覚悟を決める時
ダンジョンアイは、諜報活動にも役立つ。具体的な使用方法を提案したのは、もちろんダークエルフ達だ。その指導の元にあちこちに蛇を潜ませているわけだが。第三グループの子爵に貸した家にも、きっちり潜ませてある。
正直、疑うなんてことはしたくないのだが。初対面からアレだったし、その後もどうにも反応がよろしくない。そもそも話もろくにしてくれないのだ。対応はほとんど部下任せ。会議の時はいるだけ。人となりもさっぱりだ。
それでもって、そういった必要最低限の時以外は屋敷にこもりきり。何をしているかと思えば……酒と女である。そういう報告をもらっている。見る気はこれっぽっちも起きなかった。
が、そんな仮称ブタ子爵が客を招いたという。誰かと思えば、なんとリベリオ・カザーレ伯爵。……まあ、同じ貴族だし町内会長でもあるし普通ならば何も不思議はない。だが、普段が普段。さらにいえばリベリオ殿、人目を避けての来訪である。何かあると考えて間違いないだろう。
彼らが使用する部屋は、使用人が隙間や天井を入念にチェックした所。ダンジョンアイの事は秘密にしていない。警戒して当然だろう。しかし、素人が見つけられるほど黒蛇は間抜けではない。家で働くダンジョンアイはベテランなのだ。
「一体どうなっておるのですかここは!」
ブタ子爵が吠える。対面に座るリベリオ殿は消沈して首を振る。
「聞いていた話とまるで違うのだ。本当ならば、私たちが到着した時点でここは乗っ取れていたはずなのに」
「このような街があるなどと……連中は何も言っていなかった! ええい、バルコ貴族を愚弄しおって! これだから帝国の商人は!」
机を叩く。ワインを自棄飲みする。分かりやすく荒れている。……まあ、ここに来た以上商業派閥の手が入っているのは当然の話なのだが。乗っ取りかぁ。
しかし廃都の話は伝わっていなかったのか。情報収集をしくじったのか、それとも俺たちがここを制圧する前から動いていたのか。どちらにせよ、このありさまを見るに当初の目論見は失敗しているらしい。
「とはいえ、内部には入り込んでいる。あとは第三王子殿下のご到着を機に……」
「それだがな、子爵。……やっても、失敗するぞ」
若き伯爵は、ワインが注がれたままのグラスをながめる。口にはしていない。ブタ子爵が机を叩き、それが大きく揺れた。
「何をおっしゃるか! それでは何のためにわざわざ国境を越えてこんな辺鄙な所までやって来たと! ここを押さえねば、商人どもから金はむしり取れんのですぞ!」
「その商人が信用ならんことは、このありさまで理解しただろう。加えて、だ。……民たちは、ここの生活に安堵している。これでは戦力にならん」
「馬鹿馬鹿しい! 民など殴りつければいくらでも動く!」
「それを、連中が許すか? コボルトに吠えられ、蛇に睨まれ、ダークエルフに忍び寄られる。ここは魔境だ。我らの土地ではない」
なにより、とリベリオ殿は一方に視線を向ける。そこには壁があるだけ。しかしその先にあるのは、湖だ。
「あの、大精霊。あれには勝てぬ。兵を何百と集めても、勝てぬ。魔法使いが必要だ。部隊を作れるほどに。しかし、それは今のバルコでは望めるものではない」
「それは……そう! それこそ商人どもに出させればいい! 帝国ならば、あれをどうにかする道具ぐらいあるだろう!」
「確かに、やつらも、我らを動かすために多額の金を費やしている。ここで儲け無しは辛かろうから、出すかもしれない。だが、どうやって連絡をつける? ここの出入りはダンジョンの目がある。出るだけでも確実に目立つし、何より連中の居場所がつかめない」
「それは……それは……ッ!」
真っ赤になる子爵。その怒りと恨みがこもった目は、爵位が上の者に向ける者ではない。その当人といえば、もう一度ため息をつくと席を立った。
「内応はする。我らとて、連中の手引きが無ければ干上がっていたからな。義理は果たす。だが、数は期待してくれるな。父上はこのたくらみを知らぬ。古参の家臣すら、あちらに着くだろう」
話すというよりは、言い捨てるようにして。リベリオ殿は部屋を出て行った。残ったのは、顔を怒りでどす黒く変色させたブタ子爵。
