怒鬼襲撃
その時がきたのは、日が落ちてまもなくの事だった。洞窟入り口で、三度コボルトが吠える声が響く。あらかじめ決められた合図だ。
俺はバリケード内で待機中。周囲のコボルトに手伝ってもらい、身支度を整える。鎧を身につけたままというのは、体力を消耗させる。コボルト達の練習の甲斐あって、かなり手早く鎧を身にまとえた。
入り口に今すぐ走り出したいところだが、まだやるべきことがある。この場に持ち込んでいたモンスターカタログの通話紋に魔力を通す。
「イルマさん、来ました!」
『了解しました。それではそちらに向かいますね』
例の扇動者への対策だ。インプを締め上げ黒幕が分かっても、それをやめさせる手段が俺には乏しい。予測通り工務店の仕業であった場合は特に。何せ俺はここから離れられないのだ。そこでイルマさんに協力願った。
同格の組織に所属しているという事。なんか実家がすごいらしいという事。あちら側の組織力でもみ消されないために、彼女の発言力は非常に助かる。
そういうわけで、インプを捕まえたら彼女に来てもらうことになっていた。通報係として。防衛に参加はしない。前回は仕事でその場にいたから、緊急時の対応という事で参加できたとの事。割とグレーゾーンの対応だったらしい。本来帝国の法では過度のダンジョンへの助力は禁止されているらしいのだ。
短い会話を終えて、本を閉じる。コボルトに手渡し最後の装備を整える。兜をかぶり大盾、短槍を手に装備。入り口へと走る。
到着したときには、すでに事が始まっていた。コボルト達の手によって、洞窟前はちょっとした広場になるまで整備されている。森との境、洞窟の正面でエラノールさんとミーティア、黒毛のコボルトが何かを囲んでいる。
「捕まえたよ!」
ミーティアが掲げる何か。はじめは朧な姿のそれが、徐々に鮮明になっていく。赤い肌、コウモリの翼、三角帽子をかぶったような頭。小悪魔、インプ。予想したとおりのものが、狙い通りに捕まえられた。となれば、次に来るのは。
「戻れー! モンスターが来るぞー!」
俺の叫びが先か、彼女たちの動きが先か。二人と一匹がきびすを返すのとほぼ同時。
「ゴァァァァァァァ!」
周囲の木々を揺らすほどの咆吼が、森の中から響いた。近い。皆、足を止めずに走り続けている。やはり、あの黒毛のコボルトはほかの連中より根性があるらしい。泣きそうな顔しながらも、しっかりこちらに走ってくる。
彼女たちの背後で、木が大きく揺れる。大人の胴ほどの太さの樹木を、叩き付けた拳でへし折ってそいつが現れた。
オーガだ。この間ダンジョンを襲撃したやつと比べて、一回り大きい。腕、足、腰、胸、首。全身に力に満ちている。何より、まだ十分に距離があるのに感じるこの威圧感は何だ。うっすらと体から放たれる赤いオーラが、ただ者でないと問答無用で理解させてくる。
「ミヤマ様、あれはコインを飲んでいます!」
走りこんできたエラノールさんが、オーガを一瞥して看破する。
「パワーアップするんだっけ!?」
「はい! どうか近寄らぬよう!」
肩にかけていた大弓を構え、素早く一射。狙いをつける間などほとんどなかったのに、突撃してくるオーガの胸に深々と矢が刺さる。
「よっしゃ!」
「あの程度では止まりません! バリケードまで後退を!」
エラノールさんに油断なし。すぐさま第二、第三の矢を放つ。その言葉通り、オーガの歩みは全く衰えない。痛みすら感じているかわからない。足に、肩に矢を受けつつどんどん入り口に近づいてくる。
「戻るぞ! エラノールさんもほどほどに!」
「かしこまりました!」
あんなでかいのを、この場で抑えるなんて無理だ。何をしに出てきたんだと自分自身思うが、ともかくバリケードまで戻る。ミーティアは相変わらずインプを拘束中。コボルトは……頑張って走っているが、足の短さが致命的。よかった、やること見つかったぞ。
「コボルト、乗れ!」
「わんっ!」
背中にコボルトを張り付かせてダッシュする。両手が塞がっているから支えてはやれない。自力の腕力で頑張らせる。背後から重々しい足音。ヤツがダンジョンに入った。
「ゴァァァァァァァァァァ!」
咆吼、と同時に何かが勢いよく飛んできた。
「ギャヒンッ!?」
「コボルト!?」
背から悲鳴が放たれる。ぎゅう、と強くしがみつかれる。俺の判断ミスで、コボルトが怪我を!?
「たかが土と石程度! たいしたものではありません!
