまった。ヨルマとてハイロウだ。これが欲しくないはずがない。
ミヤマの手が止まる。笑うことなく、真っすぐと見返してくる。ヨルマは一つ大きく深呼吸すると、心を落ち着けるために努力する。
己の罪。恥。罪悪感。
自分の能力。立場。伝手。
ミヤマの事。その状況。今後の動向。
一つ一つを、ゆっくりと呼吸を続けながら考える。冷静に、しかし刃の上を走り抜けるが如く限界を振り絞って。
そして、許可証に手を触れた。
「……私で、よろしいのであれば。こちらを、受け取らせていただきたいと思います」
「そうか。それならよかった。ああ、これはあくまで今までの感謝の気持ちだから味方うんぬんはゆっくりと……」
「そのお話も、お受けさせていただきます」
はっきりと、ミヤマの目を見ながら言ってのける。
「これを受け取る以上、このダンジョンの発展は自分にも大事なものとなります。となれば全力を尽くすのは当然の事です」
「おお。助かる」
「付きましては、私からもご提案が一つ。……私もそれなりに動けますが、この身はひとつ。よりよく働くためには、仲間が必要となります。幸いにも、帝都の地元にはそういった働きを手伝ってくれそうな幼馴染達がいます。彼らを、引き入れたいと考えるのですが」
「いいね。流石だね。それ頼むわ」
「……ミヤマ様。どういう者を引き入れるのか、何人なのかとか気になさらないので?」
「ああ、そうか。まあ、ヨルマがいうなら大丈夫だと思うし。数についても、二、三十人ぐらいだったらどうってことないから」
あっはっは、と再び笑って見せるダンジョンマスターに、今度こそ力が抜ける。隙が多い。悪意があったらどうするつもりだ。こういった所もこれからは自分がフォローせねばならないだろう。ヨルマは気持ちを改めた。
「では……あちらに戻り次第、当たってみることにします」
「おう、よろしく頼む。じゃ」
ミヤマは、許可証を手に取るとそれを読み上げだした。
「一時避難許可証。ヨルマ・ハカーナ殿 帝国が定める大災害時において、貴殿が当ダンジョンに一時避難することを許可する。ダンジョンマスターに従う限りにおいて、その安全を保障されるものである。己の安全の為、ダンジョン存続に協力されたし。帝国歴三千八年 ミヤマダンジョン ダンジョンマスター ナツオ・ミヤマ」
差し出されるそれを、確かに受け取る。……実感がわかない。もっとも求めていた物であったはずなのに、あまりの事に理解が及ばない。帝都に帰った後の事ばかり考えてしまうのは、現実逃避なのだろうか。
その逃避のあまり、感想ではなく別の事が口からこぼれる。
「……あの、本当に私がもらってもよろしいのでしょうか。ほかに渡すべき相手が」
「ああ。それならもう渡している。イルマさん、ロザリー殿、エルダンさんとエンナさん。特にエルダンさん達はちょっと大変だったな」
「と、おっしゃりますと?」
「あの二人、ソウマ領じゃあ大物だから。片や竜殺しの英雄、片や領主の娘だよ? よそのダンジョンマスターが渡していい物か悩んでさ。とりあえずヤタロウ様にお伺いを立てたさ」
「確かに、それは悩みますね。あちらは何と?」
「全然大丈夫だって。いざ大災害が起きた時に、自分の家族より領民を選ばなきゃいけない時もある。そんな時にたとえ二人分でも他所に移せるならそれがいいってさ」
「なるほど」
そんな他愛もないやり取りをしばし続けてしまい。結局帝都に帰った後、感謝の言葉を言うの忘れていたと大後悔するヨルマだった。
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帝都アイアンフォート。その最外延部はいくつもの巨大な集合住宅になっている。一棟だけで地上階と地下階合わせて一万人を収容し、その中だけで生活を完結させることも可能。病院、店舗、運動施設、その他生活に必要なものがほぼすべてそろっている。
食料を生産する農業棟、物資を生産する工業棟も別に存在する。資源さえあればアイアンフォートは年単位の長期間一都市だけで活動が可能だ。
