例え全てが戻らなくとも
この場に集った多くの者が、騒めいた。ハイロウ達を除いて、多くが直接的あるいは間接的に影響を受けている。心穏やかではいられない。
そして、名前を呼ばれたサイゴウさんは静かに座っている。この事は、事前に話し合っている。スタートを明確にしないと、話し合いなどできない。
「まずはこれをつまびらかにしていきたいと思います。よろしいですか?」
対面の三人は、やや呆然と頷くのみ。……この話題は予想していなかったか。まあ、ちょっと無理だわな。
「さて、サイゴウさん。まず、貴方がダンジョンマスターになったのはいつですか?」
「……正確な日付はわからない。セルバ国が滅ぶ、大体二か月前くらいだ」
大きく騒めく。嘘だ、でたらめをいうなという声が飛んでくる。静粛に! 対話の邪魔をするものは強制排除するぞ! という声も。それでも騒ぐ場合は即座に実力行使である。
「次の質問です。貴方は、帝国貴族にセルバ国を滅ぼしてくれと依頼しましたか?」
「していない。ダンジョンの周囲に住んでいるやつが攻撃してくるから何とかしてくれ、とはいった」
今度は、怒号が爆発した。まともに言葉になっていない声も多かった。ふざけるな、罪を償え、罰を受けろ、家族を返せ、国を返せ。それらの言葉が混ざり合って、ダンジョンを揺るがした。
声はここに集まった者達だけによるものではなかった。上の階層や、ダンジョン前の砦。旧王都からも上がっていた事だろう。
兵士たちが抑えようとするが、手を上げて彼らの実力行使はしばし待ってもらう。ここは、一度発散させた方がいいと感じたからだ。突っ込んできたら殴ればいい。
実際、勢い任せで何人かが飛び出したが待ち構えていた兵士に即座に捕縛された。それを見てさらに数十人が動こうとするも、
「「「シュルルルルルル……」」」
ヒュドラの鋭い吐息を聞いてしまって足を止める。怒り任せで戦力差は覆せない。さっき身をもって知ったばかりだ。
そんなやり取りもあって、徐々に騒ぎは収まっていく。怒りはそのままだが。目論見通り頭が湯だったようなので、次へ進める。
「帝国貴族を止めることはできなかったのですか?」
「そもそも、連中が何をするかも知らなかった。一体だれが、攻撃を止めてくれって頼んで、国を滅ぼすなんて予想できるんだよ。……当時の俺は帝国がどんなものかとかハイロウの気質とか、全然知らなかったんだ」
「ここで、帝国についてウルマス殿にお伺いします。帝国では、このようなふるまいは普通なのでしょうか?」
話を振られた帝国上級貴族は、全く言葉を淀ませずに答えた。
「一般的ではありませんが、さりとて珍しいわけでもありません。これは良い機会だとそのように動く者もそれなりにおりますね」
全体に、絶句する気配が広まった。何を言っているのか、素直に飲み込めない。そんな感じだ。
「アルクス帝国の風習や、ハイロウの気質について。詳しくない方々も多いでしょう。ここで、それについて説明させていただきます」
帝国は、ダンジョンの為にある。ダンジョン至上主義。いかに力と金と権力があっても、容易に近づく事すらできないルール。そしてそれでもダンジョンを求める気質。
セルバが帝国に併呑されて十年。それでも、ハイロウ達と触れなければ知ることもない、その特異性。俺の口から、あるいはウルマス殿から。それが語られていく毎に、困惑が群衆に広がっていく。
訳が分からない。なんだそれは。そんなものに、国を滅ぼされたのか。
「魔族どもめ……」
怨念のこもった声で、ブラス氏が唸った。久しぶりに……いや、初めて聞いたな。ハイロウを魔族って呼ぶの。ヨルマに聞いて以来だわ。
一応、罵倒なのだが聞き流して話を進める。
