牙をむき合う青春と、想定外のお客様
ミヤマダンジョンの外。ほど近い森の中。黒毛のコボルト、クロマルと共にセヴェリはそこに居た。歩きやすかったのは、ダンジョン前の切り開かれた部分のみ。一歩森の中に踏み込めば、そこは未開の地。
木々の太い根が歩みの邪魔をする。苔をうっかり踏めば滑りそうになる。雑草、石、枯葉……セヴェリにとって、初となる経験だった。
公爵家の跡取りとして生まれ、育てられた。重荷にも思ったが家族にも家臣にも、偉大なる主にさえ恵まれた。目指す動機もあったから、今まで頑張ってきた。ふさわしい結果だって出してきた。だが。
(……失敗してしまった)
あまりにも稚拙で、幼稚な失敗だった。羞恥心で顔から火が出そうだ。だが、しょうがないではないかという言い訳がセヴェリの胸中に湧く。
(あんな風に、これ見よがしに煽られなければ)
セヴェリのこれまでの人生で、『敵』というものはいなかった。戦闘訓練の締めとして、あるいは狩りとして。対象の命を奪ったことはある。殺気や敵意を受けた覚えもある。だが、それはあくまで短時間。その場限りのもの。
今回の様に同じ職場で、同じ立場の相手から向けられたのは初の経験だ。なにせ、セヴェリは公爵家の跡取り。それをわかってケンカを売ってくる相手はいなかった。分からないような相手はそもそも周囲の取り巻きや家臣が近寄らせない。
今も、ほんの十数歩離れたところで倒木に手斧を振るっている人狼。ダニエル・ブラントーム。恨めし気な視線を投げることが、どうしても止められない。
彼は強い。セヴェリは理解している。自分より、強いと。魔法なら間違いなく自分が上だが、それは得意分野だからこそ。純粋に戦闘という面においては、一歩劣る(実際はもっと分が悪い)。
そんな相手が、あからさまに戦果を挙げてこちらを煽ってくる。慣れていないことも踏まえても、セヴェリの心境はひどく荒れていた。
一方、その人狼青少年もまた心中穏やかではなかった。
(失敗した! もっと上手くやるべきだった!)
ぐるぐると、不機嫌に喉が鳴るのを押さえられない。力加減はなんとかできている。そうでなければ斧で自分を切りかねなかった。まあ、すぐに治るのだが。
ともかく、ダニエルとしてはセヴェリが目障りだった。初めて会った時からそうだった。仕えるダンジョンがある貴族! それだけでもう、目が眩むほどにうらやましい。ブラントーム家が長年求めて手が届かなかったそれを、当たり前のように享受している!
それなのに、ミヤマのダンジョンにガーディアンとして入ってきた! 自分たちが仕えるダンジョンがもうあるのに! 周囲に示しがつかない? そんな都合知ったことではない! ダンジョンに仕えられないハイロウが帝国でどれほどいると思っているんだ!
はじめてその話を聞いた時など、理性が飛びそうになった。帝都の戦闘訓練施設で、格上の戦士相手に死ぬ気で戦ってやっと発散できたぐらいだ。
さらにさらに、こいつは魔法使いだ。ミヤマが求める魔法使いなのだ。自分だって自己強化の術なら少々持ち合わせている。が、それでは足りないのは分かっている。あちらがそこそこの使い手である事は、先日の一件や今日の戦いで理解した。
(これで無能なら、さっさと追い出すものを!)
有能で、目端が利く。ダンジョンの戦力となる。ならば、足を引っ張るなど言語道断。自分はミヤマダンジョンのガーディアンなのだから!
