日常は色合いを変えて
一本の棒を、想像してもらいたい。硬い材質でできており、まっすぐ。長さは成人男性の背丈ほど。やすりで丁寧に仕上げられており、どこを手で握っても邪魔になるところはない。綺麗な長細い円柱ともいえる。
その先端に、綿を巻く。長さは大体三十センチほど。さらにその上に、硬い布地を巻いてカバーとする。これで、強く引っ叩いてもほとんど怪我をさせることのない棒が完成する。
その棒が、元ドゥーニ子爵家令嬢ニナの肉付きのいい尻を強かに打ち据えた。
「ひぎゃぁ!?」
乙女が出してはいけない、濁った悲鳴がニナの口から飛び出た。場所はミヤマダンジョン地下十一階。プルクラ・リムネーの外壁、門の外。瓦礫と落石だらけだったそこは整備され、現在は運動場として利用されている。
ダンジョン防衛は、身体を使う。鍛える場が必要だった。バルコ国問題があったころから少しづつ手を入れ、今現在はダンジョンに住む多くの者が利用している。
ただ運動するなら外でもよいのだが、最近は色々工事がある。それの邪魔になる事から、今はもっぱらこちらが使われていた。
その運動場で、ニナは己の尻をなでながら叩いた相手に抗議の声を上げた。
「なんてひどい事をするんだ! 痕が残ったらどうしてくれるの!」
「皮を削いで霊薬でもかけますか」
「ひどい! 予想外にひどい答え!」
真顔で凄まじい事を言いきったのは、ミヤマダンジョンの武術師範となったエンナだった。エルダンと共に住まいをこちらに移している。
「マスター! この鬼エルフになんかいってやってよ! 私の危機だよ!」
運動場の端で盾と槍の形稽古をしていたミヤマは、騒ぐ娘に対してやや剣呑な視線を向けた。ダメな子を見る目だった。
「何でおれがそんな事言わなきゃならんのだ」
大抵の相手にはそれなりの対応をするミヤマであったが、事この娘に対する態度は雑だった。さもありなん。慈悲で引き取ったニナとその家臣。家臣たちはともかく肝心かなめの娘は、いまいち反省の姿が見えてこないのだ。まじめに働くことはするし、訓練をさぼったりはしないのだが。
「だって! 未来の妾のピンチだよ!? 私があざだらけになってもいいの!?」
「は?」
なかなかに辛辣な声だった。側に控えていたコボルト、クロマルの尻尾が震えるレベルだった。
しかし、ニナは気にしない。
「だってほらー。私ってば若くて可愛いし、おっぱいも大きいじゃん? 三人目にぴったりじゃん?」
これでもか、と色気を強調するポーズをして見せる。なるほど、確かに胸は大きい。形もよい。だがイルマの方が上だし、ロザリーの方が若い。……が、いくらミヤマでもそれを口にすることはなかった。いらない方向に飛び火するような気がしたのだ。
代わりに、一つ指示を飛ばす。
「ミーティアー」
「あいよー」
するり、とやってきたラミアは主の意をくみ取った。その豊な胸をニナの頭の上に乗せたのだ。蛇体のおかげで背丈がある程度自由が利く彼女ならではのマウントだった。
「きゅっ!? 重っ! いま、首に嫌な痛みがっ!」
「乳自慢はさー、あたしより大きくなってからいってほしいなー」
「無理言うなおっぱいお化け!」
ニナが吠える。極めて無粋な話だが。ミヤマが今までこの世界で出会った女性陣のそれを比べてみるとこうなる。
ミーティア、ヤルヴェンパー>イルマ、カーラ>オリジン、ナイヴァラおよびダークエルフ達、ニナ、パラマ>ロザリー、バルバラ>エラノール、ジア、ネピス
大抵の女性はそれぞれ立派なものをお持ちである。無い方が珍しい。『貧乳はレアだ、ハイクラスだ』という地球のフィクションで言われた戯言をミヤマは思い出していた。同意するかはさておいて。
そんな胡乱な意識のまま、ラミアに絡まれる娘に追撃を撃つ。
「ほれ、あちらを見てごらん?」
「う?」
重いモノを乗せられた状態で無理やり首を振ってみれば、運動していた幾人かのダークエルフの女たちがいた。此方の会話を聞いていたのだろう。先ほどニナよりもはるかに洗練されたポーズを取って見せる。
「ダークエルフは卑怯じゃん! ハニートラップのプロじゃん! レギュレーション違反じゃん!」
「残念ながらお前もハイロウなので同じリーグです。なんだったら、ハイロウの方がレギュレーション違反まである」
「ぐうの音も出ない」
「よろしい。ミーティア、そのまま試合の相手してやってくれ。呪文と爪と牙は禁止だが、それ以外は好きにやってよい」
「はーい」
「まって!? このラミアの性能おかしいんですけど!?」
