会話のデッドボール
気が付けば、一人の男性が立っていた。別に特別な力を使ったとかそういう話ではない。周囲がひどすぎて、普通の人物に意識を裂くのが難しかったという話。俺以外はたぶん気づいてた。
短い銀髪に青い瞳の青年。整った外見からハイロウだと思われる。周囲のものにも同じ色の髪や目の人物が散見される。血族という事かな。
「この状況を失礼しましたの一言で収めるつもりかい?」
ウルマス殿が鷹揚に言ってのける。ヨルマもそうだけど、こうやって落ち着いてくれる人がいると助かるな。俺もどちらかといえば頭に血が上りやすいし。……まあ、ウルマス殿やセヴェリが落ち着いている最大の理由は物理でも社交でも相手をぶっ飛ばせるという根拠があるからかもしれないけど。
「それについてのお話をするにしても、立ったままというのは格好がつかないかと」
「なるほど、いかがなさいますかなダンジョンマスター」
「そうね、とりあえずは席に着こうか。帰るのはいつでもできるからね。……サイゴウさんはどうします?」
「ここで帰ったらクズ共に罵られただけで終わっちまうじゃねーか。やり返すまではかえらねーぞ」
頼もしいお返事をもらった事だし、銀髪の男に促されるがままホールの中を進むことにした。夜会という事で食事や酒が振舞われているようだが、あくまでこれはビクスラーダンジョンの為に用意されたものらしい。こちら側へ誰もサービスしてくれない。
ただ、スタッフは会場側の者達のようで、近くを通れば頭を下げて迎えてくれた。アウェイというのはあからさますぎてお粗末な場所を通り過ぎ、ホールの真ん中。そこには大きなテーブルと、真っ白なクロス。相手側には少女を真ん中にして幾人かが座っていて、軽食が並べられている。
俺たちの側はといえば、なにもない。辛うじて人数分の椅子が用意されているだけだった。
「セヴェリ、よく見ておきなさい。世の中に本当にこういう者達が居るんだ。自分たちがどれだけ大きな墓穴を掘っているか理解することもできない、狭い世界で生きている者たちが」
「……はい、伯父上。申し訳ありません、眩暈がしておりました」
あまりの対応に、公爵家の人々がそんな会話をしている。相手側に座っている者共の大半はまた顔を赤くさせているが、中心の少女と右隣の男性は表情を変えていない。この二人がおそらくトップなのだろう。服装の豪華さが違う。灰色の髪を持つ男性は、セヴェリ達のやり取りを薄く笑いながら眺めていた。
「……ふむ。この席につけ、とそうビクスラーダンジョンとクロイツァー伯爵家はおっしゃるわけですね?」
「はい、全くもってその通りです」
案内してきた男はそう言ってのけた。クロード殿とダニエルが、威嚇で喉を鳴らす。俺は二人を押さえるのに回った。なお連中の顔色変動についてはもう、面倒くさいので気にしないでおく。煽られば赤、脅されれば青。スイッチでもついているかの如く律儀に変動する。
「とりあえず座わろーぜ。もうめんどくせえよ、色々」
「サイゴウ様がダンジョンマスターとしての器量を示されたので、我々も従うとします」
そう一言添えてから、貴族たちが続いた。一応、座るべき席は指定された。サイゴウさんの前には少女が。俺の前には灰色の髪の男が座っていた。
少女の左隣に座った案内の男が口を開く。
「それでは、ご紹介させていただきます。テーブル中央にいらっしゃいますはレオナ・クロイツァー伯爵様。そしてその右隣にいらっしゃいますのがダンジョンマスターのオスカー・ビクスラー様になります」
「ダンジョンマスターよりも先に、家の当主を紹介するのか……」
セヴェリが絶句している。さっきからカルチャーギャップで辛そうだ。俺はこいつらがイタロ元子爵と同じだと理解してからはどうでもよくなっている。
「それで、貴方は?」
「これは申し遅れました。今回の交渉役を務めますテオと申します」
一礼する彼を見ながら、これがターゲットかと理解する。……他が悪すぎて、数少ないまともな振る舞いをする人物であったことに安堵してしまった。
テーブルについているビクスラーダンジョン側の人物たちも名乗ってくる。大抵が子爵や男爵と名前の後に位を告げてきたが、それに見合った能力を持っているとは到底見えない。取り囲んでいる連中と、似たり寄ったりだ。
