幕間 貴族悲喜こもごも
今回、諸事情ありましていつもの倍の分量でございます
冷たい風と、荒波の地。アルクス帝国で最も北東に位置する地、ヤルヴェンパー領。巨大な城壁に囲まれた城塞都市。港には荒波に負けない鋼の大型船が何隻も並んでいる。都市にほど近い場所にある火山は、海に接している。その根元に空いた海蝕洞。こここそが北海の主、大海竜ヤルヴェンパーのダンジョンの入り口だ。
ダンジョンの内部はほぼ水没している。海水と温水の混じるダンジョン内部は、多種多様の水棲モンスターが生息、契約しており侵入してくるモンスターや侵略者に対応している。
その中で、例外的な場所がある。ハイロウなどが生活する区画。ここには転移室や倉庫など、水の中にあっては問題のある施設が設置されている。
その、転移室に光が灯る。監視者が許可を出し、転移が終了する。出てくるのは、ミヤマダンジョンから帰ってきたエドヴァルド・ヤルヴェンパー公爵だった。
彼が転移室から出ると。二人の人物が待ち構えていた。眉根にしわがよった。
「やあ、お帰りエドヴァルド。若きダンジョンマスターはいかなる人物だったのだい?」
エドヴァルドに似て、柔らかな物腰の男性。外見年齢もそれほど離れていない。ユリウス・ヤルヴェンパー。エドヴァルドの父親である。似たのは彼の方だ。
もう一人は女性。こちらはイルマ『が』似ている。クリスタ・ヤルヴェンパー。彼ら彼女らの母親である。彼女も、ハイロウらしく若さを保ったままである。
二人はダンジョンで暮らし、働いている。貴族としての生活はしていないので、服装もダンジョン用になっている。豪華とは程遠い、実用性重視の作業服。北海の地であるため気温は低い。なので分厚く、防寒に優れている。
「只今帰りました、母上」
「はい、おかえりなさいエドヴァルド」
エドヴァルドが軽く頭を下げる。
「エドヴァルドー? 私への挨拶はー?」
「私の父上は死にました。公爵家の当主たるもの、ダンジョンへの望郷の念を押さえられなくてはならない。常日頃からそう教えてくださった父上は。ええ、席が空いたら即座に家督を押し付けてダンジョンに飛び込んだどっかの誰かはくたばるべきかと」
「うーん、確かにそんな奴は死ぬべきだね!」
エドヴァルドは瞬く間に家宝のレイピアを呼び出すと、その動きのままに切り込んだ。しかし、ユリウスもまたレイピアを召喚。その刃を弾いて見せる。そのまま、高速の応戦が繰り広げられる。
「ぐぅぅ、訓練は! 欠かしていないのに!」
「ははは、私は実戦で腕を磨いているからね!」
真剣での切り合いである。一手間違えれば致命傷になる。だが、二人とも一切の手加減なく切り合う。だからこそ成立している。一呼吸の間に、五度は刃が打ち交わされる。突く、振る、しなる。
剣を振るうその姿は、かつてエドヴァルドが心酔し目標とした父そのもの。公爵家の主にふさわしい、威厳と厳格さを備えていたあの頃の。
だというのに当主の地位を放り投げたあの日から、父はすっかりスチャラカになり果てた。こちらが素なのか演技なのか、はたまたダンジョンで生活できる事で浮かれポンチになっているのか。判断はつかないが、兎にも角にも今の父は大変苛立たしい。首をちょっと跳ねたぐらいなら死なないだろう、すぐに繋ぎなおせば。そんな気分でエドヴァルドは刃に殺意を載せていく。
その攻防を終結させたのは、大量の水だった。居住区にある巨大な水路から、大質量が文字通り頭を出したのだ。屋敷ほどもある、巨大な竜頭。
二千年の長きにわたりこの地を守り続けた大海竜、ヤルヴェンパーである。
「帰って早々、元気の良い事ですねエドヴァルド」
涼やかな竜語がかけられる。大海竜による水を浴びた三人は、しかしまったく濡れていない。この程度の事が出来なくては、ここで働くことはできないのだ。
「只今戻りました、ヤルヴェンパー様」
「新たなダンジョンマスターとの語らいはいかがでしたか?」
