残念霧散
「0000000ooooooo!!!」
怨嗟の咆哮が湖面に響く。見事命中した塩たっぷりの樽は、衝撃で崩壊。中身をまんべんなくペインズの上半身に振りかけてくれた。
効果はてきめんだ。黒々とした瘴気が、灰色になって消えていく。さらに、遺体が次々とその巨体から剥離していく。たまらず、塩を叩き落とそうとするペインズ。その動きがさらに己の身体の崩壊を招いていた。
防壁への攻撃が、弱まった。今がチャンス。
「押し込め! 全力攻撃!」
「ワンッ!」
コボルトの投石が再開される。正直、威力は乏しい。しかし、この嫌がらせのような攻撃ですら、いまのペインズには存在を削る危険な攻撃。腕で防ごうとしているが、命中した場所に塩が付着しているのだから守れていない。
その腕を見て、唐突にひらめいた。そうだ。岩を投げられなくすればいいじゃない。先輩から教わったじゃない。
俺は鉄球を握りしめる。塩がたっぷりついているから正直握り辛いが、我慢。大きく振りかぶる。目標、ちょうど狙いやすい左ひじ!
「手癖の悪さにサヨナラ!」
ぶん投げた。ダンジョンマスターになってから、投げたものが狙った場所から外れたことは一度もない。今回もばっちりと、ひじ部分に鉄球がめり込んだ。
その塩付きの異物が、腕の稼働に負担をかける。もはや、そちら側で物を持ち上げることは不可能だろう。出来てせいぜい棍棒や盾の代わり。それでもまだ、脅威ではあるが。
「発動、爆発火球」
唐突な一言が、隣から放たれた。バレーボールほどの大きさの炎の玉が飛翔し、ペインズに直撃。爆音を上げて破裂した。
「うおお!? なにあれヨルマ! それどうしたの!?」
隣に立つ彼は、赤い宝石が埋め込まれた一本の短杖を持っていた。
「ブラントーム家の口利きで手に入れることができた短杖です。回数制限が厳しいので、使いどころを探っていました。……これ、許可がないと所持が許されないんですよね。簡易版なのに」
「単純に、使い勝手が良くて火力がありますからね。私も欲しいのがあるんですけどなかなか……」
「イルマさんも物騒なものを」
流石は帝国。やばいマジックアイテムを生産、量産しているようだ。そりゃ、周辺国家なんて路傍の石だわ。そんなイルマさんもセヴェリ君と一緒に魔法攻撃。反撃しようとするペインズを抑え込む。
「いよっし、ここが正念場! 決めるぞお前ら!」
「「「押忍!!!」」」
ハガネヤマ親方が怒号のごとき号令を発すると、防壁を揺らすような返事を弟子が返す。全員、一列に並ぶと勢いよく両手を打ち鳴らす。
空気が一瞬で変わった。闘争と混乱が満ちた戦場の空気が、清められる。そして彼らは大きく両腕を広げると、右足を上げる。踏み下ろす。四股だ。
「000ooooooo000oooo!」
ペインズが叫ぶ。清めの塩が、より強く崩壊を促す。力士たちが左足を踏み下ろす。そして、再度大きく手を打ち鳴らした。
「諸々の禍事、打ち払いたまえ! 悪霊退散!」
快音と共に、神気が放たれる。ペインズが、そして泥まみれになりながらも寸前まで迫っていたアンデッドが動きを止めた。死骸の巨人が崩れていく。ペインズの瘴気によってアンデッドになっていたものが、元の死体に戻っていく。
「流石、専門家……。ソウマ様にあらためて感謝しないと」
「ミヤマ様、ご注意を」
エラノールの指さす先。ペインズが最後のあがきとばかりに、こちらに腕を伸ばしている。そんなものを食らって怪我をするのはばかげている。動きも鈍い事だし、全員で距離を取った。
その腕に、紫色の茨があった。全身から、茨が右腕に集まっていく。逆に、それが失われた場所は一気に崩壊を速めていた。なんだ? 何をする気だ。