だが、職責と心中は別物。だからどうしてもそちらに目が行く。
二人の視線、敵意が交わされる。
「……なんだよ」
「そちらこそ」
ダニエルが鼻で笑う。セヴェリの眉尻が跳ね上がる。
「やっぱり特別扱いがお望みかい? セ~ヴェ~リ~さ~ま~?」
「言わせておけば……品のない!」
「あ”あ”? ンだとオイ! 俺を誰だと思ってやがる!」
「ヤルヴェンパーに楯突く覚悟があるとはな!」
セヴェリから、魔力のオーラが吹きあがる。ダニエルの筋肉が隆起する。
胸元の護符に手を伸ばす。両手の爪を戦闘用に伸ばす。
狙いを定めるために、睨む。飛び掛かるために、睨む。
「ワンッ!」
さぼるな! と言いたげに、威風堂々クロマルが吠えた。両手に掲げた鉈と薪がその証拠。互いの動きが止まる。
「ワンワンッ!」
クロマルがさらに吠える。彼が指さす先は、ダンジョンだ。そちらを意識させられては、ハイロウたちもそのままでは居られない。心底気まずそうに、青少年たちの敵意が薄れる。
「……作業に、もどります」
「すんません」
「ワン!」
分かればいいんだ、という風にクロマルが吠える。腕を組んで頷いてまで見せる。もやついた感情を抱えたまま、のろのろと二人は作業に戻る。クロマルも作業に戻る。言うまでもないことだが、この中で一番薪を集めているのは彼である。
しばし、作業音が森に響く。風の音、枝葉のこすれる音、虫や鳥の鳴き声。それらが、ささくれ立っていた二人の心を若干なだめた。だが、その程度で治まるなら苦労はない。
「ダニエル」
「何だ」
互いに作業をしたまま。向き合う事も視線を交わすこともない。
「これは私と貴方の問題です。家は関係ありません」
「……ッチ。ああ、そうだ。俺とお前のケンカだ」
その後は、互いに口を利くこともない。ひたすら作業を続ける。公爵家と伯爵家。本来ならばケンカができる間柄ではない。だが、ダンジョンの中なら話は別。帝国はダンジョンの為にある。ダンジョンの中に帝国の身分を持ち込むのは無作法。
故に。セヴェリとダニエルは、生涯はじめてとなる、ケンカ相手を得ることができたのだ。
そのやり取りを、面白そうにシルフのエアルが見守っていた。
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翌日。コアルームに俺はいた。蛮族王風にデコられた石の椅子に座り、膝の上にはダンジョンカタログ。添付されたエレベーター説明書を読み込む。
昨日、トラヴァー達による偵察は残念なことに芳しい結果を上げることができなかった。場所は地下深く、風の通らない場所。エアルの力が届かない状態になっているらしい。加えて、水の精霊の居場所でもある。
「悪臭がなかった、というのは幸いな事だったけど」
とはいえ、どんなガスが溜まっているかわかったものではない。エアルには力の限り換気を続けてもらっている。そちらはそれほど難しくないらしく、順調との事。下に降りて息ができないなどという事はなさそうだ。日本でもあったからな……二酸化炭素が溜まっていて作業員が、とかいう事故。
コボルトの鼻が使えないとなれば、直接見に行くほかにない。しかし、呪文で降りるのは不安がある。ロープで降りるのは現実的ではない。となればもう、最後の手段。
エレベーターを下に伸ばす。幸いなことに、そういう機能が付いている。本来は新しい階層が増えた時の為の機能だが。費用は一階数増やすごとにコイン三枚。そして、今回一番下まで伸ばそうとしたら、三十コインを要求された。階数にして十階分。見通せなかっただけあって相当なものだ。
三十コインあればいろいろできるのに、デラックスガチャだって回せるのにと嘆きながらコインを投入。延伸が開始される。流石に直ぐに、というわけにもいかないらしい。しばらく待つ必要がある。
ほかに準備ができる事は何かあるだろうか。……場当たり的にモンスターを増やしてもしょうがない。下にいるのがアンデットだけとは限らない。実際に精霊もいるはずだし。となれば変に決め打ちしても大外れの危険がある。
魔法が使えるモンスターは基本的に高い。二十枚や三十枚、ちょっと上を見ると五十枚とかザラにある。コボルトやゴブリンといった弱いモンスターの呪文使いは例外的に安いが、今度は実力があてにならない。
うちのトラヴァーなんかはお値段以上に優秀だと思うが。……コボルト魔法使い増やす? いやでも、呼んで直ぐ戦力になるならモンスターで最も弱くて臆病とか言われないしなぁ。でも、ちょっと考えておこう。
と、言うわけでモンスターを増やすのは無し。下を調べてから考えよう。それ以外に何がある? ダンジョンは、強化してもしょうがない。いや、迷路部分は日々増築して襲撃に備えてはいる。下の探索に連れていけない、足の遅いモンスターたちは防衛に付いてもらう。洞窟探索に集中できる状態にはなっている。
援軍を呼ぶ……これも、偵察が終わってからだな。どういう助力が必要かを具体的に説明できなければ求められる側も困るだろう。
……うん、本気でないな。せいぜい、明かりやらロープやら武器防具やら。そういった道具類を準備しておくぐらいだ。そしてそれはもう終わっている。エレベーターが完成するまで、本でも読んでいるか。魔法についての入門書をケトル商会で手に入れたのだ。
そうと決まれば、とダンジョンカタログを台座に戻し居住区に向かう。その最中、遠方からかすかに聞こえてくる呼び出し音。これは、転送室のものだ。
「誰か来る予定なんて、無かったはずだが……?」
小走りに、目的地へと向かう。……ダンジョンは、広くなくてはいけない。防衛施設だから。この、今走っている通路もこの間の攻防では最終防衛に役立ってくれた。この長さが無ければコアルームまであっという間だった。
でも、内部で生活しているとどうしてもこの距離が煩わしくて仕方がない。ああ、俺が大魔法使いであったなら。あるいは、設定ガバいウェブ小説の主人公であったなら。転移魔法でお手軽移動できたのに。
もちろん、現実は非情だ。走って移動するしかない。コアルームから居住区を抜けて、転送室へたどり着く。まあ、前よりは近くなった。以前はマッドマン沼の渡り板を越えなきゃいけなかったものな。
さて、現場に到着してみれば二人の若手ガーディアンが先にいた。の、だけど様子がおかしい。転送許可を出す水晶球の前で何やら動きを止めている。
「どうしたの二人とも?」
と、話しかけるも答えはなく。さながら錆びついた機械のように鈍い動きで俺を見て、水晶球を指さすのみ。見ろという事か?