「楽しく、かつ実のあるものでした。我が領地にも、新しい風を呼ぶものかと」
「それは何より。早速ゆっくり聞かせてもらいたい所ですが……」
大鐘の音が、居住区に鳴り響く。大海竜は深くため息をついた。それだけで鼻先の三人は吹き飛びそうになるが、やはり術を使って何事もないように耐える。
「そろそろ来る頃だろうと思っていました。エドヴァルド、参戦を許します。クリスタ、この子の分の装備も用意なさい」
「かしこまりました、ヤルヴェンパー様」
再び、大きな波を立てて大海竜が水中に沈んだ。それが落ち着き次第、ユリウスとクリスタの二人は一抱えもある箱を人数分呼び出した。なお、こういった術は、あらかじめそれらを仕込んだ護符を使って行使されている。ダンジョン内でしか使えない等、制限をかけなければコストが高くなりすぎる代物である。
箱の中身はスケイルメイル一式だ。もちろん、ただのスケイルメイルではない。ほかならぬ大海竜の鱗を使用したもので、水中での戦闘を補助するあらゆる術が仕込まれている。ヤルヴェンパーダンジョン、門外不出の代物である。
「こうやって親子で肩を並べて戦うのは初めてですね。しかもダンジョン防衛。不謹慎ですが心が踊ります」
「私もです、母上」
「ははは、はしゃぎすぎて怪我をしないようにね」
父親の言葉をガン無視して、エドヴァルドは装備を整える。箱に仕掛けられた護符に魔力を通せば、瞬く間に鎧は体に装着される。
躊躇なく水面に飛び込みながら、エドヴァルドは冷静に次を考える。この迎撃でいかに立ち回るか。大海竜への報告をいかにするか。事故を装って父を再起不能にできないか、というプランはダンジョン防衛に不謹慎すぎるので思考するだけに留めた。
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グリーンヒル地方、ソウマ伯爵領。長き秋の森に隣接する街の名を、フガクという。森に入ってすぐにある洞窟が、ソウマダンジョンの入り口。
その奥深くに、ソウマダンジョンの重要区画がある。転送室もその一つ。そこから出てきたソウマ伯爵を出迎えたのは、ここの主だった。
着物姿に腰の刀。背は低めで骨太の侍。ダンジョンマスター相馬弥太郎。その後ろには、長髪を背まで流す一人のエルフ侍が控えている。
「おお、帰ったかハルヒコ」
「ヤタロウ様。それに、父上も。はい、只今帰りました」
前ソウマ伯爵。現ソウマダンジョン侍頭、リンジロウ・ソウマ。エルフの美丈夫は息子に対して軽く頷くことで返す。
ちなみに、彼は次男である。長男であるリンタロウは幼いころエルフの始祖神の声を聴き、神殿の門を叩いた。今では神殿長と行司を兼任している。
さておき。タイミングよくそろっていた二人に、ソウマ伯爵は訝しむ。
「……何故こちらに?」
「うむ、ちょうど親方が出稽古から戻るという知らせを受けてな。近くをぶらついていたものだから……」
そんな会話をしていると小さなベルが鳴り、転送室から光が漏れる。扉が開いて出てくるのは、浴衣を着たドワーフたちだ。彼らこそ、ソウマ領が誇る神官力士たち。先頭で歩いてくるのは神殿長にして鍛冶頭、そして三代目フガク相撲部屋親方であるハガネヤマ。その後ろについてくるのは現横綱のオオツルギである。さらにその後ろにも荷物を背負った弟子たちが続いている。
ドワーフの年齢を外見で見て取るのは、異種族には難しい。とりあえず髪と髭の色を見て、色が抜け始めていたら相応の歳であるとされている。ほとんどのドワーフたちは色の濃さを保っているが、親方だけは赤い色がくすみ始めている。
「親方。戻ったか」
「おお、若! じゃなかった、伯爵様! と、ヤタロウ様にリンジロウまでも! 只今出稽古より戻ったぜ!」
元気よく、大きく張りのある声で親方が返す。年齢も疲れも感じさせない、元気の塊のようなドワーフである。
が、それに苦言を呈するものあり。