「ではこちらも。まずこちら左側、ダンジョンマスターのヒデト・サイゴウ様。俺の右にいらっしゃるのがクロード・ブラントーム侯爵。その隣に……」
と、俺がどんどん説明していく。ヤルヴェンパー公爵家から当主の弟と長男が出席している事実に、事の重大さをやっと理解し始めた様子。おそーい。
「……最後に俺の足元に我がダンジョンのコボルト、クロマルがいますがお気になさらず。以上がこちら側のメンバーとなります」
名乗り終わると、相手側の大半はお通夜状態に入った。俺の目の前の女の子は……単純に、クロード殿の外見を怖がってるな。そっち見ようとしてないものな。で、ダンジョンマスターのオスカーは……これまた動じていない。ほんの少し笑ったまま、状況を見守るだけだ。この男、なにを考えているんだ? 全く読めない。
俺がダンジョンマスターに注意を払っている間、交渉役のテオが口を開いた。
「さて、色々と手間取ってしまい時間も押しています。単刀直入にいきましょう。サイゴウダンジョンならびにミヤマダンジョンに対し、ビクスラーダンジョンは以下の要求をさせて頂きます。ひとつ。旧セルバ地方、ならびにバルコ地方への支援を即座に終了する事。ふたつ。支援行為によって両地方への侵攻が遅延したため、それにかかった費用の賠償。みっつ。両ダンジョン発生によって地域の安定が乱されたため、その是正の為にビクスラーダンジョンの傘下に入る事。とりあえずは、以上になります」
言葉が出なかった。理解もできなかった。しばらくの間、呼吸も忘れたかもしれない。放たれた言葉に込められた情報が、あまりにも途轍もなくて思考するのを拒みたくなる。というか拒んでいる。こいつ、今なんて言った?
俺が絶句という単語を全身全霊で表現している間に、ヨルマが話し始めてくれた。
「なるほど。早速質問なのですが、ビクスラーダンジョンは何を根拠にそのような要求をなされるのですか?」
「我らがダンジョンは発生から三百年、地域安定のために努めてまいりました。ディアマン王国が現在の繁栄を得ているのも、我らが支援した結果。本来であるならば、旧セルバおよびバルコ国もディアマン王国の一部となっているべき場所なのです。本来の予定ならば現状その真っ最中でした。しかし、そちらのダンジョンの介入があったため我々のスケジュールに大きな乱れが出てしまいました。大変遺憾に感じております。よくもまあ余計な事をしてくださいました。ですので謝罪および賠償、さらには……」
「「ふざけんなぁ!!」」
気が付けば、俺とサイゴウさんは叫んでいた。クロード殿が俺を、ウルマス殿がサイゴウさんを押さえていなければそのまま飛び掛かっていた。
「言うに事欠いて余計な事!? 余計な事と言いやがったかテメェ! 覚悟できてんだろうなぁ!?」
狼男の大きな手でしっかり押さえられても、俺は止まらなかった。止まれなかった。俺のこれまでのすべてを、余計な事呼ばわりされたのだ。到底許せるものではなかった。どれだけ苦労した事か。どれだけ痛い目を見た事か。ダンジョンの仲間の頑張り、かかわった人々の努力。全部ひとまとめに否定しやがった。絶対に許さない。
「余計な事っていうならなぁ! もっと最初からテメェらが動いてりゃよかったんだよ! 俺がなにしたか知ってっか!? 国を滅ぼしたんだよ! 山ほど死なせたんだよ! それを、それをおまえ! 上等だ戦争だ!」
サイゴウさんも猛っている。彼ももっともデリケートな部分を土足で踏みにじればこうもなる。身体の拘束が疎ましい。ニヤついている相手側の貴族共が腹立たしい。いよいよもってダンジョンコアからパワーを引き出そうとしたところで。
「「冷やぁ!?」」
尋常じゃなく、冷たい冷気が頭を覆った。いや本当に冷たい、というか痛い。氷を押し付けられた程度ではこんなに冷たくはないだろう。
一体何が、と思ったらすぐ目の前にイルマさんの顔があった。怒っていらっしゃる。
「頭、冷えました?」
「冷えたってか、痛いんですけど」
「ひえてないなら、今度は顔に行きますよ?」
「冷えました!」
「よろしい。サイゴウ様は?」
「冷えた。冷えたから勘弁してくれ」
「結構。ではお二人は静かに座っていてくださいね」
