迷路なくばダンジョンにあらじ
ゴーレム・サーバントが、ハルヒコ殿のカップに新しい茶を注ぐ。それで軽く口を湿らせて、彼はさらに言葉を続ける。
「古くから『迷路なくばダンジョンにあらじ』という言葉がある。ダンジョンには、迷路が必要だ。様式美、という話ではない。防衛設備としての話だ」
彼は懐から紙を取り出すと、焚火から炭を拾って一本の線を引く。……どうでもいいが、あの紙は懐紙というやつかな? 刀に血油が付いた時に拭うやつ。時代劇で見た。
「一本道であるが故に、侵入者はまっすぐ進んでしまう。防衛戦力が侵入者より強ければ特に問題は起きない。だが、負けてしまえばそこまで。ダンジョンマスターとして容認できない事態であることは私が言うまでもないだろう」
「……まったくもってその通りで」
ペインズの時なんかがまさにそれ。あいつ一体に全戦力で対応して、ギリギリだった。戦力的には負けていた。
ハルヒコ殿が図面に新たな線を引く。一本道に線を付け足し、あるいはバツを書く。あれは道を塞いだという事か。一本道から、迷路が生まれた。
「迷路がなぜ有効か。単純に言ってしまえば、相手のリソースを削ることを期待できるからだ。ここでいうリソースとは体力、生命力、気力、魔力、道具、食料などダンジョン攻略に彼らが持ち込むすべてを言う」
「多ければ多いほど相手が有利。逆に減れば我らに有利になる、という事ですね」
「その通り」
エドヴァルド殿の言葉にハーフエルフ領主は頷く。
「迷路には多くの利点がある。まず、知識がなければ正解の道がわからない。自分は正しい道を歩いているのか。無駄足を踏んではいないか。この先に罠や敵が待ち構えていないか。相手側の気力を削るに十分な状況を作れる」
幾多のRPGを遊んだ経験からも、同意できる言葉だ。移動すればするほど敵とエンカウントする。戦えばHPMP、回復アイテムが減っていく。ボスまでたどり着けるか。たどり着けても勝てるか。そういった不安がプレイ中の自分を襲ったものだ。
ましてや、これは現実だ。自分の命がかかっている。敵と罠がどれほどあるかわからない迷路に足を踏み入れるというのは、どれほどの勇気が必要なのだろうか。
「次に、罠を設置できる場所が増える。罠はもちろん、引っかけることができればそれに越したことはない。だが、前述したとおり『この先も罠があるのではないか』という気にさせるだけでも効果はある」
「侵入者に、こんなところに攻め込むのはもう嫌だー、と思わせるもの大事だという事ですね?」
「やる気が萎えた相手ほど御しやすいものはないからな」
今度はロザリー殿の言葉に同意する。なるほど、と俺も考える。罠を設置しようという思いはあった。この忙しさでまだ手が出せていないが。しかしそれも、ダンジョンの外に用意しようと思っていた。なにせ、この洞窟は生活通路でもある。洞窟に罠を仕掛けると、コボルト達が引っかかる。今なら、迂回路を用意することもできるだろう。
「もちろん、すべてが良い事ばかりではない。メンテナンスに手間がかかるようになる。清掃に罠の修繕だな。侵入者が逆に立てこもる場合も考えられるので、それの対処法についてもあらかじめ考えておく必要があるだろう」
「なるほど。通常のダンジョンでは、そのようになりますか。ヤルヴェンパー様のダンジョンは特殊なので」
「たしか、大半が水没しているのでしたな?」
「ええ。海水と温水に満たされたヤルヴェンパー大海洞。やってくるのは水棲モンスターと異界の侵略者。前者は実力で。後者は大半が溺れ死に。ゼノスライムだけは即座に環境適応しますが、まあ対策はたくさん取っておりますので」
なるほどすごい。うらやましい。しかし全く参考にならない。確かに竜と水棲モンスターだけならば、水没したダンジョンでも問題なくやっていけるだろう。……あれ?