右腕が、防壁に叩きつけられた。その勢いは弱い。先ほどの脅威が見る影もない。しかし、茨だけは違う。全身にあったそれが、防壁の上に乗った右腕にすべて集まっている。それに伴うものなのか、死骸による巨体はついに崩壊した。
茨の巻き付いた右腕だけが、不気味に防壁上に残っていた。よくない。これはきっと良くない。
「あれを落とそう! ロープか何かで引っかけて……」
「茨がっ!」
一体だれの叫びだったのか。見やれば、腕の茨がさらに形を変えていた。全ての肉、死体を放棄して。ただ茨だけが一つの形になろうとしていた。
足、胴、腕、首、そして頭。ヒトの形だった。目もなければ鼻も口もない。茨が五体を形作るだけ。巨人に比べれば、質量は比べるべくもない。しかしながら、恐ろしかった。異様だった。異質だった。
何をどうすれば、こんなものが生れ落ちるのか。さっぱり理解の外だった。そして。茨が、俺の方を向いた。
「!」
本当に咄嗟の動作だった。エラノールがダンジョンに加わってから学び始めた短刀術。とっさに構える訓練は毎日やっている。それが生きた。
胸の前に構えたアダマンタイト脇差。そこに、紫の茨が絡まっていた。攻撃をされた瞬間を、知覚できなかった。腕に感じた衝撃で、やっと攻撃を受けたと理解したぐらいだ。脇差が無かったら、胸を貫かれていただろう。速度も人外だったが力もとんでもないのだ。
防いでなお、ペインズは腕を突き込んでくる。それに全力で抗う。声も出せない。一瞬でも力を緩めたら負ける。押す、耐える、我慢する。汗が噴き出る。全身が悲鳴を上げ始める。靴底が、滑る。押し負ける。
唐突に、力が緩んだ。ペインズを見ればその胸に深々と矢が突き刺さっていた。エルダンさんの矢だ。
「カァッ!」
上から、衝撃が叩きつけられた。ロザリー殿だ。こんな技まで持っていたとは。ペインズがぐらつく。さらに追撃として、氷のつぶて、水の玉、魔法のナイフが次々と襲う。イルマさん、セヴェリ君、ヨルマ。そして神官力士たちの息の合った理力の連打が豪雨の様にペインズを襲う。
さしものペインズも、これには耐えられないらしい。人の形が、崩れた。これで助かった、と思ったのは明らかな油断だった。
「00000ooooooォォォオオオオオ!」
茨が、吠えた。そして一つの塊となって、俺に覆いかぶさってきた。これを避ける術を俺は持たない。絡みつかれる。取り込まれる。茨が刺さる。全身に激痛。精神にも。
「Waあタさなイ。ワタさない」
魂が束縛される。己の根幹に茨が絡む。逃れられない。真っ暗い声が聞こえる。悲嘆の声。永遠の呪い。
「ダれにも、ワTaすもNoか。うばWaせるモのカ」
それ自体は、きっと純粋な願いだった。燃え上がる決意だった。つなぎ留めたいという思い。それが災厄になるなんて、きっと思ってなかった。
「決して渡す……」
「やかましい」
真っ赤な光が、叩きつけられた。ぶん殴られた。女の拳に、朝焼けのような輝きが込められていた。それが俺の顔面に叩き込まれた。痛い。
「こちとらそれに三千年迷惑してるんです。聞き飽きてるんですよドサンピン。ダンジョンマスター!」
「ふぁいっ!」
頬が痛くてうまく返事ができない。
「引っぺがすのはやってあげます! それを下に投げ捨てなさいっ!」
「はい!」
やるしかなかった。足を動かす。何も見えない。だけどわかる。ここは俺のダンジョン。ダンジョンの中の事は、ダンジョンコアが把握している。見えなくても、コアに教えてもらえば何とかなる。
