座学のお時間
地下十一階、エレベーター前。門前町が放棄されてからは、ここがダンジョン防衛の中心地となっている。エレベーターを囲む防壁は、万が一上階が突破された時への備え。門をくぐった先には、各種施設が立ち並ぶ。
その一角にある生活エリア。食事処や風呂屋などが立ち並ぶ、戦士たちがリフレッシュする場所。……ちなみに、花街は離れた別の場所にある。風紀の乱れと、ほかの住民たちも使う事を考えた結果だけど。この決定をした当時の俺をほめてやりたい。姪の目の届く場所に置かなくて本当に良かった。滞在中は近づけないようにしなきゃ。
ゴブリン戦を終わらせた新人一行を、生活エリアへと連れてきた。多くの場所で一般用と指揮官用で分けてある。上司の近くでは休まらない、というのはよくある話なのだ。メンタルケアは大事だ。
その士官用の食堂へ新人たちを連れてきた。皆すっかり疲れ果てている。付き従うコボルトですらヘロヘロだ。まあ、こいつらはただ震えていただけだったけど。
ダンジョンを任されて半月ぐらいたっていると聞く。多少なりとも戦闘は経験済みなはずなんだが。
「ああいうのは初めてだった?」
「始めてですよぉ。普段はゴーレムとかデカい虫とかが戦ってくれますから」
「虫さん……戦ってくれるけど、怖いんですよね」
オダケさんとミノリさんが瞼を開くのもおっくうといった状態で答えてくる。比較的元気なノザカさんは、左手を握ったり開いたりしている。何か思う所があった模様。彼の足元のコボルトも、ほかの二匹に比べてやや復調している。
「繰り返しになるけれどダンジョンマスターの仕事は管理と運営、人員配置だからね。本人が戦う必要はないし、安全は常に確保していなければいけない。マスターが死んだらダンジョンが終わる」
「……でも、戦いから逃げてもだめ、と」
「その通りですノザカさん」
コボルトの頭をなでる彼の目には、いままでとは違う光が宿っていた。やけっぱちなそれではないので、心配はしない。
そんなやり取りをしていると、背後から笑い声が聞こえてきた。
「ぶふっ。大将、ずいぶん言うじゃないですか。自分は事あるごとに囮やってたくせに」
「最近はやってないでしょ。混ぜっ返さない、バラサール」
店主自らが料理の配膳をしに来てくれた。やはり戦った後は腹が減る。ちょうど昼食時だ。山盛りのパスタ料理が運ばれてきた。……ミートボールがたくさん入っている。こういうの、昔何かで見たような。ああ、歳は取りたくないなあ。
「始めまして、ダンジョンマスターの皆々様。ここら一帯を任されております、ガーディアンのバラサールと申します」
いかにも戦士といった体格の竜人が、料理を運んできたものだからそのギャップに皆面食らっているようだ。……いや、そもそも竜人を見ること自体が初か。あんまりフィクションではメジャーじゃないものな。
「事あるごとって……叔父さん、そんなに無茶したんですか?」
「ええ、そりゃあもう。必要とあれば躊躇なく、敵を引き連れて猛ダッシュですよ。その勇ましさには俺たち配下はハラハラしっぱなしで」
「話を盛るなバラサール。躊躇しなかったわけじゃない。必要に駆られて仕方なく、だ」
「うちのマスターは根性が座ってるんだぜ、と周囲に自慢してるんですがねぇ」
「止めろ恥ずかしい」
「……何で教官は、そんな危ない事をしたんですか?」
理解が及ばない、といった風のオダケさん。ついさっき、モンスターの恐ろしさを味わったから余計にそう思うのだろう。俺は肩をすくめて見せる。
「言った通りだよ。必要に駆られて仕方なく。マスター始めてしばらくは、厳しい戦いばかりだった。とにかく有利な場所に敵を引き込まなければ生存すら危うかった。そして、マスターは怪物にとって最高のごちそうなんだ。囮としてこれ以上の存在はない。あ、君たちも狙われるから身の守りはしっかり確保するんだよ?」
「聞きたくなかったそんな真実……ッ!」
頭を抱えるオダケさんと、そんな彼に抱き着くコボルト。本人も不安だからやっているようだが、マスターのメンタル回復要員として順調に働いている模様。よし。
「まあ、だからこそ俺たちのようなガーディアンがいるわけです。この辺の話は?」
「今からだよ。それじゃあ、昼食取りながら軽く説明しようか」
戦いはマスターがやらなくてもいい。強いモンスターや戦士はいくらでもいる。しかしそれらだって生きている。魔法生物は厳密には生きていないが、代わりに整備が必要だ。それらが問題なく活動できる環境を整えるのもマスターの仕事だ。