「つばつけときゃ治る程度よ! 動揺しない!」
いつの間にか追いついていたエラノールさんとミーティアの声にギリギリで混乱と罪悪感から立ち直る。後で謝る、今は走る!
すでに何度となく走った場所。ある程度のことは体と足が覚えている。経験で走る俺とエラノールさん。接地面積の広さというアドバンテージで移動するミーティア。筋力だけで無理矢理突っ込んでくるオーガ。わずかな差が、移動速度になって現れる。
そして見えてくる、バリケード。その前に棍棒を持って仁王立ちする、ストーン・ゴーレム!
「ストーン・ゴーレム! アターーーーック!」
「……ッ!」
ストーン・ゴーレムは吠えない。しかし、はっきりとした戦意を全身から発しながら、重々しく一歩を踏み出す。俺たちとすれ違う。そして。
「ゴァァァッ!」
「ッ!」
大質量の肉と石。異質な二つが全力でぶつかり合う音がダンジョンに木霊した。その間に俺たちはバリケードに滑り込む。
「コボルトが怪我をした! 治療を頼む!」
「かしこまりました」
控えていたゴーレム・サーバントにコボルトを渡す。確かに大きな怪我ではないようだ。ごめんな、と一声かけてから、戦線に戻る。隣では、ミーティアが別のコボルトにインプを渡していた。奥に来ているはずのイルマさんに届けてもらうためだ。
バリケード前では、二体の重量級が一進一退の攻防を繰り広げていた。オーガは、己の拳が傷つくのもかまわず、ストーン・ゴーレムを殴りつける。コイン入りの実力はすさまじい。一撃入るごとに、石の体にひびが入っている。
だが、ストーン・ゴーレムも負けてはいない。空気を引き裂く勢いで棍棒がうなる。叩き付けられるたびに、オーガの輪郭が歪んでいく。だが、それでも勢いは全く衰えない。矢の時といい、やはり痛みを感じていないようだ。
その体に新しい矢が刺さる。エラノールさんだ。それは次々と命中するがしかし、大弓の矢が刺さってもびくともしない。これは、何か手を打たなければならない。
「とりあえず火かな! 油!」
こんなこともあろうかと! ゲーム知識を生かしてこの手の準備を進めていたのだ! ……マッドマンやスライムが敵の足下に入るため、今まで生かせなかった。使えないならこんな危険物をここに置いておくべきではないのでは、とかなり悩んでいたが残しておいてよかった!
一抱えもある油壺。この手の重量物をぶん投げるのは俺の仕事だ。革とヒモで口を縛ってあるから多少傾けても問題なし。怪力を発動。狙いを定める。あとは、タイミングを計って……。
「せー……のっ!」
放物線を描いて、油壺が宙を舞う。狙い違わず、オーガの体に陶器の壺がぶち当たり割れる。盛大に油を浴びるオーガ。ゴーレムにも多少かかったようだが、問題なし!
「エラノールさん、火矢!」
「エルフとして若干思うところがありますが、致し方がありません。誰か、火を」
「はいよ」
エラノールさんが手早く矢にぼろ布を巻く。それにミーティアが手を触れると、発火した。何アレうらやましい、とこんな時にもかかわらず思ってしまう。火矢は素早く弓に番えられ、引き絞られる。瞬くほどの間の後、放たれた矢。ダンジョンの薄闇を裂いて、オーガの体に突き刺さる。
油に引火する。燃え広がる。
「ゴァァァッ!?」
さしものオーガも、これには反応を示した。そりゃそうだ。いかに痛みを感じない身体になっていようと、血の流れる生き物だ。体液が蒸発するほどの熱であぶられて無事でいられるはずもない。粘膜部分だって弱かろう。目が見えなくなってまともに戦えるものか。
顔を押さえ、壁際に突進する。そのまま体をこすりつけて鎮火させるつもりか。やらせるものか!
