神樹の果実と湖面の月
ミヤマダンジョン地下十一階に、新しい町ができた。プルクラ・リムネーとは比べるべくもない、猫の額のように狭い小さな町である。しかし建物はどれも真新しく、作りはしっかりとしている。全て、デンジャラス&デラックス工務店によって納品された家々である。
プルクラ・リムネーをエルフに返還した事によって、ミヤマ達は家を失った。明け渡しが最優先だったから、彼らは最初テントを張って生活することにした。ダンジョンの中なので雨風はない。湿気も精霊が調節してくれるので、意外なほど快適だった。
しかし、だからと言って全ての人がこの生活を楽しめるわけではない。具体的に言えばミヤマの二人の妻である。夜を越えるごとに不機嫌さをため込んでいく嫁にビビった彼は、時間を見つけて皆と帝都の工務店本社へと足を運んだ。
中央区にそびえる本社ビルの地下には、何層にも亘って展示場が設置されている。ダンジョンに係る設備というのは、どれも場所を取る。それを実際に展示するともなれば、場所と空間は多く求められた。
結果的に、展示場は一種のテーマパークじみたものとなっていた。全て見るのに一日以上は確実にかかる。家だけでなく、罠や壁などの構造物も設置してあるのだから当然だ。
その中から家や錬金工房などの設備を内見し購入、地下十一階に設置した。ミヤマには都市のデザインをする知識も能力もない。嫁たちのコネクションを使って専門家を呼ぶのはいつもの流れだった。
そうして出来上がったのが現在の町である。住人はダンジョン運営に携わる中枢メンバー。バラサールの一党や、帝都から呼び寄せた戦士たちも家を与えられている。冒険者達も宿を借りているがこれは一時的な事。ダンジョン入口の門前町が修復されたらそちらに移動する予定である。
そんな訳で、町と呼んでいるが実際の規模は村のそれである。建物の豪華さや防壁が四方を囲っているからこそ町と表現しているが、住人の数はモンスターを含めても三百人を超えていない。
店などもない為(バラサールの新店舗は門前町に設置した)、実質は豪華な居住区でしかない。そんな名前も決まっていない町の一番奥にある豪華な建物が、ミヤマの新しい住居である。
お値段、ダンジョンコイン二百枚。全室に冷暖房を設置。浄化システム付きの上下水道。風呂は主人用、従業員用、客用で三つもある。部屋数も相応であり、豪邸というにふさわしい規模となっている……ミヤマの感性では。
元公爵令嬢曰く、
『地方領主よりはマシ程度』
元伯爵曰く、
『ウチの寄子の家の方が豪華』
である。雲の上の人々を嫁にしてしまったんだなぁ、とダンジョンマスターは視線を遠くに投げて現実逃避した。
ミヤマはこの家を買うのを思いっきり躊躇した。コイン二百枚である。それだけあればハイレベルなモンスターを呼び出せる。肉体派なモンスターも十体以上配備できる。が、嫁達に説得された。
これからは、今まで以上に色んな相手との交渉をする必要がある。敵対的な組織に虚仮にされないためにも、家はしっかりした物が必要だと。見栄えは武器にも防具になるのが交渉事。そう諭されて、渋々ミヤマは購入を決意した。なお、実際に住み始めたらその辺の不満は即座に忘却した。
そんな新しい屋敷の一室。会議用として用意した広い部屋に、住人たちは集まっていた。主人も使用人も関係なく、一つの大きなテーブルを囲んでいる。彼ら彼女らの前にはそれぞれ皿があり、その上には皮をむかれた果実が乗せられている。
アラニオス神より下賜された、あの果実である。エルフ達の伝説によれば、神樹アラニオスは数十年に一度このような果実を実らせたという。ひとくち口にすれば、万病を払い呪毒を消し去り寿命を延ばしたと伝えられている。
同一のそれであるとは断言できない。かといって現物を見たことがあるのはハイエルフのみ。森を出たという良識ある者達とは連絡が取れず、残りのものは神罰を頂戴して海に流されている。
錬金術工房で調べる案も出たが、神より下賜されたものにそのような事をするのは不敬に当たる。普通にありがたく食べてしまうのが一番じゃないかとミヤマの一声により、一同そろってテーブルを囲む事になった。
「よし、それじゃあいただこうか。アラニオス様、御馳走になります!」
