幕間 間近に迫る
地球では、地下世界の探索が進められている。しかしそれは遅々とした歩みだった。なにせ、とにもかくにも広大なのだ。底を目指しても、端を探してもどこまでも続いている。
まともな洞窟ならば、そんなことはない。だがこれは異世界の連なりなのだ。単純に上を掘っても地上に出ない。この事実が発見された時などは、多くの研究者が頭を抱えた。
これに加えて、モンスターの問題もある。狂暴で、多種多様。能力も様々。ゴブリン、ホブゴブリン、オーク、オーガ、トロルなどはまだいい。力が強かったり再生力が高かったりしても、殺す方法はいくらでもある。
アンダーワイバーン、巨大虫などは毒を持っている。これで命を落としたものは多い。事故として隠蔽しても限度があり、世間が騒いで探索の足を引っ張った。
ファンガスマンの部族と遭遇するのは最悪の事態だった。寄生キノコの犠牲になる、狂暴化されたモンスターに殺される、そもそも数が多いから物量に負ける。
こういった危険が、探索の行く手を阻んだ。軍人の犠牲者は多く、各国は積極性を失いつつある。一方で、無謀な民間人の探索は止まる気配がなかった。地下での発見物は、大きな富を生んだ。
金貨、銀貨、宝石。この程度は序の口。明らかな魔法のアイテムが姿を見せた時などは、地球メディアが大きく取り上げ探索に追い風を与えた(そして多数の犠牲者を生んだ)。
モンスターの死骸は、未知の元素を多数含んでいた。トロルの再生能力は特に注目を集め、医療関係の企業がこぞって求めた。探索よりも怪物狩りを目的として地下世界に潜る者も増えた。
いまだ、各国は地下世界を定義できていない。どのように向き合っていくかも定まっていない。そんな混乱した状況でも、人は動く。
地下世界にて、奇妙な一団が洞窟の中を進んでいた。先頭に立つのは亜神ラケルタ。洞窟のサイズに合わせて、その身も縮小している。上着もそれを考慮したものを羽織っていた。
彼女の眷属もこの一団に加わっている。脇にいるのは白い大蛇である。これのもつ熱感知能力は、待ち伏せの看破に役立つ。物陰に不自然な熱があれば、そこに生き物がいるという証拠だからだ。もちろん、熱を持たぬ怪物だっている。完ぺきではないが、役に立っているのは間違いない。
アンダーワイバーンは最後尾にいる。背後からの奇襲には気を付けるべきで、このひときわ大きい怪物は、それに十分対応できる戦闘力と知恵を持っていた。他の同行者に恐れられている事さえ、本人は理解していた。
ケイブトロルは中央にあり、荷物運びを担当していた。気が弱いこの怪物は、戦いが苦手だ。無理にやらせる必要はない。実際、大集団であるから必要物資は多い。トロルの怪力はそれを解決するに十分だった。身体に見合った大きな背負子には、大量の物資が積まれている。フォークリフトが無ければ運べない量だが、トロルは苦も無く足を進めている。
これら四体の怪物と同道するのは、日本各地から集められたエキスパートたちだ。探索者、怪物狩り、学者……幾度となく地下世界から帰還した猛者たちではあるが、現在の状況に適応しているとはいいがたい。
「全く、何の冗談なんだか……」
怪物狩りの一人がぼやく。彼の視線の先にはラケルタの背があった。初めて見た時の感想は殺される、である。絶対に勝てない相手であると、経験と本能が告げていた。顔合わせの時などは、並べられていたパイプ椅子で反射的に応戦しようとしたほどだ。そんなもので勝てないと理性は告げていても、心を守るためにそうせざるを得なかった。
なお、ラケルタの反応といえば好意的で。
『おお、中々の益荒男ではないか。結構結構』
などとにっこり笑って見せた。喋った事に驚いて、腰が抜けたのは嫌な思い出として今も彼を苛んでいる。
高額報酬につられて、未踏破地域への探索を了承した。守秘義務が付いている事も珍しい話ではなかった。だが怪物と一緒に行動すると聞かされた時は耳を疑ったし、今現在も納得できてはいない。
怪物に殺された同業者は数多い。彼自身、危ういと思った事は何度もある。味方だと言われてそれを飲み込めるはずもない。
「確かに襲ってはこねぇけどよ……」
誰にも聞こえぬよう、口の中で小さくぼやく。背負った黒塗りのジュラルミンシールドの淵を後ろ手で触れる。幾多の攻撃を防いでくれた頼れる相棒だが、周囲を囲む連中には敵わないだろう。重さが違う。
ベルトにセットしてある、鉄工所に無理を言って作ってもらった特注のメイス。効果がないとは思わないが、倒しきる前に自分が負けるだろう。
「全体、停止」
