幕間 首都アイアンフォート
アルクス帝国の首都。その名を、アイアンフォートという。世界で最も栄える都。世界で最も歴史ある都。そして、世界で最も強き都。
帝国の誇る飛空艇に乗る機会があれば、帝都の特異な形状をその目で確認できる。見たことのないものには、大きく切り分けられた鉄色のパイと説明される。丸いパイを縦横に切り分け、さらに斜めに一回ずつ。軍隊が整列できるほどに広い通りで分けられた、八つの区画。それぞれが内政、軍事、生産、運輸などの役割を持つ。住居区画は三つあるが、この巨大な都を運営する人員を抱えるにはそれでも足りない。ゆえに上と下に伸びている。高層建築と地下施設だ。
このような威容をもつ都は、世界広しといえど帝都のみ。初めて訪れた者は皆、異なる世界に迷い込んだように戸惑うという。それは間違いではない。この都は、国のためにあるのではない。民のためにあるのでもない。
はじまりのダンジョン。三千年あり続け、今もなお戦い続ける大迷宮。帝都中央にある大空洞。外敵をここに招き入れるため、あるいは拒むため。帝都はそのために存在している。
今日もまた、帝都に敵襲を告げるサイレンが鳴り響く。珍しいことではない。故に住まう人々の動きも慣れている。大通りを移動していたものは、即座に指示に従って周囲の区画に入り込む。避難が確認されたら、防護用の巨大な壁が地下よりせりあがってくる。瞬く間に、帝都は城塞に成り代わる。
生産区画の、最も帝都中央に位置する建物。モンスター配送センターの一角、窓際にて若い職員たちが手に双眼鏡をもって大通りを眺めている。
「今日は北方通りか。誰か迎撃くじ買ってたか?」
少し年配の職員の言葉に、青年が答える。
「外しました。最近ツキが回ってこないようで」
「私は当てましたよ。また一つお守りが増えました」
女性職員が、つまんだチケットをひらひらと振る。彼ら彼女らに緊張の色はない。帝都に住むには資格がいる。最低限の戦闘力を求められるのだ。己の身すら守れないようなものが、はじまりのダンジョンの傍に侍るなどおこがましいにもほどがある。ハイロウたちはそう考える。
なお。話題に出ている迎撃くじとは、帝都住民の幅広い層が購入する宝くじである。八つある大通りの何処から敵が進軍してくるかを当てるもので、富裕層は当たりくじを換金せずお守りとして保有するのが最近のはやりだ。
「転移門、出ましたよ。あれは……コモンタイプ、ですね」
双眼鏡を覗きながらそういうのはイルマタル・ヤルヴェンパー。その声色には明らかに落胆が含まれていた。
「ああ……巨人か。しかも装備が粗雑とくる」
「神の血も薄そうですね。あれでは守護騎士団だけで対応できてしまう。我々の出番はなさそうです」
大規模な侵攻ともなれば、帝都住民にも動員がかかる。それはハイロウにとって名誉な事である。このように事の成り行きを眺めているのは彼らだけではない。帝都に住まう多くの住民が、自分たちの出番はあるかと窓際に詰めかけているのだ。
そんな彼らの視線の先、帝都守護騎士団が整列する。最新の魔導技術によって製造された鎧は、装着者の身を守るだけではない。移動も攻撃も補助する、もはや一般的なそれとはまったくの別物だ。
居並ぶのは歩兵だけではない。ずらりと並べられた魔導砲塔。遠距離攻撃を担う銃士隊。背面を取るために、飛竜隊はすでに空を舞っている。
対する巨人は、ただ直進するだけ。通常であるならば、間違いなく脅威だ。城塞都市ですら、軽々更地に変えてしまうような大戦力。巨木そのままの棍棒、神殿の柱をしのぐ野太い腕、すべてを踏み砕く足。暴力の化身。神々の末裔。巨人の軍団とは、絶望の化身である。しかし、この帝都においてはそうではない。
「守護騎士団! 進軍!」
重装歩兵が砲弾のように駆ける。大盾を構え一斉に体当たりをする様は、壁が一列に移動するかの如く。それを足に叩きつけられた巨人はたまらない。次々に転倒させられていく。さらにその頭上に砲弾が降り注ぎ、まだ立っている巨人には銃弾が嵐のように浴びせられる。痛撃を瞬く間に受け、巨人たちの悲鳴が帝都に響く。