「エドヴァルド殿。水没してるなら、ハイロウはいないのですか?」
「いいえ。大半であって全てではありません。我々の居住空間等、水没していては都合の悪い施設などもありますしね。それに、水中で活動するための呪文や装備もありますので」
そういってエドヴァルド殿が懐から取り出したのは、手のひらほどの蒼い鱗だった。……なんというか、圧を感じる。何メートルも水を潜ってしまったかのような、息苦しく圧倒的な圧を。
「ヤルヴェンパー様から下賜された鱗です。水にかかわる呪文を助けてくれます。ほかにも帝国はいろんな装備を開発していますので」
「何かしらの護符を持っているとは思っていたが。先の術はそれの補助があったか」
「ハルヒコ殿も、相応の物をお持ちでしょう?」
「領地の職人の作だ。流石にそちらの竜鱗とは比べ物にならんが」
そういって首から下げていたものを服の下から取り出した。木製の護符だが、極めて繊細な細工がされてる。埋め込まれているのは琥珀だろうか。紐でさえ、複雑な編み物になっている。エルフかドワーフか、それとも別の種族か。どれにせよ、立派な職人の作だという事は俺にも分かった。
ちなみにロザリー殿も見せてくれた。金の台座に大粒のダイヤモンド。これでもかとわかりやすく金がかかってそうな護符だった。アクセサリーとしても素晴らしい、というか凄まじいというか。
いいなあ、ああいうの。欲しいなぁ。まだ、前回の収入はたくさん残っているが無限ではない。優先順位を決めてかからなければならない。しかし、迷路かぁ。
「迷路の必要性は理解しました。ご説明ありがとうございます」
「お役に立てられたのであれば幸いだ。良ければ、罠についても若干の助言ができる。簡単で効果的。侵入者が非常によく引っかかるものがあるのだ」
「……それは、いったい」
そんな夢のような、というかともすれば詐欺の常套句のようなものがあるのだろうか。
「いわゆる、ボス部屋といって伝わるだろうか。コアルームのような重要な場所の事だが」
「ええ、わかります」
「その手前に、分岐の通路を作るのだ。これがまあ、驚くほど引っかかる。部屋まるまる使う大きな罠とかにしておくとよいぞ」
「……なる、ほど」
気持ちは、わかる。単純に、ボス戦の最中に後ろから襲われたくない。だから調べようという気持ちが湧くのは当然だと思う。ゲーマー的思考でいうなら、宝箱やイベントの取り忘れがないようにチェックしたいという気持ち。
……なるほど。ゲームではダンジョンのあちこちに宝箱がある。ゲームだから、そうなっている。だが現実に宝箱を置くならば、罠の為に置くべきか。欲望は冷静な判断力を鈍らせる。それで失敗した話などいくらでもあるし。
「非常に良いお話を聞かせていただきました。今後に役立てたいと思います。迷路も近々に取り掛かろうかと。……しかし、いくらかかるか」
それが一番の問題だ。ここが金のかけ所なのは、なんとなくわかる。冒険者対策としても、モンスター対策としても有効だろう。
「資金なら、ブラントーム家にお任せいただければ!」
「……工務店の見積もりの後に、ご相談に乗っていただくかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「はい!」
とはいえ、他人の財布を当てにするのは最後の手段にしたい。
「……ある程度自分で掘ったら、安くならんかな」
「はい? ……あの、ナツオ様。流石にそれは無理があるかと」
俺のぼやきに、ロザリー殿がたしなめるように反論する。ちょっと頬が引きつってる。
「いやでも、今はストーン・ゴーレムやマッドマンがいますし。硬い所や重いものはそっちに任せて、細かいところは俺やコボルトがやればある程度はいけるかと。最終調整は工務店に任せることになるでしょうけど」
「……あの沼地を自作された方の言葉ゆえ、一概に無理だと言えないのが何とも」
「ナツオ殿。少しよろしいでしょうか」
竜鱗の護符を手に持ったまま、エドヴァルド殿が俺を呼ぶ。
「何でしょう?」
「この洞窟なのですが、水が少々多くありませんか?」
「……まあ、確かに困らない程度には湧いてきますね」