上座に座ったミヤマの声掛けで、神に感謝をささげたのちに果実を恐る恐る口に運ぶ。強く甘い香りが口内に漂ってくる。意を決して噛む。たちまち、甘露としか言えぬものがあふれ出てくる。
「……ッ!」
皆が、言葉を失っていた。喜びを顔だけでなく、身体全体で表現する。立ち上がるもの、足をばたつかせるもの、床を転がりまわるもの。それぞれミヤマ、イルマ、クロマルである。
ヒトだろうと貴族だろうとモンスターだろうと区別なし。天上の味に誰も彼もが正気を忘れて喜んでしまう。最後のひと欠片を飲み込んでしまうまで、声を出すことすらできない。
「……はー、すごい。さすが神様の果物だ」
「本当ですね。ヤルヴェンパー様は美食家で、古今東西の美味しいものは食べ尽くしたっておっしゃっているんですがこれは流石にないんじゃ……」
「嫉妬されたらどうしよう」
ありえる。食べ物の恨みは恐ろしい。イルマの背筋に冷たいものが走る。
「……頑張って奉仕して、献上のためのもう一つを」
「気の長い話ですこと。種が育って実をつける方が早いのでは?」
ロザリーがあきれた様子を隠そうともせずつぶやく。その言葉にミヤマは解決策を思い出す。
「そうだった。ダイロン達に果樹を育ててもらえば……!」
実には当然ながら種がある。せっかくだからという事で、全ての種をエルフ達に預けることに決めていた。
「ちなみに、リンゴの木は実をつけるまで大体五年くらいかかるそうですわよ」
「ヤルヴェンパー様の堪忍袋がそこまで続くのを祈るしかないですね……」
頭を抱える元公爵令嬢。供給先も要求元も神様(に、等しい)。地位も立場も通らぬ相手では、彼女と言えどどうしようもない。
「……まあ、何かあったら俺からもお願いするから」
「お願いしますぅぅぅ」
夫に泣きを入れる。食べ物の恨みを抱える龍を恐れぬ者は、よほどの馬鹿者なので当然の反応だった。
「さて、と」
妻を慰め、果実をもう一切れ味わったミヤマは席を立った。その手には皿があり、まだ果実が半分残っている。
「あら、どちらへ?」
「庭へ。ちょっとこれ焼いてみようかと。どんな味に変わるか気になって」
「焼く」
スフィンクス娘は目を見開いた。何故それに気づかなかったのか、と。テーブルについていた一同も同じ反応だった。
ある意味で、当然の事だった。果実の美味さは暴力的だった。その美味しさに思考を放棄してしまうほどに。手を加えるなどという発想が浮かぶ余地がなかった。ではミヤマが特別かと言えばもちろん違う。
彼の底の浅いキャンプ経験が、『とりあえず焼いてみるか』という短絡的行動を取らせただけなのだ。一種の思考停止であり、ルーチンワークでもあった。
しかし、一度そのような思考が紛れ込めば皆気になる。この美味なる味がいかに変わるのか。台無しになる不安もあるが、果実の絶対的な味わいが信頼となってそれを払しょくする。
そして幸いにも、彼ら彼女らの皿の上にはまだそれが残っていた。
「……旦那様? ご一緒してもよろしいかしら」
「いいよー」
「あ、私もお願いします!」
自分も私もワンワンと、皆が主に連れ立って庭に出ていく。その後についてはあまり語る事もない。ダンジョンマスターの屋敷から、香ばしくも甘い香りが漂い始め。その後は美味を叫ぶ声が外まで響いた。
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その日の夜。ミヤマダンジョンの外の森。門前町からもプルクラ・リムネーからも目の届かぬその場所に、四人の男が集っていた。
一人目。ミヤマダンジョンの森番。英雄にして冒険者。エラノールの父、エルダン。
二人目。ダークエルフの若手のまとめ。実働部隊の長。ペレン。
三人目。帝都から来た武侠達の頭。赤髪の竜人。バラサール。
四人目。シティ&パンクエルフ。元、部族長の従卒。トラモント。
立場も生い立ちも恰好も違う四人が、目印の大岩の前に集った。……なお、この大岩をミヤマダンジョン立ち上げの頃にエラノールが偵察のために上った事を誰も知らない。
「よく集まってくれた。礼を言う」
「あんたの言葉をないがしろにする者は、ミヤマ様の下にはおらんよ」
頭を下げるエルダンに、わずかに離れた場所でペレンが答える。必要以上には慣れ合わぬ、というダークエルフの意地の現れだ。
「この間の奪還戦の時も、ずいぶん暴れたって話じゃないか。ああ、うらやましい」