もちろんマスターが料理したり掃除したりしなきゃいけない、という話ではない。俺は最初の頃やったけど、あれは節約の為だったし。それもまた、ヒトなりモンスターなりに任せればいい。
「そういうの、最初からダンジョンにいる……スライム・クリーナー? とかゴーレムのメイドさんがやってくれてますけど」
「いいなあ。叔父さんの頃は、全部自分で雇ったからな……」
優遇されてるなあ地球組。まあ、俺と比較した場合の話で戦場に引きずり込まれたのは一緒だけど。
「まあ、そのモンスター達にも限界がある。ダンジョンを拡張していくうちに、もっと雇う必要が出てくるよ」
「あの、教官。モンスターやヒトを雇うのには、コインが必要ですよね? 正直、迎撃しているだけじゃあ足りなくなりそうで。ここと違って、こっちは不定期ですし。いやまあ、常時攻め込まれたら確実に押し負けますけど」
「うん、全くその通り。生活のためにコインを換金していたら、いつまでたってもダンジョンを強化できない。だけど安心してくれ。ダンジョンの戦力強化と金銭収入を両立させる方法があるんだ。でもそのためにはこちらの世界最大の国家、アルクス帝国についてちょっと理解してもらわなきゃいけない」
ここから、少々長い話をした。ダンジョンと共にある、アルクス帝国。ダンジョンに住みたがるハイロウという種族。彼らの需要に対して供給が追い付いていなくて、だからこそ価値が高くなるダンジョンの住居。彼らを招き入れる事で発生するメリット、デメリット……。
昼食が終わり食後の茶がお代わりされた。表情を見るに、三者の理解度はそれぞれ違うようだ。説明中、一番よく頷いていたのはミノリさん。途中で何度も手を上げ質問をし、疑問を解決していた。オダケさんは何とか話に追いつけているという状態で、口元を手で隠している。そして最後、ノザカさんは何度も首をかしげている。と、思ったら。
「教官、ちょっといいですか」
「はい。何処かわからない所ありましたか?」
「今の話、ざっくり野球で例えてもらえませんか?」
「や、やきゅう?」
野球ときたか。よもやこんな斜め上の球を返されるとは思わなかった。しかし、相手の理解度を深めるためだ。やってみよう。
「えー……ダンジョンマスターは、監督です」
「監督」
「モンスターや、雇われた戦士たちが選手です。防衛戦は試合です。攻めてくる連中は相手チームです。試合ごとに選手を必要なポジションに配置して勝たなければいけません。選手には調子があるので、それを見極め休ませたり控えのメンバーと交代させたりする必要があります」
「なるほど」
ノザカさんが力強く頷いた。理解というストライクゾーンに上手くボールが入ったか。次は、罠と迷路……設備投資……野球で言うなら。
「しかし選手だけでは試合に勝てません。その実力を発揮できる場が必要になります。ダンジョンはグラウンド。迷路や罠は各種設備です。それらへの投資を怠ってはいけません」
真剣な表情で頷くノザカさん。なるほど、と目をやや開くミノリさん。半笑いで状況を見守るオダケさん。
「で、今の話に繋がる事ですがチームの運営にはお金が必要です。幸い、ダンジョンにはハイロウという固定ファンがいます。やってるだけである程度の興味は引けます。モンスター配送センターや、デンジャラス&デラックス工務店からハイロウを紹介してもらいます。そしてダンジョンの一部を貸すオーナー契約を結びます。金銭収入が発生し、さらに強力な海外選手も紹介してもらえます」
「おお、外国人選手! プロ野球みたいっすね!」
「でも、ハイロウオーナーは大体において大企業です。金も権力もあります。ダンジョンという野球チームを自分の好きなように運営したがります。貴方は押し付けられた身ではありますがダンジョンの責任者です。チーム運営に関しては、誰よりもトップでなくてはいけません。試合に勝てなければチーム解散になってしまう事を忘れてはいけません。その場合、貴方を含めてみんな死にます。選手も、そのコボルトも」
「少年誌の胡乱な野球漫画みたいだ……」
「オダケさん、混ぜっ返さないでください」
「はい、すみません。でもおかげで俺にも分かりやすかったです。野球風味が付きましたけど」
それはなにより。ノザカさんも理解を深めモチベーションまで得たようだ。俺が、監督……と力強くこぶしを握りながらつぶやいている。結構な事だ。なお、ミノリさんは苦笑中。年上の男連中のアホぶりを見せつけられたらそうなるか。
「さて。今日は軽い体験と全体説明だった。これから、定期的にこのダンジョンに来てもらって、実地で必要事項を学んでもう。その際、俺からの採点はない。結果は君たちのダンジョンに防衛力と生活環境の向上として現れるはずだ。よろしいかな?」