「「はい……」」
イルマさんが静かに席に戻っていく。冷え切った頭を両手で温める。うわあ、本当に冷たい。髪の毛凍ってるんじゃないかな。そこまでじゃないかな? 頭皮がじんじんと痛かった。
「お前の嫁さん、怖いんだけど」
「俺はいつも極力怒らせないようにしています」
ぼそぼそと、ダンジョンマスター二人でささやき合う。俺たちが静かになった所で、再びヨルマが口を開く。
「主張は理解しました。ビクスラーダンジョンがセルバおよびバルコに先に手を出していた。それを邪魔しているのだから、その損害を補填し傘下に入れ。要約しましたがこのような事でよろしいですか?」
「ええ、ご理解いただけたようでなにより……」
「全くもって不当な要求のため、お断りします」
「……」
俺たちがあれだけ騒いでもろくに表情を変えなかったテオは、そこで初めて眉根に皺を寄せた。
「そもそも。あなた方の主張には何一つ正当性というものが存在しません。地域の安定化? ビクスラーダンジョンの為には必要でしょう。ですが周辺国家の併呑までする必要がどこにあるというのです? 他国の侵略の警戒だとしても、最悪は帝国に申請すれば大概の国は灰にしてくれるでしょう。おっと、虐殺を避けたなどとは言わないでくださいよ? ディアマン王国の血塗られた歩みを少しでも調べれば、そんなおためごかしは口にできないはずですからね」
相手側からの反論はない。沈黙と、刺すような視線だけが返ってくる。だからヨルマは引き続き主張する。
「旧セルバ国およびバルコ国への侵略についても、全く筋が通っておりません。バルコ国は確かに内乱をしていましたが、ディアマン王国の戦力があればもっと早く平定できたはずです。しかし内乱末期であっても国境地域を削り取る程度で、併呑するだけの戦力は送り込まなかった。それまで難民がどれだけ流出したか、考えるまでもありません。地域の安定というお題目が聞いて呆れます。そして、旧セルバについてはもう語るに落ちている。帝国領土になった後に、国境地域を侵略している! 場合によっては帝国と戦争になるような事をしておいて、なにが安定ですか!」
そうだ。連中の主張はあまりにも無理筋だった。ちょっと整理するだけでこんなにも穴だらけなのだ。頭に血が上って、俺は全くそれができなかった。
「つまるところ、ビクスラーダンジョンの主張である地域の安定はただのお題目。ディアマン王国の領土拡大による利益拡大こそが本来の目的。そうではない、というのでしたら併呑した国家の経済状況がどのようなものであるかご説明願いたい。我々が調べた情報によれば、どこもかしこも寒村もかくやといった有様のようですがね?」
答えは、返ってこない。当主であるレオナも無表情。ダンジョンマスターのオスカーの態度も全く変わらず。ほかの者達も、こちらを睨みつけてくるのみ。
ややあってから、テオが語り出した。態度は硬いまま。
「……我々の要求を、飲めないとおっしゃるわけですね?」
「理由がありませんからね」
その返答を聞いて、テオは顔をクロード殿へと向けた。
「ブラントーム侯爵様、よろしいのですか? このような返答になりますと、我々はディアマン王国の軍に戻れと命じるわけにはいかなくなります。支援が続けば、戦費は相応に膨れ上がるかと」
「貴様に言われる筋合いはない!」
がおう、と咆哮。さしもの相手側もこれには身をすくませる。レオナ伯爵も、テーブルの下に隠れるほどだ。……オスカーが庇うように手を出しているな。ふうむ。
「ディアマン王国何するものぞ。我がブラントームだけでも、十分に殴り勝てるわ! 方々への義理立てがあるからこそこの程度で済ませているにすぎん。三百年? それごときで図に乗るな。我が方は千年よ!」
「……配下や領民には、一体どう説明されるおつもりで?」
「ダンジョンマスターのお役に立てる戦場ができたぞと一言言えば皆、大喜びで参陣するわ。かく言う私もその一人。貴様らへの感謝は、この爪と牙で示してやるぞ」
ぐあっはっは。戦意をみなぎらせるグレーターワーウルフ。ああ、ご当主様が完全に隠れてしまったぞ。さもありなん。
さしものテオもこれには頬を引きつらせる。そして涼しい顔で事態を眺めていたウルマス殿へ話を振った。