「それを言われたら、ダンジョンの外で小競り合いしている間に片が付いてしまった我々の立つ瀬がない」
レイラインを押さえられたせいで本調子が出せなかったバラサール。肩をすくめる彼に合わせて、トラモントも大げさに嘆いて見せた。
「そう、まさに。先の一件を、私は憂いている。ダンジョンが奪還できたのはミヤマ様の徳によるところもあるが、運の要素も多々ある。賽子の出目次第では、ダンジョンが失われていたかもしれん」
エルダンは厳しい視線を一方へ向けた。プルクラ・リムネーのある方向へ。
「……その危険は、まだ完全に消えていない。あんたはそう見るわけだな?」
「その通りだペレン。これからこの地にはエルフを始め多くの人々が集う。そうなればもめ事が起きるは必然。小火で済めばいいが、火事になっては多くが不幸となる」
「はん? この面子で火消しを始めるって言いたいのか?」
バラサールの問いかけに、森番は首を横に振った。
「四人では足りぬと思う。我々は多くで連帯しなければならない。それも、密やかに」
「密やか……? 穏やかならぬ言葉ですな」
トラモントは首をかしげる。なお、彼はしぐさをすっかり上流エルフのそれに戻している為、パンクな格好がミスマッチになっていた。
「面白れぇ。盗賊ギルドでも作るっていうのかよオッサン」
「正しく。バラサールの言う通り、ミヤマダンジョンで盗賊ギルドを立ち上げる。組織の存在は、ダンジョンマスターほか一部のトップ層以外には伏せる」
「……エルフとは思えん発想だな。正々堂々がアンタらのお家芸だろうが」
幾分鼻白んだ様子のペレンに、エルダンはわずかに顔をしがめる。
「清く正しく生きる事を努力するのと、それを妄信するのとは違う。危険を避けるのと見て見ぬふりをするのが違うように。……私は君たちより少しばかり長く生きて、その分多く失敗を重ねている。その反省を生かしているに過ぎない」
「例えばどんな?」
「……物珍しい物を持っていけば売れるのだと単純に考えて行商をはじめたら、あっさり失敗して冒険仲間に泣きついた事とか」
「ぶっは。オッサン、酒おごるから詳しく」
「エルダン殿、バラサール殿、話が脱線しておるぞ」
「これは失敬」
トラモントの指摘に、二人は姿勢を正した。
「んんっ……まあ、アレよ。俺の所が今までそれっぽい事やってたけど確かにこれから先、人が増えるんじゃあ手が回らんな。ペレン、お前ん所はどうよ?」
「我が方は問題ない……が、プルクラ・リムネーの中は手が出せんようになる。アラニオス神の加護も強く、エルフだらけではな……」
二人の視線は、自然とパンクエルフに向けられた。彼の頬がわずかに引きつる。
「いや待て。待ってほしい。懸念には同意するが、我が方は能力が伴っていない! 我ら帝都組は、街での振る舞いは心得ている! 下町や地下街などでも凌いで行ける。だが、忍びのような働きは出来かねる! 知識も技もないのだ!」
「そこは我らでいかようにも補助できる。訓練も請け負おう。なにせ、我らエルフは手先が器用だ。ハーフリングやドワーフにも引けを取らん」
一体どこから取り出したのか。エルダンの指にはいくつかの道具が挟まっていた。いわゆる、盗賊の七つ道具とよばれる罠や鍵を開けるためのものである。
それを見て、ペレンの声に呆れが混じった。
「おい森番。ずいぶんな代物を持っているじゃないか」
「仲間たちとの冒険では、これが大変役立ったのだ。まあ、使い方を覚えたのもこれまた失敗が原因だったのだが」
「何があったんだよオッサン」
「うむ。生まれて初めて大きな街にいったら見事に騙されてな。気が付いたら盗賊共の仲間にされていて、その時に……」
「あんたそんなんばっかか」
「田舎生まれ、田舎育ちだったもので……」
「お二人とも」
トラモントの静かな叱責に、二人は再び居住まいを正した。咳ばらい一つして、エルダンが続ける。
「ともあれ、そういう事だ。貴公の懸念は分かる。だが、今後はここに多くのエルフが集うだろう。そうなれば当然、極端な思想を持った者も紛れ込んでくる。……これ以上、同族の醜態をさらすのを見るのは耐えられんだろう? お互いに」
冷たく静かな怒りが燻るその視線に、トラモントも観念するしかなかった。その気持ちは全くもって同じだったから。
「……あい分かった。確かにおっしゃる通り。私も腹をくくろう。仲間はこちらで説得するので、色々手ほどきを頼む」