ぎゃあぎゃあと悲鳴を上げるニナをミーティアが引っ張っていく。それを見送った後、ミヤマはダークエルフに手で礼をした。投げキッスを返された。かつての彼だったら血圧が上がっただろうが、すでに既婚者。にっこりと微笑むだけだった。
「……なんか、騒がしい女が増えたなあ」
そこに、若き冒険者がやってきた。蛮族出身の戦士、ヘルムだ。
「やあ、ヘルム君。訓練? 昨日の疲れは?」
「メシ食って風呂入ってぐっすり寝たからな。全然だぜ」
自らの得物であるバスタードソードを鞘に入ったまま振り回す。その動きに言葉通り疲れは見受けられなかった。
ミヤマダンジョンを、地下世界探索の拠点にする。そのテストケースとして、顔見知りの冒険者パーティが呼ばれた。ダークエルフと組んで探索してくれ、という依頼を受けてくれるのが顔見知りしかいなかったというのもある。よしんば受けてくれたとしても、ダークエルフを信用してくれるかはまた別の問題だ。
幸いなことに、招いたパーティは期待に応えてくれた。十分な成果を持って地下世界から帰還してくれた。物質的にも、経験的にも。
「あっちも、全然平気って感じだな。流石ここいらイチのパーティだぜ」
ヘルムが顎で促す先、二人の人物が試合を始めていた。一人は、ニナが連れていかれて手が空いたエンナ武術師範。もう一人は大盾に木剣を構えた戦士、ハイランである。彼とヘルムのパーティが、現在ダンジョンに逗留していた。
直ぐに、攻め合いが始まる。片や、素早く変幻自在に木槍を使う武芸者。片や、堅実な大盾の守りを生かす戦士。戦い方が違うが故に、どう自分の持ち味を生かすか。一種の陣取り合戦じみた試合運びは、見ているだけでも学びがあった。
「うへえ。ハイランさんが押され気味じゃねえか。本当、なんなんだよあのエルフ」
「それは身をもって自分で知ったじゃないか」
ヘルムは、苦い顔で己の顎を撫でた。そこに似合わない髭はない。先日の事である。久方ぶりにやってきた彼らは、新体制となったミヤマダンジョンを案内された。その時、武術師範となったエンナを紹介された。
一応、面識はあったし肩を並べて戦いもした。しかし、その技をしっかり見ていたわけでも仲良く話したわけでもなかった。で、外見的に自分とほぼ変わらぬように見えるエンナを侮ってしまったヘルム。売り言葉に買い言葉で試合をしてしまい、コテンパンにのされてしまった。髭がないのは、その時の罰ゲームである。
曰く、その程度の腕で貫録を持とうなど十年早いとの事。
「まあ、エラノールの母親で師匠だからね。強いのは当然というかなんというか」
「はあ!? あれで母親!? マジでっだあ!?」
かなりの勢いで飛んできた小石を、ヘルムはすんでの所で武器を使って弾いた。ハイランとの試合中にもかかわらず、木槍を使って跳ね飛ばしてきたのだ。
「……次はきっと君の番だね。頑張ってね」
「マジかよ勘弁してくれよ。マスター、なんとかならん?」
「素直にごめんなさいするしかないんじゃないかなぁ」
「マジかぁ……」
頭を抱える青年に、ミヤマは一つの質問をする。
「ヘルム君。君の感想で構わないのだけど……上手くいくと思う? うちの地下世界探索事業」
「あー? ……細かい事は分からんけど、いけるんじゃね? 冒険者としては、最高の立地だし。メシ、風呂、安全に休める宿。……後足りないのは、武具とかの店と鍛冶屋。神殿に……色街?」
「それらは全部、これからそろえる予定だよ」
「色街も!?」
「食いつくねぇ……それもだよ。荒っぽいのが街に居つく以上、発散する所は必要だからね。プロを雇うよ」
「ひゃっほう、やったっアイタ!?」
ヘルムの後頭部が強かに叩かれた。彼が振り返ると、そこにいたのはパーティメンバーの斥候ネピスだった。どうやら彼女も訓練しに来たようで、その手には木製の短剣が握られていた。
「何すんだよ!」
「大声で色街とか叫ぶからだよ恥ずかしい! この助平!」
「男が助平で何が悪い!」
「気配りが足りてないっていってんのこのスカポンタン!」
「んだとぉ!?」
わいわいぎゃあぎゃあと騒ぐ二人。痴話げんかから距離を置くミヤマ。デルクが騒ぎを聞きつけて雷を落とすまで、騒がしさは続いた。
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夜。ダンジョンマスターの部屋。一人の夫と二人の妻は、同じ長椅子に座ってくつろいでいた。すでに夕食も風呂も済ませており、夫婦は今日の出来事を雑談していた。もっとも、雑談というには多分に実務的だったが。
「冒険者のリフレッシュはとりあえずできていると。あとは各種商店を誘致すればいいわけですが。店が採算とれるほどの人数になるには時間がかかるでしょうね」