怪物と一緒に(たいした度胸だ!)、先頭を進んでいた探索者が声を投げてきた。ベテランのチームならハンドサインでやり取りする所だが、急造だから仕方ない。指示に従うだけでもマシな方だ。
「斥候よ、どうしたのじゃ?」
「……カミサマ、少し先に罠がありますので解除します」
「おお、よく見つけたの! 妾にはわからぬ。見事な物じゃ」
「……どうも」
やり辛そうに答えつつ、罠の解除に向かう探索者の背を眺める。
「あのカミサマ、褒めてくるんだよなぁ」
これがまた、彼らを困惑させている。例え喋ったとしても、こちらを罵ったり侮ったりすれば敵愾心を維持できる。しかし、その逆の対応をされてはたまらない。誉めるとは認めるという事。こちらの技術や知識に対するリスペクトだ。
そのような姿をここしばらく見せられれば、怪物達の周囲にいる者の在り方も理解できてしまう。隣人として認め、助け合っている。今回、少数だがカミサマの信者とやらが同道している。気の弱いケイブトロルの傍にいて、時にはほかの怪物たちの世話までしている。
自分たちを傷つけることはないと、信じ切っているのだ。そうでなければ、頭からひと飲みしてきそうな大蛇などに食事を与えるなどできるはずもない。
怪物狩りはいよいよもって、悩む事を止めた。疲れたともいう。使えるならそれでいい。最悪信者とやらを人質にとれば生き残れるだろう。そんなやりたくないシビアな作戦も思い浮かんだ。
ここは地下世界。カミサマだけで解決できる問題ばかりではない。彼は気合を入れ直した。
同道者の中に、昼神と猫屋敷の姿もあった。いつもの背広ではなく、自衛隊のごとき野戦服姿だった。もちろんそれぞれ、リュックを背負っているが武装はわずかだ。訓練しているがそれは対人用。一応、戦闘用の警棒は腰に刺してあるがその程度だ。
「なんとか、上手くいってますね」
小声で上司に話しかける。昼神の額にはわずかに汗がにじんでいる。しかし疲労の色はまだない。やはり運動はしておくものだと、彼は自分のトレーニングを称賛した。
「怪物との遭遇もほとんどないというのが素晴らしい。やはりラケルタ様の助力を得たのは正解でしたね」
「探索者たちが納得するかどうかが一番心配でしたけど」
「そこは、集団心理というものでしょう。最初の顔合わせの時、信者の方々にあえて沢山出てもらいました。落ち着いた多数の中で、少数が騒ぐのは心理的抵抗がある。驚いて騒いだ方はいましたが、その後は席についてくれました」
「……なるほど。一度落ち着いて話を聞いてしまえば、どれほど疑っていても二度目を起こすには躊躇がある。きっかけがないままズルズルといけば」
「このように、納得していなくても集団行動を取ってしまうもの。我々は、日本人ですからね」
「騒いでほかの人に迷惑をかけない、と。……できない人も多いですけど」
「集まっている方々はプロフェッショナルです。身勝手な行動を取るようなものは、長生きできないでしょう。この地下世界では」
昼神は集団を見回す。統一感がまるでない。探索者達の装備は移動優先。武装は最低限で、リュックにはピッケルやロープなどが装備されている。
怪物狩りたちは戦闘に特化している。盾やメイス、投げ斧。この異常事態でも銃刀法はいまだ健在だ。銃火器を装備している者はいない。……表立っては。
学者たちは探索者の装備に似ているが、手に持っているのは記録装置だ。ドローンとアプリを使って地図を自動作成し、移動の助けもしている。しかし最大の仕事は未知への対処だ。彼らの知識だけが頼りになることが起こりうるのが地下世界だ。なお、ラケルタを質問攻めにして辟易させた前科があるため接近を禁止されている。
怪物達については、言うまでもない。彼らの世話係として同道した信者たちも、移動優先の装備だ。素人ばかりなので、余分な行動はとらせるべきではないというのが経験者達の意見だった。
そして今回の一団に同道が決まった時、上から追加で送られてきた十名ほどの人物たち。自衛隊か、それに類する訓練を受けているのだろう、足取りはしっかりとしているし、装備も怪物狩りに近いものを持ち込んでいる。
昼神は、彼らの事が気がかりだった。上が言うのはスポンサーの護衛だといっていたが、とても信じられたものではない。何度か会話を試みたが、職務を理由に断られている。ラケルタへの監視だと思うのだが、油断はできなかった。
しかし、この一団で一番浮いているのはその謎チームでも怪物達でもない。スポンサー夫妻だ。なにせ、外見が子供だ。どうやって見ても中学生だ。肌の質だって若々しい。なのに、すでに高校生の娘がいるという。