「……これはもう、終わりですね」
双眼鏡を下ろして、女性職員が言う。大質量をもっての巨人の突撃。それを止められた時点で敵側の勝ち目はほぼ失せた。それでなくても敵陣真っただ中に連れ込まれてしまったのだ。いかに強大無比な巨人といえど、暴力だけでどうにかなるものではない。
次々と討ち取られていく巨人。もはや動員の可能性は無いとなれば、職員たちの関心は戦場から別の事に移る。今、職場で最も熱い話題に。
「……所で、ヤルヴェンパー。例のガーディアン、候補は決まったのかな?」
まったくもって、不自然極まる話題振りを年配の職員がする。周囲にいたほかの職員の表情が硬くなる。力なく笑うのは話題を振られた彼女だけ。
「ええ、まあ、一応……」
「んー、そうか? 何か手伝えることはあるかな? 幸い少し手が空いていてな!」
「ええっと、幸い今のところは特に……」
先輩のゴリ押しを何とか流そうとする。が、彼女に寄って来るのはほかにもいた。
「ヤルヴェンパー。低コストモンスターについて新しい情報があるんだが」
「コボルト育成術の新しい本が出たのを知ってます?」
「帝都第三ゴーレム工房にキャンセルが出たって話が……」
次々と話を浴びせられ、さしもの彼女も深々とため息をつく。
「そんなに気になりますか、新ダンジョン……」
「「「当然!!!」」」
異口同音。こうなるのはある意味当然の流れだった。ハイロウにとって、ダンジョンに入るという事は特別である。一生入ることができないハイロウだって少なくはない。新しいダンジョンマスターから連絡があり、彼女はそこへ行ってきた。それだけでもう、職場はその話題で持ちきりだった。
「早々にガーディアンの許可をとれるほどの御仁。どのようなマスターか気にならないはずがないだろう」
「新人のダンジョンマスターがコボルトの信頼を得ているというのは、中々ないぞ」
「まあ、そうですね……ミヤマ様は、ダンジョンマスターに必要な資質を備えていらっしゃいますよ。前向きにダンジョン運営をこなされてますしなにより、身の程を知っていらっしゃる」
己の限界を知るからこそ、他者と協力できる。この世の何処に農耕や建設、商業等々を一人でできる者がいるだろうか。社会とは互いに足りないものを補い合うからこそ形成される。
ダンジョンマスターも同じ。ダンジョン運営は一人ではできない。モンスターの力を借りて初めてこなしていける。コアの力を使えば命令はできる。だが、それだけではとても足りない。戦闘で怖気づいた時、疲労で倒れそうな時、死力を尽くさなければならない時。命令だけでは、モンスターたちは動かない。モンスターからの信用信頼を得られたマスターのみが、困難を勝ち抜ける。
ミヤマにはそれがある、とヤルヴェンパーは見ている。コボルト達から信頼されている、というだけではない。新しいガーディアンを迎えるにあたり最大限の努力をしようとする姿勢も評価できた。
もちろん、完璧ではない。足りないものの方が多いだろう。ゆえに、だからこそ。
「支えがいのある御方だと思いますよ」
にっこりとほほ笑むヤルヴェンパーに、職員達が嫉妬の悲鳴を上げる。
「ぬううう、うらやましい! おおダンジョンメイカーよ、始祖オリジンよ。どうしてあの時私の所に連絡がこなかったのか!」
「俺、まだダンジョン入ったことないのにー」
「私もですよー」
連絡が来たらそれはそれで魂が飛び出るほど驚くものですよ、とヤルヴェンパーは口に出さず思い返す。忘れもしない、ミヤマダンジョンから連絡がきたあの日。自分のデスクの通話紋が、新しいダンジョンであることを示す色を光らせた。悲鳴は上げなかった。だが声は裏返った。物心ついてから、あれほどの大失敗は記憶にない。
「ええと……機会がありましたら声を掛けますから……」
エキサイトする職員達をなだめる。外では、巨人の長が苦し紛れに塔のごとき巨剣を守護騎士団に投擲。しかし、強化魔法を全開にした騎士たちが迎撃し、戦果を挙げることなく大地に転がる。ほどなくして巨人たちは大通りに屍を晒し、姿を消した。
帝都の、日常の風景である。