そう話すイルマの服装は、端的に表現すれば大胆だった。仕事中は、配送センターに勤めていた頃とさほど変わらぬスーツ姿の彼女だが。夜、しかも夫にしか見せぬ服装ともなると手加減がない。
まず、下着からして攻めている。レースがふんだんに使われおり、色は赤。言及するまでもない事だが、上下共にデザインは揃えられている。加えて、ガウンはシースルーだ。普段は努めて色気を押さえるような服装なだけに、ギャップがある。豊満な自らの身体を、一切隠していない。夫と同じ妻しかいないからこそでもあるが。
「彼らの必要物資はそれなりに値が張るので、客単価は高くなるかと。十パーティほど呼ぶことができれば、とりあえずの採算は取れますね」
イルマがこうであるから、ロザリーも慎みという言葉を部屋の外に置いてきている。身体を冷やさないために、ガウンは羽織っている。腰を冷やさないために、下も履いている。いくら分厚いカーペットが敷かれているからと言っても裸足はいけないから、スリッパもある。
彼女が身に着けているのは、以上である。その意図するところは明白であり、部屋の中の唯一の男は肩身が狭い。
「問題は、家に来てくれるパーティがどれだけいるか。あとはダンジョンの治安維持かなぁ。バルコの時と同じというわけにはいかないよね」
冷静に、自らの両脇にいる妻へ視線を送らずにミヤマが話を続ける。彼はいたって普通の青のパジャマ姿だ。その手には小さなグラスがあり、蒸留酒が半分ほど残っている。彼はそれを、舐めるように飲んでいた。なお、瓶はテーブルの上にない。すでにイルマの手によって片付けられている。
「そうですね。ここに来る冒険者達は腕が立つことが前提。となれば、警備の者も相応の能力が必要かと」
「斥候の技を、街の者に使われても困りますわね。此方も、心得のあるものを揃えましょう。家から……いえ、ここはソウマ家に声をかけて見ましょうか」
妻たちは、自分たちの方を見ない夫を特に咎めたりはしない。しかし左右からしっかりと寄り添うその姿は、自分たちの意思表示でもあった。
「ソウマ家に? ああ、バランス取りか。うん、総務部長に任せ……」
ミヤマが言い終わる前に、部屋の外から時計の鐘の音が聞こえてきた。つまりそれは、時間が来たという事である。二人の妻は、しっかりと夫の腕を抱きしめた。逃がさないという事である。
「……えーっと、今日は」
ランプの明かりが消えた。妻のどちらかが魔法で消したという事だ。部屋が暗闇に包まれる。問題はない。ミヤマは暗視ができる。ロザリーも生来そのような能力を持っている。イルマもマジックアイテムがある。部屋の中を移動するのに、障害はなかった。
さて、ここで残酷な事実を開示する。まず、ミヤマは地球で女性と付き合ったことはなかった。恋をしたことはあっても告白したことはない。風俗なども病気が怖く行った事がない。つまり童貞であった。
イルマとロザリーは、家柄の事もあり自由恋愛などは許されなかった。彼女たちに言い寄る男は数多くいたが、心動かされる相手もなかった。
では知識も経験もないのかといえば違う。結婚したならば子供を作る。これは貴族に限った話ではない。たとえ貧農であったとしても妻はそのようにする。地球よりも命の危険が身近にあるのだから、生物の本能としてそうするのが当然である。
そしてそれが必要である以上、教育もまたしっかりと行われる。特にダンジョンマスターに嫁ぐような娘ともなれば、その知識と技術は高度なものとなる。こういった行為はデリケートなものだ。うっかり相手の地雷を踏んで離婚となってはお家の一大事である。
そんなわけで、彼女たちは訓練されている。あえて色気のない表現をすると、ミヤマの戦闘力を一般人と仮定して。彼女たちのそれは鍛え上げられた陸上自衛隊員といった所か。
つまるところ。彼女たちとミヤマには、圧倒的な戦力差がある。加えて、常にニ対一なのである。最初から、そうなのである。彼女たちの間でどのようなやり取りがあってこうなったのか、ミヤマは聞いていない。最初の晩に一人ずつじゃあないの? と聞きはしたが、圧のある笑顔を返されただけだった。
ミヤマは、グラスに残った酒を飲み干した。観念したともいう。まあ、敗戦が恐ろしいだけでそれ自体に不満は全くない。このシチュエーションが嫌ならばとっくの昔に逃げている。
「それじゃあ、旦那様?」
「参りましょうか?」
「はい」
美しき二人の妻に連れられて、夫が連行されていく。なんとなくミヤマの頭には、市場に売られる子牛の歌が流れていた。