「相変わらず、がさつに過ぎる。多くの弟子を持つのだ、規範を示せ」
「そっちも変わらず硬すぎるんだよ! ちったあ愛想ってもんを学びやがれってんだ」
侍頭と親方がにらみ合う。この二人、幼馴染である。互いが現役であった頃から(別に今も引退しているわけではないが)変わらずこんなやり取りを続けている。
そんな変わらぬ姿を、自らのあごをなでながらヤタロウが笑顔で眺める。が、いつまでもそうしているわけにもいかない。
「それで、親方。どうだ出稽古の手ごたえは」
「へっへ。まあ、ぼちぼちってところだ。……あいっかわらずあっちの横綱はああだけどよ。なあ、オオツルギ」
「押忍。手ごわいお人です」
横綱オオツルギ、神妙に頷く。ふうむ、とヤタロウが唸る。
「まあ、神事であるからな。神が認めているからには、よいのだろう。見ごたえもあるしな」
「ヤタロウ様は器がでけぇなぁ……。まあ、ほかにもいろいろあるけれどよ、俺としては若、じゃなかった伯爵様の話も聞きてぇなぁ」
一体いつになったら若が出てこなくなるのか。子供のころからコレだからもう無理かもしれない。だいぶあきらめの境地に達しつつも、ソウマ伯爵は苦笑しつつ答える。
「私か。まあ、それなりに話題はあるな」
「よっし! じゃあチャンコと酒だ! 腹が減ってる酒も抜けてる、これじゃあハンマーだって握れやしねぇってな! メシ食いながら話としようぜ! ガハハハハ!」
行くぞお前ら! と親方が号令し、押忍! と横綱含む弟子たちが答える。神官力士たちが動き出せば、人間とエルフとハーフエルフでは抗いようがない。
「これこれ、押すな押すな。もちろんついていくともさ」
「ハガネヤマ! お前な、本当にそういう所だぞ!」
「オオツルギ。これ、親方が単純に酒とメシに飢えているだけだよな?」
「えー……黙秘させてください」
弥太郎、リンジロウ、ハルヒコ、オオツルギ。ドワーフ雪崩に飲み込まれ、一同はフガク相撲部屋へと流れていくのだった。
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アルクス帝国に栄える街はいくつもある。ダンジョンに隣接する、千年以上の歴史を持つ街は大抵がそうだ。ダンジョンに隣接しない街が千年を数えるのは難しい。三大侵略存在によって街が壊滅させられることは、珍しい話ではない。ハイロウの大貴族の街であっても、である。
そんな中で、ブラントーム伯爵家が治める街および領地は千年を超えて繁栄している珍しい部類になる。……ハイロウ貴族が千年数えれば、普通ダンジョンと縁を繋いでいるものなのだが残念なことに今までそれを逃していた。
さて、そんなブラントーム伯爵領の中心地、バーズ。高く頑丈な壁、備え付けられた様々な魔導装置。陸港には飛空艇がいくつも並び、街と街を繋ぐ魔導列車も走っている。
魔法の輝きは家々を照らし、魔導車両が舗装された道を行く。帝都ほどではないにしろ、ダンジョンの加護がない街にしては最高峰の繁栄ぶり。
道行く領民はやはり、亜人、獣人、モンスターが多くを占める。人の街では馴染めぬが、このバーズなら話は別。彼ら彼女らが求める専用施設も数多く建てられているのだから。
街の中心、小高い丘の上に立つブラントーム伯爵家の城塞エスペランス。内部にある、最も広く格式ある会議室に、伯爵家の主要人物たちが集っていた。もちろん、当主であるロザリーと、その叔父クロードの姿もある。
帝都の大絵画を背負い、当主席でロザリーがミヤマダンジョンでの一部始終を朗々と話していた。
「……という事で、近々私と家族。すなわち叔父クロードの一家を伴ってナツオ様のダンジョンにお泊りに行くこととなりました」
おお、と集っている者たちが驚嘆の声を上げる。それぞれ、家臣団のまとめ役(家妖精のドモヴォーイ)、私兵軍の将軍(老齢巨躯のリザードマン)、近隣領主(ヒト、吸血鬼、ジャイアントアント)、大商人(リビングメイル+インテリジェンスソード)などである。誰もがブラントーム伯爵家を支えると同時に、影響力を持っている。