「おのれ! おのれ! おのれぇぇぇ! 何故私が! 名誉と歴史あるバルコ貴族である私が! このような目に合うのだ! 間違っている! 何もかもが間違っている!」
机を叩く。何度も叩く。止めに入ったメイドも殴る。……もはや、見る必要もないだろう。意識を戻す。
特等席に座った一同は、思い思いの表情だ。はっきり怒りを浮かべる者。不快感を表す者。そして、思案する者。俺は気持ちを切り替えるために、口を開いた。
「とりあえず、第三王子とやらが到着した時が区切りだね」
「今のうちに、ブタを捕縛しますか?」
怒りで眉尻を上げているエラノール、直球の意見。俺は首を振る。
「ぶっちゃけ、それやってもほぼ意味がない。家の中にいる以上、アレができる事ってそんなにないし。家臣に監視を付ければ十分だと思うよ」
怒りをぶつけられるのは可愛そうなので、場合によっては介入しよう。
「リベリオって貴族はどーすんだ? あれもほったらかしか?」
不機嫌さを顔と態度に出したバラサールが、言外にやらせろと言ってくる。これに対しても対応は同じ。
「彼の方は、表向きダンジョンの仕事をしている。同じく監視をつけてそのままで。ブタと違ってこっち捕まえると実害が出る」
実際、よく働いてくれているんだ。民衆の慰撫も積極的だし。だから……まあ、ショックではあった。
「では、我らとしては第三王子とやらへの対策を取っていく、と」
誰かに起こしてもらったのか。一番冷静なセヴェリ君の言葉に頷く。
「そういう事。まあ、具体的にはウルマス殿やヤルヴェンパー家にお願いすることになるんだけどね」
「分かりました。叔父上に相談いたします」
「よろしくね」
残っていた酒を、飲み干す。熱くなった息を吐き出す。少し、酒が回ったようだ。
「ミヤマ様、勝ちました! なかなかの強敵でした!」
ガッツポーズしながら、ダニエル君が戻ってきた。少しだけ眺めて、親指を立てて見せた。だが、ライバルからの視線は冷たかったようで。
「……おい、なんだその目は」
「ダンジョンの大事を放っておいて、いいご身分だと思っただけですよ」
「ああ? んだそりゃあ?」
「そのままの意味ですよこの能天気が」
「二人とも」
若いガーディアンが、そろって肩を震わせた。俺を見る。何故か、怯えているようだった。まあ、いい。
「下で、一回殴り合っておいで。思いっきり」
「「は、はい!」」
勢いよく駆け下りていく。俺はそれを見送ってから、空のグラスに酒を注いで飲み干した。
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気が付いたら、屋敷の談話室にいた。おそらく、もう夜中だろう。テーブルには水差しが置かれている。グラスもだ。
うっすらと覚えている。大分酔いが回った俺は、皆に担がれて帰って来たのだ。で、わがまま言ってここに置いてもらった。そんな感じだった。水差しは、ゴーレム・サーバントのどちらかが置いてくれたに違いない。
喉が渇いて張り付いているかのよう。一杯飲み干す。心地よい。
「……」
意味もなく、天井を見る。エルフの技巧はこんな所にも施されている。細やかな飾りが施された梁を眺める。
いつまで、そんなことをしていただろう。唐突に、部屋がノックされた。
「どうぞ」
「失礼します……」
意外な人がやってきた。イルマさんだった。
「どうしたんですか。こんな夜更けに」
いつもだったら跳ね起きて対応するところだが、そんな元気もない。椅子にだらしなく伸びたまま対応する。
「いえその。どうにもナツオ様が気落ちしたご様子だとセヴェリから聞きまして。仕事も終わっていたので伺ったという次第で」
「ああ……それは気を遣わせて申し訳ない」
セヴェリ君め。どうやって……ああ、カタログを使ったか。あれなら直接話が行くからな。
イルマさんが、隣に座る。……酒がまだ残っている。ぼんやりして話題が思い浮かばない。空のグラスを眺める。
「何を感じたのか、お聞かせいただいても?」
「……そうですねえ」
そういわれても、理路整然とはなかなかいかない。グラスを手の中でもてあそびながら、思ったことを口にする。