三者が頷く。俺も手を叩いて一区切りをつける。
「よろしい、では本日はここまで。……予定があるならすぐにでも転送室へ車を出そう。そうでないなら、風呂にでも入ってリフレッシュしていくといい。スーパー銭湯あるよ。もちろん衛生的な」
「マジですか! そんな設備まで用意したんですか」
「うちのダンジョンは水が豊富でね。あとまあ、精霊関係で大きなボイラーが欲しかったとか、まあいろいろ。普段、ダンジョンに拘束されてストレスだろう? 少し羽を伸ばしていきなさい。解放してあげることは俺には無理だけど、それ以外のささやかな支援くらいはするさ。先輩だからね」
「あざっす!」
緩急は大事だ。多少なりともダンジョンマスターを続けることに前向きなってくれたのだから、その分だけ良い目を見せてあげたくなる。沢山は無理だし、害にもなるからほどほどにだけど。
「うちのダンジョン、沢山人を抱え込んだ関係で何でも用意する羽目になってね。市場とかもあるから、生活用品で必要なものがあったら持っていくといいよ。払いは俺が持つから」
「いいんですか、叔父さん!」
「もちろんもちろん。叔父さん、そこそこお金持ちだから。ダンジョンコイン千枚! とか金貨一万枚! とか言われない限りは大抵なんとかしますとも」
嘘である。本当は……かなりの大金持ち、である。大国に近いレベルの人員を抱え込みそれらが経済活動しているのだ。収めてもらう税収だけで凄まじい事になる。もちろん、基本的にこれらはダンジョンの運営資金に回される。経理部がそれを管理し、その中から俺が自由に使用できる分を出してもらっている。
これが、目が飛び出るほどの金額になっている。月々増えていくものだから、試しにイルマさんに『ちょっとこれ博打レベルの資金運用に使っちゃって』とかお願いしたら、彼女にっこり笑って数か月後には数倍にして戻してきた。嫁さん凄い。怖い。
そんなわけで金がある。無駄遣いするとダメ人間になる。なので有意義に使えるチャンスは逃さないのだ。
……あとまあ。姪には何もしてやれていない。誕生日祝いも、お年玉も、クリスマスプレゼントも。姉の子供にどこまで構えばいいか、正直よくわからない。向こうの友人とそんな話はついぞしなかった。こっちの場合は、経済格差があるからそれぞれ対応が別だし。
まあなので。先輩の思惑がどうであれ。秋には彼女が腐らない事前提で、思いっきりひいきするつもりなのである。
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車に乗って移動した先はアーコロジーが立ち並ぶ一角、その足元である。基本的に、アーコロジーはその中ですべてが完結するようになっている。人が生活するのに必要なすべて。居住、生産、商業。学校、警察、医療と消防。そしてアーコロジーそのものの維持活動。適切な人数が住んで働いているならば、必要な資源さえあれば百年単位で居住ができるという。
しかし、だからと言って中で住んでいる人々がずっと引きこもっていられるはずもない。元々は地上で暮らしていたのだ。ハイロウでもない限り、ダンジョン内の生活にはストレスが生まれる。人口太陽を入れて、外と同じように昼夜を作ってもそれは同じだ。
そこで、アーコロジー前に商業施設を作った。各棟で生産して余剰となった分をそれぞれ取引する大規模な物から、個人製作の小物まで。登録すればだれでも店を構えられる市場とか。
交流試合のできるスポーツ施設とか、競馬場などの公共の賭博場もある。……逃げてくるときに馬や家畜を引き連れてきた人々が、貴族も民衆もそれなりにいたのだ。まさかダンジョンに牧場を作る羽目になるとは。地下十一階がアホほど広くて本当に良かった。
色々あって、帝都銀行の支店もここに設置することになった。金借りて返さないやつが、ここに雇われたスペシャリストに追い込みをかけられるとか聞く。そのスペシャリスト達は、ダンジョン内で起きる様々なトラブルを解決し金を稼いでいるとも。何でおれのダンジョンで、シティアドベンチャーしてるんですかねぇ……。
そんなこんなで、今日も商業施設は大変な人入りだ。活気もある。
「焼き鳥ー! 焼きたてだよー! 新鮮だよー!」
「さあさあそちらのお嬢様、どうか手に取ってご覧ください。職人が丹精込めて作りましたこちらの細工、お値段も勉強させていただいておりまして……」
「エルフ陶器、間もなく販売終了しますー! お求めの方はお早めにー!」
「……すごい熱気ですね、叔父さん」
「湿気ってるよりはいいよね」