あまりに疑わしかったので、昼神は資料を取り寄せた。すると、いっそ不自然に思えるほど大量の写真が出てきた。夫婦共に子供のころから外見が変わっていない。そのくせ、その年の記録であることがはっきり分かる資料ばかり出てくる。
学生時代のアルバム、友人知人との旅行写真、ボランティア活動、公共の広報雑誌……。意識して記録を残しているのだ。
社会的にも立場を確立している。先ほどのボランティア活動だけでなく、地域活動にも参加。多数の知人友人を持つ。その中には警察官が複数いて、補導されそうになるたびにその人物らの名前を出すのが当たり前になっているらしい。
夫の方は社会でも活躍している。今は大企業として名を馳せている複数の会社。それらがベンチャー時代に出資しており、今では大株主となっている。一時期は自分自身も会社を持っていたがそれは人に任せ、現在は多方面に顔を繋ぐことを主にしているという。
若いころから様々な投資をしており、その資産は相当なもの。今回集まった探索者、怪物狩り、学者、そしてラケルタ達の報酬は彼の財布から出ることになっている。
『しかし、真に驚くべきはこの動員力。日本の一流メンバーを集めきった事にある。一体どれだけツテとコネをもっているのか』
ラケルタ達とは別の意味で、得体のしれぬ怪物である。今も、ほかの者たちと同じペースで地下世界を歩き続けている。今のように、罠を外すために停止することはあるがそれ以外は歩き詰めだ。安全の保障されぬ未知の場所であり、多くの者の精神と体力を苛む。昼神自身、ここまでの道のりを楽であったとは思っていない。
だがこの夫婦はほかの者達とは違う恵まれぬ体格でも、弱音を吐かず歩き続けている。行方不明の娘を探す一念で、それを成しているのだからすさまじい。敬意すら覚えるものだった。
「お二方、お疲れではありませんか? そうであったら申し出てくださいね」
「はい、大丈夫です。そうなりましたら必ず報告します。足を引っ張るような事はしませんので」
「ご心配頂きありがとうございます」
笑顔でそう返事をしてくる。今のところは言葉通りのようだが、無理をしない保証はない。部下に視線を向ければ、しっかりと頷いてくる。
この二人は重要人物だ。特に夫の方は政府にすら働きかけて自分たちを動かした。万が一があった場合、どのような影響が出るかわからない。夫婦の護衛も、昼神たちの仕事に入っている。
「罠、解除しましたー」
「皆のもの、進みますよ」
先頭が動き出す。一団は、地下世界の奥地へと向かう。目指すは、異世界。
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グランドコアの作り出す次元迷宮。その戦場は混乱に染まりつつあった。全ては、指揮官であるオリジンの突出にあった。
「オリジン様をお止めしろ! このままでは支援が届かなくなるぞ!」
「呼びかけに答えてくれません!」
「いいから続けろ! 歩兵は近づけんのか!」
「敵戦力の圧が酷く、進行を阻んでいます!」
前線基地では、騎士たちの怒号が響いている。突如始まったオリジンの単騎駆け。敵の戦列に穴を穿ったまでは良かったが、損害を広げきる前にさらに進出してしまった。孤立したオリジンに追いつくべく、後方は必死になっているが打開策がまるでない。
決戦世界でも有数の戦力が集結している戦場ではあるが、余裕があるとは決して言えない。豊富な物資、管理された戦力運用、要たるオリジンの存在。それらがあるからこそ、長期にわたる防衛戦が成り立っている。それが一つ抜けるだけで、壊滅の危機さえ見えてくる。ここは大襲撃の最前線なのだ。
「……これは、三大守護神に助力を願う必要があるのでは?」
一人の文官がそう進言した。かつてダンジョン背信者を率いて帝国に弓弾いた老人、モーガン・クローズがそこにいた。立場は奴隷兵であったがある日を境に奮起し、今では事務方の上位に昇格していた。
「……それしかないか。アマンテ様は動けるか!?」
「いえ。最近オリジン様が酷使しすぎました。足が三本かけておりますし、腹に穴も開いています。再生には今しばらく時間がかかるかと」
老人が首を振る。騎士は兜の上から頭を抱えた。
「だからいざという時の為に程々にしてほしいとお願いしたのに! ティフォーネ様はいかがか!」
「……広範囲の地域を面倒見ていただいています。あの方がこちらに来ますと、多くの地方が回復不能のダメージを受けるかと」
今度は資料を見ながら、別の文官が口を開く。
「では、ヤルヴェンパー様は!」
「……おそらく、可能です」
「おお!」