触れると、転送してくる者のイメージが頭に浮かぶ。知り合いなら姿が浮かぶが、そうでないなら名前だけだ。で、浮かんだのは以下のメンバー。イルマさん。ヨルマ。ロザリー殿。そして……。
「コボルト幸せ商会、トッポ、ペコ、コボルトトップブリーダー? ……んん? これ、名前が出るはずだぞ? なんで通称みたいのが出るんだ?」
二人に振り返ってみるも、引きつった表情のまま首を振るばかり。一体どういう事だろうか。そもそも、なんでコボルト幸せ商会が? ……まあ、イルマさんたちが一緒なら大丈夫だろう。転送許可を出す。
転送室を赤い輝きが満たす。それはすぐに治まり、代わりに新たな人影が現れる。見知った顔が三つ。見たことある顔が二つ。全く知らない人が一人。
「どうも、こんにちわ。ようこそいらっしゃいました」
と、挨拶する。……現れた人々の様子もいつもとは違った。イルマさん、眉尻を下げてとても困っていますという弱弱しい笑み。ヨルマ、いつも余裕の笑顔を浮かべているのにそれがとても硬い。そしてロザリー殿、尻尾がめっちゃ膨らんでる。なんだこれは。一体どういうことだ。
「突然お伺いしまして申し訳ありません。先日お世話になりましたコボルト幸せ商会でございます。あ、自分はトッポと申します。こっちはペコでございます」
「ワン!」
動きのない三人の代わりに、見知った顔のコボルトが挨拶する。この間通信越しにあった二人だ。標準よりちょっとひょろりと背の高いコボルトと、逆に低いもう一匹。相変わらずいい服を着ている。
そして、その二人の後ろから現れた人物。まず目に入ったのは……デフォルメされたコボルトの仮面だ。顔の半分しか覆ってないので、口元は見える。服装も、野外活動を意識しているような長袖長ズボンではあるのだが……普通ではない。トッポと名乗ったコボルト達と同じかそれ以上に手間暇がかかった一品。
しかし、それらは全ておまけ。本命は本人の美しさ。仮面と服装など問題にならない、目を引き付けて止まないその美貌。真っすぐ、足元まで届くような銀の髪。俺より拳二つ分は高い身長。地球のトップモデルになれそうな完璧なバランスの身体。
ただいるだけで、場の中心になってしまうような圧倒的なカリスマ。イルマさんやエラノール、ほかのお貴族様たちもそういう所がある。だが、この女性はそれら以上。圧倒的に上。つまるところ、全くもって只者ではない。
「そして、こちらが我が商会のオーナーでございます」
「お初にお目にかかる、ダンジョンマスター殿」
声もまた、張りと自信に満ちたものだった。一般人ではこうはならない。
「初めまして。このダンジョンのマスターをやっています、ナツオ・ミヤマです。オーナー殿、でよろしいでしょうか?」
「コボルトトップブリーダー! という称号が一番気に入っておりますが、いささか長い。それで結構ですとも」
……これは、相当だぞ。キャラが強いぞ。ペースは、すでにあっちが握っている。
「……なるほど。とりあえず、立ち話も何ですのでこちらにどうぞ」
と、振り返れば若手二人がぶっ倒れていた。
「うおおおい!? セヴェリ君!? ダニエル君!? しっかり、一体何があった!?」
「ええっとぉ……ナツオ様? それはまあ、しょうがない感じなので。ええ、ある意味当然というか。私が運びますので」
と、イルマさんが魔法を使う。銀色の板のようなものが倒れた二人の下に現れる。それが浮けば、魔法の担架のできあがりだ。
しかし、しょうがない、か。公爵家令嬢、伯爵家当主である二人のあの態度。いつも余裕しゃくしゃくのヨルマの緊張ぶり。そしてぶっ倒れた二人。これから推察される、オーナーという女性の正体。
(……帝国の皇族クラスの大物と見た)
ほかに考えられない。とんでもない大物でなければ、こうはならないだろう。流石に皇帝陛下御本人ではないと考えたい。陛下について全く情報を仕入れていないのはちょっと問題があったか。今度聞こう。
しっかし、なんであんなファンシーな仮面被ってるんだか。