このような巨大施設が帝都には多数ある。なので、辣腕で名が知れた帝都警察といえども目の届かない場所はある。特に、地下階などはその代表例だ。市民権を持たない不法滞在者がひしめき合い、犯罪や非合法な活動が日常茶飯事に行われている。
とはいえ、そんな彼らも度が過ぎたことはしない。彼らが帝都に居られるのは、お上の御目こぼしがあればこそと理解している。一定のラインを越えればどうなるか。
良くて強制排除、悪ければ一棟まるごと焼却もありうる。というか、かつて幾度となくそういう事があったのだ。帝国は、ダンジョンの為に存在する。帝都もまた、帝国の為にある場所ではないのだ。
そんな帝都の巨大集合住宅。とある地下階。空調が不調なため、空気には不快な臭いがいくつも混ざって漂っている。照明も盗まれたり故障したりでまばら。明かりは少なく、暗闇が多い。
通路にはその場で生活する者、商売をする者で雑然としている。重低音の音楽、何かの破砕音、嬌声、怒号、悲鳴。常に何かしらの音が聞こえ、静まることがない。
そこを、どこにでもあるフード付きのコートを羽織った男が歩いている。目深にかぶったフードで顔はあまり見えない。
そんな男を、近くの部屋から出てきた幾人かが取り囲む。種族はバラバラだ。笹耳にいくつものピアスをしたエルフ。脂肪がほとんどない、筋肉だらけのオーク。そして、首のない戦神のタトゥーをしたトロル。
誰もかれもが、剣呑な雰囲気を漂わせている。そんな中、エルフが抜き身のナイフを魔法のように取り出した。
「お前……見かけねぇヤツだな。そのフード取れや」
「どこの棟から流れてきた? 外じゃあねえよな? 綺麗すぎる。臭いもだ」
オークが鼻を動かす。トロルは、フードの男に覆いかぶさるように迫る。天井すれすれの巨体だ。その圧は並じゃない。
「自分から取るか? それとも俺が取ってやろうか? 首ごとな」
三人が一斉に笑い出す。いや、四人だ。フードの男も笑っている。エルフたちは一瞬虚仮にされたかと怒りをあらわにするが、その声に覚えがあった。顔色が赤から青にすぐさま変わった。
「なんだよそれ、新しい持ちネタか? いいじゃないか、ピッタリだ」
「お、お前……まさか……っ!」
トロルが胸を、戦神の失われた顔の部分を押さえて後ずさる。オークが再度、確認するように鼻を動かして悲鳴をあげる。
「ヒィッ! 血風呂のヨルマ!」
「止めろよ、そんな古い呼び名。本当、イケてないよな」
フードを取る。そこに居たのは、ヨルマ・ハカーナだった。エルフがナイフを取り落とした。
「な、何しに戻ってきやがった……お前は、中央に行ったはずだ!」
「昔馴染みに会いに来たのさ。悪くはないだろ? ただの里帰りさ」
震えながら、トロルが部屋に逃げ帰る。オークも、後ずさりながらそれを追う。正面に立つエルフは、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「じゃあ、通るぜ? お前ら、もうちょっと上手くやらないといつか取り返しがつかなくなるぞ? これ、純粋に忠告だからな?」
軽く肩を叩いて、ヨルマはその場を通り過ぎる。エルフは飛び上がり、その場にへたり込んだ。
それを特に気にすることもなく、彼は歩みを進めた。顔を晒したから、周囲の目が集まる。あるものは悲鳴。あるものは歓声。あるものは声も出さず窓を閉めた。
そんな騒がしい通路を抜けて、ヨルマは目的地にたどり着いた。ギラついた魔法の輝きがまぶしい、酒場だ。用心棒として立っていた、体格のよいオークが彼を見て笑みを浮かべた。
「ヨルマ! 戻って来たのか!」
「よう、ホルグ。元気そうだな。また太ったか? 奥さんや子供たちはどうよ?」
「ばかいうな、これは筋肉だ。おかげさんでみんな元気だよ」
「そいつは何よりだ。皆は中にいるか?」
「もちろんだ。皆喜ぶぞ」