「ひどい目にあうのはまあ、そこそこ慣れているんですよ。仕事でろくでもないクレーマーに絡まれたりとか、ぼちぼちありましたから。あと、チンピラとか」
「はい」
「なんでまあ今回の事も目が回って疲れはしましたが、いつも通り受け止めていたはずなんですよ」
でも、今はいつも以上に……キツイと思っている。何でだ? 何がそれほどまでにショックだった? ああ、ショックで思い出した。
「初めから、何かしらの策略であることは知っていた。ジルド殿がいっていた。けれど、流石に助けた相手が裏切る前提で入り込んでいたというのは……。覚悟していたつもりだったけど、しきれていなかった」
そう。裏切り。悪意。そいつがどうにも突き刺さった。侵入してきたモンスターから受けたことは結構ある。オーガは殺意の塊だし、どす黒い悪意だったらゴブリンも相当だ。
だが、あいつらは敵だ。倒すべき相手だ。……今回とは違う。それがどうにも、参ってしまったようだ。
「なまじ、助けようと心を寄せていただけにショックでしたか」
「あー……そんな感じなんでしょうね。あと、疲れ」
「疲れているときにそういうのはなんというか……折れますね」
「そう、それ」
イルマさんが的確に俺の心境を表現してくれる。そうかー。俺、折れてたかー。折れもするわ。やってられっか。どいつもこいつもくたばっちまえ。でも、子供が泣くのは見たくないなぁ。お母さんやお父さんが泣くのも見たくないなぁ。おじいちゃんおばあちゃんもそうだなぁ。
はああ、と酒気が混じった溜息をつく。そんな俺に、イルマさんが身を寄せてくれた。何とも柔らかく、温かい。いつもだったら、ときめいて落ち着かないのに。今日はひどく安心する。
「酒臭いですよ。風呂も入ってない」
「気にしませんよ。私も仕事帰りですから、鼻使っちゃだめですよ?」
「それは辛いなぁー」
少し、笑えた。少し、気持ちが楽になった。少し、幸せになれた。……よし。彼女へと体と顔を向ける。
「イルマさん」
「はい、何でしょう?」
「結婚してください」
……部屋が、静かになった。街は寝静まっている。外からもほとんど音がない。風もない。只々、音がない。彼女からの言葉もない。
「ふられた」
俺は崩れ落ちた。時間停止の魔法でもかけられていたようだったイルマさんが、動き出す。
「は!? ま、待ってください!? 唐突に何ですかいきなり!」
「うん。俺ももっと雰囲気とか贈り物とかホテルの最上階のレストランとか思ったのだけどそれやってたら一生告白できないなーってまあお気になさらず」
「ナツオ様! ナツオ様! こっち見てください! ゾンビよりもひどいオーラ出してますよ!?」
ゆっさゆっさゆすられる。ちょっと気持ち悪くなるから勘弁してほしいなぁ。うっぷ。そんなふうに力なく項垂れ続けることを彼女は許してくれなかった。無理やり引き起こされて、もう一度正面を向けられた。挙句、両手でがっしりと顔をホールドされる。目をそらすのが唯一の抵抗である。ああ恥ずかしい。
「もう! いくらなんでも唐突過ぎます! 受けるこっちの事も考えてください!」
「ごもっともで」
「さては場の勢いだけで告白しましたねそうですね!?」
「おっしゃる通りで……あ、でも気持ちは本当なので」
「だったらしっかりこっちを見る!」
「はい」
見た。怒っていらっしゃる。怒った顔もかわいいなぁ。わあい、もう情報と感情がぐしゃぐしゃでよくわからんや。
「一応ご確認します! 酒に酔った勢いとか冗談とかそういうのじゃありませんね!?」
「はい。思った感情を衝動的に口にしました」
「じゃあそれをもう一度!」
「ええ……盛大に失敗したのをもう一回は流石に……」
「本気だったら言えるはずです! さん、はい!」
「結婚してください」
「お受けいたします!」
……? はて。今何か聞いた気がする。イルマさんが赤くなっている。はて? 俺は何を聞いたのだったか。音を情報に変換できない。いや違うな。それの意味するところが大きすぎて理解をストップしている。
「お受けします!!」
もう一回、言ってくれた。うむ、受けるか。OKか。それは……ええと、結婚を?
