それでも風呂にはいりたい奴の冴えたやり方
ダンジョンの総力を結集し、突貫工事で広げたマッドマンの沼。ちょっとした落とし穴程度だったそれは、容易に飛び越えられないほどに広く深いものになった。
その広さは、泳げるという時点で察してもらえるだろう。まあ、縦横十メートル程度なので隅をぐるぐる回るように泳ぐのが精一杯なのだが。でもそれで十分だ。何せ抵抗力がまるで違う。しかも中にはマッドマンがいる。泥の精霊であるこいつにかかれば、負荷の変更なんかお手の物。驚くほどのトレーニング施設に早変わり、である。
もちろん、これはあくまでマッドマンがいるからできる事。本当の泥沼ならば蛭だの虫だの微生物だので凄まじく、健康に害悪間違いなし。うちはさらにスライム・クリーナーもいてくれるから、そういった面は全く心配がない。体を傷つけるような石や不純物もないしね。
まあ、そんな素晴らしい施設であるマッドマン沼。そこでエルフ侍のハードトレーニングを受けるとどうなるか。
「……もう、一歩も動けない」
水着代わりに履いている短パン一丁で、ダンジョンの床に這いつくばることになる。いかにコアによる強化を受けていようと、元の体は日本人一般男性。特にスポーツをやっていたわけでないし、最近ちょっと腹の肉が気になっていたようなレベルである。
いかに激しいトレーニングでも一朝一夕で体が鍛えあがるわけでもなし。疲労感と全身にまとわりつくような重さにあえいでいる。
いや、全身にまとわりついているのはそれだけではない。スライム・クリーナーだ。何せ、泥である。体にべったりついているし、髪の毛、耳の穴などなど洗い流すのも一苦労。だが、スライムクリーナーはそれらを問題なく除去してくれる。こいつがいなかったら泥沼で泳ぐなんて発想自体無かったとも。
「お疲れ様でした。後はゆっくりお休みください」
「石の椅子が使えればなぁ……」
「あれはいけないと申し上げたはずですが」
「わかってるって」
ぶっ倒れている俺にエラノールさんが声をかけてくる。石の椅子は使用者を回復させる効果がある。が、それで治ってしまうと筋肉がつかないとか。つまりこの苦労がすべて水の泡になるのである。さすがにそれは御免こうむりたい。
「ああ……風呂に入りたい」
この世界に放り込まれてから、一度も風呂に入っていない。毎日体をふいて清潔さは保っているつもりだ。石鹸だって使っている。だけど、さながら薄い布のごとく、毎日疲れが積み重なっているような気がする。
「お風呂、ですか。……入りたい……いえ! 贅沢はいけません!」
ぶるんぶるん、と頭を振って煩悩を打ち消そうとするエラノールさん。笹耳が顔にぺちんとかいって当たってる。
「ご実家にはお風呂があったの?」
「いえ、家に設備として持っているのはご当主様やその陪臣の方々だけでした。ですが我が故郷にはソウマ様のご厚意で、温泉が設置されておりまして」
「ダンジョンにはそんなのもあるのか。いいなぁ」
「はい。豊富な湯量により領民はいつでも好きなだけはいることが許されておりました。公衆浴場は清潔に保たれ、種族問わず癒しの場として使われておりました。私もあそこにいる時だけはドワーフとケンカしませんでしたし」
うーん、エラノールさんのドワーフへの感情はなかなか厄介なものがあるな。とはいえ、幸せそうにお風呂について語っている彼女を見ると、自分の事も含めて何とかしたくなる。しかし、コインについては無駄遣いできない。さりとて風呂に入れるほどの湯を沸かすというのはなかなか難しい。
ここにはボイラーがない。ガスや灯油を使うそれでなく、薪を使うものすらない。かまどを使って鍋で湯を沸かしてタライに空けて、などというのを繰り返していたら熱湯もあっという間に冷めるだろう。
なにかこう、今あるものででっちあげることはできないだろうか。うーむ、ふーむと寝っ転がったまま唸る。
「ミヤマ様、どうかなさいましたか?」
「ま”ー?」
「いや、風呂を何とかできないものか……」
話しかけてきた二人にこたえている途中、片方に目が止まる。マッドマン。泥の精霊。泥。
「そういえば、泥湯温泉ってあったな」
「ま”?」
「泥湯……ですか?」
「そう。あくまで、温泉の中に泥が混じっているという感じで、マッドマンほどに泥の塊って感じではなかったけど……マッドマン。おまえ、水どこまで増やせる?」
「ま”ー」
変化はすぐに表れた。大型の泥人形といった外観だったマッドマン。水分が増えて一気に緩い感じに。
「これは……いけるかもしれない。……へっくし」
いかん。まずは服を着なければ。
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いつもの簡素な夕食後。小一時間ほどの試行錯誤の結果。
「……できてしまったな」
「ま”ー」
居住区に新しく作った焚火。そこには洗濯用の大きなタライが置かれ。ほっかほかに温まった『ゆるマッドマン』の姿が!