彼ら彼女らは、つい先日までロザリー派、クロード派として派閥争いをする間柄だった。それは、水面下での政治工作から出会いがしらの舌戦まで幅広く家を割っての内乱も可能性として挙げられるレベルだった。商業派閥からの介入が、それを過激に加速させた。
しかし、ミヤマの連絡と今回のダンジョン行きはそれを大きく激変させた。この争いは一重に、ダンジョンへの縁を繋ぐというブラントーム伯爵家の千年にわたる宿願によるもの。それが果たされたのだ。変化して当然といえるだろう。
なお、ミヤマの連絡が入るまでいたロザリーに敬意のなかった連中はここ数日で地方に飛ばされている。彼らが今まで処分を免れていたのは、派閥争い中だったからこそである。駆け引きのバランスに影響がありそうだったから、両陣営から見て見ぬふりをされていた。しかし、その派閥争いは終了した。となれば、当主に暴言を吐いて無事でいられるわけがない。僻地勤務でも温情があるとさえ言えた。
変化への原動力はほかにもある。
「私としましては、この機会を逃すことなくナツオ様とよりよい関係を結べるよう最大の努力をします」
「当主様! それは、嫁入りを目指すという事でしょうか!」
「もちろんです!」
家臣の質問に、ロザリーは力強く宣言した。再び、強い感嘆の声が会議室に響く。血縁。帝国が起こって三千年。文化が成熟してなお、一般的に強いつながりといえば血縁が上位に来るものである。
ダンジョンマスターへの嫁入り。ハイロウ女子の憧れである。さらに、ロザリーが嫁入りすることで、当主がクロードかその息子に変わる。分裂していた派閥が一つにまとまるのも当然の事だった。
「流石にすぐに嫁入りというのは難しいでしょう。ナツオ様は大変紳士的なお方。ゆえにそのお心に寄り添うにはしばしの時間が必要です。それはそれで私が努力します。ブラントーム家としては、ナツオ様が進めるキャンプ計画へ全力の支援をいたします!」
キャンプ計画、との言葉に会議室がざわつく。そして、その詳細をロザリーの口から聞くにつれざわつくだけに止まらなくなる。
よっしゃ! と拳を突き上げるリザードマン。感涙にむせび泣く家妖精。ダンジョン防衛参加に闘志を燃やし、うっかり魔力を噴き上げる吸血鬼。彼らがこうまで意気軒昂となるのは理由がある。
ミヤマダンジョンは開かれたばかり。戦力も資産も少なく、助力しようにも微々たるものしか渡せない。係れる人数が限られてしまう。だが、キャンプ計画はダンジョン側が提供するサービス。それを利用するのに、ためらいを覚える必要などない。
さらに、それをブラントーム家が支援するのだ。優先利用権も期待できる。ダンジョンに行ける! ダンジョンを作れる! ダンジョンを守れる! これで奮起しないハイロウはハイロウではない。
このように。宿願達成、良縁継続の可能性、自分たちが近々にダンジョン来訪の展望。夢のような展開のフィーバータイム。部屋に集う一同が我を忘れるのも無理はなかった。
「……しかし、懸念が一点。伯爵家にたかる小蠅の群れ。これがミヤマ様との繋がりに悪影響とならないか。当主様、いかがなさいますか?」
叔父クロードの重々しい一言に、会議室の空気が引き締まる。いうまでもなく、大小さまざまな工作を仕掛けてきている商業派閥の事である。
ロザリーは、言葉を剣のごとく言い放つ。
「無論、憂いのないように駆除します。それから、件の地の領主への使者も。叔父様、手配を」
「直ちに。皆も、周囲の清掃は怠らぬように」
「「「はっ!」」」
手を組んでいたのは、大願の為。果たされた今、もはや連中に用はなし。問題がなければ繋がりを続けるところもあるだろう。通常の商売などだ。しかしそうでないならば。彼ら彼女らは権力者である。いざとなれば容赦はない。