またあとで、と言葉を交わしヨルマは入り口をくぐった。とたんに浴びせられる大音量の重低音。魔法装置が激しい、音楽か若干疑問すら湧いてくるような音を垂れ流している。魔法の輝きは強く、だからこそあちこちに意図的に暗闇を作っていた。
客でにぎわうホールを突っ切っていく。幾人かが、やはり通路と同じような反応をしているが彼は取り合わない。そのまま目的地、一段高い位置に置かれたブースまで迷わず進んだ。
そこは一種の王座だった。ホールを一望できる特等席。そこに座っていたのは、帝国でも数が少ない竜人族の男だった。外観は人に近く、体の一部に鱗や角がある。生命力や魔力は竜の血を持つだけあって相当に強い。
そんな男が、隣に美女を侍らせて酒を傾けていた。そして、目の前に現れたヨルマを見て口の端を釣り上げた。
「こいつは、懐かしい顔が現れたもんだな。どうした? いよいよ中央が嫌になって泣きべそかいて逃げ帰って来たか?」
「そういうお前は、相も変わらずこんなところでお山の大将気取りか。めんどくさがりのくせに、面倒見がいいよな」
「ぬかせよ」
竜人族の男はヨルマの前に立った。引き締まった身体から放たれる、荒事に慣れた者だけがもつ雰囲気。周囲の者が息をのむ。
が、お互い笑顔で抱き合えば、そんな一瞬の緊張感はすぐに吹き飛んだ。
「ヨルマ! このバカヤロウ! もっと頻繁に帰って来いよこのワーカーホリック!」
「バラサール。仕事が忙しかったんだよ」
「てめえ、だめ男の典型的な言い訳だぜそれはよ!」
バンバンと、手荒く肩を叩き合う。そして離れるがヨルマはまじまじと竜人族の男、バラサールに顔を覗き込まれた。
「ほーん? ふつーじゃねえか。この間聞いた話じゃ、地獄の底にいるような顔色だったって騒いでたんだが」
「ああ……色々あったんだよ。その話、だれから?」
「あたしじゃー!」
鋭い、容赦のないフックがヨルマの脇腹に突き刺さった。さしものヨルマもこの不意打ちには対応しきれず、苦しい吐息を吐き出してよろめく。
「パラマ……お前な……内臓はだめだって……」
「喧しいこのコンコンチキ! ここから出て行ってから、連絡一つもよこさないし! 心配になって見にいったらあんな顔してるし! 近場にきたら攫ってやろうて計画立ててたんだからこっちは!」
ヨルマに対して激高するのは赤毛の娘だった。容姿は美男美女が現れやすいハイロウでも上位とされるほど。
その隣に、冷めた目をしたハーフエルフの娘も現れた。パラマと呼ばれた娘のスタイルがよいだけに、成人していると思われるのに対比的に童女のようにも見える。
「私は信じてたよ。妻をいつまでもほっておかないって」
「ジア姉さん……俺たちいつ結婚しましたっけ? とりあえず、お元気そうで何より」
「うん。でも残念。ヨルマがベコベコに凹んでたら、私が優しく慰めてそのままゲットという計画だったのに」
「ジア姉さん! それ私の計画!」
「女の戦いは隙を見せればかっさらわれる。いい勉強をしたね。授業料は安くしておくね」
「はっは、さっそくやってら」
ヨルマをはさんで姦しいやり取り。それを笑ってバラサールは再び椅子に腰を下ろした。その隣で座ったままだった女が笑いながらグラスを傾ける。
「このやり取りも懐かしいわ。お酒が進む」
「バルバラ、止めてくれよこれ……」
「ほったらかしてたアンタが悪いんでしょ。大人しくしばらくはサンドバックになってなさいな」
「勘弁してくれ、命に関わる」
ケラケラと笑われて、肩を落としたヨルマはそのまま空いた席に座り込む。当然の様に両側にパラマとジアが座って身を寄せた。
「さて、と。何で唐突に帰って来たか聞きたいがいきなりは野暮だな。まずは乾杯といこうや」
運ばれてきたグラスを、皆が手に取って掲げる。
「家出野郎の帰還に」
「そこは、再会にって感じにしてくれよ」
こうしてヨルマは、数年ぶりの里帰りを果たした。
一エピソードに収めるつもりが盛大にはみ出しました。
ヨルマの口調がだいぶ違うのはプライベートだからです。