「ヤルヴェンパー公爵家の意見はどうなのです? こんな帝国の端の戦争に参加して、一体何の利益が?」
「うん。それなんだけどすでに家は、セルバやバルコに結構投資してるんだよね。回収しないで手を引くなんてありえない。君らはさっき、自分たちの利益を阻害しているって言ってたけどそれはこっちも同じなんだよね。……ヤルヴェンパーの庭を荒らしている自覚、あるのかな?」
彼が浮かべた笑みは、よく研がれた刃のようだった。それを向ける意味が、はっきりと伝わったのだろう。テオの余裕はだいぶ剥がれ落ちていた。
「あとまあ、ヨルマ殿がさっきおっしゃっていたけど。いくら辺境で帝国の目が届いていないからって、領土に攻め入って何のお咎めも無しとか本当に思ってるの? 正気? 大丈夫? そのあたり、クロイツァー伯爵は……」
彼女の席は空のまま。テーブルの下からいまだ帰還していない。オスカーが何やら小声で話しかけている。
「……ブラントーム候? これは流石に大人げないのでは?」
「帝国貴族の当主たるものが何と情けない。しかもダンジョンをお守りする家がこの有様とは。女子だからとモンスターは手加減してくれんのだぞ?」
「まあそれは全くもってその通りなのですが。この場においては話が進まなくなるので」
「……やれやれ」
深々とため息をついて、クロード殿は気迫を収めた。両手を組んで目をつぶる。怖い狼が静かになったのを感じて、やっとレオナがテーブル下から帰還した。ビクスラーダンジョン側の面々も、胸をなでおろしている。何の解決もしてないのにな。
「ともあれ君たちは、現在進行形で大問題を引き起こしている。それに対して、帝国六公爵家の一つである我が家が引くわけにはいかないね。最終的にはご当主様の判断を仰ぐことになるけど、間違いなく戦争続行。そして逆侵攻となるだろうね」
「……いくら公爵家といえども、ダンジョンのある国家を侵攻したとなれば問題となるのでは?」
「ふはっ。君たちがそれを言うのかい? 面の皮の厚さが海獣並だねえ。君らが知っての通り、ダンジョンマスター様が主張しない限りは帝国は動かないよ。君らが過去に取り込んだところは、後ろ暗い所があったから帝国に頼まなかったようだけど。今回のこちらにはそんなところは一切ないからね。そうでしょう? サイゴウ様?」
「あー? まあ、ねえな。流石にまた飛行船が飛んで来たらたまんねぇから頼まねえけどよ。それ以外は別になあ」
ひらひら、と手を振ってわだかまりがない事を示すサイゴウさん。
「君たちも、改めて帝国に調停を頼んでみるかい? 相当なペナルティを受け入れるなら、逆侵攻を回避できるかもしれないけど」
「……冗談じゃない」
と、つぶやいたのはテオではなかった。テーブルについている誰かのもの。具体的に誰、とは特定できそうにない。誰も彼もが表情を曇らせているからだ。
主力を担う二つの貴族家から否を突き付けられたテオは、いよいよ俺たちの方を向いてきた。
「ミヤマ様。聞くところによれば、貴方様はずいぶんと民に慈悲を与えられているとか。そちらが折れれば、戦火に巻き込まれる人々が減るのです。ここは寛容の心で……」
「うん、今まさにこっちを焼こうとしている人間が言うセリフじゃねえなぁそれ!」
こっちに話を振るなと言いたい。それでなくてもさっき言われた事で、平静を保つのが難しいのに。挙句、こんなセリフを吐かれたら返しがトゲだらけなるのも当然だった。
大げさなくらい大きく深呼吸して、少しでも冷静さを得ようとする。じゃないとまたイルマさんに髪の毛凍らされるからね!
「どうせ傘下にはいったらはいったで、こっちを搾り取ろうとする腹だろ? つーか、あんたらの下についたダンジョン、そういう目にあってるじゃん。こっちにははじめっから、対抗するって選択肢しかないの! 以上!」
文字通りの意味で問答無用。これ以上は話すつもりはない。キレそう。そして視線を向けられたサイゴウさんは、何か言われる前に話始める。
「こっちははじめっから、そっちにとられた領土を奪還するつもりだったんだ。戦争上等なんだよ。覚悟しとけ」
「……左様ですか。では、これで」
「次の話題に入れますわね」
ここまで黙っていたロザリーさんが、テオの言葉尻を拾って場に参戦した。