「これからは、より密接にナツオ様のダンジョンとやり取りをする必要があります。なので、私は帝都の屋敷に移ります。向こうから指示を出すことになりますから、各位対応できるように体制を整えておくように」
遠方へ一瞬で行き来できる転移室。これは、ダンジョンにのみ設置できる特異な設備である。アルクス帝国の技術が向上した現在でも、これそのものを複製することは適っていない。なので、転移室を使用するなら帝都へ行かなければならない。配送センターおよび工務店が使用するターミナルなら、ダンジョンへ転移できるから。
今回、ロザリーの旅行はかなりの強行軍だった。行きはまだよかった。日程に余裕があったので、伯爵家所有の飛空艇で優雅に移動できた。
問題は帰りだった。会談の成果をいち早く聞きたいという家臣および関係者たちの思い。派閥争いを終結させたいロザリーとクロードの考え。両方の為には、無理をする必要があった。結果的に使用されたのは、個人用高速飛空艇。限界速度で飛ばして領地に帰還したときは、気絶寸前だった。スフィンクスの強靭な肉体がなければそれだけで済まなかっただろう。
ともあれ、こんな強行軍は今回だけにしたいという本音と先ほどの建前もあり。ロザリーは帝都にあるブラントーム伯爵邸に居を移すこととなる。とはいえ、顔を合わせなければならない仕事や、内密の話は通信でやるわけにもいかず。結局定期的に高速飛行艇に乗ることになるのだが、この時のロザリーは知る由もなかった。
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ミヤマのダンジョンは、周辺地域ではラーゴ森林と呼ばれる大森林の中央やや西寄り、小高い岩山のふもとにある。
多くの動植物や怪物の生息するこの森には、かつて王国があったという伝承もわずかに残っているが、確かめたものはいない。
そこから数日ほど西に進むと、森を出て大きな川にたどりつく。プラータ川と呼ばれる川だ。はるか北にある山脈から流れる豊富な水により、一年中枯れることがない。
かつては物流の要として多くの川船が行き交うこともあったが、近年はただ漁をする小舟が浮かぶだけである。
このプラータ川をしばし北に遡ると、石垣に囲まれた町グルージャがある。十年前はセルバという名の国の最南端に位置した町。今では広大なアルクス帝国の一部となっている。
町は、かつての繁栄と今の衰退がはっきりと見て取れる。目抜き通りだけだが、しっかりと石で舗装された道。いくつか見える、二階建ての家や商店。桟橋には、何艘か船もある。小さくはない。だが、行き交う人はまばらで活気はあまりない。
町唯一の宿屋、水鳥の鳴き声亭。かつては複数の宿屋がしのぎを削ったものだが、今ではこの一軒のみとなってしまった。一階の食堂は、昼過ぎだというのに空席が目立つ。しかし、宿の奥にある談話室は珍しく使用中の札がかかっていた。
かつては商談に使われた談話室は、相応の広さがあった。複数人が座れるソファーが二つ、対面で置かれ真ん中にはしっかりした作りのテーブルが一つ。出入口は二つあり、一つは店側、もう一つは隣室側に付いていた。
「……以上が、俺たちが調べた全てだ。向こうの、おそらくはダンジョンマスターと思われる人物は対話を求め続けていた」
大きなソファーに座って話すのは、ミヤマのダンジョンを襲撃した冒険者達だった。大盾使いハイラン、ドワーフ斧戦士ゼンダ、エルフ魔導士バレリス、女司祭ドナ、そしてミヤマダンジョンでは姿を現さなかったハーフリングの女斥候マーブル。
それを聞くのは、商人の男。年のころは三十程度。服は貴族を相手にできるほど立派だが、どうにも本人の中身が伴っていない。浮かべる笑みが軽薄なのだ。
「なるほど。まあ、話せそうな者が襲撃してきたのならそうも振舞うでしょう。手軽で、引っかかれば効果は大きい」
「はったりであると、最初から決めつけるのか?」