「一体、なにがどうなってこのような……」
さしものエルフ侍もこれには驚きが隠せない様子。
「マッドマンだったからこそできた工夫というべきか」
俺は彼女に説明する。通常、焚火およびそれを使ったかまどというのは、炎の上に温めたり焼いたりするものを置く。本来はそれで十分だ。しかし、ゆるマッドマンほどの質量を温めようとしたらそれでは足りない。
どうしたものかと考えた俺の脳裏によぎったのは、キャンプ用品の『ファイヤーリフレクター』というアイテムだ。写真を撮るとき、映りを良くするために光源を増やすためにレフ板というものを使う。ファイヤーリフレクターも同じで、焚火が発生させる熱を反射させる冬用のアイテムだ。使用法は、焚火を囲うようにリフレクターを配置するだけ。
その効果はすさまじく、ものによっては真冬であっても防寒着を脱ぐことができるほどの熱を得ることができる。つまり、焚火というのは通常の使用状態では利用できない熱量を発しているわけで。そこで俺は、マッドマンに焚火を囲うように体を変形させるよう指示。もちろん空気穴兼薪投入口と排煙口を開けさせて。煙突ように何か筒が欲しかったが今回は間に合わなかった。おかげでマッドマンが若干灰にまみれてしまった。
なお実際に焚火を使って体を温めるマッドマンの姿は、かまどによく似ていた。……理屈を色々こねて実行した結果、よく見るものになった時の徒労感。これが車輪の再発明か。
ともあれ、そのようにして熱を確保した。あとは乾かないように温まった部分をマッドマンが体を動かせば、全体がほっかほかになったゆるマッドマンの完成である。
「と、言う感じ。我ながらちょっと驚いている。ここまでうまくいくとは。マッドマンのポテンシャルおそるべし」
「ま”」
「な、なるほど……」
驚愕と呆れの半々といった視線を投げられる。まあ、致し方がなし。というかどうでもよろしい。事ここまで至ったのだから、やることはただ一つ。
「というわけで入ってみようマッドマン風呂!」
「ま”!」
「は、入るんですか? 本当に? マッドマンですよ?」
「俺と契約したマッドマンだし。というかマッドマン沼プールで泳いでいる時点でいまさらだし。大丈夫だよな?」
「ま”」
「ほら」
「なにがほら、なんですか……」
と、いうわけで沼の時と同じく水着用短パン一丁になっていざ入浴! さすがにエラノールさんは背を向けていた。桶に座ったマッドマンが、大きく手を広げている。足の間に座る。マッドマンが俺を抱きしめる。
「む、おおーーー?」
「ど、どうされました!?」
「これは、これは……風呂だぁ……」
ああ、全身が温まるこの感覚。これこそが風呂。疲れが溶けていく感覚がはっきりとある。やはり、人間清潔にしているだけではだめなんだ。風呂に入って、初めて癒える疲れもあるんだ。久方ぶりに入った風呂に、俺はそれを悟らされた。
「あー……極楽ぅー」
「ま”ー?」
「おーう。いい湯加減だぞぅ」
マッドマンからも、別に不快感は伝わってこない。こんな無茶ができるのも、コアによる契約のおかげだ。言葉は話せなくても意志疎通はできる。
「そ、それほどまでに、お風呂なのですか?」
「泥多めのお湯って感じで肌ざわりは違うけど。はー、最高ー」
「ま”ー」
さて、いつまでも浸かっていたい気分だが長湯はいけない。十分にあったまったので終了。体についた泥はまたもやスライムに清掃してもらう。
「いやあ、すっきりすっきり。いい湯だった。これは酒だな、酒がいる」
寝巻に着替え、ケトル商会からつい買ってしまった蒸留酒の準備をしようとしたら、じっとゆるマッドマンを見るエラノールさんの姿が。
「エラノールさんもどうですか。マッドマン風呂」
「え、ええ? いや、その、ええと、でも……」
「今ならまだ温かい! 冷めてからでは遅い!」
「う、うう、ううううううーーーー」
やはりエルフは保守的であるらしい。しかし、それ以上に風呂の魅力は耐えがたいらしい。普段の凛々しさは何処へやら。子供のころ見た音に反応して踊る花のおもちゃのごとく、身体をグネグネしだす。背中を押す。
「冷めるぞー冷めるぞーゆるマッドマンがぬるマッドマンになるそー」
「ま”ー」
「あううううううううう……は、入らせていただきます」
そういう事になった。もちろん、彼女の入浴シーンを覗くなどという不埒な真似はしない。生き残るだけで精一杯だというのに、男女間のトラブルなんて起こしてたまるか。
とはいえ、声は聞こえてくる。
「はうぅぅぅ、お風呂ぉぉぉぉ……」
およそ、年頃のエルフの娘さんとは思えぬとろけたセリフだ。だが、風呂とはそういうものだ。それでよいのだ。
彼女は我がダンジョンの主戦力にして大事なアドバイザー。そして俺のトレーナー。色々頼らせてもらっているのだから、福利厚生はなるべく行っていきたい。
そんなことを考えながら、焚火を眺め蒸留酒をちびりちびりと舐める。しばらくして、顔をほてらせたエラノールさんがやってきた。もちろん、服は着ている。浴衣のよなやつだが。
「大変良いお湯でした。ありがとうございます、ミヤマ様」
「それはなにより。あと、礼はマッドマンにもおねがい」
「はい、それはもちろん。ありがとう精霊よ」
「ま”ー」
マッドマンは、ゆっくりと沼へ戻っていった。その足跡を清掃するスライムを連れて。
「ミヤマ様の発想力には驚かされます。まさかあのような方法で風呂を用意するとは」
「やってみたらできた、としか言いようがない」
「お見事でございました。……おや、蒸留酒ですか。ワインはお嫌いで?」
「酸っぱいのがどうにも」
「ふうむ。でしたら今度良いものお教えしましょう。我が故郷はドワーフがいますので色んな種類の酒を造っているのです。ワインだけでなく、エール、ビール、濁り酒、清酒などなど……」
「エラノールさんは意外と酒豪でいらっしゃる」
「いえいえ、わたくしなどまだまだ……」
湯上りのさっぱりした気分。焚火を囲んで、のんびりと雑談。こちらに放り込まれて、初めてかもしれないリラックスした時間かもしれない。エラノールさんにとってもそうであればいいが。
とまあ、このようにしてリフレッシュ手段を得た。翌日からは、ハードトレーニングとお風呂の日々……に、ならなかったんだなぁ、これが。