「地位、名誉、財産。彼らは望めばそれを手に入れることができる能力がある。望んでも手に入れることができないのがダンジョンでの居住権。だからこそ、ルールに反しない上で彼らはあらゆる手を尽くす。そしてそのルールは、他国を配慮することがない。帝国どころか、上位貴族すら他国を凌駕する力を保有するから」
……殴った方が悪いのは当然なのだが。旧セルバ国首脳部もまた、この事態を予想してしかるべきではなかったのかなどという考えが頭をよぎる。何せ、帝国と国境を接しているのだ。隣国の事を調べるのは当然の事だろう。
殴られた方も悪い、などとは口が裂けても言わない。だが良い悪い、善悪だけでやっていけないのが国家運営だ。情報収集と立ち回りにミスがあったのは間違いないと思う。……まさか、それもまたダンジョン背信者の手が回っていたとか? バルコ国の一件を考えるとありえない話ではないが、さりとて裏付けるものは何もない。考えるのはここまでとしよう。
「帝国とハイロウの気質はご理解……もとい、知識として知っていただけたでしょう。ハイロウ達はダンジョンを求めている。困っているダンジョンマスターを助ければ自分たちもダンジョンに入れる。そして、帝国とセルバ国との間にはドラゴンとゴブリンほどの力の差があった。前提条件として、これらが揃っていました」
ぐるりと見まわす。群衆の顔に浮かぶ感情は、なんともひどいものだった。悲哀と恐怖と絶望。猛獣の前に立たされた哀れな餌。崖に落ちることを強要された死刑囚。
……ふと思ったので、聞いてみることにしよう。
「グラシア殿。もし知っていたら教えていただきたい。当時、セルバ国は帝国とどのような交流を持っていたのですか?」
「は? ……ああ、ええと……当時の私はまだ見習いとして父を手伝う程度で、政については全く触れておりません。そもそも下級官僚を世襲する程度の家なので。その上で知る限りを申し上げますと……隣国にもかかわらず、かなり乏しかったかと。少なくとも、帝国側から使者が来た覚えはありません。こちら側からは、年に何度か向かっていたようではありましたが」
群衆がざわつく。困惑もあるが、互いに情報交換もしているようだ。十年前だ、中々当時の事を思い出すのも難しい。
もう一人にも聞いてみよう。
「ハリー会長。商業的交流は無かったのでしょうか?」
「……帝国からの商人とは、良く取引があった。ワシ自身、帝国に行って何度も売り買いをした。ハイロウとも話をする機会はあったが……そう。世間の噂で言う所の魔族などという感じは全くしなかった。しょせんは噂なのだと、当時は思ったものだが……」
老商人は、ゆっくりと首を振る。当時の思い違いを悔やみながら。
「単純に、そのような面を見せていなかっただけだったのだな。私はただの商人。ダンジョンとは無関係だったから……ああ、そういえば。何かにつけ、他国にダンジョンのうわさはないかと聞かれていたか。あれは、そういう事だったのだな」
「国や貴族からは、商取引について何か言われませんでしたか?」
「何もなかったな。税さえおさめればそれでよかった……ああ、いや? 何かしらたくらんだ貴族が、商家を巻き込んで帝国に仕掛けた事が何度かあったな。その結果はいつも、破滅という形で目に見えたから絶対に手を貸すまいとしていたが」
国交はほぼ無かった。商取引は黙認されていた。目的は税収の為? ……あるいは、それを阻害して帝国の怒りに触れることを恐れたか。
最後に、何かしら知っているかとブラス氏に視線を向けるが言葉をかける前に首を振られた。
「……私も若輩者だったが故に、詳しい事は何も知らない。ただ何というか……上の者ほど、帝国について話にするのも嫌だという空気を持っていたな。彼らは、帝国の異常さについて少なからず知っていたという事か」
苦々し気に、吐露する。なお、この間ウルマス殿は表情一つ変えていない。涼し気ですらある。何と思っていないのか。それとも、理解してそう佇んでいるのか。