ドワーフのゼンダが唸るが、商人は肩をすくめて首を振る。大根役者の演技のようであると、エルフのバレリスは眉をひそめた。
「言うだけならタダ。その場しのぎで、耳当たりのいい言葉を並べるのはよくあることです。第一、抵抗はしてきたのでしょう?」
「そりゃあまあ、こっちは攻撃続行したからね。そっちの依頼通りに」
ハーフリングのマーブルが当てこするが、商人の表情は変わらない。当てこすりそのものに気づいていないのでは、と発言者は対象の評価をさらに下げる。
「ともあれ。ストーン・ゴーレムを落とし穴に落としただけ。戦力の削減はならなかったと。では、引き続き仕事の続行をお願いします」
「はぁ? ふざけるな。仕事はここで終わりのはずだ! ラーゴ森林のダンジョンの調査! 中の連中と戦う! 会話は無し! 依頼はこれだけだ! 倒せとまではいわれていない!」
激昂し立ち上がる大盾使いのハイラン。しかし商人は、再び大げさに首を振る。
「何をおっしゃるかと思えば。現地まで行ってチャンチャンバラバラしたら逃げ帰る。そんなのはそこいらの駆け出し冒険者でもできる事でしょう? 高額報酬を支払うのは、相応の働きをしてくれると思ったからこそ。国境一番の名声が泣きますぞ?」
「無理を言うな。ラーゴ森林に入って生きて帰ってくるだけでも一苦労じゃわい。駆け出しじゃあ戻ってこれん。ましてや、手練れのエルフによく動くラミア、さらにはストーン・ゴーレムにマッドマンじゃぞ? わしらじゃなかったら押し潰されるわ」
「ですが成果が出ていないのですから、完了とは認められません」
冒険者たちに睨みつけられ、冷や汗を流しながらも商人は意見を変えない。エルフのバレリスは、テーブルの上に置かれた数枚の羊皮紙をつまみ上げる。彼自身が書き記した品物だ。
「ダンジョンまでの行程、周囲の状況、遭遇した住人およびモンスターの特徴。これは成果ではないと? では不要だな?」
「要ります! 返しなさい!」
「だが、成果ではないのだろう? 金にならんのなら渡す理由にもならん」
バレリスが杖を手に取り、その先端に小さな灯をともす。
「やめろぉ!? おま、おまえなにを!?」
先ほどまでの余裕が嘘のように吹き飛び、商人は泡を食って立ち上がる。逆に、バレリスは涼しげに語る。
「不用品を処分しようとしているだけだ。貴様には関係あるまい」
「分かった! 分かったから! それでいい! 報酬は払う!」
「では、金を」
叩きつけられるようにテーブルに放り出された革袋を、ハーフリングのマーブルが手に取って二度三度重さを確認する。信頼する斥候の確認が完了したのを見てから、バレリスは羊皮紙を商人に放り投げた。
商人は慌てて、それをひったくるように抱きかかえる。
「まったく! まるでならず者のごとき振る舞い! 国境一が聞いてあきれる!」
「服だけごりっぱな商人モドキに言われてもなぁ」
悪態に対して、マーブルがそれ以上で返す。商人の顔が怒りでどす黒くなるが、冒険者たちは半笑いで眺めるだけだった。
「ともかく! 仕事はまだ残っているのだから、続きを……」
「断る。あんたとの仕事はこれでおしまいだ」
ハイランがそういい放つと、冒険者たちは席を立つ。
「ま、待て! 待ちなさい! そんな勝手が許されると思っているんですか!? 私がどこの者が分からないとは言わせませんよ!?」
「帝国商業派閥の使いっぱしりじゃろ? そんな服、今日び旧王都ですら手にはいらんからの」
ゼンダはふん、と鼻を鳴らすと壁に立てかけてあった斧を背負った。
「こ、この辺で仕事ができなくなりますよ!? それでもいいんですか!?」
「あんたみたいのが幅を利かせてるんなら、なおさらこの辺にはいられないや。帝国の外か、デカいダンジョンのおひざ元にでも足を延ばすかな。俺の足は短いけどー!」
お道化てマーブルがドアを開ける。冒険者たちは話は終わりとばかりに外へ出ていく。