何もかもが痛む。だが、人間一定以上の痛みは処理できない。なので、意識さえしっかりすればどうにかなるものだ。あとは我慢である。
足を動かす。茨が暴れる。俺を支配しようとする。だが無理だ。ぶん殴られた時に叩き込まれたパワーが、防壁となっている。ならば物理的に留めようとしているようだが、それも無駄。
エラノールが、アダマンタイト刀を持ち出した。全身から赤い光を放ち、茨を切り裂いている。本当は周囲に絡みついて留まりたいのだろうが、この妨害によって上手くいっていない。俺のほかに取り付こうという狙いも、防がれている。
だから歩く。進む。抗うために俺を削ろうと暴れるが無駄な事。それも赤い光が防いでいる。防壁の上はそれほど広くない。ほら、もう際がすぐそこだ。三歩、二歩、一歩。
「束縛ばかりじゃ疲れるだろう。自由を楽しめよ。落下もついでに!」
網を海に投げるように。茨を空中に放り投げた。俺に絡みついた茨が、最後の抵抗を試みる。落ちるなら俺も一緒だというかのように。
それを、赤い剣が切り払った。赤という輝きを、結晶にして剣の形にしたもの。オーナー殿のそれが、俺とペインズを切り離した。
茨が落ちる。落ちながら、ほどけていく。消えていく。地面に叩きつけられる前に、跡形もなく消滅した。俺に絡みついていたそれも、わずかに抵抗を見せたがそれだけ。幻のように消えていった。
仰向けにぶっ倒れる。きつかった。めちゃくちゃきつかった。いまだに全身が痛む。あれがペインズに取り込まれるという事か。地獄だな本当。
皆が駆け寄ってくる。リンタロウ行司が、治療の奇跡を使ってくれる。おかげでゆっくりとだが痛みが引き始める。
「……決まり手は、押し出しですかねぇ」
俺のとぼけたセリフに、眉間にしわを寄せる行司。
「いくさと相撲は違います。ここは土俵ではございません。ミヤマ様は力士ではありません」
「あー……すみません、ふざけすぎ……」
「ですが。ペインズに取り込まれそうにながらも、見事にやり切った事は天晴の一言。これを神々に伝えるのまた行司の仕事でしょう」
「はい?」
治療を終えた行司は、真っすぐ立ち上がると軍配の代わりに高々と手を掲げた。
「押し~出し~! 押し出しでダンジョンマスターの勝ちーーー!」
「ハッハッハー! 見事だったぜダンジョンマスター殿!」
力強く、というかかなり乱暴にハガネヤマ親方に立ち上がらされる。正直まだふらつくのだが。
「親方! ミヤマ様に乱暴はよしてください!」
「ばかいえお嬢! マスター殿は男だぞ? この程度で音を上げるものかよ」
「ドワーフとはちがうんです!」
エラノールがクレームを入れている。いいぞ、もっと言ってやってくれ。リンタロウ行司もそれに加わった。横綱オオツルギが親方の後ろでおろおろしている。親方を何とかしてくれ。
コボルト達はワンワン吠えながら万歳している。イルマさんやセヴェリ君は俺を心配してくれているようで、ねぎらいの言葉と一緒に支えてくれている。
ほかにもみんなでわちゃわちゃしているのだが、流石に疲労で認識が追い付かない。ううむ、休みたい……。
「はいはい、騒ぐのは後! ブラントームの娘! 急いでダンジョンマスターをコアの所まで運びなさい! 排水路を閉じないと、あちらが休めませんよ!」
「は、はい! 只今!」
手を叩きながらのオーナー殿、鶴の一声。ロザリー殿が俺を引っ掴んで飛び上がる。この体調で短距離滑空は結構厳しい。だが、終わらせないといけないのは全くもってその通り。
俺は最後の体力を振り絞って、耐えた。
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