「ストーン・ゴーレム! 追撃! エラノールさん、足を狙って! コボルト! 鉛玉!」
次々に指示を飛ばす。このまま押し込めば勝てる。……そう思ったのは、油断だったのだろうか。
「ゴアァァァァァァァッ!」
突如、オーガがバリケードめがけて突進してきたのだ! その身を一切顧みない全力のタックル。激震。轟音。コボルトたちが日々強化を重ねたバリケードをただの一撃で半壊させた。何という筋力なのだ。まだ燃えている腕が、破損したバリケードをつかむ。一振りごとに、防御が失われていく。
「コボルト! 撤退! マッドマン沼まで撤退! シャーマン、撤退指揮!」
「かしこまりました主様!」
「マッドマン三体、前進! ヤツを止めろ!」
「ま”!」
あわただしく戦況が動く。破損された隙間を通って、マッドマンが前に出る。マッドマンは泥でできた巨漢だ。本来ならとても通れない隙間だが、形を崩せばずるりと通る。さらに。
「ゴァァッ!」
「ま”ー」
こぶし一つでマッドマンの頭が吹き飛ぶ。泥の頭がべしゃりと壁にたたきつけられて広がる。そしてまたオーガへと這いずっていく。さながらスライムのごとく。
ただ殴る斬る突くといった物理攻撃ではマッドマンに致命傷を負わせるのは極めて難しい。泥そのものを、例えば焼いて乾かすだの水で押し流すだの凍らせるだのしない限りは再生可能。
俺が盛大に燃やしてしまったため、現在オーガはその条件を一部ゲットしてしまっている。が、乾いたのなら水をくれてやればいいのだ。飲み水用として置いてある瓶がある。もうちょっとしたら投げてやれば復活だ。……これは意図したものではない。いい経験をしていると思っておこう!
「いよいしょぉ!」
気合の掛け声が聞こえてきたと思ったら、凄まじい殴打音がオーガの背後で響いた。なんだと思い見てみれば、いつの間にバリケードの外に出たのかミーティアが逆立ちしている。逆立ち?
「もういっちょぉ!」
再び激しい殴打音。今度は見えた。蛇体で思いっきりオーガの背中を打ち据えている。そしてそのまま素早く離脱。人間でいうなら浴びせ蹴り、かつドロップキック。やったら地面に倒れて身動きが取れない。しかし彼女はラミア。下半身は蛇。蛇体をうねらせれば、その状態から離脱行動が可能。そうして勢いを稼ぎ、反転して突撃。転ぶように人間側の上体を地面につけ、逆立ち。蛇体は勢いのまま天を突き、さながらハンマーのごとくオーガに振り下ろされる。
「らぁくしょぉ!」
気合一発、打撃音。なんだあれ、ラミア格闘術とでもいえばいいのか。マッドマンが三体がかりで抑え込んでいるからこその連打だろうが、それにしたって凄まじい。筋肉の化け物であるオーガが一発もらうごとにふらついているんだ。
まあ、女性にこういうのもあれだが、彼女の蛇の部分の重量はかなりあるだろう。長さ、筋肉、骨、血。その重さを勢いをもって叩き付けられたらああもなるか。
「ミーティア! 熱くないのか!」
何せ彼女、燃えているオーガを乱打してるんだ。平気でいられるものではないだろう。
「あんたの血のおかげでね! 一瞬ならどうってことないよ!」
まじか。とんでもないな俺の血、というかダンジョンマスターの血。そりゃモンスターたちが血眼になって食いに来るはずだわ。
さすがに、ウォーハンマーのごとき打撃の連打には耐えかねたのかオーガが振り向く。その顔に、棍棒が叩き込まれる。
「グボォ!?」
「……ッ!」
ストーン・ゴーレム、到着。ミーティアとマッドマン達の頑張りのおかげだ。度重なる攻撃と足止めに、さしものオーガの動きも鈍くなる。
そこに棍棒の打撃。血が飛び散る。歯が飛ぶ。鼻が折れる。肉が焼ける。コインの加護があって見た目以上の防御力があるのだろうが、関係ない。
「ストーン・ゴーレム! 棍棒じゃなくてこぶしで殴れ! 動けなくなるまで徹底的に殴れ!」
「ッ!」
ゴーレムが棍棒を放り投げる。右拳を振りぬく。オーガの肉がつぶれる。左拳を振りぬく。オーガの骨がきしむ。石のこぶしの連打が続く。逃げたくても、マッドマン達が邪魔をする。俺がアシストで水ガメを投げる。水分補給したマッドマン達がさらにまとわりつく。オーガはたまらず腕でガードする。
「そこです」
的確に、脇腹に木槍が差し込まれた。機会を狙っていたエラノールさんの一撃だった。素早く引き抜く。あっという間にオーガの攻撃範囲外に出る。さもありなん。あの怪力で殴られたらひとたまりもない。うちに、RPGのごとく瞬時に傷を回復させる方法はないのだ。回復能力もちのモンスターは高額だ。
散々ぶん殴られ、脇腹の傷。水を補給したマッドマン達はまだ粘れる。このまま押し込めば今度こそ……。
「ゴォ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
爆発したかのような、咆哮をオーガが放った。その顔面を、ストーン・ゴーレムの拳が捉える。が、
「ゴギャラァ!」
「ッ!?」
顔面が砕かれるのも構わず、全力のカウンターをゴーレムに放った。石の上半身に、無数のヒビが入る。かけらがいくつも落ちる。……うっそだろ。ピンチになったから怒ってパワーアップ!? それは物語の主人公の特権だろうが!