「……ありがとうございました。お聞きいただいたように、帝国とセルバ国との間の交流は乏しいものでした。十年前あのような事になるなどと、皆さまは予想できたでしょうか? ましてや、話をするようになってひと月弱であったダンジョンマスターに、この事態をどうして予想できたでしょうか?」
人々の表情は渋い。半ば、理解しつつある。しかし、事が事だけに素直に飲み込めない。飲み込んでしまったら、抱えた不満の行き場を失う。……さて、それじゃあいよいよ最後の仕上げだ。
「以上の事を踏まえて、サイゴウさんにお伺いします。十年前の事件に、自分の責任はあったと思いますか?」
「当たり前だ。俺が悪い」
はっきりと、目の前の人々を見据えて彼は答えた。
「知らなかった、で済む話じゃない。きっかけを作ったのは俺だ。俺のせいで国が滅んだ。そしてそれからの十年、ハイロウ共に好き勝手させちまった。それが無ければ、ダンジョンの周りに住んでた人達の生活はもっとマシだったはずだ」
サイゴウさんが、席を立った。
「今更だ。何もかも、今更だ。……それでも、どうか謝らせてほしい。申し訳、ありませんでした」
頭を、下げた。……それを見る人々の顔には、色んな感情が浮かんでいた。単純ではなかった。怒りと悲しみ。嘆きと諦め。十年は長い。積もった感情も、大きい。
そんな中、一人が飛び出した。……あれは、さっきヒュドラの前で怒り散らしていた青年か。拳一つを握りしめたまま、彼はサイゴウさん向かってひた走る。当然、兵士たちがそれを止める。飛びつかれ、引き倒される。それでも、その青年は吠えた。
「謝って! 謝って済むかよ! 俺の妹は死んだんだ! お前のせいで! 帝国のせいで!」
何もかもがこもった声だった。……俺は、言葉を失った。自分の考えの甘さを呪った。一つの国が滅んだのだ。それだけの攻撃だったのだ。そういう事態もあったと考えるべきだった。何もかもが打算で片付くわけがないのだ。
どうするべきかと思い悩んだが、その間に彼が動いていた。サイゴウさんは、その彼の前まで行くと石畳の上に正座した。そして、地面に着くほどに頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
「……ッ!」
押さえつけられた彼は、わずかに自由になっている手で、地面を叩いた。やるせなさを込めて、叩いた。しかし罵倒の言葉は、もう出さなかった。
「だまされるな! このダンジョンには、人食らいのスライムがいることを忘れるな! そんなものを飼っているダンジョンマスターのいう事など! 謝罪などは!」
だが、扇動者は空気など読まない。彼にとってはここで収まってもらっては困るからな。しかし。サイゴウさんは頭を下げたままはっきりと答える。
「ゼノスライムは処分する。すぐには無理だが、必ず」
「口先だけなら何とでも……」
「うるせぇ黙れ!」
押さえつけられていた青年が、吠えた。扇動者は驚愕に目を見開く。
「そうだ! さっきから混ぜっ返しばっかりしやがって!」
「そもそも、お前どこの誰だ! 誰の知り合いだ!」
「いや、俺は……」
「ちょっとこっちこいや!」
なんと。群衆に取り囲まれ、そのまま引きずられていった。……その他大勢に隠れられなければ、ああいう輩は弱い。孤立するものな。
扇動者がいなくなれば、再び気まずい沈黙が訪れる。誰も彼もが、重いものを飲み込もうとしていた。……しばらくして、ハリー会長が口を開いた。
「謝罪の言葉、確かに。……これでもう、闇雲に恨む事は出来なくなりました。が、それはそれとして。旧王都だけでなく、多くの民が困窮の最中にあります。国が滅び、統治がまともになされていないからです。これについては、いかがなさいますか」
「それについて、私から提案があるのですが……サイゴウさん、こちらへ」