「よしよし、面白くなって来たな。おいペレン、俺は乗るがお前はどうする?」
「ふん。ここで手を引くのは阿呆のする事。それが分からんほど馬鹿ではない。ダンジョンの為に、手を貸してやろう」
よっしゃ謀だ、ミヤマ様にアピールするチャンスだ、と胸を躍らせているのをおくびも出さずペレンは冷静に言ってのけた。
一同の同意を見て、エルダンは頭を下げた。
「感謝する。……さっそくだが、名前をどうするか。盗賊ギルドは味気ないし通りも悪い」
「はあ? オッサンマジかよ」
「いや、わたしはエルダン殿に同意するぞ。我らは盗人になるわけではない。闇に紛れて悪を討つ仕事なのだから、盗賊ギルドはないだろう」
「エルフに同意するのは業腹だが、たしかにな。ミヤマ様がいつだか言っていたが、名は体を表すらしい。恰好のつかん名の組織に所属するなど、耐えがたい」
「……エルフもダークエルフも、まったくよ。はいはい、そういうならお前らカッコイイの出してみろよ」
呆れたバラサールに促され、三名は顔を見合わせた。そっと目を逸らしたのはエルダンだった。
「……田舎者ゆえ、そういうものには疎くてな。妻に聞いてきていいだろうか」
「いい訳ないだろうが。こんな話聞かれてみろ、そろってボコられるのが落ちだぞ」
「ペレンの言葉、まったくもってもっともだ。武術師範殿は清廉潔白、エルフの鑑のような女傑だからな」
「自慢の妻だ」
「唐突に惚気るなよオッサン。おいトラモント、責任もってなんか出せ」
「むむ、む。何故私が……ふむ」
パンクエルフは思いつきを得るために、視線を周囲に走らせた。エルフは夜目が利く。暗い森も問題なく見通せるわけだが、ふと強い光に気づき上を見た。そこには丸い月が浮かんでいた。
「……月、闇夜の……いや、これは直接過ぎるな。もう少し品を入れたい。土地に絡めて……ああ」
思いつき、手を打った。
「湖面の月。これでいかがか。風が吹けば朧となる所などは、隠さねばならぬこの組織に合っていると思うのだが」
トラモントの提案に、三名は顔を見合わせた後に頷き合った。
「良い名だと思う」
「俺は構わん」
「気取った名だけど文句は言わねーよ。……じゃ、ついでに組織の首領も名づけ親にやってもらうか」
「「異議なし」」
「ちょっと!? 何故そうなる!?」
慌てるトラモントに、まずエルダンが口を開く。
「私はダンジョン内での立場もあり、少々目立ちすぎている。仕事が入って留守になる事もあるから、首領を務めるのは難しい」
続いて手を上げたのはダークエルフの若頭。
「俺はあからさますぎるし、繰り返しになるがプルクラ・リムネーの中で活動ができん。この場はお前に譲るとしよう」
最後にバラサールが肩をすくめておどけて見せる。
「同じく。さっきも言ったが俺はもうそういう感じの事をやってるってみんなが知っている。隠れた組織の首領には落第ってわけだ」
「ぐぬぬ。いやしかし、私も立場があってな?」
「その立場がちょうど良い隠れ蓑になる」
落ち着かせるために、エルダンはゆっくりと語る。
「トラモント達は、先の戦いの功労者。ダイロン達にもこれから来るエルフ達にもそれなりの立場でものが言える。そんな社会的地位の者が影の組織の首領だと思うものは少ないだろう。我々よりもよほどいい」
「それに、これから先でも街の中で立場を保とうとするなら色々便利だと思うぜ? 首領の立場はよ?」
バラサールの言葉は、エルフの嫌う俗なものがあった。しかし、トラモントも帝都でそれなりに過ごした経験がある。きれいごとだけで渡っていけないのが俗世だと理解していた。
しばし身体をひねって悩んでいたが、最後にはがっくりと折れた。
「……分かった。首領の件、引き受けよう。正直、面倒事を押し付けられた感があるが」
「そういう面はたしかにある」
「おいオッサン、正直すぎだ」
「そんなんでよく冒険ができたものだな。仲間の苦労がしのばれる」
「貴公らなぁ!?」
こうして、ミヤマダンジョンに情報組織『湖面の月』が誕生した。彼らの働きがダンジョン防衛に大きく貢献することになる。
しかし今は大の大人が集まって、子供のように騒ぐだけ。夜の森はそれを包み込んで外に漏らさず。エアルだけがそれを楽しげに眺めていた。
決戦世界のダンジョンマスター、書籍一巻。四月五日発売です。よろしくお願いします。