幕間 エルフ看病
サプライズ更新。二巻の中ではどうしても入れ込むことができなかったお話。
ここに、一人のエルフがいる。種族由来の華奢な身体を、外部から得たパワーで限界を超えて動かした娘が。結果どうなったか。
「う”~~~ん、う”~~~ん」
辛うじて、肉離れや骨折といった怪我は免れることができた。代わりに、壮絶な全身筋肉痛が彼女を襲っていた。痛みを抑えるための薬草入り湿布をあらゆるところに張り付けてエラノールは己のテントで唸っていた。浴衣のような寝巻の下は、さながらミイラのごとく湿布まみれだった。
「……エラノールさん。やっぱり、神様の力で回復してもらう?」
看病をしているのは、ダンジョンマスターのミヤマだ。全ての客が帰宅し、やっとダンジョンが落ち着いたのでここにいる。何せ、無理をさせたのは己である。その胸に罪悪感は当然あった。
主の言葉にエルフはゆるゆると首を振った。
「やだ……回復したら、また痛くなるって母上いってた」
およそ普段の彼女からは程遠い、幼さすら垣間見える発言である。今の彼女は、自分を取り繕う余裕が全くないのである。
正しく表現すれば、それが尽きたというのが本当の所である。己の母親、エンナがいた時はこうではなかった。悲鳴を上げるほどの痛みを必死にこらえ、気丈に振舞ってたのである。
何故そんなことをしていたかといえば理由は簡単。母親が怖いからである。子供のころから厳しく育てられたという、トラウマにも似た苦手意識。奉公先であるダンジョンで、情けない姿を見せたらどんなお叱りを受ける事か。
故に彼女は頑張った。……それがよろしくなかった。それでなくても今回、職場に両親と領主が来ているという高ストレス状態だったのだ。ここに、ダンジョンとミヤマと己自身の危機が加わり。ぶっつけ本番で三重エンチャント状態で戦闘をこなすという大役。そしてその後の疲労状態での、気張り。母親が帰るまでいつも通りであり続けた。
その反動が、このやや幼児退行した状態である。極限の疲労は思考を鈍らせる。さらに肉体も限界近くに疲労しているのだ。さもありなん。
ミヤマはこの事態にうろたえた。盛大にうろたえた。だがマイナス方面の事を己に納得させる事は、ある程度慣れている男である。とりあえず飲み込んで、看病にいそしんでいた。
さて、先ほどのエラノールの発言をミヤマは訝しむ。
「また、痛くなる……? 痛みがぶり返す? 神様の奇跡を使っても?」
「エンチャント、またつかう。また痛くなる。耐えて体を強くしろって」
「ん~……あーあーあー。わかった。身体を鍛える足しにしろって言いたいのか、エンナさん。筋肉鍛えるアレか」
筋肉はいかにして鍛えられるのか。筋肉は、負荷がかかることで損傷する。その後、栄養と休息を得ることで以前よりも成長する。簡単に言えばこういうものである。現在の筋肉痛はまさにその損傷状態。これを神の奇跡で癒してしまうと、元の状態に戻るだけ。鍛えられないのである。
「でも、キツかったら無理しない方がいいよ?」
「……母上に知られたら、叱られる」
「そん時は俺がどうにかしますから。気にしないで」
ゆっくりと首を振る彼女を見て、ミヤマは溜息を吐いた。同時に、わずかながら怒りも覚えていた。ここまでの状態でも甘える事を許さないとは。躾というには限度がなかろうか。これからは俺が守るべきだろう、そう決意を改めた。
そのように考えられるようになったのが、ここ最近のダンジョンマスター・ミヤマという男だった。それはさておき。
「えーとじゃあ、ほかに何かしてほしい事とかあります? ……煩かったら、外に出てますけど」
エラノールは、少しの間ミヤマを見た。そして口から出た言葉は。
「名前」
「なまえ?」
「さん、やだ」
「さん? ……エラノールさんって呼ぶのだめ?」
「だめ。……イルマ様、なんか呼び方変わった。」
「うっ」
まさかの鋭い指摘に、言葉が詰まった。やはり見られているのだなぁと、ミヤマの背筋にうすら寒い物が走る。
「殺戮機械との戦いのとき、呼び捨てだった。これからはそっちがいい」
「あー……あの時は本当、余裕なかったから……分かりました。じゃあ、これからはそう呼びますね」
「ですますも、やだ」
「ええ……?」
ミヤマ、思わず呻く。ここまで押しの強い彼女は初めてだった。訓練中の厳しさとは別種だった。
「もろだし女は、全部最初からだったのに」
「いやあ……ミーティアはほら、はじめっからああだったし」
「やだ」
「わかりました……ああもう、わかった。これでいいか?」
「うん」
およそ、今までではありえないほどにゆるい微笑みを浮かべるエラノール。妙なわがままを受けたが、こうも笑えるならまあいいかと考えるミヤマ。
少しばかり、緩やかな空気に包まれるがそれもエラノールの表情が曇るまでだった。
「いたい」
「せやろな」
関西圏出身でもないのに、思わず訛るミヤマである。長寿となった某探偵アニメの影響もあるだろう。
この後もしばらくの間、看病でミヤマは彼女の傍にいた。何かと忙しい彼ら彼女が、珍しく長く一緒にいた時間だった。
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翌日、エラノールは回復した。正確には、痛みはまだ残っていた。復調にはもう数日必要だろう。ここでいう回復というのは、精神状態の事である。正気に戻ったともいう。
なので。
「ああああああ~~~~~~~~!!!」
朝一、彼女のテントから羞恥の極みのような悲鳴が上がった。コボルトたちは驚きに飛び上がり、何匹か己たちのテントから転がり出てきた。エラノールの隣のテントで寝ているミーティアは少しばかり目を開いたが、またすぐに眠りの世界に旅立った。
その悲鳴を聞きつけたミヤマは、椅子から立ち上がった。ダンジョン生活を始めてから、彼は早起きだった。朝のルーティンは、焚火の火を起こして自分で茶を入れる事である。
苦笑を浮かべて、エラノールのテントへ足を運ぶ。
「おはようございます、エラノールさ……エラノール。少しは良くなったかな?」
「ミ、ミヤマ様! いえその、あれは……あいたたたたた」
「無理しない。入っていいかなー?」
その言葉にエラノールはベットの上で飛び跳ねる。そして筋肉痛の残りで体が悲鳴を上げる。だが、我慢は彼女の得意分野(限界があるのは先日の通りだが)。
大急ぎで最低限の身支度を整える。拒む、という選択肢は頭の中になかった。
「ど、どうぞ……」
「失礼しまーす。……大分元気になってよかった」
「ミヤマ様。先日は、大変情けない姿を……」
「気にしない。疲れきったらああもなる。当然当然」
「はい……」
とは言われたものの、エラノールの顔は羞恥で赤く染まっていた。耳まで真っ赤である。
「それじゃあ、アルケミストに湿布を変えてもらうから。待っててね」
「はい……あの、ミヤマ様」
「ん? どうしたエラノール」
「……いえ、何でもありません」
「そう? じゃあ、またあとで……ああ、お茶飲む?」
「……いただきます」
「わかった。それじゃあ持ってくるね」
ミヤマがテントから出て行ったあと。たまらない気恥ずかしさに、エラノールは掛け布団を頭までかぶった。