「ちょっと、待ってくれ」
彼は、組み伏せられた青年の目をじっと見ていた。サイゴウさんを睨みつけていた青年は、視線をそらした。
「……行けよ。大事な話があるんだろ」
「分かった。また、あとで」
ゆっくりとした足取りで、席に戻った。その表情を、俺は見ることができなかった。当事者ではない俺は、見ていけないような気がした。
さて。場は整った。今こそ温めていた考えを披露するときだ。
「それでは、問題解決のための最初の提案なのですが。……セルバ国を、帝国から独立させましょう」
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「……?」
最初に、静寂が広がった。全員、俺の放った言葉が脳に染みわたり理解するのに二呼吸ばかりの時間を要した。
「「「はあ!?」」」
そして一斉に、驚愕の声が爆発した。
「馬鹿な! ありえん! 何を言っている!?」
「常識で物を言え! どうやってそんなことを成すというのか!」
「そもそも、帝国が許すとは思えん!」
先ほどまでの湿っぽい空気はどこへやら。熱気を伴った否定の言葉が雨あられと押し寄せてくる。……しかし、だ。わずかながら、その中に見えるものがある。期待だ。まさか。でも。もしかしたら。それが、熱を生み出している。
俺は黙って、皆が落ち着くのを待った。俺が何も言わないためか、群衆の騒ぎは徐々に落ち着いていく。しかし、強いまなざしが俺に注がれ続けていた。
「……さきほど、皆さまには帝国とハイロウの気質についてご説明しました。彼らの求める物は、ダンジョンです。それさえ確保できているならば、後の事については大して気にも留めない。それが彼らです」
「……だが、まかりなりにも軍を動かし国を飲んだのだぞ? 簡単に手放すとはとても思えん」
ブラス氏の言葉に頷く。指を一本立てて見せる。
「それではまずそこからいきましょう。帝国は、広大です。ですが、開拓された部分はその領土の広さに対してあまりにも少ない。それは何故か。理由は、数百年に一度起きる大襲撃にあります」
……反応は、鈍い。まあ、ここにいるほとんどが普通のヒトだ。壊滅的被害を発生させるとはいえ、自分が生きているうちに起きるかどうかもわからない事に備えるというのは中々難しいのだろう。気持ちは分かる。
「世界で最も長く存在する国家である帝国にとって、大襲撃は備えるべき災厄です。都市の拡張についても、それを常に強く意識しています。その為、むやみやたらに土地開発をしません。たとえするにしても、守るべき所とそうでない場所をあらかじめ決めています」
「それは、小さな村々は見捨てるとかそういう……」
頬を引きつらせながらのアベル氏の問いには首を横に振る。
「いいえ。しっかり避難計画を立てているようですよ。事が起きたら速やかに都市に逃げ込むようです」
「間に合うのですか、それ?」
「帝国には、自力で空を飛べるような人々がそれなりにいるので……魔法使いもたくさん」
「なる、ほど……」
信じがたい、という言葉を飲み込むダリオの義兄殿。
「話を戻します。そのような状態でありますので、広い土地を求めたりしないのです。国土が減るのは、むしろ望むところでしょう」
「だから、独立を認めると? ……いや、そもそも。ダンジョンを求めて動いた者達がいたはずだ。それらが抵抗するだろう?」
「そいつらは、もう居ねぇ」
ハリー会長の言葉に応じたのは、サイゴウさんだった。
「みんな。この街を見ろ。ここは、ハイロウ共の住処だった。どの家にも貴族でございって連中が住んで好き勝手やってた。だけど、いまはもう人っ子一人居ない。あいつらここでいろいろやらかしててな。まとめてしょっ引かれたんだよ」
「……それについては、彼らから少しだけですが聞いておりました」