「ですが、戦場が海水に飲まれます。海ごとこちらにいらっしゃる事になるので」
騎士は、黙って前線指揮についている者達に視線を向けた。指揮官たちは力なく首を横に振る。
「確実に、巻き込まれます。安全圏に下がらせると、オリジン様への支援ができなくなります」
「それでは何の意味もないではないか!!!」
騎士は悲鳴を上げる。普段は沈着冷静な彼も、この異常事態には冷静を保てなかった。オリジンという心の支えが暴走しているのだ。仕方のない反応だった。
多くがそのような状況にあって、モーガンだけは対応が違った。
「……では、ほかのダンジョンへ助力を願ってはいかがか。三大守護神ほどではないにしても、余剰戦力を複数のダンジョンから提供いただければ追加戦力を得られるかと」
理路整然とした妥協案は冷たい水のように、混乱という熱で湯だった前線基地に染み渡った。
「そ、それだ! 至急、連絡を取れ!」
一度対応が決まれば後は早かった。士官や文官が次々と動き出す。モーガンも自分の仕事をしながら、戦場に視線をやった。
『何かやりたい事でも見つけましたかな、オリジン様。ですが、ここでそれは……』
非難するわけでも、怒るでもなく。ただ哀れみを一瞬浮かべ、視線を戻した老人は仕事に集中した。
そんなものが己に向けられたとはつゆ知らず。知っても取り合わず。決戦世界最強の女は、久方ぶりに持てる戦闘力のすべてを発揮していた。
邪魔なアーマーは脱ぎ捨てた。隙間なく身体を覆うボディスーツ一枚で戦場を駆け抜ける。その姿を視認できるのは、人外魔境の戦場でもごくわずか。その動きはあまりにも早く、正しく目にもとまらぬ早業で怪物たちを蹴散らしていく。その理由はシンプルで、加速状態を維持し続けていた。
加速という呪文は、対象者の時間を早める。他者が一度の行動しかできない時、二度動く。当然そのような無理をしているのだから呪文の効果時間は短く、使用後は極度の疲労状態となる。
しかしオリジンは、これらのデメリットを現人神としての異能を用いることでキャンセルしていた。効果時間が短いなら再使用すればいい。再使用まで時間がかかるならそれを短くすればいい。疲労するなら回復すればいい。
このようにして行動力を獲得したオリジンは、縦横無尽に戦場を蹂躙していた。加えて、彼女は敵の物資を利用することに長けていた。たとえば、ペインズに取り込まれた者は装備をそのままにしている。武器防具、アイテムを取り込まれた時のまま持ち歩いている。武器を奪ってほかの敵に投げつける。爆弾や火炎瓶モドキがあればなおよい。
殺戮機械の利用はシンプルだ。大砲、火炎放射、自爆……使い方は山のようにある。オリジンからすれば、火力がわざわざ近寄ってきてくれているように見える。
ゼノスライムは一工夫必要だ。強力な超能力を振るう個体がいれば、それを使わせてほかの敵を巻き込むとか。何でも食らう個体が現れれば、多くの敵を食わせたのちに自爆機械を放り込んで諸共爆破するとか。ともあれ無駄なく使うのが彼女流だ。
部隊指揮をしていては、このような戦いはできない。三千年前、たった一人で荒野で生き延びていた時。ジャガル・フォルトに見いだされ、ダンジョンで終わりなき防衛戦を始めた時。彼女はこのように戦っていた。
「あはははははは! ほうら、ほうら、ほーーーーら! もっと死ね! 沢山くたばれ! 諸共全て、灰になれ!」
今オリジンは、全てから解放されていた。世界防衛の重圧も、巻き込んだ者達への謝罪も、三千年の孤独と悲しみも。己のすべてを戦闘に集中し、その本領を発揮していた。
戦場の支配者。殲滅の女神。頂点捕食者。三大侵略存在、亜神、竜、巨人、その他有象無象。全てが彼女に蹂躙される。容赦なく一方的。抗う事すらできない。
武装は敵を利用するので極論不要。何だったら素手でも戦える。触れるどころか視認すら困難であるが故に被弾も無し。当然怪我もない。疲労その他はアイテムでキャンセル可能。
抗える存在はこの場になく、ゆえに彼女を脅かす存在はただ一つ。偶然である。たまたま爆発で跳ね上がった欠片のある場所に、オリジンが移動した。
「ッチ!」
脇腹に、深く破片が突き刺さる。舌打ち一つして一切のためらいなくそれを引き抜く。これまた常用するアイテムが、瞬く間にそれを塞いでいく。ほどなくして、傷はふさがった。オリジンの動きに陰りはない。今はまだ。
薄皮をむくような、小さな消耗。それがゆっくりと、確実にオリジンを苛みつつあった。
地球で冒険者協会のような組織が作られるのはまだまだ先の話です。
っていうかレベルもスキルも無いからほかの作品のようにもいきませんしね。