俺たちは、護衛やらコボルトやらを引き連れて市場を歩いていた。流石にこれだけの人数がいると、俺の顔を覚えていない者はそれなりにいる。顔がダメなら衣装という事で、結構立派な服も着ている。それでもやっぱり不心得者はいる。そういうのの対策のために、護衛は強面だ。
周囲を興味深く見回していたノザカさんが、辺りの熱気に当てられたのかやや声を張り上げながら話しかけてくる。
「教官。ここもすごいですけど、来る途中にあったあそこも大賑わいでしたよね。ガテンな連中が山ほどいて」
「ああ、防壁製造現場。結構な人数働いてますからね」
かつて、プルクラ・リムネーの防壁が壊れたことがあった。直したばかりだったのに、と凹んで壊れない方法はないものかと調べた。アルクス帝国の知識と技術なら、何か便利なものがあるんじゃないかと。
そんなものは無かった。形あるものは崩れる。どれだけ魔法と建築技術を駆使しても、度重なる攻撃には負けてしまう。しかし、戦い続けたこの国の人々は発想の転換を見せた。壊れるならば、それ以上に作ればいいと。初めから壊れる前提で準備すればいいと。
普通だったら何を言ってるんだという話だが、アルクス帝国の魔法技術はそれを可能にした。ダンジョンというお手本があったのも大きかった。
まず、儀式場を作る。転移術式に特化し、さらに移動場所もあらかじめ設定。転移の魔法にはとてつもない難易度があるそうなのだが、これらの限定条件を付けることでそれを下げる。
次に、そこで壁を作る。壊されるのが前提だから飾りなどない。木材で枠を作り、袋に石を詰め込んで均等に重ねていく。崩れなければ完成だ。ヒトサイズのモンスターでは魔法を使わない限り壊せない。動物サイズのモンスターでも、壊すのには苦労する。流石に巨人サイズには負けてしまうが、それらの足止めには使える。
で、その壁が壊れたらまた転移で新しいものと交換する、というわけである。実に魔法的だけど、壊れることを前提にした壁という発想は地球にもある。
大砲の発明により街を壁で守るのは困難になった。移動する大砲、戦車や自走砲などが生まれた後は余計に。しかしいざ戦争となったら、守りの備えはしなくてはいけない。戦いに携わる人々は考え、注目したのは土嚢だった。永遠に守れなくてもいい。一発二発でも防いでくれれば御の字。分厚い土嚢なら、銃弾すら防ぐ。
金網と防火材質の布袋で作られた大型土嚢は、現代戦の陣地構築で使用されているらしい。以上、地球から持ち込まれた書籍で読んだ知識である。
話を戻す。防壁製造現場は単純に壁を作るだけの工事現場だ。儀式場は省いた。ダンジョンの能力で配置変更してしまえばいいし、作るとコストがシャレにならない。現場は千人を超える人々が汗を流す。材料運搬やら事務やら設備維持人員などを含めればその三倍だ。その甲斐あって、毎日何枚も壊れる壁がすぐに新しいものと交換できる。プルクラ・リムネーの損耗を大きく下げることに成功しているのだ。
「あれはねえ、防衛にもそうだけど治安維持にもすごく役に立ってるんですよ」
「治安維持、ですか?」
ミノリさんは首をかしげる。社会に目を向け始めたばかりの年頃では難しいか。
「人間ね、ただ守られているだけってのはストレスがたまるんですよ。戦いに貢献できていると思えば、それだけでも心が楽になる。実際にとても役立ってますしね、壁」
「なるほどー」
「さらにいうと、稼ぎにもなります。何せ避難してきた人たちは、畑やら仕事やらを放り出さざるを得なかった。ここでの生活も立ち行かないし、避難が終わってもそう。だから新しい仕事をしてお金を稼ぐ。お金があれば地元に戻った時に元の生活を立て直せる。新しい仕事の資金にもなりますしね」
「ああ、そういうの大事ですよね」
オダケさんもノザカさんも理解を示している。やはり社会に出ている人は理解が早いな。
「これは国みたいな大きな枠組みにも言えることでしてね。迎撃の合間を縫って、復興計画についても話を進めているんです。上がこういう話をしているぞという事を民衆が知れば、それも全体的な雰囲気を良くするから」
「……国の仕事にまで口出してるんすか」
「俺もダンジョンの事に集中したいんですけどねえ。人が増えると、それだけ面倒事が増えるんですよ。……まあ、その辺の話はあとでしましょう。各自、欲しいものを案内人に伝えてください。そこに連れて行ってくれますから」
丁度やってきた市場の従業員を新人たちに付けて送り出す。俺は先に、VIP用のカフェへ移動だ。下手にマスターがうろうろしていると、それだけでトラブルが起きてしまう。全く、面倒になったものだよ。先輩もこんな気持ちなんだろうね。