ブラス氏の視線の先にいるのは、いまだ拘束された扇動者たちである。そうか、確かに連中なら内情を知っているな。
「ですが先ほどのお話の事を考えますと、やはり難しいのでは? ここのダンジョンを求める者は、ほかにもたくさん……」
「あ、それについてはうちの実家が押さえます。我がヤルヴェンパー公爵家が」
ウルマス殿の言葉は、多くの者に息をのませた。帝国の公爵家。その力がどれほどのものか知らずとも、想像することはできるから。
「バルコ国の復興の次のステップの予定でしたが、この旧王都周辺も手を入れる予定でした。まあ、実際に動くのはうちの寄子ですが。それが早まっても、別に問題はありません。そして、セルバ国が独立を果たしても、やはり問題ない」
「……と、おっしゃられますと?」
「国家の復興、楽な物じゃありませんよ? 当然、手助けが必要ですよね? 我々が介入する余地は十分にある。利益を出す部分も」
「ちょっと待て」
ウルマス殿を止めたのは、サイゴウさんだった。睨みつけるような視線を向ける。
「好き勝手決めてくれるなよ。お前らハイロウに振り回されるのはうんざりだ」
「もちろんですとも。帝国はダンジョンの為にあります。我らもまたそのように」
「そんな風に言いながら、てめえらの都合をぶん回すのがハイロウだ。そうそう好き勝手は……」
「あー、サイゴウさん。それについては、自分もかかわりますので。そんなに気を張らなくても……」
「いや、でもよぉ」
うーん、まあ。この十年の経験から、ハイロウに不信感を抱くのは致し方がないか。そんな彼を信用させるのは中々骨が折れる。……が、別に今それを必要とはしていない。いざとなったらどうとでもなる、という事を理解してもらえばいい。
そして、それはすでにあるのだ。
「本当にどうしようもなくなったら、偉大なる先輩にご相談すればいいんですよ」
「ああ。そういや、ババァがいたか」
「うっ!?」
俺の提案にサイゴウさんは手を打ち、ウルマス殿は顔を明確にひきつらせた。
「寄子につきましては、我が家の方でも厳重に取り締まりますのでどうかそれだけは……」
「いやあ、もちろん。俺はヤルヴェンパー家を信頼していますので。知らない仲じゃありませんし」
「俺は欠片も知らんから、いざとなったら自爆覚悟でババァコールするわ」
「あのー……その、バ、いえ。先輩という方はいったい?」
アベル氏の問いかけに、ダンジョンマスター二人が見合った後に答える。
「世界で一番強い人」
「帝国で一番やべーやつ」
「ダンジョンマスターの頂点」
「ゲラ笑いしながら兵士を限界まで追い込むやつ」
「あ、はい。もう、結構です。ええ……」
どうやら、関わったら不味い相手というのがよく伝わったようだ。意図した通り。ヨシ! なお、この会話中バルコの皆様が少しばかり遠い目をなされていた。見なかったことにしてあげよう。
「えー……話題を戻します。ともかく。帝国に独立を求めることは可能です。復興のための支援もあります。当然、サイゴウさんもそれを手助けします」
「賠償だからな」
「はい。あとは……王となっていただく方についてなんですが」
と、話を振れば勢いよく立ち上がるアレン氏。
「殿下はお元気です! 四季ごとに、上の者と手紙の交換をしております! 姫殿下もです!」
おお! と歓喜の声が沸き上がる。王子様とお姫様がいるのね。
「それと、国政を動かすとなればかつての上級貴族の家々も……。十年前のあれで、半ばお取り潰しのような形になってしまっているのですが……」
「支援する。復活させよう」
サイゴウさん、即決。うぉぉ、と大きく吠えるものが数名。そういう家の縁者だろうか。テーブルに着く三名を見る。アレン氏は喜びを大きくしている。だが、残りの二人の表情は、暗い。
「……本当に、セルバ国は元に戻るのだろうか」
