幕間 ソウマ伯爵領
アルクス帝国に、グリーンヒルという地域がある。古い森があり多くのモンスターが生息するそこは、長らく人の踏み入ることのない場所だった。
数百年前。ソウマダンジョンがこの地に現れてからは、ゆっくりと環境が変化していった。モンスターが減り、人々が集い、集落が作られた。難民を受け入れ、体制を整えた後の発展は加速した。
今では周辺地域に名を馳せる、栄えた領地である。長き秋の森と呼ばれる森林。そこに隣接するのは、帝国では典型的なダンジョンシティだ。帝都を参考にし、ダンジョンへの進入路を広くとっている。こうしなければ、ダンジョンへと向かうモンスターが街を攻撃してしまう。
道の左右にある家々は、いざとなれば壁を立てて簡易砦に早変わりする。ダンジョンへと向かうモンスターに石や矢玉を降り注ぐのだ。住民たちはそのために日々訓練している。このような立地であるため、帝国の家屋は破損と修理を前提としている。飾りはするが壊れても良いもの、直せるもののみ。このソウマダンジョンの家々も、典型的な帝国家屋だった。
街の一角に、一つの一般家屋がある。小さな植木鉢がいくつもあることから、住民がエルフである事をにおわせる。エラノールの実家である。門前では、身なりの良いハイロウの商人と、家人のエルフ(留守を任された親戚)が応対中だった。
「なんと、それはまた間の悪いときに訪問してしまいましたな」
「申し訳ない。領主様との面談はそれほど時間はかからないと思う。よろしければ上がっていただいて待っていただくことも……」
「いえいえ、それには及びません。しばらくこの街に滞在しますので、また明日にでも……」
このハイロウ、周辺でも指折りの商人である。ガーディアンになる、という事がどれほど大きな意味をもつかという具体例がこれだ。貴族ならば、保有する大きな力を頼られることでダンジョンと縁を持てる。では、そうでない個人はどうするか。自分を磨いてガーディアンとなるのも一つの道。または、すでに縁を持っているものを支援することでと考える者たちがいるわけだ。
無理筋、というわけでもない。作り始めたばかりのダンジョンは金銭に余裕がない。ガーディアンに褒賞を与える事もままならない。困窮していて普通なのだ。ガーディアンを通してダンジョンへ、というのは珍しい話ではない。
そんなわけで、エラノールの実家はこのような訪問を複数受けている。そんな立場に調子に乗って無様を晒す実家も少なくないが、エラノールの家族は己を律していた。
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場面変わって、ダンジョン入り口にほど近い場所に立つ領主の館。ダンジョンマスターソウマの直系であり、帝国貴族ソウマ伯爵家の屋敷である。貴族だけあって、さすがに相応に飾り立てられている。門番として立つのは手練れのエルフ侍とドワーフ神官力士である。
応接室にいるのは、複数の男女。客として迎えられているのはエルフの夫婦、エラノールの両親だ。彼女の両親であるから髪の色は同じく金。エルフの民族衣装に身を包んでいる。主人として迎えているのは黒髪のハーフエルフ(であり、同時にハイロウ)の青年、ソウマ伯爵。帝国貴族の身だしなみとして、豪奢な洋服で着飾っている。そしてその隣にもう一人。
髪は黒、目は茶色。背は低く、がっしりとした体格。太い眉に、力強いまなざし。着物に袴のこの人物こそが、数百年ソウマダンジョンの主を務める相馬弥太郎その人である。
「ふうむ……手紙をわざわざ書いて送ってくる、か。よい縁を結べたようだな」
ヤタロウは、手に持った手紙から顔を上げた。ミヤマからの手紙である。内容は挨拶と、エラノールをガーディアンに迎えた報告だ。出身地のダンジョンマスターに一言報告を入れておくべきではないかという、ミヤマの判断である。
「はい。私共の方にも丁寧なお手紙をいただきました。あの粗忽者にはもったいないお方のようで」
エラノールの父、エルダンは自分たちにあてられた手紙をヤタロウに見せた。挨拶と、食料提供の感謝。己とダンジョンがどのようにエラノールに助けられているかという詳細。将来必ずや彼女の働きに報いるという約束が綴られていた。
「ダンジョンを与えられて早々にガーディアンを紹介された御仁なだけはある、という事ですかヤタロウ様」
「そのようだ。……最初の頃だ、色々辛かろうに。記憶は封じられるし、ダンジョンの外に出る事もかなわん。それでも外に気を回す……気の弱さとも取れるが、そのぐらいの方がマスターに向いている、か」
伯爵の言葉に、ヤタロウはかつての己を思い返した。かかる困難、何もかも足りない状況、至らぬ自分。だからこそ人の助けが身に染みて、それに報いるために奮起した。助けられ、故に助けた。その結果が今に繋がっている。
「さて、そうなれば我が家としてもどう付き合っていくか。毎回のことながら、大きな支援ができぬことがもどかしい」
「若木に水をやりすぎてはかえって毒となるもの。……であろう? エンナよ」
「ヤタロウ様のおっしゃる通りです。ミヤマ様も一人前の男子。赤子のように世話されては、大樹になるのが遠のくというもの」
子は親を映す鏡とはよくいったもの。エラノールの母らしく、エンナもまた背筋を正して厳しい言葉を放つ。
「本当ににっちもさっちも行かなくなってからで良いのです。……昨今は、そういった窮地に追い込んで悪さをするものもいるようですが」
「ふむ、あやつらか……。それに関しては、ヤルヴェンパー公爵家にも話をしておくが」
「それでよかろう。ともあれ、今は見守るのみよ。……ああ、メシはたんと送ってやるように。腹が減っては戦はできぬ」
「は。そちらに関しては抜かりなく」
エルダンの返答に頷くと、ヤタロウは窓の外に広がる空を見た。また一人、同郷の者がこの地に連れ込まれてしまった。思う所は多々ある。見込みのある若者でよかった。そんな若者が理不尽にも戦場に立たされている事は不幸で哀れな事だ。もろもろを解決できぬ己の不甲斐なさ。
それを胸の内に収めるのも、遠い昔に慣れた。思いが胸を焦がすのは変わらないが。先人として、ささやかでもできる事はしてやろう。いつも通りに。
そして、ふと思ったことを口に出す。
「エルダン。もしかしたら数年後には孫の顔が見れるかもしれんな?」
「な!?」
「願ってもないことです」
「エンナ!?」
やおら騒がしくなった応接間で、ソウマ伯爵だけはノリについていけず思わずぼやくのだった。
「大事な話をしているのだがなぁ」