「それでは、失礼いたします。往来神の加護がありますように」
今までずっと黙っていた女司祭のドナが、己の信仰する旅の神への加護を祈って一礼。ドアを閉めて出ていった。部屋の中に残るのは商人のみ。しばし入り口を茫然と見ていた商人は、苛立たしげに床を蹴りつけた。
「無法者どもめ! 根無し草どもめ! 私を誰だと思ってるんだ! クソが、クソが、くそがっ!」
隣室側のドアが開く。入ってきた人物は足早に商人に近づいた。
「は。ああ、これはぎゅ!?」
そして、商人の襟首をつかむと釣り上げた。上等な服が商人の重さで伸び、繊維の千切れる音が鳴り始める。
入ってきた人物は、二十代半ばの男性。鍛えているのだろう、首も腕も太い。服は少しばかりくたびれているが、身分の高さが分かる貴族の仕立て。普段であればきっと女性を引き付けるであろう野性的な顔立ちは怒りで歪んでいる。
「今すぐ、冒険者に頭下げてこい」
「なに、を。手、放し、て。服が、ふくがぁ」
貴族と対面できるほどの服というのは、高い。冒険者にとっての武装に等しい。仕立てるにも直すにも金がかかる。息苦しさ以上に、大事な一張羅が台無しになることを商人は恐れた。
しかし、怒れる男にはどうでもいい事だった。
「あいつらは、うちの領地で数少ない腕利きの冒険者だ。いなくなったら大損害なんだよ。分かるか? 依頼料折半だからって、それとこれとは話が別だぞ! ああ!?」
「こ、こんなことをしたら、私の上が……」
襟首から手が離される。商人が息をつく暇もなく、剣が抜き放たれ喉元に刃が触れた。
「派閥にはクソ間抜けを送ったことについて抗議を入れるつもりだ。さあ、行け。それとも死ぬか?」
「ひ、ひぃ!?」
刃が、ほんの少し押し込められた。すっ転んでそれを離すと、商人は部屋から飛び出した。
「おい、誰かあいつを追え。逃げたようなら、首に縄をかけて冒険者の所へ連れていけ。冗談じゃなく、マジで縄をかけろ」
隣室から顔を出していた者が、慌てて追いかけていく。軽装なれども武装をした、この町の衛兵だった。男は深々とため息をつくと、荒々しくソファーに腰を下ろした。散らばっていた羊皮紙を拾い集める。
隣接で冒険者と商人のやり取りを隠れて聞いていたこの男こそが、この町の領主であるダリオ・アロンソ男爵だ。
「ご領主様。あのような事は私共にご命令ください」
「だめだ。あんなんでも商業派閥の犬だ。俺じゃなきゃただじゃ済まん」
背後から声をかけてきたのは、ダリオによく似ていた。それもそのはず、実の兄であるチェルソだ。貴族籍を抜けているのでもう苗字はない。
ダリオ男爵は、今は家令となった兄の言葉に再度ため息をつく。悩ましい事ばかりで、気が晴れることがない。家督を継いだ日から、ずっとだった。
そして、手の中にある報告書を目を通すうちに表情はさらに険しくなっていく。
「報告書には、何と?」
「……ダンジョンの主が、まっとうっぽいって書いてある。あいつが話を持ってきた時点で疑ってはいたが……くそっ!」
ダリオ男爵は苛立ち任せに報告書をぶん投げようと振り上げて、何とか思いとどまり兄へ手渡す。チェルソは少しばかり皺が入ったそれに目を通していく。
「とはいえ、我々には連中の話に乗る以外の手がありませんでした」
「場所の情報はやつらが握ってたからな! 自分らで調べたくても衛兵じゃあラーゴ森林は無理だ。手掛かりがなければ冒険者だってどれだけ時間を食う事か」
ダリオ男爵はやけっぱち気味に吠えると、立ち上がって部屋をぐるぐると歩き始める。追い込まれた獣のように。
近隣にダンジョンが発生した。あの商人が持ってきたその話に、ダリオは頭を抱えた。無視する、という選択肢は無かった。嘘であったならば、商人の首をはねればいいだけの事。しかし本当であったならば。
(湧き出たモンスターが民をさらう。帝国はそれを知らん顔だ。クソが、俺たちはダンジョンの餌じゃねぇ!)