「正直申し上げますと、すべては元に戻りません。失ったものはどうしても。ですが、それ以外についてはなるべく戻す努力をしていきます」
ハリー会長の言葉に、正直に答える。そうすることしかできない。
「ミヤマ殿。それから……サイゴウ殿、よろしいだろうか」
そういって立ち上がったブラス氏は、深々と頭を下げた。
「此度の騒動について。私の首ひとつで、収めていただけないだろうか」
その言葉に、うわっついた空気は再び緊張に支配された。
「今は、帝国貴族の末席にある身。にもかかわらず反乱に加わった。私の罪は十分に理解している。いかにも怪しげな、元ダンジョン従業員の話に乗ったのも私だ。私が付いたからこそ、ここまで人が動いた。責任は、私にある。なので、どうか」
「それは虫が良すぎる話だな」
懇願を、冷たい言葉の刃で斬って捨てたのはウルマス殿だった。
「そもそも。許可なくダンジョンに侵入した者は、例外なく敵モンスターとして扱われる。それをどのように処理しようと、ダンジョンマスターの意思一つ。貴様の命は最初から、処理される一つに過ぎない」
「待った。現在は今後に向けた話し合いの最中だ。それが決裂するまでは、危害を加えることはない」
動揺が広がりすぎる前に、ストップをかけておく。ウルマス殿ー! 攻めすぎー! 攻めすぎー! ……という俺の意志は当然届かず。彼は薄く笑ってさらに突っ込む。
「もちろんです。全てはダンジョンマスターのご意思のままに。私は単純に、これの恥知らずな話に釘を刺したにすぎません。……ダンジョンに害を与えたものが、いまだ帝国貴族の末席にある。我らの常識からすれば、剣を抜かない理由がありません」
ウルマス殿は、殺気を放っていない。害意も出していない。剣に手を伸ばしてもいない。しかし、言葉と視線だけでブラス氏の血色は青を通り越して白に近くなっている。彼の実力を知らなくても、公爵家の人間を激怒させたという事が何を意味するか。少しでも想像力があれば、こうなるのは至極当然。
いよいよ、群衆もただならぬ状況に浮足立つ。が、彼ら彼女らよりも早く動いた者がいた。それは、この場で一番デカいやつ。
「「「シュルルルルルルッ!」」」
ヒュドラ。その六本の首すべてが、ウルマス殿へ向けて怒りを向けていた。当然、その主も。
「そこまでだ、ハイロウ。もう黙っていろ」
さながら、心臓が脈打つがごとく。主の怒りが、ダンジョンに広がった。モンスター達が一斉に、ただ一人に向けて戦意をたぎらせる。
しかし、流石は元、守護騎士団。席を立つと、サイゴウさんへ頭を下げた。そして、ダリオ達が座っている席へと向かった。
緊張がほどける。誰かが安堵して息を吐いた。
「……騒がせたな。ともかく、お前らは普通に帰っていい。今日は、客として扱う。そっちの……ブラスとかも。アレには何もさせないから、気にするな」
「は。……しかしその、今回の事は」
「客っていったろーが。襲撃なんてなかった。そーいう事にするんだよ。なあ、ミヤマ」
「ダンジョンマスターのおっしゃる通りに。まあ、もし気に病むのであればその分はこれからの働きで返して貰うという事で。大変ですからね、復興」
俺たちの言葉に、ブラス氏だけでなくハリー会長まで頭を下げた。それを見届けて、サイゴウさんは立ち上がった。
「……聞いての通りだ。これから、俺はやらかしたことの償いをする。セルバ国を独立させて復興させる。それでも、俺を憎い者もいるだろう。いいぞ、いくらでも憎め。復讐したければいくらでも来い。ただし、その時はダンジョンマスターとして対応する。次は手加減なしだ」
彼に向けられる視線は、様々だ。変わらず、怒りと憎悪がある。猜疑の視線が新しく加わった。感謝に変わった物もある。しかし、彼は堂々とそれを受ける。後悔に凹み切った男はもう居ない。
覚悟を決めたダンジョンマスターが、そこに居た。