「……マジです?」
「マジです!」
「……俺ダンジョン運営ぐらいしか能のない、いやそれもひぃひぃ言いながら回している程度の男なんですが」
「自分を卑下しない! 受けた相手に失礼です!」
「大変申し訳ございません」
「よろしい! ……結婚というのは、家同士の結びつきとかいろいろありますが。事この場においては私とあなたの気持ちと決断がすべてです。私がいいと言ったらそれでいいんです。……というか、なんで私が説得してるんですか! 告白したのナツオ様ですよね!」
「重ね重ね、おっしゃる通りでございます」
いやだってね。貴族のお姫様で、仕事超できて、最高に美人で可愛い。こっちが凹んでいた時は励ましてくれる。幸せにしてくれる。こんな人と結婚出来れば最高だなあって……あ、そうか。いかん。分かった。
覚悟が足りてなかった。この人を幸せにするぞという覚悟が。勢いだけで告ったのが不味かった。
俺にはそれができるか? ……やろう。深山夏雄はただの一般人だ。とてもお姫様と釣り合わない。だがダンジョンマスターのナツオ・ミヤマなら、できる。ダンジョンにいるすべての命を預かる男なのだから。
「イルマさん、もう一回告白させてください」
「……どうぞ!」
目を合わせる。真っすぐ見る。根性。
「必ず幸せにします。結婚してください」
「はい!」
……いかん、もう限界。立つ。彼女にそのままでいるようにジェスチャー。頷く彼女を部屋に残し、退室。速足でトイレに。持ってくれ、俺の消化器官! ダンジョンコア、パワーをくれ……なんだよ、その呆れたような気配! お前そんな感情細やかだっけ!?
到着! 狙い定め、よし! 胃の中の物をぶちまける。……あれね。飲み過ぎた後に愛の告白なんてするもんじゃないね。緊張やらなにやらでこのざまだからね。
内臓がひっくり返るような衝動も、どうにか収まった。口元を拭って、トイレから出る。……イルマさんがいた。笑顔で、怒って。
「ナツオ様、もう結婚する身なので遠慮なしで申し上げるのですけど」
「はい」
「告白した後ゲロ吐くって世界一最低ですね!」
「本当に、大変申し訳ございません」
心を込めて、頭を下げる。これ、一生言われるやつだな……。
「繰り返しますけど、その場の勢いでやるからこんなに大失敗になるんですよ! 事前の計画とか状況を作り上げるとか、そういうのはやっぱり必要なんですよ!」
「はい……」
身の置き場がないとはこの事か。あれだな、映画版の意気消沈した某電気ネズミ。あれと同じぐらい、今の俺はしおしおになっている。
「まったくもう! ロザリーさんの時はしっかりとやらないとだめですからね。私も計画に参加しますから」
「はい……はい?」
まって? なんでロザリー殿の名前が出てくるの?
「何を不思議がっていらっしゃるんですか。ここまで大きく支援を受けておいて、いまさらしないなんて選択肢はありませんよ? もしそうしたら、それはもう酷いことになりますよ?」
「いやまあ、確かに薄々はそんなだろうなとは思っていましたけどね? まさか、イルマさんから言われるとは……」
尻切れトンボになる俺の発言に、彼女は大きくため息をついた。
「そりゃ言いますよ。このダンジョンの一員となる以上、ブラントームは無碍にはできません。実家の援助も、対外的な事もあって踏み込んだところまでは期待できませんからね。というわけで、ロザリーさんの時はしくじらない様にしっかり計画をですね」
「それはもうごもっともなんですが。ほら、だってその……二人目の嫁とか……ナイーヴな懸案だと思うのですが……」
再び、イルマさんってば大きなため息。
「そりゃあ、私だって女ですから。思う所はもちろんあります。ですがそれ以上にヤルヴェンパー家の娘であり、ダンジョンに嫁ぐ女です。帝国貴族として、ダンジョンで生きていく者として。己の我がままで和を乱すなどもってのほか」
威風堂々。胸を張ってそうおっしゃる。これが、貴族の覚悟というものか……。その覚悟に気圧される。そして、彼女はにっこりと微笑んだ。
「とはいえ。先ほども言いましたが、思う所はあるのです。なので、そこの所はよろしくお願いしますね?」
「はい、それはもちろん」
「幸せに、してくださいね?」
「はい!」
ははははは……頑張ろう。などと、冷や汗を浮かべていたら玄関から物音が聞こえた。ドアが開いた? こんな夜更けに?
イルマさんと顔を見合わせる。二人でそちらに向かうと、見知った顔があった。一人はゴーレム・サーバント。新顔で、青いリボンを渡したブルーだ。そしてもう一人は。
「ヨルマ。どうしたのこんな時間に」
「これはこれは。お出迎え申し訳ありません」
旅装をした彼は、丁寧な礼をしてみせた。
「夜の森を抜けてくるほどのお急ぎだったので、お通ししました」
ブルーの言葉に頷く。それは、無茶をしたな。そこそこ少なくなったとはいえ、森にはモンスターがいるというのに。
「何かあったのか?」
「ええまあ。色々とありますがとりあえず……」
彼は己のバッグを軽くたたいて見せて。
「商業派閥のバルコ国でのやらかし。一通り押さえてきました。こいつで反撃といきましょう」