忘れもしない十年前。旧セルバ国の王都近隣に、ダンジョンが発生した。湧き出たモンスターが民草に害を成した。土地の守護を任じられた貴族はこれを退治しようとし……帝国によって国は滅んだ。
その後はひどいもの。国のあり様は言い尽くせず、ダンジョンも野放し。モンスターが出てくる事こそなくなったというが、旧王都では人が消えるのが珍しくないとも聞く。
セルバ国が併呑されたため、ダリオも一応帝国貴族である。故にダンジョンがどういうものであるか多少の知識はある。ダンジョンコアとダンジョンマスター。モンスターたちの支配者。
調べなければならなかった。ダンジョンマスターは善人か悪人かを。商人の言葉に乗って冒険者を送り込んだのも、それを確かめる為。ダンジョンには、マスターの性格が出るという。悪であるならば、内部はおぞましいモンスターが徘徊し凄惨極まる光景が広がっているという。
仮に外観を取り繕っていても、攻撃を仕掛ければ化けの皮がはがれる。余裕を失えば、本性を現すというわけだ。
初めから対話をするという手段が取れなかったのは、件の商人が持ち出した条件のせいだ。あの商人は、ダンジョンモンスターの撃破にやたらとこだわっている。飲む代わりに、冒険者への依頼料を折半にさせたが。
ダリオは、兄の手の中にある羊皮紙を見る。
「今回の事だけじゃ、まだわからん。対話を求めていたようだが、後ろにナイフ握っていた可能性は十分にある。最低限、もう一回は探る必要がある。……いよいよ金庫の中身が空になるな」
「……連中の勧め通り、金を借りますか?」
家令の言葉に、男爵は首を横に振る。
「それが連中の手だ。あの手この手で金を借りさせる。そしていいように操る。返済を渋れば帝国製の武器をもったならず者、あるいはモンスターのお出ましだ」
ダリオも、ただの田舎領主ではない。情報を得るための伝手はいくつかある。商業派閥のやりようについても、多少は掴んでいた。
「奴らは手ごまを増やしたいのさ。俺たちも狙われている」
「では、ダンジョンマスターを追い詰めて自分たちのいう事を聞くようにさせる、といっておりましたが」
「旧王都のあり様を見れば……うちの町に未来はないな」
深々と、ため息をつく。悪のダンジョンマスターなら、逃げるしかない。例え倒したとしても、その後が無い。ダンジョンを害するのは最大の罪。町ごと焼き払われるのがオチだ。住人を率いて流民になるしかない。その先に明るい未来が無いとしても。
ダリオ男爵は窓際に立った。そこからは、宿の裏手が見える。小さいが、住人によって手を入れられた庭。簡素な井戸と洗い場があるのは、旅行者のためのもの。これを作るにしたって、相応の努力と出費があったと容易に想像ができる。長く続いた生活、人生の証。この町には、それが確かに刻まれている。
「……ラーゴ森林のダンジョンマスターが旧王都のクズと同じだったら、この町は店じまいだ。できうる限り連れ出すが……残るやつもいるだろうな」
「ではもし、相手が良きダンジョンマスターだったら?」
振り向いて、兄の目を見る。ダリオ男爵の目には、覚悟があった。
「俺の首で収めてもらう。そん時は、町と俺の家族を頼むぜ兄貴」