たまらずゴーレムが後退する。その隙をついて、オーガが全力で手足を動かす。まとわりついていたマッドマンの体が四方八方に飛び散る。まずい、破損部位の合体回収が追い付かない。このままだと拘束が解ける!
「サングィス・フルーメン・マルディシオン……ッ!」
禍々しい声が、ダンジョンに響く。背筋が寒くなる気配を放つのは、ミーティア。赤黒いオーラが両手に集まっている。呪文!?
「癒えぬ傷、穿たれた失敗、流れ出たものは戻らない! 枯れ果てよ命! ロスト・ブラッド!」
「ガァァァァァ!?」
投射された呪いが、オーガを包む。怒りのままにあらがうオーガだが、赤黒い力は確実にオーガの中に浸透していきやがて見えなくなった。
次の瞬間。オーガの傷という傷から、血が噴水のごとく飛び出てきた。
「うっわぁ!? ミーティア何やったの!」
「とっておきだよ! 傷が多ければ多いほど大ダメージ! さあ、やっちまいな暴れん坊エルフ!」
「いわれずとも!」
槍を手放し、木刀を抜く。振る。一刀ごとに傷口ができる。血が噴き出す。木刀で斬る事はできない。だが肌を引き裂くことはできる。彼女の速さと正確さがそれを成す。上段、中段、下段。一刀の終わりは次の始まり。まるで踊るような連続斬撃。エルフの器用さと速さは、刀の要求するそれとあまりにマッチしていた。だから、ダンジョンマスターソウマはエルフにこれを教えたのか。サムライの技は、エルフにこそふさわしいと。
「オォォォォ……ォ……」
どれ程の怒りがあろうとも。どれほどダンジョンコインの強化があろうとも。血がなくては生きてはいけない。オーガは驚くほどの血を流し、やがて動かなくなった。炎は残ったままだったが、やがてそれごと死体が消えた。ダンジョンに食われたのだ。
「終わった、か……おわったぞぉぉぉ……」
「ワオーーーーーーン!」
俺の声に、コボルトが勝鬨を上げる。ダンジョン奥に逃げ込んだコボルトたちの声も聞こえる。さっそく、スライム・クリーナーが現れた。ずいぶん汚れたからな。ありがたい。
「火が残ってるから、気を付けるんだぞ」
座り込んだ俺の隣を、スライムたちが移動していく。代わりに、マッドマン達が戻っていく……いや、スライムたちが張り付いた。場所が場所だったから、オーガの血をもろに浴びてしまったからなぁ。兜を脱ぐ。熱が抜けて気分がいい。
「お疲れ様でした、ミヤマ様」
「とんでもない大物だったわね」
エラノールさんとミーティアも戻ってきた。二人とも怪我はないようだが、あれだけの大立ち回りだ。埃や何やらでひどいことになっていた。
「二人とも、お疲れ様。ありがとう、よくやってくれた」
「ガーディアンとして当然の勤めです」
「あの血を飲んじゃったし。いい運動になったわ。正直持て余してたもの」
「そんなにか」
「そうよ。あの大暴れでやっとすっきりって感じ。ラミアの再生力は高いけど、打ち身擦り傷軽いやけど、もうほとんど残ってないわ。ほら」
そういって、最低限しか隠されてない肢体を見せつけてくる。……そういう部分から目をそらし、主に蛇体を見てみるが確かに傷らしいものはない。
「すごいもんだ……でも、水浴びは必要だな」
「ほんとうね。流石に疲れたし、すっきりしてひと眠りしたいわ」
「私も、お風呂……は、ないので沐浴を……」
俺も風呂に入りたい。マッドマン風呂は準備に時間がかかる。やはり間に合わせでは限界があるな。レナード氏に相談してみるか……。
そんなことを考えていた俺の目前に、シルフが現れた。ダンジョン内で火責めなんて無茶ができたのも、シルフが換気していてくれたおかげだ。
「ああ、シルフ。お前もよくやってくれた……って、どうした?」
彼女はその小さな手で入り口を指さす。一体何が。疲労で重い体を持ち上げる。……特に何も見えない。胸部が破損したストーン・ゴーレムが立っているだけだ。早く直してやらないとな、とは思うが……。
「ォォォォォォォォォ……」
聞こえた。今まで聞いた、どの怪物の声とも違う咆哮。苦痛にあえぐ悲鳴のような声。背中に氷を放り込まれたような、ぞっとする寒さ。そんなものが、ダンジョンの外から聞こえてきた。