「機会がありましたら専門の精霊使いや、あるいは精霊そのものを呼び出して調べた方がいいかもしれません。私は水に慣れ親しんでいるから強く感じるのですが……陸地にしては強いのです。水の気配が」
「専門家のご意見、ありがたく。気にしてみるとします」
水、か。これだけ水があれば、水精霊を呼ぶ方がいいかもしれない。精霊が強力なのはシルフで十分理解している。新たな戦力としても、ダンジョン維持管理面でも役立ってくれそうだ。
さて、色々話が飛んだけどここでまとめよう。新たな防衛策として、迷路を作る。場所は……ダンジョン入り口からバリケードまでの間、かな。これによって侵入者の消耗を狙い防衛しやすい環境を作る。
これによって防衛力を強化し、金策のためにキャンプ場を作る。お世話になっている人たちの為にもなるし一石二鳥だ。……流石に、防衛参加とかいうのはヨタ話にしておきたい。
「……迷路を自作するのなら、いっそそれもダンジョン業務体験会に組み込めばいいのでは?」
「「それです!!!」」
まーたー。ハルヒコ殿が悪だくみするー。貴公子とお姫様が立ち上がって喜ぶー。この人たち本当ダンジョン好きだな。……イルマさんの時もそうだったけど。ダンジョンの影響によって生まれた種族、ハイロウ。彼ら彼女らにとって、ダンジョンとはそこまで魅力的なのだろうか。
そんな俺の思いを置いてけぼりにして、エドヴァルド殿がエキサイトする。
「何が素晴らしいかといえば、それならば迷路完成前からキャンプに参加できるではありませんか!」
「とっても良いと思います! ダンジョンの防衛設備をこの手で作れる! こんなに名誉な事はありません!」
「いやあ、お客様に土木作業させるとか流石に……というか、なんでエドヴァルド殿がそこまで喜ぶのですか。ヤルヴェンパー様のダンジョンには、行けないのですか?」
俺の一言は、劇的な変化をもたらした。喜色満面、元気いっぱいだったエドヴァルド殿。まるで燃え尽きたボクサーのように力を失って椅子に座りこんでしまったのだ。
「え、エドヴァルド殿?」
「……ナツオ殿。私は、ヤルヴェンパー公爵家の当主をしております」
「はい」
「当主とは、絶対者です。であるがゆえに、家臣、親類、民、寄子などに気を配らねばなりません。自由に行ける立場だからだといってダンジョンに入り浸っては、示しがつかないのです」
呻くように、心情を吐露する。うんうん、とお貴族二人も深く頷いていらっしゃる。
「たとえヤルヴェンパー様にお呼びいただいても、名代を立てねばならないこともあるのです。むしろそれが多いのです。下手に頑張ると、名代役が行けなくなり奈落の底に落ちたかのように絶望するのです。その恨みがどこへ向かうか、言うまでもありません」
深く、深く、ため息をつく。……うーん、貴公子だというのにこういう残念な所もあると。肩ひじ張らなくていい場所だから素を晒しているのもあると思うが。しかし、こういう所はイルマさんの兄だなって思う。
「ダンジョンに縁深い当主というのは、大なり小なりこういう苦労を背負っているものだ。それでも、家督を譲った後はダンジョンの中で務められるというのが確約されている。だからこそ頑張れるという所はある」
地位と規模以外は同じ立場にあるハルヒコ殿の言葉である。が、次の瞬間エドヴァルド殿が爆発した。さながら、間欠泉のごとき魔力だかオーラを駄々洩れさせて。
「だからって! 曾祖父がダンジョン勤めを終えると宣言した途端、私に家督を押し付けるのは許されることではないでしょう! 極道オヤジマジ許さん! 孫の顔はまだ見せねぇ!」
「エドヴァルド殿ー! 落ち着いてー! キャラぶっ壊れれてるからー!」
というかもう結婚して子供いるのか。まあ貴族だしそういうものか。ともあれ落ち着いてもらわないとシャレにならない。お貴族様二人が魔法で障壁作らないといけないって相当だぞ。
この後、何とかエドヴァルド殿をなだめて。話の流れの結果、御三家のご家族をダンジョンに一泊二日で招くことになった。キャンプ場計画の準備の為にも、ためしは必要だったというもある。接待というのもある。これぐらい言わないと、なんだかんだテンション高いお三方をなだめきれなかったというのもある。
流された、と思うべきだろうか? だけど得られるメリットはある。そう自分に言い聞かせ、準備を開始することにした。